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五章 混迷する弟子達
2 エメリア
しおりを挟む――昨晩、林の中。
月明かり注ぐ場所へ姿を現したリックの姿を見たモルドは、リックが関係している事に言葉を失った。
イニシェットの街へは三日前に行った筈。その証拠に出発日の早朝、駅まで見送った事、また会う約束を交わした事を覚えている。
握手した手の感覚も記憶に残っているから確かだ。
なら、双子の兄弟? 若い見た目の父親? 血縁者? 色々浮かんだ。
「……ハーネック……」
デビッドが呟き、強い眼差しを向けている。
真剣な彼がそう言うならハーネックなのだとモルドは納得したが、相手は人間に憑かなければ人としての行動が出来ないし認知もされない。
結局、リックの身体が目の前にあること事態、謎でしかない。
わざわざ遠いイニシェットの街まで行ったとは思えないし、この身体を使う意図が分からない。
「君がここにいるという事は」
悩むモルドを他所に話は続いた。
モルドにはリックにしか見えず、声も彼であるため、訊き心地が悪い。
「何かを掴んで行動していると判断して良いのかな?」
「そんな事はどうでもいい。娘を今すぐ返せ」
そこにモルドの解放を望まれなかった事が、彼を苦しめた。
「師匠……僕は」
「随分と父親らしい事を言うじゃないか。今まで使用人として扱ってきた人間の言葉とは思えない」
「くだらん儀式の為に彷徨いすぎて、腐った挑発しか出来なくなったか? つべこべ言わずシャイナを返せ。そうすれば悪いようにはしない」
「中々強気じゃないか。さては……お前の弟子に期待でもあるのかな?」
モルドはデビッドの答えに期待した。自分の解放を望まれなかった分、期待は大きい。
「期待する必要は無いな?」
その言葉に喪失感を覚えた。
しかしそれも思い違いであった。
「既に出来上がった人間は、俺の指示が無くても勝手に最善の行動をとってくれる。俺は幸せ者なんだよ」
期待を持たれた言葉に、モルドは心の奥底から込み上げる温かい感動を覚えた。
気持ちにもゆとりが持てた途端、一つの疑問が過った。
『師匠は弟子の前で自らの本音を語るのか?』
そう思うと行動は一つであった。
「師匠聞こえますか!」
返事はなく、更に訊いたが見向きも反応もされない。
(そうか。この檻の中にいる限り師匠は僕の事が分からない。何とかして師匠に気づいて貰わなければ、ハーネックの思う壺だ)
モルドは小石でも投げようとしたが、檻の中からだと小石が見えない壁に阻まれて飛び出せない。握った小石を檻の外からとばかりに手を伸ばすが、今度は手が通らない。
この檻から、モルドが外に訴えかけることは不可能であった。
「それよりも、だ」
デビッドは余裕のある表情に変わった。
「随分と奇文の使い方が特殊になったなぁ」
ハーネック(モルドから見るとリックだが)の顔つきが神妙になった。
「前回は足元に奇文の水溜りを出現させ、落とすように捉えていたが、人を操るように使ったり、黒い波を起こしたりと芸達者な事だ。聖女の儀以外に何か目的でも出来たか?」
明らかな挑発と思われた。
ハーネックは神妙な顔の後、不敵に笑んだ。
「放浪に励み、あちこちで色んな文章でも読んだのかな? よく舌が回るようになったじゃないか」
浜辺の時同様、挑発のやり取りが続いた。
「お前がそのような挑発をする時は、何かを得ている証拠だ。なら、こんな無駄な言い合いに感けて良いのかな? 娘をエメリアの二の舞いでもする気か?」
デビッドの鼻がピクリと動いた。
「覚えていろ。今にその戯言しかほざけん口を潰してやるからな」
睨みながら吐き捨てると、颯爽と去っていった。
モルドはデビッドに気づかれないまま、彼を見送る形になった。
「さて、親愛なるモルド君?」
心臓を鷲掴みにでもされるほどの緊張感と圧迫感が全身に走った。
モルドが振り向くと、ハーネックの姿は無かった。
