奇文修復師の弟子

赤星 治

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二章 作品世界で奔走と迷走と

6 走って走って、また走る(中編)・シャイナの速力

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 五巻目の作品世界へ入った二人は、やはり同じような場所へと辿り着いた。そして案の定、迫る足音を聞き、半透明の群衆が迫ってくるのを確認する前に駆けた。
 先の四冊の作業と違うのは、運動不足のデビッドではなくシャイナである事。
 似た環境下であり、”休憩場まで着くと休む”と思っていたモルドだが、そんな通例のような考えは瞬時に消し飛んだ。

(――はっや!?)
 シャイナはデビッドよりも群衆よりも早く走った。
「シャ……イナ…さん……速い――」
 追いつくのに必死で上手く呼べない。
「あ、モルド君は台があったら休んでください」
 なぜこの速度で走って普通に話せるか不思議である。
「主導権はこれ」環具を見せた。「の所持者ですので、私が外へ出たらモルド君も外へ出ますので」

 訊く事を先に答えられ、モルドはシャイナの速度に追いつこうとするのを諦めた。
 初回から全力で飛ばしたことにより、台を見つける前に既に疲弊しきったモルドは、台を見つけた時に安堵した。
 急いでいつも通り飛びつき、残りの力を振り絞ってよじ登ると、仰向けになって激しく息を切らせた。

「どんな……体力してんの……」
 心の声でなく普通に声として漏れる程、シャイナの体力に度肝を抜かれた。
 やがて迫る足音が聞こえ通路の方を眺めると、群衆が前の四作同様、自分を見て走り過ぎていった。
 もう慣れて恐怖すら感じなくなったモルドはジッと眺めた。

 突如ある変化に気づいた。
(あれ? 薄く……なってない?)
 見慣れたからか、それとも昨日までのは薄いのが基本なのかは分からないが、群衆が薄くなっていなかった。
 何はともあれ、何も出来ないならと、モルドは仰向けになって元に戻るのを待った。

 一方のシャイナは、広い通路を淡々と走り続けていた。

(前方から群衆は来ない。道幅も変わらない。……あ、これで五つ目の台。足音はこっちが早ければ遠退いていく)
 走りながら色々と分析していた。
 そして八つ目の台を過ぎ去った時、ある事が気になった。
(全部一方通行。台の高さも同じ)

 シャイナは急に策を思いつき、九個目の台を目指した。
 暫く走り、台を見つけたシャイナは飛びついた。
 常人離れしたシャイナであっても、跳躍力が高いわけではなく、モルド達同様、飛びついてよじ登った。

 少し乱れた呼吸を整えると、台の端まで下がり、今度は壁を登れるか試した。しかし壁を駆けるように登る事は困難で、敢え無く断念した。
 どうしようか迷った時、頭の中である方法が閃いた。

 環具を取り出し、デビッドのように回して形を変えた。それは一本のロープの先に”かえし”の着いた四又の錨を結び付けたモノである。
「これならいける……かな?」

 シャイナは錨の重さを利用してロープを回した。
 遠心力により勢いよく回る錨。

 タイミングを見計らったシャイナは、ロープを投げて錨を壁の向こうへ飛ばした。
 上の状況がまるで分かっていないため、何もない平地でない事と錨を引っかける何かがある事を願った。すると、思いもよらない事態が起きた。

「――うわっ! なんだぁ?!」
 それは明らかにモルドの声であった。
「え!? モルド君?」
 シャイナは大声で叫ぶと、向こうもその声に気づいて返してきた。
「今から壁登るから、しっかり掴んでて!」

 そう言うと、返事と同時にロープに抵抗を感じた。
 シャイナはロープを引っ張って壁を歩くように登った。
 高さにしてみれば休憩台の二倍の高さだから、すぐに登り切れた。

 壁の上は幅にして人一人が歩くのに申し分ない幅の通路。しかし、登った壁部分以外は真っ白な平地が広がる。
 ロープの先にはモルドがおり、群衆はその隣を走り続けている。
 モルドも登りたいと言ったので、シャイナは座ってロープの先をしっかりと持ち、モルドはシャイナ同様に壁を歩くように登った。
 これ程すぐ隣なのに群衆の足音は聞こえず、間もなくしてシャイナのいた場所にも群衆が走りすぎて行った。

 二人が壁の上から見渡した時、この世界の全容を理解した。

 二人が走っていたのは、U字の通路。カーブの部分は直角に曲がるため、コ型とも言える。
 直線通路には台が設けられ、先には壁が立ちふさがって進行を遮断している。しかしシャイナは走り続け、台をいくつも通り過ぎた。
 壁の上から眺めると、直線通路はシャイナ側とモルド側の二つのみであり、二人は考察した。

「シャイナさん、ずっと周回してました?」
「いいえ。初めに二人で通路を曲がって以降はずっと直線道でした」
「じゃあ、僕等が別れてから道が二つに増えたって事?」
「みたいですね。そして私の方の台は九個目ですが」
 その言葉を聞いただけでモルドは驚きを隠せなかった。
「台は一つのみ。延々同じ直線を私は走り続けたと思われます」
 しかし疑問も新たに生まれた。
「ですが群衆はどんどんと離れていく感じではありました」

