奇文修復師の弟子

赤星 治

文字の大きさ
上 下
50 / 66
五章 混迷する弟子達

7-過去編(4) 守るための嘘

しおりを挟む

 ダイクが目覚めた時、そこが何処なのかはっきりしなかった。

 見知らぬ場所であれ、眼前に見える天井を天井と分からない。
 寝ているのに寝ているという行動そのものが理解出来ない。

 思考がまるで働かない。
 目を開けると何かが映っている。
 身体が何かに触れている。
 温かいか冷たいか、その体感の刺激が伝わるなど、ごく当たり前のことを呆然とした状態で体感する。それぐらいである。

「こいつは酷い。すぐ回復に移ろう」
 隣で誰かが何かを言っている。
 声の人物がダイクの両手を開き、右手に細長い温い何かを置いた。次いで左手にゴツゴツとした、ほぼ丸い冷たいものを置いた。
 それ等二つが置かれると、ダイクは自らの意志に反し、深呼吸を行った。
 息を吐ききった時、事態は起きた。

「――ぐっ!! ――うう、ううあああああ――!!!!」
 両手に激痛が走る。
 それが腕を通って肩に、胸に、そこから首へ腹部、そして足、頭へと広がった。
「あああああああああ――――!!!!!!」
「辛抱しろ! ダイク=ファーシェル!!」

 名を呼ばれ、激痛の最中、ダイクは自分の名前を思い出した。
 呼吸を荒げ、身をよじりながらも、声をかけてくる男性はダイクの両手に乗せた物越しに手を握って離さない。
 別の人物もいるのだろうと感じる。両足を抑え、肩を抑える者達が。

「ダイク=ファーシェル。ここが何処か、どういう経緯でこうなったか覚えているか!」
 両手を抑えている男性の質問が、ダイクの記憶を刺激した。

 ――よくそのような策で……。
 ――お前は、俺が……。
 ――そいつを返してもらおうか……。

 次々に断片的な場面と、それを言った人物達が思い出される。
 そして、最後にシャイナが奇文に呑まれるような光景が映った。

「――シャイナさん!!」
 まるで目の前で見た光景に反応し、ダイクは叫んだ。
「しっかりするんだ!!」
 視界に映ったのは、口髭と髪色が灰色の男性。
 服は、管理官の制服をしているが、ダイクはその人物を誰か知っている。
「……管理……官長?」

 自分でも意識せず、涙がとめどなく流れた。流れる感覚も、こめかみを伝う体感もあるが、なぜ流れているのか、なぜ泣き止まないのかが分からない。
 落ち着くと、他の管理官達がダイクの身体を押さえていた手を離した。

「ようやく大まかに戻ったか。どれ、痛みはどうだ? 何を言っているか分かるか?」
 質問の意味も、言葉そのものの意味も分かる。よって、素直に頷けた。
「では、どこまで覚えている?」
 その質問に答えようにも、記憶が断片的すぎて纏まらない。さらに悪い事に、断片的な記憶が消えていく。
「いえ、……はっきりとは」
「では、私と君がデビッド=ホークスの家で会った事は覚えているか?」

 それははっきり覚えている。その部分を思い出しても、記憶が消えることはなかった。

「……先生が、俺を管理官に推薦したんですよね」
「よーし、だいぶ戻って来たな。では次の質問だ。デビッドの家に、ギドという男性が来たのを覚えているか?」
 それも覚えている。その人物の容姿も、声も覚えているが、どんな話をしたかをあまり覚えていない。なのに、深紅の墨壺の事だけは印象深く覚えている。
「来たのは分かります。話もしたけど、どんな話かは……」

 何故か、墨壺の事を話す事が出来なかった。”話してはならない”そんな気がした。

「なぜ、ギドさんの事を?」この状態で初めて質問出来た。
「デビッドに聞いてな。そういう人物が来ていたと。……では、それ以降、何が起きたかは覚えておらんのだな」
 どれだけ思い出しても、ギドと話して以降の事はあまり思い出せない。唯一覚えているのは、病室の窓から垂れたように伸びた奇文を通し、環具を使ってどこかへ入った事ぐらいである。
 ダイクはその事だけは伝えた。
 ようやく起き上がると、ベッドに座ったまま管理官長と向かい合った。