「君に訊きたいことがあるのだよ」
後ろから聞こえる。
一体どうやってこんな刹那で後ろに回れたのか不思議であり、さらに威圧が掛かって振り向けない。
「……何が……望みだ、ハーネック!」
「おいおい、共に巨大絵画に入った仲ではないか。それに君に適性を与えた恩人だよ私は」
「ふざけるな! それよりリックをすぐに解放しろ!」
「ん? リック?」
何を悩んでいるのか分からなかったが、「ああ~」と声が漏れるのを聞くと、馬鹿にされている気がした。
「まあ、どう見えようがいいじゃないか。そんなくだらない事を言える状況じゃないのだよ。今」
「僕の身体を乗っ取ろうとするのか! やれるものならやってみろ! お前なんか中から追い出してやるからな!」
必死に抗う言葉が子供の抵抗染みて情けなくなるが、今のモルドにはこれが精一杯であった。
「ははははは――。君はやはり素敵で面白い。そうやって反抗する様など私の食指を気持ちよく動かしてくれるではないか」
モルドは背中に凭れかかられるのを感じた。
「や、止めろ!」
「安心したまえ。私は君に訊きたいのだよ。君は私をどうしたい? 素直に答えてくれ」
「お前なんか消してやる! 奇文が関係した幽霊みたいな奴なら、完膚なきまでに祓ってやるからな!」
遠慮は一切ない。
デビッドの為、シャイナの為、街の為、モルドは勇気を振り絞った。
「なら、よく聞いて覚えておくといい。今、物事は予想外の局面を迎えている。君が私の存在をこの世から抹消したいなら、何もせずに穏やかな日常を過ごせばそれで事足りる。ただし、君の師匠、街の住人、シャイナ君は二度と戻らないがね」
「お、前――!!」
必死に足掻くが身体が動かない。
「考えて考えて、考え続けてくれよ。君が師匠もその娘も救いたいのなら、私も同時に良い方向へ導いてくれたまえ」
「ふ、ざ――!! け、る……な……――」
何かの糸が切れたように、モルドは急激な抗えない睡魔に襲われた。
そして目覚めたのがマージの家の中であった。
◇◇◇◇◇
昨晩の出来事をモルドが話し終えると、ダイクはかなり深いため息を吐いた。
「まるで目的と行動の意図が分からん」
管理官二人もその言葉に同意するが、モルドは何を悩んでいるのか、何より分からないことだらけで話についていけない。
「あの、皆さんで話し進めてますけど、僕は何が何だか分からない事だらけなので、説明とかしてもらえませんか?」
求めた意見にマージが答えようとすると、ダイクがそれを制止した。
「しかし管理官長」
説明を拒まれたと思ったが、「俺から話す」と返って来た。続けて、「歩きながらの説明だ」と加えられた。
どこへ向かうは不明なまま、ダイクが訊いてきた。
「何から知りたい?」
訊きたいことは山ほどあるが、沢山訊いた所で爆弾発言が連発するとまた混乱してしまう。とりあえず、思いついたものから訊いた。
「ハーネックと師匠とシャイナさんと貴方。それぞれの関係性から教えて下さい。さっきはいきなり言われて飲み込みきれませんが……」
「俺が先生の弟子という事か? "元"だが事実だ。管理官長の肩書をかけて誓える」
実直な男がここまで言いきるのなら、モルドの心情としては受け止めきれないが、信じるしかない。
そう思うと、今までデビッドがダイクを指して言っていた事、デビッドに向かってダイクが怒鳴っていた事、ダイクのデビッドに対しての言葉。
全てを思い返しても、師弟関係が成せるものだと納得できる。
「……あ、兄貴とか、絶対言いませんよ」
モルドの中では、弟分が兄弟子に対し呼ぶ言葉は固定されている。だからといって“兄貴”、”兄さん”などの言葉を言う気にはなれない。
「俺からも願い下げだ。しかし管理官長故、何かしらの敬称はつけてもらうぞ。これは当然の上下関係だ」
では、“さん”付けで。という案が通り、話が進んだ。
「続けるぞ。お前も聞いた通り、先生とシャイナさんは親子。そしてハーネックの弟子が先生だ」
モルドは大声で驚いた。
