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二章 作品世界で奔走と迷走と
9 雪の町の奇文修復師(後編)・奇文を語る女性
しおりを挟む目を開けると、雪野原の上にモルドは立っていた。
風景の影響からか少し寒い気はするが、肌に刺激を与えるような寒さは無い。
雪は深々と、ほんの僅か、微かに雪が雪野原の上に落ちる音はするが、ほぼ無音の世界である。
モルドは、不意に後ろが気になり振り返った。
少し離れた所に、白みが混ざったような淡い金色髪の女性が立っていた。
肌も色白く、目も綺麗な青色。
顔はまるで違うが、シャイナと同じ雰囲気の美女がいた。
服はこの寒い中薄着。長袖長ズボンを着用しているが、作品世界の住人であればそれは寒いと思われる。
「え……と? 貴女は?」
女性は微笑んで返すと、「来なさい」と言って後ろを向いた。
現状、何も出来ない状態で、モルドが出来る事は彼女について行くことだけである。
数歩進むと、真っ白い霧のようなものに包まれた。やがて周囲の光景が鮮明になると、そこは夕方の浜辺であった。
雪は降っておらず、
海を見渡せば雄大な水平線。
砂浜を見渡せば、砂の地平線。
海と砂の世界である。
「あの、貴女は……」
作品世界の住人に訊いても無駄だろうが、そうしない事には話が進まない。
携わって来た作品世界で初の真っ当な見た目の人間であるため、つい訊いてしまった。
「こんな所で互いの挨拶は不要よ。それより君、どうしてこんな事を始めたの?」
突然の質問に戸惑った。
“こんな事”とは、奇文修復しか思いつかないが。
「奇文修復の事ですか? だって、奇文が憑けば作品そのものが駄目になってしまうし、ほら、絵とかは完全に見た目が変わってしまう。修復できるなら修復はしないと」
「それは、どういった意志で? 修復師として、当然の事だからかな?」
至極全うな質問であり、モルドは素直に頷いた。
「なら君はこの先、奇文修復師としては行き詰まってしまうわね」
「行き詰まるってどういう事ですか? 僕はまだ駆け出しですけど、貴女にそこまで言われる筋合いはないです。それに、弟子は師匠の行動を見て覚えるって聞きましたし、師匠も手練れの修復師です。凄い人なんです。見て覚える相手としては十分過ぎる程ですよ」
「それは単なる師匠の真似事。他の職では真似事であっても、作業工程、加減、方法などを身に着け、自分なりの技術に変えていくのでしょうけど、奇文修復師はそんな方法は無意味よ」
「貴女に何が分かるんですか!」つい声が大きくなった。
「師匠を見て技術を掴む、数を熟して成長。技術を掴むまでは真似事で構わないけど、数をどう熟すかが重要になってくる。なにもかも物真似でやっていくと、君は取り返しのつかない惨事に見舞われる」
女性は、再び「ついて来て」と言った。
同じように霧の中を通り、今度出た所は晴天の墓地である。
草原に石碑が点在する現実世界でよくある墓地の光景だが、普通と違うのは石碑の前に遺体が寝かされ、身体中が奇文に塗れている。
「少々憑きモノを誇張しすぎではあるかな? まあ、これぐらいと思って頂いた方が分かりやすいわね」
女性は平然としているが、モルドは人間の死体は勿論、奇文塗れの人間と初めて対面した。
腹から込み上げるものを感じる。しかし不思議と横隔膜辺りから込み上げてこない。
吐きたいと思いがあって腹に力を込めるも、まるで吐けない。
「どうかしら? これが至極全うな、職人同様の方法で奇文修復師を続けた者達の末路よ。今の君が向かう末路でもあるかな」
これは作品世界であり、精神的に攻めて来るといった内容だ。
すぐにでも墨壺でデビッドに訴えることも出来るが、モルドは女性に対抗する手段を選んだ。
何より、自分の考えが否定されたまま引き下がる気が起きない。
「そこまで奇文修復を語るなら、ここが作品世界ってことは知ってますよね」まだ気分が悪い。
「正確には空間浸食の中」
平然と答える態度が、本当に彼女が作品世界の住人かを疑わせる。
「その世界の住人が、こんなものを見せて、当然のような事を語って聞かせる時点で、どう信じろというんだ!」
「もっと柔軟に考えなさい。私が、奇文の作りだした人間であって君を追い込もうとするなら、その行き着く先は何かしら?」
モルドの視線は死体に注がれ、行き着く先の姿を連想させた。
「まあ、この期に及んでまだ謀っていると訴えるのでしたら深く語るのを止めます。けど念押しだけはさせてもらうわ。この墓場の光景は『本当に知るべきこと』を知らず、ただ“全うである”と、『自分達の考えや行動を変えも見向きもしなかった者達の末路』。厳然たる事実がこれよ」
強い力で押されたように、モルドは半歩下がった。
「ではそれを踏まえて…――ん?」
女性が何かに気づいて他所を見ると、向き直り様に鼻で笑った。
同時に、またも霧で世界が覆われた。
「どうやら今回はここまでの様ね。君には色々と教えたかったんだけど」
霧が晴れると、夕陽に染まる見覚えのある街の大通りに出た。
