上 下
35 / 80
一章 英雄と魔女と災禍の主

Ⅱ 目星を付けた者

しおりを挟む
 翌日の昼過ぎ、ビンセントがルバートの指示で辿り着いたのは、民家などの建造物が殆ど無いに平地に一件だけ佇む石積み家屋であった。城下町を出て川沿いを十分ほど歩いた所である。

(この民家だ)
「ここが……え、民家? どう見ても屋敷だろ。金持ちの」
 ビンセントの疑問がルバートに疑問を抱かせた。
(おいおい、魔女俺様退治の旅で見識を広めたのはいいが、これが屋敷と呼べるものかどうかは分かるだろ)
「はぁ? どう見ても屋敷だろ。俺の田舎じゃ金持ちの屋敷の部類だぞ」
(ああ五月蠅い田舎者。いくぞ)
 嫌気が差して無理やりくだらない屋敷談義が終えられた。

 呼び鈴を鳴らすと、やや時間をおいて扉が開いた。
「はい。なん……で……」
 家主の男性が呆気にとられた表情でビンセントを見て言葉が詰まった。
「あ、突然ながら失礼……あ、のぉ」
 男性にはビンセントの挨拶が聞こえていない様子であった。
(当然だ。十英雄の一人が現われたのだからな)
 ルバートの言葉を復唱するかのように、家主の男性が驚いた事情を告げた。
「――という訳でして……。それで……本日はどういったご要件でこのような辺鄙へんぴな所へ?」

 ここからはルバートの指示に従い事情を説明し、言葉巧みに家主の心を掴み家の中へ入れてもらった。
 口実は、”旅の最中に術の研究に目覚め、出来る限り可能な範囲で教えてもらいたい”という嘘である。
 今日、この家へ訪れた目的は、家主の裏の顔を暴くというものであった。凱旋から昨晩まで、ビンセントの中から外を観察していたルバートが、一番危険な術師と目星を付けたのがこの家の主であった。
 本来なら国兵に匹敵する存在であるビンセントを、こうもあっさりと屋内へ招いた理由は、『魔女を倒し、魔力の業や血をその身に浴びた英雄』だからとルバートは言う。
 犯罪に手を染める程の術師から見れば、一生涯において巡り会えないであろう希少な肉体素材が、千載一遇とばかりに訪れたのだ。平静を装っているが興奮は治まらないと思われる。
 応接室へ案内されたビンセントはソファに腰掛け、男性は紅茶と茶菓子を準備すると告げて部屋を出た。

(いいな。現状、お前さんは奴の獲物だ。魔女俺様退治の武器は全部壊れたから、術で攻められたらお前さんは確実に捕獲され研究材料だ。それと、出された物は口にするな。俺様の合図や、相手に違和感を覚えたら備えの短刀を抜け)
(気にし過ぎだろ。どう見てもひ弱な善良男性だ)
 今朝、念じるだけで会話が出来ると教えてもらい、思いのほか話しやすい事に驚きつつも容易に実践している。
 魔力の性質がまるっきり見えないビンセントは、”疑うことを知らない獲物”だと確信すると、ルバートは呆れて間が空いてしまった。
(……どうした?)
(いや、何でもない気にするな。とにかく、だ。ここからは言い訳にも専門用語が出るかもしれん。身体の主導権は俺様に譲って貰うぞ)
(悪事を働くなよ)
(出来てもするか。今がどれほど危険か分かってないようだな)

 主導権が変わった途端、家主の男性がお盆に乗せた紅茶と茶菓子を運んで戻ってきた。
「すいません。突然の事で色々片付いてなくて」
「お構いなく。此方こそ予約も無く突然の訪問、失礼致した」
 自分が発していないのに勝手に言葉が発せられ、表情や反応も本体に表れずビンセントは驚いた。
(おい、どうなってる!?)
(こっちに集中するから黙ってろ)
 ビンセントは素直に黙るも興奮だけは治まらない。そんな心情を余所に話は続けられる。

