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1巻
1-1
しおりを挟む第一章
(……こんなに年下だなんて、聞いていないよ!)
私は正面に座った青年を見て、顔を引き攣らせた。
離れ茶屋風の雅趣に富んだ料亭の庭に、カッコーーーンと鹿威しの音が鳴り響く。
そんな格式高い一室には、仏頂面の私と、今日も化粧ノリが絶好調なアヤ叔母さん。そして見目麗しい青年がいる。
私は右隣に座っているアヤ叔母さんの顔を睨み付けたが、彼女は素知らぬ顔をしてホホホと笑う。
「……本当にいいんですか? この結婚、なしにした方が――」
私がポツリと呟いた言葉に、青年ではなくアヤ叔母さんが食ってかかった。
「何を馬鹿なことを言っているの! こんな、凄くステキな男子が相手なのに! 何が不満なの!」
顔を紅潮させているアヤ叔母さんに、私は首を横に振る。
「不満なんてないよ」
「じゃあ何よ! 私はね、死んだ姉さんからアンタのことをくれぐれもよろしくって頼まれているの。だから、こんなにいい条件の相手を連れてきたのに」
「それは知っているけど――」
「私の目に狂いはないわ! この結婚はアンタを絶対に幸せにしてくれる!」
若々しくてモデルみたいなアヤ叔母さんは、私の亡き母の妹。
女手一つで化粧品会社を設立し、国内有名メーカーにまで成長させた人だ。仕事ができるし、人を見る目も肥えている。
そのアヤ叔母さんがここまで言い切るのだから、この青年はきっと素晴らしい人格者なのだろう。
だからこそ、私は悩んでしまう。将来有望で、これから可愛い女の子たちとの出会いが待っているはずの彼を、アラサーの私が結婚相手にしてもよろしいものか……
私は君島咲良、二十九歳の独身。短大を卒業後、地元にある中小企業の窓口で受付業務をしている。
百人の女性がいれば埋もれてしまう、ごくごく標準的な体形と顔の私。
特徴らしい特徴といえば、少し明るい茶色にしたボブカットの髪が、くせっ毛なことくらいだろうか。
色々なことに消極的で恐がりの私は、この年になっても恋愛ごとに縁がない。だけどそのことに危機感は持っていなかった。
一方、この状況を心配していたのは、私の養母となってくれているアヤ叔母さんだ。
私の父親は私が生まれる前に事故で亡くなっていて、母親も私が中学生の時に病死している。
行き場のない私を養子にし、これまで育て、守ってくれたのは、他でもないアヤ叔母さんだ。
その大恩人であるアヤ叔母さんが、先日、突然縁談を持ってきた。しかも、いわゆる政略結婚だというから驚いた。
叔母さんの会社であるアヤ化粧品が火の車なのかと心配したが、危ないのは相手の方。
正面に座る青年のご実家――健康食品やサプリメントを製造販売している大橋ヘルシーが倒産の危機とかで、アヤ化粧品との提携を望んでいるそうだ。
私がこの縁談を断れば……彼の実家は倒産してしまうかもしれない。
アヤ叔母さんは常々、仕事では人情を切り捨てるのが信条だと言っているので、彼の会社を助けようとしていると聞いて、私は意外だと思った。
しかし、やっぱりそこはアヤ叔母さんである。アヤ叔母さんにも思惑があってのことだった。
アヤ化粧品は、サプリメント関連で大手の大橋ヘルシーと、共同商品を作りたいらしい。
両社にメリットがあると判断したからこそ、提携の話が出てきたというわけだ。それに加えてアヤ叔母さんの方から、提携したければ行き遅れそうな姪を引き取れと言い出したのだとか。
アヤ叔母さんには恩があるし、役に立ちたい。そう考えていたものの、こういう困った状況になるとは夢にも思わなかった。
男の人と付き合ったこともない私が、恋をすっとばしていきなり結婚なんて、ハードルが高すぎる。
それに、お見合い相手の彼が可哀想で仕方がない。
この縁談は、間違いなく彼の意思とは別のところで動いているはずだ。
家族や会社、社員を守るためにこの場にいる彼の心情を考えると、辛くて痛くて苦しい。
彼の名前は、大橋春馬。二十三歳なので、私と六つ年の差がある。
背はスラリと高く、ほどよく筋肉が付いていてバランスがとれた体形をしている。優しげな雰囲気で、和風美青年といった感じだ。
容姿もいいが、経歴も凄い。
数年前までは有名大学に通いながら、実家が営んでいる大橋ヘルシーを手伝っていた。大学を卒業した現在は、重役として働いているという。彼が、今回の提携をアヤ化粧品に持ちかけたとか。