「……あの、俺、何か悪い事を……」
「さあ、悪いと言えば悪いだろうが、結果としてそれが最悪の事態か、被害を最低限に抑えた最良の選択か……結論付けの難しい事態にはなっている」

 管理官長は自らの知る経緯を説明した。


 デビッドと異常事態が起きたエメリアをどのように対処しようか考えていた最中、部屋で留まっていた奇文が急に活性化し、空間浸食のように病院全てに奇文を蔓延らせた。
 急いでデビッドはエメリアの部屋へ向かうと、奇文塗れのエメリアだけを残し、誰もいない事態となっていた。
 デビッドは急遽、考えうる策を講じ、腹を括って環具を使用し、エメリアの世界へ入った。

 そこからはどれだけデビッドに問いただしても答えてくれず、結果として寝たきりのエメリアは奇文に塗れ、シャイナもダイクと同じ状態で発見された。
 ダイクの治療を管理官長が、シャイナの治療をデビッドが行っている。
 先に治療が済んだシャイナの容体は、想像以上に悪くなっている。
 辛うじて覚えている事は、日常生活に支障をきたさない、物の使い方や意味などは無事である。ただ、両親の記憶、過去の記憶の殆どは忘れてしまっている。

 はっきりと覚えている事は、デビッドが奇文修復師をしており、ダイクが弟子。という事ぐらいで、それぞれがどういった人物で、今までどういった生活をしていたかなどは、ほぼ忘れていた。

 ◇◇◇◇◇

「……あの……私と、貴方はどのような関係でしょうか……」
 デビッドはシャイナの治療を終え、記憶の整理を行ったが、どうしても親子としての記憶も、母エメリアの記憶も思い出せない。
 シャイナに無理やり真実を伝えても混乱するだけだと思われる。確証はないが、デビッドはそう判断した。

 下手をすれば頭が壊れてしまう。
 本件が終息した後、街で起きた変化を含め、デビッドはシャイナの記憶も心にも負担の罹らない選択を取った。
 どうも落ち着かず、窓際で煙管の火皿に干し草を詰め、マッチで火を点け、一服した。
 深く吸い、ゆっくり煙を吐くと、言葉が纏まった。

「お前は俺の家の使用人だ。奇文修復は覚えているか?」
「えっと……。はい。作品の中に入って、…………ごめんなさい。何をするかまでは」
「そこまで覚えていれば上等だ。奇文を消す作業だが、詳細は追々思い出させるさ。その作業中、俺の過ちでお前を巻き込んでしまい、それで色んな記憶を失う結果となってしまった」
 シャイナは、呆然と聞き、戸惑ったいた。
「……あの……私、使用人として……どうなるのでしょうか」

 シャイナの記憶の中では、家事をこなし、デビッドの世話をしていた部分が色濃く残っている。その為、素直に使用人である自分を受け入れることが出来た。

「安心しろ。お前に落ち度はない。これは全面的に俺が悪い」
「――では!」必死の眼差しが向けられた。「私はまだ使用人として雇って頂けるのですね」

 それを聞くだけで、デビッドは胸が苦しかった。
 なぜ、娘にこの様な事を言わせなければならないのか。
 なぜ、こうなってしまったのか。
 何が悪かったのだ。

 また煙管を一息吸って、吐いた。

「心配性だな。俺がお前を易々と捨てると思ってるのか?」
「あ、いえ」申し訳なさそうに視線を落とした。「私、元々記憶が無いから、家族もいるかどうか分からないのです」
 その告白が、デビッドへさらに負担となった。
「このまま捨てられたら、天涯孤独となってしまいます」

 デビッドは決心した。この負担も娘を守り抜く事も、いずれ必ずこの事態を解決する事も、全てを背負って生きる覚悟を。
 部屋に吹き込む潮風が、デビッドの決心に呼応し、後押ししたかに思えた。