 不意に心地のよい風が吹きつけた。

 延々と同じ通路の周回。
 五冊目にして濃さの違う群衆。
 壁の上は真っ白い平地。
 そして心地よい風。

 悩んでいても仕方なく、二人は元に戻る事にした。



 その日、八巻目まで同じように入り、走って壁を登って現実世界へ戻る事を繰り返した。
 残り二巻を残すことで仕事を切り上げ、夕食の席で三人は話し合った。

「奇文のおおよその原因は理解してる」
 一日中ベッドに横たわっていたデビッドは、何故か疲れ切った顔のままである。
「師匠、もう分かってるんですか!?」
「作品に入らんでも依頼人の話を聞いてれば大体の想像はつく。恐らくメイガス氏の祖父・エリック氏が大いに関係しているのだろう。風変りな趣味を持ち合わせ、幻想・伝奇小説に心奪われる性格だ。奇文が干渉してもおかしくはない。大方、屋敷で聞こえる足音も、奇文の影響でエリック氏があちこち走ってるのだと思われる。足音が複数ってのは、怪奇現象を体験した奴の誰かが誇張させただけだろ」

 怪談染みた推理だが、奇文が関連しているなら辻褄は合っている。

「じゃあ解決じゃ……まだ奇文は……」
「現実で推理出来ても作品世界で何も解決出来てないなら意味ないからな。俺らの仕事は奇文を回収し、作品を元に戻すことだ」

 その通りである。
 どれだけ現実世界で明確な推理が構築され、それが正解であった所で作品世界の出来事は何一つとして解決されてはいない。

 今度はシャイナが話した。
「現実ではエリック様が関連していたとして、小説内では同じ場所を走り、巻を増すごとに群衆は色濃くなりました。八巻目には台の上の私達に手を伸ばしてくる次第です。壁の上はほぼ平地。風も吹き、快晴の青空。……察するに、十巻目にようやく変化が訪れるのでは……と」
「だろうな。とはいえ、十巻目に大きな変化というより、十冊目にしてようやく変化。というのが正しいかもしれん」
「どういう事ですか?」
「これは経験談だが、こういった連続した作品は一番目から携わらなければ後々面倒だ。俺が経験したのは、推理が先行して巻数を飛ばしてしまって事態が混乱し、また一からやり直しだ。疑うようなら明日は十巻目から始めてもいいが?」

 視線を向けられて訊かれても、もし何かが狂い、また一から走り込まないとならないのは嫌である。モルドは素直に拒んだ。

「俺からシャイナに変わっても異変がないという事は、奇文はモルドを順当に干渉してくれる対象に選んだと思われる。だから群衆の変化に一番に気づけた」
「それ、無理がありませんか? 五巻目からたまたまシャイナさんが先行して走ってくれたから群衆の濃さに気づかなかっただけで、それ以降は一緒に気づいてましたし、偶然ですよ」
「それは違いますよモルド君」
 二人はシャイナの方を向いた。
「私の見えてる世界はモルド君の傍の出来事です。試しに六巻目から二つ目の台へ辿り着いた時、わざと群衆を待っていました。すると群衆全てが薄い感じがして、モルド君と一緒にいると変化していました。場所によって見え方が違うと思ってましたが、今の話で確信しました。順当に進んだモルド君が一番あの小説に干渉された存在なのだと」

 どことなく恥ずかしくなった。

「では、明日は俺がモルドに同行しよう。どうせ台の上に昇って十巻目を迎えればいいだけだ。簡単に違いない」
「そうですね。デビッド様でしたら作品世界の変化に気づき、解決の糸口を見出してくれると思います」
 話し合いの結果、九巻目にデビッドが同行する事が決まった



 翌日、まるでデビッドへの嫌がらせのような事態を招いた。

 九巻目から通路の幅は同じだが、どれだけ走っても台が見あたらなかった。原因は不明だが、通路の形も曲線状のものが多く、まるで迷路のようであった。

「――も、もう駄目だ! ……も、戻る――」

 時間にして僅か十分。限界まで走りきったデビッドは現実世界へ戻り、ソファで仰向けに寝てしまう顛末を迎えた。

 十作目。
 シャイナとモルドが到着したのは、いつもより広い大広間。しかし天井は無く、入口と出口が共通の一か所のみ。

「……これって、まずくないですか?」

 モルドの勘は、笑顔で「そうですね」と答えるシャイナも思っていた。
 入口が一か所という事は、そこから群衆が攻めて来たらどこにも逃げようがない。
 動揺していると、入口から群衆と同じ見た目の人間が一人、立ちはだかって不気味な笑みを浮かべてこちらを見ていた。

「シャ、シャイナさん! まずいですよ! なんか猟奇犯罪者みたいな顔で見てきてます!」
 シャイナが周囲を見回す間、人間は高らかに笑い声を上げて駆け寄って来た。
「き、来たぁぁ!!」
 驚愕するモルドは、更に攻めて来る人間の次の行動に凍りついた。
 攻めて来た人間は一度跳躍すると、空中で前周りのように身体を丸め、地面に腰をぶつけると、まるでボールが跳ねるように跳ねた。そして、態勢を色々と変え、何度も地面に不自然な跳ね方をして迫って来た。
「あんな跳ね方、有り得ない!!」言いながら横に避けた。
 跳ねて迫る人間は、体制を立て直し、またも跳ねて攻めて来た。今度は助走も無いのに攻めて来る。
 どう考えても力の加わり方がおかしい。

「――モルド君分担です」
 シャイナはモルドの前に立ち、攻めて来る人間を受け流し、他所へ飛ばした。
 その動作を平然とやってのける彼女に驚きながらも、モルドは訊いた。
「分担……て?」

 次々と人間が入って来た。幸運な事に、群衆ではなく少人数ずつだ。

「壁に何かあります。この局面で無関係とは思えません。一巻からここまで来たモルド君なら解決方法を導きだせると思います」
「シャイナさんは……」
 シャイナは歩いて人間達の気を引きつけた。
「私は彼らの足止めに励みます」言いながら構えた。

 逞しく格好がいい。
 本来なら立場が逆でありたい。
 女性が肉体労働、男性が知恵事とは、モルドの中であまり喜ばしいものではないからだ。

「早く!」
 シャイナに急かされ、モルドは大きく返事して走った。
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