奇文修復師の弟子

赤星 治

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三章 揺れ動く感情と消える記憶

10 スノーとホークス家の住人達(中編)・夏の修復師達

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 七月の終わり頃。

 その日、少年は不思議な感覚を経験した。それは、”ある大人の男”に関する記憶が消えかかっていた事だ。
 まだ残ってる記憶は大まかに二つある。
 一つは、男がとても珍しい物を銜えていた。少年が興味本位で訊くと、それは煙管という遠くの国の人達が使う煙草だという。
 二つ目は男が時々オカリナを出しては眺めて鞄へ戻し、暫くして話しているようにも見えた。
 煙管とオカリナ。少年にはその二つが強く印象に残った。

 ただ少年は、男との出会いは頑張れば思い出せた。

 少年の住む町では数日前から疲れやすい大人達が相次いで現れた。
 夏の初めという事もあり、気温の変化が身体に負担となったのだと周囲の大人達は口々に言うが、今年の夏は疲労者が多すぎる。
 煙管の男が現れたのはその異変が浮き彫りとなりだしてから暫く経った時。

 男を見かけた少年は、町役場へと入って行くのを見かけた。
 少年は男に興味を抱き、何をするか訊いた。
 男は本当に用事があるのは町役場ではなく、そこに隣接して建てられた歴史資料館にあるらしい。しかし、役場の偉い人と待ち合わせをしているらしく、まず役場へ向かったのである。

 少年は中で何が起きているのかすごく気になっていた。

 初めて見る煙管を吸い、オカリナと会話する大人が何をするのか見たくて見たくて仕方なかった。
 待つことしかできない少年に向かって三人の子供達が声を「遊ぼう」と声をかけた。
 普段は喜ぶべき事なのだが、今日はどうやら運が悪い。
 少年は仕方なく友達と遊ぶことにした。しかし不思議な大人の事は黙っていた。
 他の子達にあの不思議な大人を知られたくない、一人占めしたい一心だった。

 夕方、少年は例の大人がいないだろうと思いつつも役場へ行くと、偶然にも煙管を吸いながら男が役場を出て来たのだった。
 少年は静まった興奮が再び沸き起こり、満面の笑みを浮かべて男の元へ駆け寄った。
 男に何をしていたのかを訊くと、どうやら町で広まっている集団疲労現象を解消する手伝いをしていたという。
 仕事は無事終わり、今から帰る所だというのだが、男は少年に自分と出会った事を三日間黙ってほしいと約束した。
 三日間黙る理由を男はそれを教えてくれなかったが、もし約束を破った場合、再び町の大人達が疲労する現象が起きると脅した。
 少年は緊張しながらも約束は守ると誓った。

 それから三日後の現在、少年は男の事を忘れだしていた。
 一番気になる煙管とオカリナのおかげでどうにか覚え続ける事は出来たものの、夕方にはもう思い出せなくなった。
 やがて男の存在もきれいさっぱり忘れた。

 "大人達の疲労現象は、夏の暑さによる負担が原因だ"

 町では元に戻った大人達がそう話し合っていた。

 ◇◇◇◇◇

「もう、デビッド酷いじゃない。子供にあんな約束しちゃうなんて」
 帰りの汽車の中で、デビッドはスノーと話していた。
 なぜかスノーにも外の景色を見せたい気分になり、窓辺の台にオカリナを置いた。
「ああでも言わないと町中に言いふらすだろ。お前と話していた所も見られたんだからな」
「でもどうせ消える記憶でしょ?」

 今回、デビッドが請け負った修復作業は、歴史資料館に展示されていた壺であった。
 壺の奇文の影響が町にも広がり、多くの者達を疲弊させていた。
 奇文修復師を知る役場の職員の助力もあり、範囲を設けるのに時間が掛からずに修復へ取り掛かり、一時間半で解決に至った。
 修復はすぐに済んだが、町にまで影響力を広げた力はすぐに消えることがなく、デビッドの目算で三日以内に解消していくだろうと読んだ。
 少年との約束は、情報が広まりすぎ、根強く記憶されないための措置である。

「下手すりゃ記憶に残るし、若いうちは奇文に干渉しやすかったりするんだよ。特に」煙管を振った。「こんんな珍しいもん吸ってる奴の記憶ってのは結構残りやすかったりするからな」
「……煙草……辞めたら?」
「これは俺流の紳士の嗜みなんだよ」

 スノーはこれ以上言っても意味がないと悟った。


 八月の中頃。

 デビッドとモルドは久しぶりに奇文修復の仕事を二人で行った。当然スノーもいる。
 久しぶりの修復作業だが、あまりにも簡単に解決出来ると、憑いた奇文の状態から察した。

 デビッドとモルドが行き着いた場所は、巨大な広間だった。
 広さは街の砂浜の端から端まで程。
 壁一面に本棚が備えられている以外何もない。
 床は大理石の石板が敷き詰められた艶やかで冷たい床だ。