それはアヤ化粧品のネームバリューや資金の調達力などが、大橋ヘルシーにとって大きなメリットになるためだ。
もちろん、アヤ化粧品にもメリットがある。
アヤ化粧品は近年、サプリメントに力を入れているという。何でも、大橋ヘルシーには特許を取得しているサプリメントの加工技術があるそうだ。それをアヤ化粧品でも取り入れたいらしく、必死なのだという。
両社にそれぞれ利点があるわけだが、大橋ヘルシーの方が必死なのだろう。その結果、大橋さんは人生を棒に振ることになる。もちろん、私も他人事ではないのだが……
本当にそれでいいのだろうか。
改めてそう思った私は、アヤ叔母さんに尋ねる。
「あのね、叔母さん。この結婚、本当にしていいのかな?」
「何を言っているの? アンタこのまま独身を貫くつもり? 独身でいるぐらいなら春馬君と結婚した方がいいわ。春馬君はなかなかの好青年よ。私が言うんだから間違いないわ」
鼻息荒い叔母さんにため息をつき、私は大橋さんに視線を向けた。
「大橋さん」
「はい」
「大橋さんは会社を守るために、この縁談を受けようとしているんですよね? でも、どう考えても私に大橋さんはもったいなさすぎると思います」
アヤ叔母さんが息巻いて何かを叫ぼうとしているのを押さえ、私は大橋さんを見つめた。
彼は何も言わず、私の話に耳を傾けている。こちらを見つめ返すまっすぐな視線は射抜くように強くて、少しだけ怯んでしまう。しかし、私は気を取り直して言葉を続けた。
「もし、会社の存続だけを考えて私と結婚しようと思っているのなら、やめた方がいいと思います。大橋さんには、もっとステキな人がいるはずだから」
そこまで言い切ったあと、大橋さんが聞き返す。
「それは……この結婚を受けたくないということですか?」
「政略結婚がイヤなだけです。それは大橋さんだって同じですよね? もし、会社の倒産を防ぐためだけに私との結婚を考えているのなら、やめてください。叔母は、メリットがあると判断すれば提携を続けてくれると思います。こんな結婚をする必要はありません。大橋さんが、叔母を説得してみてください」
それだけ伝えて、私は腰を上げる。
アヤ叔母さんは、彼を優秀だと褒めちぎっていた。それなら結婚という手段を使わなくても、彼がアヤ叔母さんを説得するのは可能だろう。
本当はこれから出てくる料理が気になるが、長居は禁物だ。
ふすまに手をやり、退出しようとする私の背中に、大橋さんが言葉を投げかけてきた。
「咲良さんは、大橋ヘルシーを潰そうと考えているのですか?」
大橋さんの切羽詰まった声を聞き、私は慌てて振り返った。
すると、美青年が口を真一文字に結び、縋るような目で私を見ているのが視界に入る。
彼の様子は、人懐っこい大型犬が悲しそうにクウンと鳴いて訴えているように見え、私は狼狽した。
「そんな顔しないで! 私は大橋ヘルシーを潰そうだなんて……」
「結婚しないということは、大橋ヘルシーが潰れるということと同じですよ」
「そうじゃなくて……大橋さんは優秀な人だと思います。そうでなければ、結婚なんて話を叔母がするわけがありません。ですから、もっと違う形で提携を結べばいいんじゃないかなって……」
何とかして考えを改めてもらおうとするのだが、大橋さんは未だに悲しそうな瞳で私を見つめている。
私はどうしようと思い、慌ててアヤ叔母さんに視線で助けを求めた。しかし、アヤ叔母さんは機嫌を損ねてしまったようでツンとそっぽを向く。どうやら援護を期待するのは難しそうだ。
困り果てる私に、大橋さんが言い募る。
「僕と結婚してください」
「でも……それはどうかと思うんです。大橋さん、貴方の人生はこれからですよ? こんな形で結婚して後悔しませんか? 私なんて美人でもないし、取り柄もないアラサーだから……すぐ飽きて離婚したくなると思うんです」
「どうしてそんなふうに言うんですか? 咲良さんは、とても可愛い人です」
そう言った大橋さんは、熱っぽい目で私を見据えた。美形の男性にこうして見つめられるのは初めてで、どうしていいのかわからなくなってしまう。
顔はポッーと熱くなるし、考えも纏まらない。ふいに、大橋さんが立ち上がってこちらにやって来る。
固まったままの私の手を、大橋さんは温かくて大きな手のひらで掴んだ。