「明日までは入院だ。明日の昼、迎えに来るからそのつもりでいろ」
「あ、はい」

 デビッドは病室を出た。

 ◇◇◇◇◇

 ダイクは涙が止まらなかった。
 その事態は明らかに自分が招いたものだと分かったからだ。
 まるで記憶は思い出せないが、どうしても自分が許せなかった。
 何度も自分を責め、謝った。
 苦るしい、つぶやくような謝罪を聞いた管理官長は胸が痛く、込み上げてくる感情を、深く息を吸って抑えた。

「あまり自分を責めるなダイク君」
「だって、だって……俺が、俺が先生の……家族を」
「違う。それは断じて違う。この事態を招いた原因はハーネックだ。けして君ではない」
 真剣に諭す管理官長の胸に、頭を預け、ダイクは訊いた。
「管理官長……どうすれば――」

 その意志を汲み取り、重荷を背負わせるか、繕った言葉で諭すほうが良いか。管理官長は選択を迫られた。

 そして、選んだ。

「ダイク=ファーシェル。管理官になれ」

 部屋に潮風が吹き込んだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

烙印騎士と四十四番目の神

赤星 治
ファンタジー
生前、神官の策に嵌り王命で処刑された第三騎士団長・ジェイク=シュバルトは、意図せず転生してしまう。 ジェイクを転生させた女神・ベルメアから、神昇格試練の話を聞かされるのだが、理解の追いつかない状況でベルメアが絶望してしまう蛮行を繰り広げる。 神官への恨みを晴らす事を目的とするジェイクと、試練達成を決意するベルメア。 一人と一柱の前途多難、堅忍不抜の物語。 【【低閲覧数覚悟の報告!!!】】 本作は、異世界転生ものではありますが、 ・転生先で順風満帆ライフ ・楽々難所攻略 ・主人公ハーレム展開 ・序盤から最強設定 ・RPGで登場する定番モンスターはいない  といった上記の異世界転生モノ設定はございませんのでご了承ください。 ※【訂正】二週間に数話投稿に変更致しましたm(_ _)m

ブラックギルドマスターへ、社畜以下の道具として扱ってくれてあざーす!お陰で転職した俺は初日にSランクハンターに成り上がりました!

仁徳
ファンタジー
あらすじ リュシアン・プライムはブラックハンターギルドの一員だった。 彼はギルドマスターやギルド仲間から、常人ではこなせない量の依頼を押し付けられていたが、夜遅くまで働くことで全ての依頼を一日で終わらせていた。 ある日、リュシアンは仲間の罠に嵌められ、依頼を終わらせることができなかった。その一度の失敗をきっかけに、ギルドマスターから無能ハンターの烙印を押され、クビになる。 途方に暮れていると、モンスターに襲われている女性を彼は見つけてしまう。 ハンターとして襲われている人を見過ごせないリュシアンは、モンスターから女性を守った。 彼は助けた女性が、隣町にあるハンターギルドのギルドマスターであることを知る。 リュシアンの才能に目をつけたギルドマスターは、彼をスカウトした。 一方ブラックギルドでは、リュシアンがいないことで依頼達成の効率が悪くなり、依頼は溜まっていく一方だった。ついにブラックギルドは町の住民たちからのクレームなどが殺到して町民たちから見放されることになる。 そんな彼らに反してリュシアンは新しい職場、新しい仲間と出会い、ブッラックギルドの経験を活かして最速でギルドランキング一位を獲得し、ギルドマスターや町の住民たちから一目置かれるようになった。 これはブラックな環境で働いていた主人公が一人の女性を助けたことがきっかけで人生が一変し、ホワイトなギルド環境で最強、無双、ときどきスローライフをしていく物語!

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~

ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。 そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。 そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。

温泉地の謎 25 完

asabato
大衆娯楽
可笑しな行動を求めて・・桃子41歳が可笑しなことに興味を持っていると、同じようなことで笑っているお父さんが見せてくれたノートに共感。可笑しなことに遭遇して物語が始まっていきます。

処理中です...