「見るからに何をするか分かる構造だな」
 デビッドは環具を煙管に変えた。
 明らかに本棚から目当ての本を見つけるものだと思われる。
「ですが師匠、どういった本を探せばいいのでしょうか」
 デビッドは一番近くの本棚まで歩き出した。
「元は富豪の書斎を舞台にした謎解き小説だ。大方、本を開けば拙い文章だったり穴あきだったりで、目当てのやつは真っ当な文章をだな」

 デビッドが一冊の小説を手に取り開いてみると、言葉が止まった。
 そのまま数頁、流し見した後、スノーが言葉を発した。

「……うん。ちゃんとした文章ね」
「って事は……これで解決?」
 モルドが訊くも周囲の状況が変わらず、これといった変化も起きない。
 デビッドは別の小説を手に取り開き、スノーとモルドも一冊ずつ小説を見ると、それ等全てが真っ当な小説として成り立っていた。
「まあ……とりあえず……手分けして怪しい小説を探そうか」
 何一つ解決の糸口が見つからないまま、三人は手分けして小説探しにとりかかった。

 小説探し開始から二時間が経過し、三人は広間の中央に集まって座った。

「結局、なーんにも手掛かりなしね」
 スノーは寝転がった。今更だが、天井までがやけに遠い事に彼女は気づいた。
「一体、何を見つければいいのでしょう。小説はしっかりしてるし、違いって言っても挿絵があるか無いかとか、分厚いか薄いかとか、縦書きか横書きかとか、それぐらいですよ」
 モルドの報告を聞くと、デビッドは煙管を杖の形に戻した。
「確かに……なら、小説の内容が原因じゃないかもしれないな」
「じゃあどうするの? シャイナちゃんでも呼んで音楽奏でたら変化起きるとか?」
「……一理あるかもしれない」

 まさか、こんな場面でその発言にデビッドが食いつくと思わなかったスノーは驚いた。

「うそぉ。冗談のつもりなんだけど」
「元々修復する小説は大舞台で楽器を演奏する奏者の所にあったものだ。どういう伝手かは知らんが、図書館送りとなって今の状態だ。まあだからといっても、もう何十年も前の話だからな。シャイナのオカリナ演奏は最終手段としよう」
「じゃあ師匠、虱潰しらみつぶしに小説を探し続ける方針ですか?」
「それも無駄だろうな。俺達が現実世界に戻って再びここへ来ると、散らかした本は全て元に戻ってるだろ。未確認だが、小説の配置も変わってた場合、それ等は意味を成さない」

 スノーは途方もない小説探しを想像して辟易し、両手で目を塞いだ。

「あーん、面倒な修復作業じゃなーい」
「ま、とりあえず今日はここまでだ。幸い、この小説は期限が今年中までだから気長に探すしかないだろ」
「けど妙ですよね。小説に憑いた奇文は、それ程難しい修復作業でない筈なのに」
「恐らく本当はすぐ終わる案件の筈だ。視点を変えない限り解決には程遠いのかもしれないが……まあ、再来週ぐらいには解決する筈だ」
 スノーは疑問に思った。
「やけに断言してるけど、何か解決に導く新兵器でもあるのかしら?」
「まあ、強力な助っ人到来ってだけだがな」

 スノーとモルドは誰か訊いたが、デビッドは答えを言わないまま現実世界に戻る事になった。


 ホークス家に戻ると、部屋に籠った熱気に不快感を二人は滲ませた。
「窓全開なのに、どうして今年はこんなに暑いのでしょうか……」
「まさに夏真っ盛りだな。街中に比べたらまだ木のお陰で全然マシだぞ」

 デビッドは早速上着を脱ぎ、上半身をシャツ姿にした。
 モルドも似たように半袖のシャツ姿になった。


 本棚壁の大広間案件に苦戦して三日目、モルドは酷く体調を崩してた。

「モルド君、頭痛大丈夫?」訊いたのはベッドの傍の棚に置かれているスノーである。
「あ~、いえ……すごく痛いです」
 モルドは右腕で目を塞ぎ苦しんでいた。
 頭痛、吐き気、身体の火照り、節々の痛み。
 季節は夏だが、症状は風邪に似ている。夏風邪かもしれないが、モルドの場合状況が少し違った。
 モルドが苦しんでいる時、シャイナが氷枕を布で包んだ物を手に、入室した。
「モルド君、気分はどうですか?」

 シャイナを見ると昨晩の事を思い出し、モルドは恥ずかしくなった。しかし、心配してくれる彼女に失礼な対応は出来ないと理性が働き、小声で答える。

「え、あ……大……丈夫」
「ではないですね。顔が赤いし」シャイナはモルドの額に額を当てた。「熱だって高いし」
 体温の上昇は、シャイナの検温に恥じらう感情も含まれていた。
 氷枕を変えてもらうと、続けて額に乗せたタオルも氷水で一度くぐらせ絞ってもらい、乗せてもらった。

