ソラのいない夏休み

赤星 治

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一章 失踪と死の予言

3 空き地の幽霊

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 七月二十四日、午前六時三十分。
 朝日ノ町に住む涼城すずしろ夏美なつみは、二階へ向かって叫ぶ母・澄江すみえの声で無理やり起こされた。
「夏美ぃ、橙也とうや連れてラジオ体操! 約束したでしょ」
 朝から忙しなく動く澄江は、台所で食器を洗い終えるとそのままリビングで二度寝する小学二年生の涼城橙也を起こした。
 不機嫌な顔で起き、のっそりと動く橙也は、傍らで山積みになっている乾いた洗濯物の山から着替えのズボンを取って履いた。

「つーか、お母さんが行ってよぉ」
 支度の終えた夏美は朝食にバナナを食べた。
「じゃあ夏美が洗濯物畳んでくれる? 部屋の掃除もしないといけないし洗濯物もあと一回まわさないと」
 澄江がぼやきだすと、続いて家事が出来なければ小遣いを減額させる話になると予想がつく。
「行く、行くからぁ!」
 夏美はダラダラとしか動かない橙也を引っ張って連れて行こうとする。あまりにグズグズしているので澄江は橙也を動かす助太刀の言葉をかけた。
「橙也、さっさと動く! 鏑木かぶらぎのおばちゃん家に行けなくしてもいいの!」
 鏑木のおばちゃんとは、澄江の二つ上の姉・佳菜江かなえである。鏑木とは佳菜江の住んでいる街の名である。
「いーやーだー! かなちゃん行くぅ!」
「だったら早く来る」
 ここぞとばかりに夏美は橙也を引っ張った。
「二人とも車気を付けてよ」

 忙しい夏休みの朝。小学生の殆どが参加する夏休み恒例、朝のラジオ体操。夏美の夏休み大半は、このためだけに早起きしなければならない運命にあった。
 小学校に到着すると、昨年同様、懐かしさよりも熱気漂う朝に嫌気が勝る。
「おはよう夏美ちゃん。久しぶりだね」
 中学まで同級生だった男子の父親が小学四年生の娘を連れて来ていた。
「おじさん、おはようございます」
 土産屋の店主である男性は温和な表情で話しやすい。二人は揃って体操をしながら会話をする。
「偉いね、弟の保護者かい?」
「はい。おかげで休みの殆ど早起きです」
 嘆きながら真面目に体操する夏美に引き換え、橙也は友達三人と話ながら適当な体操をしている。
「感心だねぇ。俺んとこなんかなんっにもしないから、少しは手伝えってんだ」
 やや苛立つ顔と語気から、明るい少年は生意気になったと思い夏美は苦笑いで返す。

 ようやく初日の体操が終わり、二人は帰宅した。途中、橙也が突然脇道に走り出し、鬱陶しく思いながらも夏美はついて行く。
「こら橙也。早く帰るよ!」
 五十メートルほど先にいる橙也は、ボロボロの木柵の隙間からジッと空き地を眺めていた。あまりにもみっともないので夏美は早歩きで近づいた。 
「こら。なにしてんの。他所の家を覗くのは変態のやる事よ」
「違うもん! あの人――」
 空き地を指差したけど、誰もいない。
「誰もいないじゃん」
「いたし。姉ちゃん来たから消えたんだ!」

 これは墓穴を掘ったと確信を得た。
「え、何? 橙也幽霊見たの? ちょっと怖いんだけど。呪われるよ、夜トイレ行けなくなるから」怖がらせつつ離れるように帰っていく。
 橙也は怪談話やテレビ番組を好んでいるが、矛盾して幽霊が苦手で怖がりな一面もある。消えた人物が幽霊だと信じてしまい怖くなった。
「姉ちゃん待ってぇ!」
 怖いのか、追いつくと夏美の服を握りしめた。
「ちょっと服伸びるから握らないでよ」
 橙也は首を左右に振り、引っ張るように握り締めた。
「ちょ、馬鹿! 引っ張ったら伸びるっつーの!」
 橙也は手を振り解かれ、不貞腐れて夏美の前に立ち、歯を噛みしめて口を開いた。
「いーだ! 姉ちゃんなんて幽霊に憑かれちゃえ!」
 吐き捨てると、一目散に逃げるように走って家に帰った。
「走ると転ぶぞ!」
 叫んでも橙也は止まらなかった。
「もう。服握んなっつーの。朝っぱらから幽霊なんて出るか」
 愚痴りながらも服の皺を伸ばし、ちんたら歩いた。