「いやぁ、魔女を退治した英雄様をこんな間近でお目にかかれるとは。冥土の土産になります。あ、紹介が遅れました。私はビル=ライセンと申します」
「ビンセント=バートン。ご存知の通り魔女を倒した者です」
「あの、お伺いしたいのですが、なぜ術を知ろうと?」
「いえね、魔女の塔で色々と不可思議な出来事を経験した上で、それらがどのような原理で出来ているのかと、ついつい気になってしまい、興味本位ついでに術や魔力について勉強しようと思いまして。これは単に偶然なのですが、ライセン殿が魔力や術に関する……、あ~、言葉は合ってますでしょうか……"研究"をしてるとか? いや、"勉強"が適してるのでしょうか?」
 表情まで作り上げられ、まさしく魔力や術に関しての知識がない様を演じきっている。
「ははは……。何か気を使われてますか?」
「ええ。知り合いの術師からの情報で、術を生業とされてる方の中には細かな言葉遣いを気にする者が多いと聞き及び、その一つが『研究と勉強の違い』だと。同じような言葉なのに何がどう違うのでしょうか?」

 ビルは柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「昔の術師はそういった方が多いのですよ。勉強は『上の者に学ぶ』、一方で研究は『学びを終え、自身の用いる知力と文献、材料を用いて術を作り上げたり、世に出回る術や呪いの詳細を知る行い』と。要は弟子か一人立ちした者かの違いです。今では全てが勉強であり、研究という概念が備わってますのでそれ程気遣う必要はございません。それより、魔力の研究なら御仲間の術師に頼れば……」
 ビンセント(ルバート)は、ぎこちない笑みを浮かべた。
「実は……志は同じでしたが、仲の方はそれ程……」
 言うとビルは仲間と馬が合わない事を察した。
「踏み入ってはならないことを……失礼しました。ではどうしましょう? 泊まって頂けましたら基礎知識程度ですがしっかりとお教えできますし、文献も幾つか見せる事は可能です……が」
 視線で答えを求められた。
「いやいや泊まるなど。御家族の方に悪い」
「ああご心配なく独り身ですので。此方の本音を申しますなら、話し相手が出来るので嬉しい限りでして」
 後頭部を摩り、やや照れた表情を浮かべる。
「いやはや、若い頃は”魔力の研究ができればそれ以外は不要”と躍起になり、人間らしい出会いなどを疎かにしたツケが回ってしまいまして。後悔しながら日々生活してる次第で……お恥ずかしい限りです」
「あ……では……ライセン殿が宜しいのでしたら、お言葉に甘えさせて頂きましょうかな?」

 話を終えると、ビルは指導の準備をすると言って部屋を出て行った。

(よく回る舌だな。俺の舌だが)
(悠長に言ってる場合か。奴は動く機会を狙ってるぞ。身体や内臓に余計な傷を負わせたくないだろうから……定番どころでは食事に睡眠薬か痺れ薬だろうな。風呂に至っては奴に好都合でしかないぞ)
(食事は分かるが、風呂はどういうことだ?)
(考えても見ろ、浴室で術を使って気絶させれば服剥がす必要なく研究所へ運べるだろ。お前さんが脱いだ服と別の死体使ってお前が死んだ偽造も素早く行える)
 感心する程の説明に納得され、改めてルバートはビンセントの不用心さが気がかりであった。
(じゃあどうするんだ? こっちは証拠も何もないし暴力に出るにはこっちが不利だ。無実の国民を傷つけたとかで国から裁かれる。何より相手がどんな悪事を働いたか不明だ)
(悪事の見当はついてる、本音は不明だがおおよそ見当はつくさ。俺様任せでいいならすぐにでも行動に移せるが)
(おいおい、本当に奴が悪人術師なんだろうな)
(性に合わん月並みな言葉を使うなら、”俺様を信じてくれ”としか言えんのだがな。奴は一線を越えてるのは確実だ。あとは時間。術師相手にこうやって悩む時間も相手に好都合となる。俺様達は何も知らずに教えを請いに現われた獲物同然だから、今も捕獲の罠を仕掛け放題だ。長期戦は不利になる、今お前さんが選べ、逃げるか挑むかを)

 ここまでの経緯はルバートの指示なのに、なぜ選択肢を提示されるか疑問を抱くも、心情ではビルの罪が何なのかを知りたい衝動にかられている。

 答えは自ずと決まっていた。
しおりを挟む

処理中です...