「お、大橋さん!?」
「僕は、咲良さんと恋愛したいです」
「え?」
「僕じゃご不満ですか?」
「そ、そうじゃないけど」
「そうじゃないけど、何ですか? 僕が結婚後、浮気したり離婚を切り出したりすると思っています?」
グイッと顔を近づけられ、私は咄嗟に手を振り払い、彼の肩を掴んで押した。だけど、動揺して何も言えない。
これだから私はダメなんだ。臨機応変な対応が全くできず、これまでズルズル生きてきた。
こういう場面こそ冷静さが必要なのに、すぐに挙動不審になってしまう。
拒否の言葉を告げられないまま、私は大橋さんの熱っぽい視線を浴びる羽目になった。やがて、彼がボソリと呟く。
「どちらかというと、咲良さんが逃げ出したくなるかもしれませんよ」
「え?」
「いや、こちらの話です。それより僕と結婚してくれますよね?」
「あの、だから、その――」
「僕には、大橋ヘルシーを守る義務があります。そのためには手段を選びません」
その言葉は、私の心をひどく傷つけた。ようするに、大橋さんは私と結婚がしたいわけではない。会社を生き延びさせるためには、どんな相手とでも結婚すると言いたいのだろう。
大橋さんは、私と婚姻関係が築ければチャンスになる。大きな企業との提携が決まり、経営が安定するからだ。
アヤ叔母さんだって、これから力を入れていきたいと思っていたサプリメントの技術やノウハウを大橋ヘルシーからもらうことができる。お互いにメリットがあるのは明白だ。
(だけど、私は? 私にはメリットはないじゃない)
そう考えながら、私は大橋さんとアヤ叔母さんを交互に見る。そこで気が付いた。私にもメリットはあるかもしれない。
アヤ叔母さんには恩がある。いつか恩返しをしたいと思っていたのは事実だ。
それが、この結婚によって実現できるかもしれない。
この結婚は愛情によるものではない。提携の条件として示されているものだ。だとしたら、私からだって条件を突き付けることは可能だろう。
気付いた瞬間、胸にあった不安がスーッと消えた。
この取り引きで分が悪いのは、間違いなく大橋さんの方だ。
となれば、私が優位に立てるに違いない。
「アヤ叔母さん。この結婚は、双方にメリットがあるんだよね?」
「まぁ、そうね。だけどね、咲良――」
何か言おうとするアヤ叔母さんの言葉を遮り、私は大橋さんとアヤ叔母さんに言葉を投げ付けた。
「私からも条件があります。それに承諾してくれたら結婚します!」
勇気を振り絞った言葉に、大橋さんは何故か妖しげにクスッと笑う。
今までの彼のイメージが覆されるような笑みに、私は一瞬寒気がした。
自分の目を疑い、ゴシゴシと擦ってもう一度彼を見たが、席に戻った大橋さんの笑みは好青年風のものに戻っていた。さっきのは、私の気のせいだったのだろうか。
「では、咲良さんの結婚の条件。お聞きしてもよろしいですか?」
キレイな笑顔を私に向ける大橋さんに、またドキドキが止まらなくなる。
だが、ここが勝負だ。いつもは言いたいことの半分も言えない私だけど、これは一生を決める大事な舞台。
私は再び席に着き、傍に置いてあったウーロン茶のグラスに手を伸ばす。
そのとき、自分の指が小刻みに震えていることに気が付いた。
これは緊張のせいなのか、恐れのせいなのか。たぶん、両方だろう。
私の手が震えていることに気が付いたのか。大橋さんはテーブル越しに手を伸ばし、私の両手首を掴んできた。そして、驚いて腰を上げた私の指に彼の唇が触れる。
私は一瞬何をされているのかわからず、大橋さんを見上げることしかできなかった。だが、すぐに状況を把握し、慌てて彼から離れた。
そんな私を見て、ほんわりと笑う大橋さん。
「可愛いですね、咲良さんは」
「なっ!」
「さぁ、落ち着きましたか?」
しゃべり方、振る舞い、何をとっても、大橋さんは私より大人びている。六つも年下だなんてとても思えないほどだ。
それに対し、私ときたらどうだろう。三十歳目前のくせに、オタオタとして情けない。
深いため息をつきたいところだが、今はそれどころではなかった。
私は、「大丈夫です」と告げて大橋さんを見上げる。そして、こちらの要望を口にした。
「籍は入れません」
「え?」
目を丸くして呆気に取られている表情は、今までのように大人びたものではない。素の大橋さんを垣間見られた気がして嬉しい。
