奇文修復師の弟子

赤星 治

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一章 出会いと適正

6 焦燥と出会い

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 弟子になって十日後。

「師匠! 国防事務官の書類をこんな所に放っておかないでください! 大事なモノでしょ!」
 モルドはまるで母親のようにデビッドの身の回りの世話をする役に浸透した。

 弟子になって出来る事は、身の回りの雑務を熟すこと以外見当たらなかった。あまりにも特殊な仕事である奇文修復は、今までケビンの元で熟してきた土器などの修復作業と違い、何をしていいかがまるで分からない。
 鍛錬や資料調査といった修業はない。
 本当に何も出来ず、師匠であるデビッドに出来る事を求めるも、「柔軟な発想を活かすことが出来なければやっていけない」と返され、何をすればいいかを求めるも、「自分で考えるものだ」と、返された。

 漠然とした方法すらも浮かばないまま、モルドはケビン宅で培った、身の回りの世話をする事にとりあえず専念する事にした。
 勝手を理解している分、二日目で大体の事を覚え、シャイナと共に家事を協力する事になった。

 四日目。この時にはデビッドの人間性がある程度理解出来た。

 洗濯物は所定の位置に集めない。
 靴下は脱いだらそのままほったらかし。
 食事は偏食。
 朝食は珈琲のみ、昼食は素手で摘まんで食べれれば良く、夕食は野菜が形を成している物を遠ざけ、すり潰したりスープにしたものを好む。
 大事な資料や貴重品も、洗濯物同様、どこかにほったらかしにする癖がある。
 酒は嗜むが酔いやすく、酔うとモルドに引っ付いたり、べたべた顔を触ったりして絡んでくる。
 まだ十日しか見ていないが、この間、一泊二日と日帰りの旅をした。
 シャイナによる情報では、デビッドは放浪壁があるらしく、頻繁に家を空けることが多い。その間、家の事はシャイナが行う事になっている。不思議とそれが成り立っている。

 ここからはシャイナについてモルドが気づいたことである。

 シャイナは容姿端麗で華奢に見えて良く動き、そつなく色々熟し、笑顔が素敵で優しい。
 年齢は未だ教えてもらえず、出身は不明で、過去の記憶も今だ皆無。
 謎の美女であり、デビッドの理解者であることぐらいしか分からないが、力はとても強い。
 裾にゆとりのある服を着ている為分かりにくいが、彼女の腕は逞しい肉付きをしている。
 筋肉隆々という見た目ではないが、細身でも力を入れると腕は硬い。
 一度モルドが腕相撲を試みたが、敢え無く撃沈。武術の素養もあり、これまたモルドが庭でシャイナに挑むも、敢え無く撃沈する。
 これがシャイナを一人残しても大丈夫な理由でもある。むしろ、デビッド不在時の彼女の存在がモルドの大きな心の支えであった。
 結果、シャイナは頼りがいのある存在であり、デビッドは放浪癖以外はケビンとほぼ同じだという事が判明した。

 五日目以降、モルドの態度はケビンに向けるものへと自然に似た態度となった。

「さて、じゃあ行ってくるから、お客様の御相手は宜しく頼むよ」
 今日も依頼者が持ち込んだ楽譜に書かれた奇文を修復しに、特殊な絨毯の範囲内に立ってデビッドは消えた。
 これで三回目。憧れていた職種を知ったが未だ実戦出来ない。臆して出来ないのではなく、参加自体が出来ない。

 弟子となっても師匠を見送るだけ。
 普段はだらしない師匠との距離感。
 一向に本当の弟子にすらなれないもどかしさ。
 適正検査と言ったが、未だ何も情報が無く、それらしい場所にも連れて行ってくれない。

 数時間後、デビッドが帰って来た。
 戻って来た彼はいつも通り、台に置いた煙管に煙草を詰めて火をつけ、休憩の一息を吐くように煙を吐いた。

「師匠、お疲れ様です」
 そう言って奇文が描かれていたモノに奇文が無いかを確認し、依頼人が包んできた布に包んだ。
「今回はどのようなものでしたか?」
 シャイナが木の板に留め具の付いた物に紙を挟み、デビッドに世界の状況を聞いた。
 これも奇文修復師が行う事であり、未だにモルドは任せてもらえない。それもそうだ、世界観を文章で描写しようにも、入った事が無いのだから訊いた話を文章にまとめることが出来ない。

 日々募る焦燥。”師匠”と言葉にすることが馬鹿みたいに思う。

 モルドは二人を他所に、お客人に楽譜を渡し、見送った。

 さらに五日が経過した。

 その日、モルドは街へ遣いを頼まれて訪れた。
 買う物は肩掛け鞄に収納できる物であり、用事を済ませると、今まで見たことのない所を見てみようと歩きまわった。
 日頃の募っていく焦燥。デビッドに適正はいつかを聞くも、担当員がまだ戻らないため出来ないと返ってくる。
 作品に入って問題を解決する特殊な仕事なのに担当員がいるとは考えにくい。しかしデビッドの家には国から貰った修復師許可証の絵画があるのだ、国の専門員がいて査定してくれる事も柔軟に考えればあり得そうである。

