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二章 作品世界で奔走と迷走と
8 雪の町の奇文修復師(前編)・シュベルトと空間浸食
しおりを挟むいよいよ本格的な冬を迎え、外での薪割り作業が身に沁みる時期を迎えた。
年末まであと二十日となる今日、モルドはデビッドの遠征に同行した。
「師匠、これから行くところですが――」
「あー、後でな。朝早かったから寝かせてくれ」
二人は汽車の個室席にいた。
まだ日も登らない時間に起床して準備をし、始発の汽車に乗った。
少し値の張る個室席を選んだのは、
距離が遠い事、
朝が苦手なデビッドの為、
座り心地が良い席が設けられてる事、等が理由である。
冬を迎え、デビッドの朝苦手に拍車がかかり、早起きに無理が掛かるのは明らかである。
よって選ばれたのが、柔らかな綿の入った革性ソファのある個室。
寝心地はベッドほどではないが問題なく、個室はデビッドの早朝用の寝室でしかなかった。
一方のモルドは、今まで行った事のない、雪が分厚く積もっている北の土地に胸を躍らせていた。
住んだ事のある所は現在も踏まえ、雪が降ってもそれ程積もらず、薄い雪の絨毯が出来る程度である。
年齢的にも雪合戦や雪だるまを作って喜ぶ歳ではないものの、雪山や”雪の洞穴”という、雪山に人が二人程入れる空洞を作ってみたい気持ちは何気にある。
電車が走る事四十分。目的の駅へ到着した。
「うー……さぶい。なんでこんな時期にこんな所に来ないとならんのだ」
年がら年中、”旅”と称する出張に出ているデビッドに、厚く積もった雪は珍しくない。
防寒対策はできているものの、腕を組んで歩いている。それ程外の気温は低い。
デビッドに反してモルドは、人生初の厚く積もった雪世界に興奮が治まらない。
歩くたびに手で雪を払ったり、手袋越しに掴んだり、掬って投げたり、思い切り踏みつけて深く足が入る事に喜んでいる。
「おーい、あんまりはしゃいでると置いてくぞー」
「あ、師匠待って下さい!」
駆け寄るモルドの表情は、楽しさが治まらない子供であった。
「日帰りじゃないから、とりあえず急いで町に着く事を優先するぞ。それから自由行動の時間やるから、とりあえず雪遊びは我慢しろ」
「あ、はい!」
朝が早いのにこの溌剌とした表情。仄かにデビッドは、若さ故の興奮を羨ましく思えた。
師匠は寒がり、弟子は身体が温かく軽快に。
気持ちと体感の温度差が違う二人は、十分ほど歩いて目的の町【ギバイル】に辿り着いた。
「随分活きのいい弟子が入ったじゃないか」
丸太を組んだ木造家屋の窓越しに、外で少女と雪遊びに励むモルドを男性は眺めていた。
手には珈琲の入ったコップを持ち、啜って飲んでいる。淹れたてでまだ熱い。
「雪が嬉しい年頃なんだろ」
目的地に着いたデビッドは男性から毛布を貰い、それを被って暖炉の火に当たっていた。
「顔を見れば分かる。結構なしっかり者だろ、彼。挨拶も自然に出来てたから、礼儀はちゃんと教えられたと見える」
「相変わらずの分析力だな。シャイナ同様、家事も抜群だ。良い”主夫”になるぞ」
「身の回りの世話は君の弟子は当然出来るだろ。師匠がだらしないと弟子はしっかり者になる。良い見本と会ってないのか?」
「うるさいぞ」
男性はデビッドの身の回りの事をよく知っている。
二人が出会ったのは互いが修復師になってからであり、遠征の仕事を請け負った際に知り合い意気投合した。
男性の名はシュベルト=ワイズマン。妻、娘と三人で暮らしだ。
現在、妻は実家の両親が病に伏せている為に里帰りしている。とは言うが、町の隅の家であり、シュベルトも娘のアニスも行こうとすればすぐに行ける。
シュベルトは修復師としての本題に入るため暖炉傍の机まで歩み寄った。
「この資料を見てくれるか?」
