奇文修復師の弟子

赤星 治

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五章 混迷する弟子達

4-過去編(1) 適材適所

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 約二十年前。

「……ハーネック様……これは?」
 ある男が目の当たりにした光景は、石畳の円形広場で多くの者達が身体中から血を流して倒れていた現場である。
 その一体一体に傷は無く、どういう訳か血だけがそこら中に溢れて絶命している。
 その場に一人立っている男性・ハーネックは、無残な死体が埋め尽くす広場の中心に、その現場を作り上げながらも悠然としている。
 ハーネックは声を掛けた男の方を向いた。
「やはり君は生き残ったか。まあ、だろうとは思っていたがね」

 この日、ハーネックは人間である事を捨てた。

 ◇◇◇◇◇

 十五年後。

「先生、また洗濯物を脱いだままにしてる。子供じゃないんだからちゃんと決めた場所に置いてください」
 ダイクは子供に躾する主婦の如く、部屋掃除を行っていた。
 一方、ソファの上で寛いでいるデビッドは、煙管を銜え、一息ついて煙を吐いた。
「ほら、煙が充満するから窓は開けとくようにと言ったじゃないですか」

 ダイクは焦っている。それもその筈、溜りに溜まった修復作業を昨晩、ようやく終えたものの、客人が来るので掃除に励んでいた。
 この時間、シャイナと家事を分担するという事で、ダイクは掃除、シャイナは買い物に出かけている。
 尚、デビッドは腰痛を理由にサボっている。

「いやぁ、ダイク君は覚えも早く、もう一人立ちした。俺から教えることはもうない。後は家事に専念し、立派な"主夫"に」
「なりませんよ! それに奇文修復師の弟子になって、どうして主夫目指すんですか。主夫目指す男性なんて街にいませんよ」焦りから、声量が大きくなっている。

 こういった事はいつもの事で、デビッドのだらしない所をどれだけ指摘しても改善はされない。それでもダイクは諦めずに指摘はしている。
 デビッドの弟子になって三年。
 ダイクは修復作業の半分ほどを任され、着々と実力を上げていった。彼の成長速度は、従来の修復師よりかなり早いものである。

 昼過ぎ、デビッドとダイクとシャイナは応接室で客人の管理官長と話をしていた。その内容は、かねてよりダイクを管理官に推薦していたデビッドとの打ち合わせである。

「先生、一体どういう……」
 つい、デビッドの後ろからダイクが口出した。
 この話について、ダイクは何も聞かされていなかった。
 デビッドは掌をダイクに向けて黙らせ、話を進めた。
「ウチの弟子は飲み込みも早く器量もいい。そしてよく動く」

 向かいの席の管理官長は、出された紅茶を一口啜った。
 髪も、立派に蓄えた髭も、白髪が混じって灰色に見える。

「なんだ? お前の下に就くと仕事が速くなる術でもあるのか?」
「そんな術など必要ありませんよ。煙草を吸ってソファで寛げばいいだけの事」
「ははは。謙遜するな。皆まで言わんでも分かっている」

 デビッドは一切の謙遜をしていない。
 管理官長に語られた真実が受け止められない事が、ダイクは微妙にもどかしく思いつつ聞いていた。

「無駄話が過ぎた。ダイク君の件だが、実力、行動力、理解力がこの年頃では高いというのはお前の評価故にそうなのだろうが、管理官としての仕事はまた別の話になってくる。さらに判断力や決断力、柔軟な思考力が必要となってくる」
「だからといって、逸材をこのまま“主夫”にさせるのは勿体ないですよ」
「先生、俺はそんなものになりませんよ」
 いよいよ本気でデビッドはダイクを主夫にしたいのか疑わしくなってきた。

「話を戻しましょう。管理官の仕事は難解な試験をクリアしなければならない。修復師としての資格もいる。早々に新人が入ってきて成長しないのでは?」
「……まあ、痛い所を突かれればそうなるが」
「まあ、管理官長殿のお気持ちも察しております。それに、これは俺の独断で推薦した次第で、今は建前上大人しく聞いている彼も、後でどう言うかは想像がつきますがね」
「そこまで分かって、どうして推薦を?」
「仕事の幅を広げてやりたい。このまま俺と一緒にいると本当に主夫になってしまうし、色々と面倒事にも巻き込まれる。存じてますよね」
 管理官長は深く息を吐きながら背凭れに凭れた。
「親心と思ってください。得た知識と経験をどう生かすかは彼次第だが、何も出来ないまま歳を取るより生きていける力を身に着けて世に出したいのですよ」

 管理官長は暫く黙って考え、再びティーカップを手に取り、温くなった紅茶を一気に飲み干した。
「とりあえず簡単な仕事をこちらから渡すとしよう。それを日々熟してもらい、状況次第で仕事の質を変えていく。無理だと判断した場合、諦めてもらうとしよう」

 ダイクを管理官にする打ち合わせが終わり、管理官長が帰った後、予想していたようにダイクが反論してきた。

「どうして一度も相談してくれなかったんですか!」
「どうもこうも、俺が旅から戻ったらすぐ仕事で、話す機会は――」
「ありますよ! 第一、今朝の寛いでる時にでも話せばいいじゃないですか。それに、俺が修復師一本で行くのは反対なんですか?」
「駄目だ」煙管を吸って一息吐いた。「……理由は三つ。一つはさっきも話したが、色んな知識、実力を得て世に出したい師匠として親心。二つ目は、修復師は仕事一辺倒に生きると孤立する職だ。人脈を増やすのにも丁度いい。三つ目はお前が修復師だけというのが勿体ない」
「最後の……何ですか?」
「深い意味は無い。俺がお前を高く買っているというだけだ。そっちは気づいてないだろうが、逸材と見ているんだぞ」

 ダイクは気恥ずかしくなり、指で顎を掻いた。
 聞いていたシャイナが口を挟んだ。
「やったじゃないですかダイク君。頑張ってください」
 彼女の笑顔に反論の言葉を失ったダイクは、一息ついて納得した。
「分かりました。先生の名に恥じないように励みますが、勝手の違う職種でありますから、もしもの時は落胆しないでくださいよ」

 ダイクが弟子入りして三年。
 シャイナの言葉に落ち着きを見せ、対応や照れ具合、気遣いなど、彼女に向けての感情を理解はしている。だから、こういう時の一押しにシャイナが言ってくれるに限る。

「適材適所は理解している。その時はその時で諦めはつくが、出来る経験は積むに越したことはないぞダイク」

 ダイクはしっかりと返事をした。

 翌日からダイク個人の仕事として、管理官としての事務作業が加わる事となった。
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