 修復師の弟子としてなにも出来ない。いや、本当はとうに適性が無いと分かっているのかもしれない。
 デビッドの態度は、その事実を伝えることを面倒に感じ、逃げるようにはぐらかし、一泊二日の放浪の旅へ出る。今日もその旅へ出た。

 考えれば考える程不安しかないモルドが街中を歩きまわっていると、上の者が下の者を説教し、仕事を教えている光景が視界に入った。
 別の場所へ行くと、目上の者が下の者へ丁寧に仕事の手順を教えている。
 別の場所では自分の仕事の技術を高めようと、広場で練習をしている光景がある。その日見たのは底が丸みのある鉄製の鍋に砂を入れ、その砂を回す練習。料理人だと思われる。
 別の所では瓶の形に削った木材を三つ、御手玉のように回している。大道芸の練習だと思われる。
 他にも風景画を描いたり、踊りの練習をしたり。
 普段は気にも留めないのに何故か、異様に、そういった鍛錬に励む人たちが目に付く。

『自分は何をしているんだ?』

 払拭しきれないそんな疑問を抱きつつ、向上している者達から離れるように、再びモルドは歩き出した。
 およそ観光とは別の、徘徊と言える程。
 風景に心踊らされることなく、記憶にも止まらないようにあちこち歩きまわった。
 行き着いたのは、デビッドと出会った浜辺近くの、丸太に座れる平らな部分を削って作った長椅子前であった。
 歩き疲れたモルドは椅子に座り、正午過ぎの浜辺を眺めていた。
 呆然と眺める。不思議と心地よく、老人たちがよくこういった事を続けているのは、もしかしたらそんな感情をいつも抱いているのかと考えた。
 もうどれくらいその場にいただろうか、不意に我に返ったモルドが浜辺を一瞥すると、誰もいない事が分かった。
 もしいるならば、”こんな若造が昼間から呆然と何をしているのだ”と思われてるのだろう。と考えてしまう。

「何をそんなに悩んでいるのだい?」
 それは帰ろうと立ち上がった時である。突然後ろから声をかけられた。
 モルドが振り返ると、中年の男性が別の長椅子に腰掛けていた。年齢は不明だが、デビッドと同じようにも思える。
「え?! あなたは?」
 恥ずかしい無防備な所を見られた。と焦った。
「ああすまない。歩き疲れてここで休んでいたのだが、君が溜息を洩らしつつ浜辺……というより水平線かな? ずっと眺めていたから。誰が見ても悩んでると思ってついつい気に掛けてしまった次第だ」
 人相は穏やかで、雰囲気もゆとりを感じられる。
 モルドは男性と向かい合う形で再び長椅子に腰掛けた。
「私で良ければ話を聞くが……」

 見ず知らずの他人に詳細を話すにはあまりにも職種が特殊すぎる。よって内容は曖昧なものとされた。

「仕事の事でして。僕はこのままでいいのかなぁって」
 内容が漠然としすぎ、男性は何とも言えない無表情を滲ませたが、すぐに視線をモルドに向けた。
「どの仕事でもそうだ。誰もすぐには上手くいかないし、鍛錬を半年続けても出来ない者達だって数多いさ」
 モルドは何かを言おうとしたが躊躇い、黙ってそっぽを向いた。
「どうやら事情がもっと複雑みたいだね」
 男性は、よいしょ。と声を発して立ち上がった。
「どれ、君はまだ時間があるかね?」

 本日はデビッドが旅立った初日なので、夕方まで家に帰らなくても大丈夫である。つまり、まだ時間が有り余っている。
 モルドは一度頷いた。

「では、私の仕事に同行してみないかい?」
「え、仕事に? 今日出会ったばかりの僕を同行って……」
「なに、仕事をしろとは言わんよ。ただ、美術館の中での事だから。良い気晴らしにはなるだろ? 考えが纏まらず、不安や焦りが燻っているなら、水平線を眺めるのもいいが君はまだ若い。そんな老人がやりそうなことで時間を潰すのは勿体無いだろ?」

 モルドはどこか恥ずかしくなりながらも男性の誘いに乗る事にした。
 偶然にも、デビッドと出会って初めて向かったのも美術館であり、何かしらの縁があるのかと思えた。

「偶然です。僕も師匠と出会った時、初めて行ったのも美術館なんです。行くのはあの美術館ですよね」
 指差した建物を見て、男性は、ああ。と答えた。
「すごいなぁ。こういうのも何かしらの縁って訳だ。君も何かあの美術館とそういった縁があるのかもしれないな」

 何時しか男性の穏やかな雰囲気に心許したモルドは、奇文修復師としての悩みが消えていた。
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