「なんか……ごめんなさい。……僕、弟子なのに、こんな事で」
 シャイナは優しい表情を向けたままである。
「気にしないでください。昨晩の事はデビッド様の悪ふざけが過ぎただけですよ」
「師匠は……どうしてますか? 怒ってます?」
「まさか、誰もモルド君を責める事は出来ませんし、デビッド様も昨日は飲み過ぎたみたいで二日酔い中です」
 スノーが付け加えた。
「モルド君も経験は大事よ。二日酔いになる加減を知っておかないと、色々と大変なんだから」
「スノーさんの言う通り、お酒だけは自分の限界を知っておかないと。それに酔った時の事も知って、それで自分の意志をどこまで保てるかも大事ですよ」

 モルドは昨晩の事を大分忘れているが、スノーから詳細を聞いて、より恥ずかしさが増した。


 昨晩、とはいうが夕方の暮れなずんでいる時だった。
 デビッドは奇文修復師としての臨時収入を役所から貰ったらしく、上機嫌に、奮発して高価な肉と酒を買って帰って来た。
 スノーは食べる事も飲むことも出来ないが、場の空気を愉しむという理由で宴会の席に就けることが出来た。
 その日は豪華な食事に珍しく、シャイナも浮かれてしまっていた。
 いつもより飲む量が多いデビッドは、あっという間に酔ってしまい、モルドに絡み、嫌がったいた彼に酒を勧めた。
 まだ十九歳のモルドだが、酒の事を知っておくべきという事で少し飲まされることになった。

 それが悪い展開に至った。

 コップ一杯の酒を飲んだモルドは上機嫌になり、デビッドの絡みに絡み返して二人は次々に煽り合い、酒を飲む事になった。
 散々酔った挙句、汗臭い事と肉汁が垂れた服に嫌気がさし、外で水浴びをしに二人は向かった。
 風呂場ではなく井戸で何度も水を汲み合い、全裸の師弟は水をぶっかけ合い喜んだ。
 散々飲み、醜態を晒して水浴びした揚句、脱いだ泥だらけの下着だけを着用し、二人は家の中で倒れた。

 翌朝、デビッドは二日酔いで頭を痛め、モルドは日頃の疲労、酒、水を浴びと夜風に晒され続けたことで体調を崩してしまった。
 事情を聞き、泥だらけの下着も身体も綺麗にされているという事は、全てシャイナが世話してくれたという証拠だ。
 年頃のモルドには、裸を見られた事があまりにも恥ずかしかった。


「おーいモルド君、無事か?」
 昼過ぎ、ある程度酔いが醒めた下着姿のデビッドが入室してきた。
「あ、師匠。なんか……すいません」
「気にするな。俺も年甲斐なくはしゃぎ過ぎた。完治するまでしっかり治せ」
「いえ、でも、いつまでもシャイナさんに頼りっぱなしってのも……」
 スノーが声を大にして割って入った。
「何言ってんの! こういう時は持ちつ持たれつっていうのよ! シャイナちゃんの事が気になるなら、今度元気になってから何か御礼でもするべきね。いいえ、ちゃんとして御礼して、感謝の言葉を言いなさい!」
 もう、母親に怒られているようであり、言っている事は正論だ。

 モルドは素直に返事した。

「じゃあ、静かにするから、お前は潔く休んどけよ」
 デビッドはオカリナを手に取った。
「え、ちょっと、デビッドォ!?」
 スノーの言葉を無視して、デビッドは部屋を出る前にモルドを見た。
「シャイナに裸見られたぐらいで恥ずかしがってんじゃねぇぞ」
 そう言い残して出て行かれた。
 そこに気づかれている事にモルドは再び恥ずかしくなりつつ、布団に蹲った。



「ちょっとデビッド、なんで私連れ出すのよ」
 質問の答えではない言葉が返って来た。
「お前、あの場じゃ俺を責めると思ってたが、どうして何も責めなかったんだ?」
「あらいやだ、私に責めてほしかったの?」なぜか声は嬉しそうだ。
「茶化すな。まあ、答えないならいいが」
「冗談よ。これと言って大した理由なんてないわよ。貴方だって色々苦労してるんだから、昨日みたいに羽目外したい時だってあるでしょ。まあ、歳も歳だから、お酒を飲む量は考えてもらいたいものですけどね」
 デビッドはスノーの話し方が可笑しく、鼻で笑った。
「お前は俺の親か嫁か?」
 スノーは苦笑いと分かる笑い方で返した。
「はははは~。こんなオカリナを娶ってくれるのかしら」
 冗談に、鼻で笑われて返された。

 二人はそれ以上言い合う事は無かった。
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