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一章 フェンリル

Ⅳ 無謀な策

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 フェンリルは四人を凝視して様子を伺っていた。

(……何か策はあるか?)
 ジェイクはフェンリルから目を逸らさずに念話で話した。
 サラのレベル30越えのおかげもあり、グレミアにも念話が繋がるようになっている。
(いえ……相手の情報が少なすぎてなんとも。だからといってこのまま睨み合いを続けるのは危険です。あの異常な魔力はそう易々と減りませんし、逃げるなど到底不可能でしょう。フェンリルという名前から何か探れれば良いのですが)
 サラが答えた。
(フェンリル。私達の祖国とは別の国の神話に登場する狼です。実在してるわけじゃないのでああ言った見た目で漫画……じゃないや、絵とかで描かれてます)
 情報からでも対応策がまるで浮かばない中、ジェイクはトウマの様子がおかしい事に気付く。
 目はフェンリルと見つめ合い、冷や汗が止まらず、時折小刻みに震えている。
(大丈夫かトウマ)
 返答はなく、呼吸が大きく、次第に増している。

「おい、トウマ!」
 声に出すも返答はない。
「……ダメだ……ダメだ、ダメだダメだダメだ!」
 両手に炎を出現させ、フェンリルを激しく睨み付けて駆けた。
「馬鹿野郎! 何やってんだ!!」
 ビィトラが焦りながら説明をする。
「フェンリルの眼光にあてられたんだ! 多分、ジェイクと会う前に襲った巨大魔獣と認識している!」
「それだけではないかもしれません」
 グレミアは冷静にトウマの混乱を分析した。
「おそらくは高度な幻術でしょうが、貴方の声が聞こえていない。思考まで惑わされているなら厄介ですね」
「つまり、どういうことですか?」サラが訊いた。
「フェンリルの魔力が浸食して心の傷となる魔獣の事しか頭にない状態にしている。仲間がいることすら省かれ、”自分一人で立ち向かわなければならない状況”だと思い込まされている」
 すでにトウマはフェンリル目がけて炎を放出して立ち向かっている。それを躱され、氷の術で追撃して命中するも、まるで効果は無い。

「どうやって治せる!」
「強い衝撃。術で妨害。瀕死に追い込む。とにかく、トウマを取り巻く奴の術を解かなければ――!?」
 トウマの術を高く跳躍して躱し、空中にいるフェンリルがジェイク達を標的にした。
 足に魔力を纏わせて、空中に地面でもあるかのように踏みしめて突進してきた。
 三人はフェンリルの猛攻に命中しないまでも、地面へ突進した衝撃波により吹き飛ばされた。
「――ぐっ……」(強い。このままでは……)
 木に衝突したグレミアが体勢を立て直そう前を向くと、すぐ迫るフェンリルに睨まれていた。
(まずい!)
 両手を前に翳し、魔力壁を作る。
「ベイズ・ゲルメッド・アリーシェス――」
 追加で唱術による強化を図るも、詠唱の途中でフェンリルが頭突きで攻める。
「――ぐぅっ!」
 たった一撃で魔力壁に亀裂が走り、続く尾撃により砕け散った。

「こっちだ狼野郎!」
 グレミアへトドメの一撃が及ぶ前にジェイクがフェンリルへ斬りかかった。
 フェンリルは頭を突き出し、ジェイクの剣を受け止めた。
「堅ってぇぇ」
 まるで刃が立たない。鋼鉄に斬りかかっているようである。
 突如、フェンリルの側面目がけて白い刃がぶつかった。
 トウマの氷と風の複合魔術。氷の粒をかぜで形成した刃に混ぜて放つ術である。
 刃は衝突するも、呆気なく散った。
「くっそぉぉ!!」
 悔しさを露わにするトウマは、さらに両手へ魔力を込め、渾身の大技を放とうとしていた。
「やめろ馬鹿野郎! 魔力が尽きるぞ!」
(ジェイクさん! トウマ君を止めてください!)