普段なら大声を出すと迷惑でしかないが、今は役所に人がいない事が幸いしている。
「気持ちは分かるが静かにしろ。これは俺が先生に訊いた事だ。元々、ハーネックという奇文修復師に先生が十五歳の時に弟子入りした。ハーネックの弟子は何人かいたそうだが二人を残し全て死亡。原因は先生が一人立ちして間もなくハーネックが邪な術に手を出し始めたのが発端となる。それが件の儀式に関連する人体を奇文化するもの。先生が二十三歳の時、ハーネックがそれを行い、今のハーネックを生んだ」
「生んだって、だいぶ昔の話ですよね。なんでまたあの状態で?」
「その時は奴の計画の第一段階だったのだろう。後は”本格的な儀式を”と行動し、数年後、再びあのような人に憑かなければならない状態で現れて儀式を行った。その時の標的が先生の妻・エメリア=ホークスだった。そして傍に居た五歳のシャイナさんが巻き込まれた」
「でも、儀式は失敗したって言ってましたよね。どうやって防いだんですか?」
「正確には防げたが正しいのだろうな。エメリア夫人の機転により防げたというだけだ。儀式失敗のハーネックは消え、五年前、再び現れた。そしてまたも先生の妻を儀式の生け贄と選んだ」
五年前と聞くと、ダイクが弟子をした時かと思った。
「その時、先生の弟子をしてた……とか?」
「ああ。丁度一人立ちし、管理官の職務も掛け持っていた時だ。奴の儀式を阻止するために行動したが、奴はシャイナさんを使って嵌めてきた。それで囚われた俺を救うために、先生は自分が積み上げて来た"ある計画"を台無しにして助けた。俺は別の立場から先生への恩義を返す為、管理官長になった」
ダイクがデビッドを嫌っていない事に、モルドは安堵した。
ダイクは管理官長室へ入ると、垂れ幕のように飾っている旗の前まで歩み寄った。
「他に質問は?」
四人の関係性、ハーネックとデビッドの因縁が判明し、次の質問を必死に考えた。
「師匠の奥さんはどうしたんですか? それに、師匠ばかりがハーネックに関係してて、もう一人の弟子はどうしてるんですか?」
「生き残りの弟子は何処にいるかは不明だ。"ギド"という名前ぐらいしか俺は知らん。五年前の儀式で俺も前後の記憶を失ったからな」
管理官長を勤める程の男でも、阻止が困難な儀式であることにモルドは怖くなった。
「あと、エメリア=ホークスに関して言えば」
ダイクは旗を外し、壁を晒した。
旗で隠れていたため気づかれなかったが、隠し通路の入口が現れた。
「この先にいる。昨日はそこでお前と話がしたかったのだがな」
エメリア=ホークスに合わせるためか、デビッド=ホークスの事についてか、ハーネックの事か。
色々疑問が浮かびつつも、ダイクを先頭に、通路へ足を踏み入れた。
突き当りの部屋を見た時、モルドは驚愕し、絶句した。
部屋の中央に台座が設けられ、そこに一人の女性が仰向けに寝かされている。
女性は顔も髪も肌も、身体の八割程が奇文に憑かれている。さらに衣服まで塗れ、ほぼ真っ黒い服を纏っているようだ。
部屋の至る所にも奇文が蔓延っているが、部屋から奇文は漏れていない。
「…………この部屋…………」
ギバイルの町でシュベルトが手を焼いていた奇文、空間浸食であった。
名前を呟くように漏らすと、否定された。
「空間浸食ではあるが、異なるものだ。見ろ」
言われて部屋に付いた奇文を見ると、殆どが仄かに青白い光を放っている。
「この部屋の光源は全て奇文が発する光のみ。異質な奇文だ」
確かに異質だという事は一目瞭然であった。それよりも、話の流れから台座で寝ている女性に、直感が働いた。
「気づいたようだな」
ダイクはモルドの表情を伺うと、視線を女性へ向けた。
「彼女がエメリア=ホークスだ」
その顔は髪型は違うものの、シャイナに似ていた。
不思議と、どこかで見たことのある顔であった。
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