「ただいまー」
 声で暑さに参っていると分かる。
「おかえり夏美。なんであんたがそんなに遅いのよ」
「橙也が幽霊見てビビって、走って帰ったのぉ」
 澄江は「あらあら」と、適当に返した。
「ご苦労様。お義父さんと橙也がスイカ食べてるから、あんたも食べなさい」
「え! スイカぁ!」
 夏美はフルーツ全般が好きである。尚、スイカは野菜の部類だが夏美の中ではフルーツの部類に含まれる。
 居間へ行くと、縁側で祖父・儀造よしぞうと橙也がスイカを食べていた。
 真夏恒例の光景。縁側でスイカを食べ、庭に種を吹き飛ばして捨てるのは、夏美も橙也も儀造の癖が染みついている。

「爺ちゃんおはよう」
「おう。一苦労だったな」
 夏は紺色の袢纏はんてんを着るのが儀造の定番スタイルなのだが、今日は病院に行く機会があり、嫌々ながら余所行きの服に着替えている。
 白髪、細身体系に浅黒い肌。足腰は強くてしっかり歩けるから元気老人の部類である儀造だが、健康診断の結果が芳しくない。処方された薬の量が昨年より増えている。
 両親から儀造は永くないから覚悟はしておくようにと夏美は言われている。

「ちょっと爺ちゃん聞いてよぉ。橙也が幽霊見たとか言ってあたしの服掴むの」
 橙也は舌を出して反抗する。
「ああ!」
「二人とも喧嘩するな!」
 儀造が弱弱しくも一喝すると、橙也は体の向きを庭に向けてスイカを食べた。
「夏美も食え」
 そう言って隣を叩き縁側に座らせた。
 儀造を挟んで姉弟は座り、庭を向いてスイカを食べている。
「橙也、爺ちゃんも昔見た事あるぞ」

 姉弟は揃って驚いた。

「爺ちゃんどんな幽霊見たの?! オレ、変な男の人」
 儀造は頷いてから答えた。
「爺ちゃんも変な男だ。なーんかいけ好かん奴で、ずっと喧嘩売られてたぞ」
「爺ちゃん、幽霊と喧嘩したの!?」
 橙也の眼は輝いている。
「ああ。やたらと見下した目で見てくるだけで、追いかけてもすぐに消えるような変な奴。いい加減、頭きたから怒鳴ってやったわ。そしたらすぐ消えた、腰抜け幽霊だな」
「えー、うちって霊感家系?」
 文句を言うように口にした夏美は食べ終えたスイカの皮をお盆へ戻し、新しいスイカを手に取る。
 話の最中、洗濯乾燥機から乾いた洗濯物を取り出してきた澄江も会話に混ざった。
「なあに? こんな朝っぱらから幽霊の話してるの?」
 橙也は体を澄江の方へ向けた。
「お母さん聞いて! 爺ちゃんも幽霊見たんだって! オレと同じ」
「お義父さんも見たんですか?」
「ああ。嘘じゃないぞ」
 澄江は洗濯物に目を落とした。
「お母さん、どうしたの?」夏美が訊く。
「あー、いえね。あんた達が恐がるだろうから内緒にはしてたんだけど……、二十年前に亡くなったお母さんのお爺ちゃんも女の人の幽霊を見た事があるとかどうとかって」
「ええぇ! うちって完全に霊感家系じゃん!」

 残念がる夏美に反し、なぜか橙也は喜んでいる。

「で? お母さんの爺ちゃんってどんな幽霊見たの?」
「たしか……綺麗な女の人で、清楚系かな? お爺ちゃん、その人に結婚を申し出たとかいってたから、相当綺麗な人じゃないかなぁ」
 一応、夏美が澄江側の曽祖父のセンスを訊くと、昭和の清楚系アイドルの名前が上がり、女性の趣味は全うだと理解した。しかし澄江はこういう適当な事を言っては子供達を揶揄う癖があり、真偽の程は確かではない。

「ははは。残念だな夏美」儀造は嬉しそうに言った。「お前も幽霊を見る才能は備わってるって訳だ」
 再び残念がる夏美を余所に、澄江はテレビ番組を思い出す。
「そういえば今日、学園もののホラー映画やるんじゃなかったっけ?」
 夏美はうっかり忘れていた。
「そうだ! 今日だった」
 映画のテーマは、学校を舞台にした幽霊騒動の映画。そこそこ怖いと、夏美と橙也のクラス、共々に教室で話題に上がってる。姉弟揃って怖いのは苦手だが、怖いもの見たさの意識が高いのか、ホラー特番や映画を好み、これを観るとなると一緒に観ている。
「お前ら、どういう神経してるんだ?」
 儀造がぼやきながらスイカにかぶり付く。

 姉弟の待ち遠しい興奮は治まらなかった。
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