 サラはすでにグレミアの傍にいて、いつフェンリルが襲ってきても防げるように防壁を作っている。さらにグレミアは唱術を使い、既にフェンリルの足下へ円陣を描いていた。
 秘策があると察したジェイクはフェンリルから離れる。
 何をされるか分かっていないフェンリルの足下から薄緑色の光が立ち上り、まるで強力な重力で押さえつけている効果を示した。
(グレミアさんが足止めしているうちに早く!)
 ジェイクは急いでトウマの元へ向かおうとするも、既にトウマは術を放とうとする姿勢であった。
「畜生!」
 一つの烙印を両足に込めて速力を上げ、トウマが術を放とうとする前に突進して押し倒した。
「しっかりしやがれ!」
 頬をおもいっきり殴ると、トウマは気を失ったように目に焦点があっていない状態となるも、間もなく正気に戻る。
「え? あ、う……ぐぅっ!」
 無我夢中であったジェイクが手加減せずに殴ったせいもあり、左頬の激痛に悶えた。
「無事かトウマ!」
「……かなり、痛いです」
 言いつつ、治癒術を行った。
「何なんですか急に!」
 まるで記憶はない様子であった。

 ビィトラが現われ、頭に手を乗せた。
「説明の時間ないから」
 行ったのは、今までの出来事を一瞬で見せつける技である。これは守護神と転生者の間でしか行えない。
「……え、僕、そんな事を」
「つーわけで、正気になっても窮地に変わりないぞ」
 ジェイクは剣を構えて警戒している。
「魔力温存しとけ、もうそんなに大技使えねぇだろ」
 トウマは自身の魔力量を量ると、現状に冷や汗が溢れた。
 黙って焦る中、フェンリルへ目を向けるとグレミアの足止めが破られ、フェンリルは束縛から解放されたところである。
 全く状況が改善されない中、突如フェンリルは上空に向かって遠吠えを放った。
「まずいわよジェイク!」
 ベルメアが現われた。
「あいつ何をしてやがる」
「落ち着いて聞いて。そこら中から魔獣が集まってきてるわ」

 どんどん状況が悪化していく。
 カレリナもサラに教えたらしく、サラとグレミアの表情が変わる。
「どうしましょうジェイクさん」
 トウマは魔力が少なく、サラとグレミアも消耗が激しい。
 ジェイクは烙印を一つ使い、残りは二つしかない。
 消耗の激しい中、太刀打ちできないフェンリルは魔獣を呼び寄せた。
 誰もが対処出来ない事態に陥っている。
「…………死ぬかもしれねぇが……策はあるぜ。命かけても大博打だけどな」
 ただ一人、ジェイクが一縷の望みにかけた。

 ”俺が魔獣を倒しつつ烙印の刃飛ばして奴を攻撃する”

 ジェイクが全員へ念話で伝えた策を聞いたサラは、防壁に集中しつつグレミアに意見を求めた。
「……無謀としか言いようがありませんね。策ですらない、危険で行き当たりばったりの提案。けどそれに縋らねばならない現状も情けないものですが」
「どうしましょう。私に出来るのはコレが限界です。攻撃に特化した術はありませんし」
「いいえ、貴女には重要な役を担って頂きますよ」
 秘策があると分かり説明を求めた。
「少々時間はかかりましたが、”フェンリル”がどういった存在か、ようやく掴めました」
「え?! 魔獣ですよね」
「いいえ、アレは生物ですらありません。妙だったのですよ、一つ一つの攻撃は強力ですが行動に無理が生じ、連続した行動が疎かとなる」
「でも、ずっと襲ってきてますよ。グレミアさんの防壁を砕いたときは、二発目の追撃もあったじゃないですか」
「ええ。ですが詰めが甘すぎる」

 防壁を突進で弱らせ、追撃が体当たりや頭突き、前足の攻撃ではなく”尾撃”で砕いた。
 世に蔓延る魔獣の中で尾を使う魔獣は存在するも、標的へトドメを刺すのに使用する魔獣は一匹たりともいない。理由は、獲物を捕らえる時には力が入りやすく確実に仕留める本能が働くからである。
 グレミアは習性そのものに違和感を覚えていた。