渡された二枚の紙を受け取ったデビッドは、内容に目を通して眉間に皺を寄せた。
「おいおい。えらく面倒なモンに憑かれてるな。どこの街の作品だ?」
「場所はこの町だ」
デビッドは驚きの表情をシュベルトに向けた。憑かれた品を見て、まさかこんな町にあるとは思えなかったからである。
「まあ、そう驚くな。この町の教会にそれ等はある。元々、この町の教会は祈りを捧げる場でありながら小さな美術館のような役割も備えているんでな」
「へぇ、けど教会と美術館。一緒にしたら反発だってあるだろ」
国が変われば、展示物の内容が地域の宗教にそぐわないとして争いが起きる場合もある。
「君の住んでる街の美術館と一緒にするな。同じ場所にあると言っても部屋はちゃんと分かれているし、展示されている作品も凄く有名なものでもないしそれ程多くない」
しかし資料に描かれた作品の大きさを考えると、ある問題に直面する。
「範囲はどうする? モノがなければ作品に入れやしない」
「私だって何もしてない訳ではない。それ専用の範囲は手書きで拵えたさ」
それがどれだけの労力かを知ってるデビッドは、更に驚いた。
「異変に気づいたのは半年前。範囲を拵えるのはかなりの時間を要したが、その問題は解決した。後は加わる人数だ」
「で、俺が指名されたってわけだな」
「すまない。修復師の知人が少なく、動ける奴はお前しかいなくてな」
納得したデビッドは立ち上がり、懐から煙管を取り出し火皿に煙草を詰めた。
薪が積まれている所から細長い木の皮を取り、暖炉の火に当てて火を点けると、煙草に火を点けた。
ここに着くまで吸えなかった為、ようやく吸えるこの一服は凄く美味しかった。
「仕方ない。有能な友人の頼みだ、引き受けよう。それに弟子の経験もあるからな」
安堵したシュベルトは感謝の意を述べた。
翌日、シュベルトとデビッドとモルドは教会へ向かった。
モルドは教会の広さ、静けさ、清涼とした雰囲気に、不思議と気持ちが落ち着いた。
「凄い。なんか清々しいですね」
「そりゃ寒いからそうだろ」
師弟は互いに感じ方が違った。
「ははは。まさかデビッド、君は無神論者のままかい? 教会は神様の加護があるとされる場所だから、気温による清々しさではないと思うが」
「うるさい。こんな朝早くからやるものか? 修復作業は十時以降に行うのが通例だ」
モルドもその解釈で教わっている。その為、シュベルトの「そんな基準はないよ」の一言に、驚いた。
「え!? 修復作業は朝十時以降ではないといけないんじゃあ?」
「それは”デビッド理論”だ。修復作業に昼も夜も早朝も関係ない。冷静に考えてみても、奇文が時間によって違う反応を見せたりしたか?」
言われてみて納得した。いや、そんな正論より、素直にデビッド理論を信じていたモルドはもどかしい気持ちに苛まれた。
「師匠、弟子になんて嘘を教えるんですか! 朝は早く起きるものですよ!」教会であるため出来るだけ声量を抑えている。
「俺の仕事は俺が基準なんだよ。今日は特別、シュベルト理論に合わせてるだけだ」
戯言を聞きながらも、シュベルトは問題の部屋の扉へと辿り着いた。
「私理論ではなく、修復師の基礎知識としてほしいな。さておき、ここが問題の部屋だ」
シュベルトは静かに扉を開けた。
その部屋は一言で言い表すなら『奇文の部屋』と言えた。
大広間のあちこちに絵画や置き物が置かれている。それ等は作品であるため奇文が憑いててもおかしくないのだが、その部屋は壁も床も天井も、全てに奇文が憑いていた。
本来、作品に憑く奇文は何かしら意図のある規則性を備えた憑き方をする。けどこの部屋の場合、それ等は感じられない。
縦書きや横書き斜め書き、渦巻きや疎ら、大小の文字の違う書き方など。そこら中に散らばっていると言い換えてもよい状態だ。
「……し、しょう。こんな事、あるんですか?」
初めて見る光景に、モルドは度肝を抜かれたままだ。