そう思いつつ、私は言葉を続ける。
「大橋さんと一緒に住むし、世間には結婚したと伝えますが――」
「あくまで形だけ……そう仰いたいのですね? 咲良さん」
はい、と私は小さく頷いた。
今回の結婚は、企業同士の思惑があって成立するもの。しかし刻一刻と情勢は変わっていく。いつか不要になるときが来るかもしれない。
そのときのためにも、しがらみはない方がいい。
ドラマや漫画などでは、政略結婚をした二人は仮面夫婦になることが多いように思う。
その仮面夫婦に、私たちもなる可能性は非常に高い。いや、なる。絶対に仮面夫婦になる気がする。
(だって大橋さん、格好いいからなぁ……)
思わず『さん』付けで呼び、敬語で話しかけてしまうほど大人な彼は、お世辞抜きで格好いい。さぞかしモテることだろう。
近い将来、私には見向きもしなくなるはずだ。
「アヤ叔母さん。私はこの条件じゃなきゃ結婚しないですからね」
「あのね、咲良。そういうのは結婚って言わないわよ。同棲と変わりないじゃない」
「そ、そうかもしれないけれど……ずっとお世話になってきたアヤ叔母さんのお願いなら聞きたいし、大橋ヘルシーの社員の皆さんを助けたいっていう気持ちもあるんだよ。だけど、私……結婚まではどうしても踏み切れなくて」
「咲良……」
困ったような表情を浮かべたアヤ叔母さんは、大橋さんを見て何か言いたげな顔をする。
大橋さんは小さくため息をつき、優しくはにかむ。
「わかりました。咲良さんが提示した条件をのみましょう」
大きく頷く大橋さんに、アヤ叔母さんは驚いて腰を上げた。
「ちょっと春馬君。それでいいの?」
「籍を入れないと提携の話はなくなってしまいますか?」
「えっと、それは……大丈夫だけど。いや、でもね」
アヤ叔母さんの歯切れが悪い。普段は竹を割ったような人なのに、この態度は変だ。
不審に思い問い詰めようとするが、それよりも早く大橋さんがきっぱりと言う。
「それなら咲良さんの意見を尊重しましょう。僕としては、アヤ化粧品が提携の話を蹴らなければそれでいいのですから」
やっぱり私のことは二の次らしい。わかってはいたけれど、改めて私なんてどうでもいいと言われたみたいで心が痛む。
籍を入れないでほしいとお願いしてよかった。形ばかりの結婚なら、何とでもなるだろう。
ホッとした私に、大橋さんは言葉を続けた。
「形だけならいいと、咲良さんは考えている。それでいいですよね?」
「は、はい」
どこか含みのある言い方だが、大筋は合っている。私がコクリと頷くと、大橋さんはにっこりと意味深な笑みを浮かべた。
「では、結婚式を行いましょう」
「け……っこん、しき……ですか?」
「ええ」
とびっきりの笑顔で答える大橋さんに思わず見入ってしまったが、慌てて頭を振った。
今、彼はとんでもないことを言っていなかっただろうか。
結婚式といえば、親戚や友人、会社の上司などを呼んで、結婚するという事実を披露するものだ。
偽りの結婚をしようとする私たちなら、しなくてもいいはずなのに。
「待ってください! 形ばかりなのに、どうして結婚式をしなくちゃいけないんですか?」
私が声を上げて抗議しても、大橋さんは動じない。
「形ばかり、だからですよ」
「え?」
「僕たちが籍を入れないということは、大橋ヘルシーにとって不安定な状況になるとおわかりいただけますか?」
「提携をうやむやにされる危険性があると仰りたいのですか?」
その通りです、と大橋さんは清々しい笑顔で頷く。
「今回のことは籍を入れて雁字搦めにするからこそ、意味があるのです。いわば、入籍するということ自体が、契約書みたいなものですから」
彼が言わんとすることは理解できる。だが、それと結婚式はどう関係があるのだろうか。
首を捻る私に、大橋さんは目を細めて言う。
「入籍しないならば、担保が必要になります」
「担保、ですか」
「ええ。一緒に住んでいるだけでは、先ほど君島社長が言われたように同棲と一緒。それでは世間の目は誤魔化せません」
「た、確かに……」
「そこで結婚式が必要になってくるのです。盛大にお披露目すれば……僕たちが夫婦になることを誰も疑わないでしょう?」
まさにその通りだが、何だか釈然としない。
籍を入れたら後々大変になりそうだし、かといって籍を入れず結婚式をするとしても、その準備などで苦労をしそうだ。