「行動制限の可能性が高い。数値で例えるなら、規定数まではいくらでも攻撃できますが回復までに行動制限がかかる。そういった類いでしょう。単体でも強いのに魔獣を呼ぶのは、おそらく回復に専念するための魂胆」
「なんか機械的……。じゃあ、フェンリルは……」
「アレは生物に似せた具象術。大雑把に言えば魔力の塊です」
 狼さながらの化け物を、術で形作る事にサラは驚いた。
 防壁に専念しつつフェンリルを凝視すると、魔力の流れが生物とは違い、身体の芯まで蠢いているのを見た。
「ジェイクの策がどう転ぶか分かりませんがアレを滅するに至らないでしょう。ですので此方も手を打ちます。貴女の力も必要とするので宜しいですね」
 緊張するなか、サラは頷いて腹を括った。



「トウマ、隙を見て残りの魔力使って奴に大技をぶちかませ」
 作戦に移行する前にジェイクが告げた。
「え、でもさっきのは効いてないって……」
「俺の烙印が効けば傷くらいつくだろうから、そこを目がけろ。ここで手を打たねぇと全員死ぬぞ。お前も無理して考えろ」
 言って烙印を全身に纏わせた。すると、森のあちこちから魔獣が寄ってきて、ジェイク達を目で捉えると次々に迫ってきた。
 大きく呼吸し、意を決したジェイクは目にも留まらぬ速さで駆けた。
「無茶苦茶だよ!」
 ビィトラが心配そうな様子を浮かべる。
「……けど……確かにここで考えないと」
 この作戦が成功するかどうか分からない。ただ、”ジェイクなら突破口を作ってくれる”と、確証のない思いがトウマを立ち上がらせた。

「トウマが今使える魔術で何か手はあるの?」
「いや、今あるのは前世でのイメージが固まりすぎてるから、奴には効かないものばかりだ。一か八か、新技で対抗するしかない」
(こっちも無茶苦茶だよ……)
 ビィトラは頭を抱えた。
 トウマはフェンリルを睨んで考察を巡らせた。
(フェンリルは全身に魔力壁を纏ってると仮定して、普通の技じゃ体内まで届かない。……体表面へ広範囲の攻撃じゃなく、一点集中の攻撃……)
 トウマは前世で観てきたあらゆる情報から、”必殺技”を思い描く。そして、似たような技がいくつも思い浮かぶも、それらの技で共通する動作をとった。
 右手を斜め前に伸ばした状態で構え、左手で袖を掴むと深呼吸してイメージした。
「トウマ……出来そう?」
「イメージは固まった。やってみる」
 言うと、指を揃えてまっすぐ伸ばし、指先から肩にかけて右腕全体に魔力を込めた。



 突進から一撃で一体目の魔獣を斬ったジェイクは、すぐに出現した烙印を取り入れた。
 続けざまに烙印を剣に纏わせて振り切って刃を飛ばし、三体同時に寸断。死骸から出現する烙印を取り込む前に迫ってくる魔獣を斬り、時に攻撃を受け流したり躱したりしてあしらう。
 剣術、烙印技、これらを繰り返して魔獣群と対峙しつつ、余分にある烙印を刃に変えてフェンリル目がけて飛ばす。
 烙印の取り込みと放出を繰り返す事がどれほどの負担となると懸念はあった。しかし予想以上に負担がないことに若干の安堵が生まれた。
「無理しないでよジェイク! いつまでももつとは思えない!」
 ベルメアの心配は、烙印の過剰使用による反動である。過去、ベルゲバの塔にて、過度な負担がかかる烙印技の使用により死にかけている。
 あの時同様の死に直結する負担が気がかりでしかない。
「分かってる! 後はあいつらを信じるしかねぇよ!」

 命がけで無謀な作戦。
 全員が生き残るには機を伺い、遅すぎない判断、そして一手一手がフェンリルへ致命傷を与える決定打とならなければならなかった。
 ジェイクの烙印攻撃は上空へ飛んで逃げるフェンリルへ命中し、弱り具合から今までのどの攻撃よりも効果があると分かる。しかし効果はまだ低い。致命傷に至らないのは明白であった。
 一方でサラとグレミアはフェンリル打倒の策を実行に移す機を伺いながら待ち構えている。フェンリルがしばらく動かない状況がその時であった。
 この作戦、ジェイクの烙印技が功を奏するか、決定打となるトウマの術が勝敗を決するとされた。

 トウマは、右腕全体に注いだ魔力の力強さが右腕を痛めつけ、苦痛に耐えながら術のイメージを明確化させていた。
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