「俺だってそうそうお目にかからんぞ。余程悪辣な環境に置き、墨壺に貯めた奇文をぶちまけるぐらいの事すればこういった現象は起きるだろうが、教会関係者がそんな汚らしい事をするとも思えなん。仮にシュベルトが墨壺満タンの奇文をぶちまけた所でこうはならんだろうし、何より、妻子持ちの生真面目男がこんな事は絶対せんよ。それに、奇文を広めた所で得する事は何もない」
「私を容疑者に入れて話さないでくれよ」シュベルトは苦笑いを浮かべた。
「ああすまん。弟子に教えるのも師匠の仕事だからな」
シュベルトは鼻で笑い、部屋に入った。
「シュベルトさん、入って大丈夫なんですか?」
不思議そうな表情がモルドに向けられた。その意図を理解しているデビッドが説明した。
「ああ、こういったのは初めてで、奇文の基礎知識も全てを教えてないんだ」
「やれやれ、そう言う事なら」視線をモルドに向けた。「奇文自体は触れた所で感染したりするものではないのだよ。だから君がデビッドと共に携わった作品の奇文に触れてもどうという事は無い。同様に、ここまで異常であれ、その本質は同じだ。触れても踏んでも問題ない」
説明中に奇文に触れるのを見たモルドは、安堵して部屋へ入った。
「十中八九【空間浸食】だ。が、解決の糸口とかあるなら早々に終わらせたいのだが」デビッドが言った。
「そんなものあるわけないだろ。相変わらずの面倒くさがり屋か?」
二人のやり取りにモルドは割って入った。
「師匠すいません。空間浸食って何ですか?」
「ん? 読んで字の如くだ。決められた空間に奇文が憑く現象。今回はこの部屋が奇文の定めた憑ける空間になる。その証拠に、これだけ激しい憑き方をしてるのに部屋の外に奇文が漏れてなく、扉を開けても奇文が外に出ようともしないだろ?」
確かに。と、モルドは納得した。
説明の区切りとばかりにシュベルトは説明した。
「もう既にこの部屋を囲うように範囲を書いた紙を張りつけている」
部屋の外に張っている事にモルドは気づいていなかった。
「これから三人揃って作品世界に入るが、恐らく各々、バラバラの場所に行くはずだ」
モルドは手を上げた。
「ちょっと待って下さい。僕、墨壺は持ってますが、環具は持ってませんよ。何も出来ませんが」
「心配無用。空間浸食の世界は道具不要で解決に至らなければならない」
デビッドが付け加えた。
「で、空間浸食下は修復師の感情に深く関係してきたりするから、気をしっかりもって当たれよ」
シュベルトに反し、雑な説明のデビッドに、呆れた感情が表情から僅かに出た。
「感情にって、感動的場面とか、激怒しそうな場面を見せつけられるみたいなのですか?」
「行けば分かる。と言いたいが、そこをあやふやにすると大変だな。場面を見せつけるというより、作品世界の住人と話す。と言う方が正解に近い」
その言い回しだと完全ではない。
説明に困るデビッドに加えてシュベルトが語った。
「人間がこうやって話すように、作品世界に人間として現れ話してくる。感情に接するっていうのは、人間同士が話してるやり取りだが、内容は此方の感情を揺さぶってくるものだ。この空間浸食では……少々面倒な内容もあるが、今日の事だけを説明すると、一人では短時間しか滞在できず、三人いる場合は長くて二時間は滞在できる。誰かが解決すれば戻れるし、俺かデビッドが戻ろうとすれば戻れる。モルド君は限界だと感じれば墨壺を握ればデビッドにその旨が伝わり、デビッドが戻してくれる」
初めての事で、これ以上の質問は何が分からないのかが分からず、入ってみないと分からない状態だ。
モルドは黙って覚悟を決めた。
「では二人共、行こうか」
シュベルトはデビッドとは形状が違う環具で近くの台を叩いて波を起こした。
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