「また会えたら続きをお話ししましょ」
モルドが女性に何かを言おうとすると、「おかあさぁぁん」と叫んで駆け寄る少女が、モルドを通り抜けていった。
少女が女性の元まで辿り着くと、勢いよく飛びついた。
「ただいま、――――。遅くなってごめんね」
今までの事が無かったかのような、母と娘の仲睦まじい姿。
名前が聞こえなかった少女の容姿が、どことなくモルドは誰かに似ていると思えた。
その存在、名前が浮かんだ時、眼前の光景が眩い光に覆われ、目を閉じた。
◇◇◇◇◇
「……い……ろ…――モルド、起きろ」
顔を叩かれる刺激を頬に感じ、モルドは目を覚ました。
「――え、あ」徐に上体を起こした。「師匠、シュベルトさん……」
周囲を見ると、教会の長椅子の上であった。
「あれ? 修復作業は?」
「終わったよ」シュベルトが答えた。
説明をデビッドが付け加えた。
「正確には、一時凌ぎで。だがな」
「どういう事ですか?」
大人二人は立ち自分が座っているのは申し訳なく思い、モルドも立ちあがった。
シュベルトが説明した。
「空間浸食は段階的に修復作業を行わなければならない。大きな理由は三つある。一つはこれだ」
シュベルトの墨壺は真っ黒いものが詰まっていた。
デビッドはモルドも墨壺を出すように命令した。
「お前のそれを見ても分かるだろうが、一回の作業で墨壺がすぐに満タンになる。それで、まだ残ってるからタチが悪い」
「じゃあ、一度中身を空にして、もう一度ですか?」
シュベルトは墨壺をポケットに入れた。
「残念ながら一度修復作業を行うと、向こうも一時避難のように一つの作品に凝縮して集まる」
先頭をきって作品部屋へと向かう彼の後にモルドとデビッドはついて行った。
部屋に入ると、一枚の大きな絵画が真っ黒に染まっていた。
「え、じゃあこれを修復すればいいんじゃぁ」
デビッドが絵画の前まで寄り、モルドの方を向いた。
「そんなに簡単だったら苦労しないんだがな。こいつは奇文の避難所みたいになった。つまり、作品世界に修復師が入って立ち回れる空間が存在しないって証拠だ。ついでに言っとくが、奇文修復を失敗した作品や、もう手遅れってなったモノも似たように真っ黒く染まる。そうなったらもう修復の余地なしとなり、その作品は死んだも同然となる」
修復作業の失敗の末路を訊いたモルドに、シュベルトの説明が続いた。
「話の続きだが、三つ目の理由は相性だ」
「へ?」
そんな理由も含まれるのかと、モルドは気の抜けた返事が漏れた。
「そんな理由もあるんですか?」
「ああ。こういった場を設け、本来なら時間はかかるが一人で解決は出来ても、ある局面で関係した修復師との相性が問われる場面がある。そうなった場合、他の者に頼むか複数人で作業すると、向こうも分散して相手取らなければならない。だから相性云々問わず作業が捗る。今回は異様なほど作業が捗った。正直君たち二人のおかげなのだよ」
デビッドは煮え切らない表情で頭を掻いた。
「つっても、毎度毎度、いろいろ忘れた状態で褒められても嬉しくないんだがな」
「え、師匠も忘れた状態ですか!?」
その口ぶりから、モルドもいろいろ忘れていると分かる。
これ見よがしにデビッドは不敵な笑みを零した。
「ではモルド君、師匠として一つ試験を与えよう」
突然の事で意表を突かれたモルドは「へ?」と、またも情けない声を出してしまった。
「今回体験したことで、空間浸食に携わるとどういった事が起きるか説明してもらおうか」
モルドは悩んだ。
作品世界での内容を所々忘れており、出会った人物の容姿も性別も覚えていない。どういった内容の事を話したかはある程度覚えているが、やはり忘れている部分が気になりすぎて、上手く思い出せない。
「……え……っとぉ……。修復師の感情に深く関係してきたりする、気をしっかりもって当たるもの。ですね」
デビッドの言葉がそのまま使われた答えである。
「ははは。その通りだ。これで分かってくれただろ? 俺の説明に、『何言ってんだろこの人?』みたいな表情を向けたモルド君?」
気持ちが読まれ、しかも根に持たれている。
「師匠すいませんでした! 全面的に僕が――」
「悪くない」
シュベルトはため息を吐いて呆れながら割って入った。
「説明能力がないだけの問題だ。モルド君もある程度は内容を覚えているだろ?」
「え、あ、はい」
「ならその部分と忘れた事を上手く説明すればいい。デビッドは師匠としてその辺を疎かにしすぎだ。もしや、説明不足の習慣でも備わってるのか?」
デビッドはそっぽを向き、モルドはその推理が当たった事が表情に滲み出た。
誰が見ても分かる二人の反応に、シュベルトは頭が痛くなった。
ともあれ、今回の修復作業はこの時点で終了した。
もしまた同じことが起きた場合、手助けを求める志を伝えて終わった。
尚、その日二人は一泊して帰宅した。
『また会えたら続きをお話ししましょ』
作品世界の中で言われたその言葉が、どうしてもモルドの中に残ったままである。
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