どちらからも逃げ出したいが、大橋さんはそれを許してくれそうにもない。それに、私がここで結婚自体をやめると言ったら、アヤ叔母さんに迷惑がかかる。
迷う私に、大橋さんがにこやかに声をかけてきた。
「僕としてはどちらでも大丈夫ですよ。籍を入れて結婚するか、それとも籍を入れず結婚式だけを執り行うか。咲良さんにお任せいたします」
「……どちらもやめておこうという選択肢は?」
「ないです。一度のんだ条件を覆すというのは、ビジネスにおいても、大人の対応としてもよくないですよね」
グッと言葉に詰まる私を見て、大橋さんだけではなくアヤ叔母さんも楽しげに笑う。
彼らの笑みは友好的なものではなく、私は自分が四面楚歌の状況だと悟った。
昔から、アヤ叔母さんには敵わなかった。その上、今は大橋さんという得体の知れぬ強者までもが私の前に立ち塞がっている。
口が達者ではない私の扱いなど、二人にしてみたら楽勝だろう。
何も言えなくなった私に、大橋さんが畳みかける。
「咲良さん。どうしますか? 今すぐ婚姻届を書いて区役所に提出しに行きますか? それとも結婚式場を探しに行きますか?」
キレイな笑顔だと思っていた大橋さんの顔が、今は、とてつもなく怖い。
逃げられない状況に追い込まれた私には、頷くという選択肢しか残されていなかった。
「……式場はお任せいたします」
一番苦難の道のりを選んでしまったと気が付くのは、だいぶ後だった。
* * *
あの奇妙な見合いから十日間が経った。
『籍は入れないけれど、結婚式はする』
あれから何度も、この軽はずみな決定を取り消そうとアヤ叔母さんに直談判をしたのだが、そのたびに蹴散らされてしまっている。
『咲良が決めたことでしょ? ビジネスとして動き出したものは止められないから、諦めて結婚式しなさい。いいじゃない、春馬君はお買い得よ。絶対に咲良も気に入るから』
ニヤニヤ顔でそう言われてしまったのだ。確かにあの見合いで、彼が一筋縄ではいかない人物だとわかった。アヤ叔母さん好みの男性だろうが、だからといって、私が彼を好きになるかどうかは別問題だ。
この十日間、何とか破談にしなくてはと悶々と考え込んでいたが、打開策は浮かんでこない。
今日も仕事を終えた私は、悩みつつアヤ叔母さんと住むマンションに帰ってきた。
すると、問題の彼が、マンションのリビングのソファーでくつろいでいる。
「おかえり、咲良」
「ど、どうして!? なんで大橋さんがここにいるの?」
ここはアヤ叔母さん名義のマンションのはず。
しかも叔母さんの姿は見当たらない。何故叔母さんがいないこの部屋に、彼がいるのか。
突っ込みたいところがたくさんある状況だが、まず指摘すべき点がある。
いつから大橋さんは、私の名前を呼び捨てにし始めたのか。あの日に会った好青年はどこに行ってしまったのかと言いたくなるほど、今日の大橋さんは威圧的な態度だ。
「ほら、突っ立っていないで座れよ」
「きゃぁ!」
腕を強く引っ張られ、私は彼の腕の中に収まってしまった。
慌てて逃げようとするのだが、大橋さんに強く抱き締められて動けない。
彼は腕の中にいる私に顔を近づけ、クンクンと鼻を鳴らした。
「咲良、いい香りがする」
「な、何をしているんですか!?」
今日一日仕事をして、汗をかいているはず。嗅がないでほしい。
(違う、そうじゃなくて……えっと、とにかくここから逃げ出さなくちゃ)
私は必死にもがいて大橋さんの腕から抜け出ようとする。でも、 抜け出るどころかますます強く拘束されてしまう。
あの衝撃的な政略結婚を打診してきた日の大橋さんは、紳士的で六つも年下だと思えないほどしっかりした男性だった。
だが、今の大橋さんはあのときの彼ではない。紳士的な振る舞いが、俺様な態度に変わっている。
戸惑う私に構わず、大橋さんがマイペースに口を開く。
「今日も一日お疲れ。メシは食べた?」
「えっと、まだですけど……それより」
彼がこのマンションにいること、そして初めて会ったときとは別人みたいになってしまったこと――ご飯よりお風呂より、これらの解明が最優先だ。
しかし、大橋さんは別の選択肢を提示してきた。
「メシより俺に抱かれたい?」
「は!?」
「それじゃあベッドに行こうか」
「ちょっと待って! きゃあ!!」
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