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二章 人間の魔女

Ⅸ グメスの魔女

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 数秒の静寂に包まれた。時計が秒針を刻む音がやけに大きく聞こえるほどに。
 この瞬間を見計らったかのように、冷たく、張り詰めた空気が部屋内に降り注ぎ、二人はその変化に気付いた。
 リネスは目配せで周囲を見回す。その様子は不意を突かれたとばかりに若干の焦りが滲み出て見える。
 ミゼルはリネスが起こしたものでないと判断した。加えて、こんな大それた変化を起こせる存在には心当たりがあった。
 リネスが密かにミゼルの魔力や微動を伺うも、ミゼルの視線が向けられるのに反応し、不自然ではない動きで視線を逸らせる。

「……貴方ではないですよね。貴方自身から魔力の変化が起きていないから」
「ええ。そういうリネス殿も違う。おそらく、一ヶ月程前に起きた変化と同じ現象でしょう」
 ミゼルは知らぬふりを貫いた。
「話を本題に戻します。なぜ私がグメスの魔女ではないと?」
「リネス殿を見て一番気になったのは、あまりにも静かすぎる点だ。人を寄せ付けない広大な罠を張り続け、さらには私を警戒しているのであれば魔力が張り詰めているだろう。屋内にも罠を張っていると構えていたが何もなく静かすぎる。空気も張り詰めてもおらず、不快になるような緊張も張り詰める感覚もない」
「それだけでは決定的とは言えませんよ。なにせ私はグメスの魔女。そう見せかけているかもしれません」
「然り。魔力は未だ私の調べでは謎が多いので、この程度で押し切れるとは思ってないさ。だが疑いの目を向けるには十分な材料だ。失礼ながら生活環境を観察させてもらったよ」
 リネスはジッとミゼルの目を見て意見を求める。
「先ほどまでの会話、リネス殿が自給自足をしているという話だ」
「何かおかしな所でも?」
「いや。術の使用を最低限に抑え、殆どが自らの力のみ。なにもおかしな所はない」

 では何が? と訊こうとする前にミゼルはカップを持ち上げた。

「カップ?」
「ああ。急な来客に茶菓子を用意していないのは仕方ないだろう。しかし紅茶の準備は違和感を覚えてしまった。なぜなら、急須ポットが無いというのは不自然に思えて仕方ない。カップは見た目から来客用だ。リネス殿の趣味とも捉えられるが」
 リネスは黙って推理を聴き入った。
「先ほどの話でもブリダス家がこの地の神性を護る血筋というなら、この立派なお屋敷もさぞや長い間あったに違いない。なら、来客用の食器類は一式、しかもそこそこ多くあると考えられる。不要だから整理して倉庫にでも、とも考えられるが、やはりカップのみがありポットだけ無いというのは」
「丁度一つあった物が壊れた。とは考えなかったのですか?」
「屋敷の損傷は自己修復する。なら、屋内の物はどうだろうか? 不意な地震、リネス殿の不注意で扉を開けっぱなし、野獣か、もしくは突風が、とか。色々屋内のモノを壊せる可能性は考えられる。私が抱いた可能性は、”小物も全て修復される”だ。このような大それた術を張ったのは、屋敷にうっすらと漂う魔力の雰囲気からリネス殿ではない他の誰か。仮説ではリネス殿を護ってると考えてしまったよ」

 ミゼルと目が合うリネスは、少し視線を斜め下に落とした。

「語るより証明と行きましょう」言うと、カップを床にたたき落とした。
 カシャーン!!
 小さな音が響くも、しばらくして破片が一カ所に集まり、割れた事実などなかったようにカップは元に戻った。
 観念したとばかりにリネスは目を閉じて溜息を吐いた。
「お見事としか言いようがありませんね。まるで何かの犯人に仕立て上げられたようにヒヤヒヤしましたよ」
「カップに至っては賭けでしかなかった。推理というには些か無理があったのだがね。こういった小さな疑問を一つ一つ解明し、グメスの魔女が誰かを探りたいとも思っているのだが」
「十分です」
「おや、もっと楽しませる自身は少なからずあるのだが」
「別段、隠し通す気もありませんし、私としては結構どうでもいいことなのですよ」
 残った紅茶を飲み干し、静かにカップを置いた。
「お約束通り楽しめましたので、一つだけ質問にお答えします」
「それとは別に、グメスの魔女はどうしたので? 込み入った事情で話したくないのであれば無理にとは」
「ここ十数年、巷で恐れられている魔女は姉でしょう。その姉は死にました」

 淡々とリネスは語った。

「ですがグメスの魔女と呼ばれた張本人は母です。ディルシアの前、先代国王の時代、圧政の煽りからこの土地を奪われかけたので母は守護の陣を張りました。当時の結界は壁のようなモノであり、こちらから余所へ行き来も出来たのです。今のような作りになったのは姉が原因です。姉が十八の頃、近隣の町や村の者達からの迫害と暴力、暴言に憎悪したから。罠だけでは気が治まらず街へ赴いて虐殺、来る者を捕えて秘術の実験体など。怒り任せの暴挙を振るい続けなければ気が止まなかったのです。今の屋敷の主たる私は名前のみ、グメスの魔女を引き継いだままです」
「姉君はどのように亡くなられたので?」
 座りながら上体を動かしたリネスは庭を見た。
「あの崖から飛び降りました。このような生活を続けて心を病んでしまったのです。強力な魔女の異名を背負ったとて所詮は一人の女。恋一つせず、一所で抱いた憎悪に苦しみ続けるには無理がありますよ。……残された、当時十二歳の私への気遣いもお願いしたいのですがね」
 年齢差が妙に気になった。
「姉君とは何歳差で?」
「十三です。随分と離れてはいますが、姉が産まれた時両親は二十歳前後、私は遅くに出来ました。今は二十五歳ですので、一応は姉の歳を越えました」
 十三年、この生活を続けている事にミゼルは感服した。
「急須の件ですが、一人が嫌で荒れた時期がありましてね。感情に任せて魔力を放ち続けた際、家具と食器のいくつかを修復出来ないように壊してしまいました。その時偶然飛ばした魔力に、修復機能を壊す術が混ざっていたのです」
 話終えるとリネスは窓際へ向かった。
「これがグメスの魔女の真実。愚かで虚しいだけの女達の有様です。国に報告でも貴方が殺めるでも、どちらでも構いませんが、殺めるのでしたら楽にお願いします。静かで平凡な、長い地獄の締めぐらいは一瞬でありたいものです」

 言葉がなくとも、疲れ切った薄い笑みが本心の表れと窺える。

「やれやれ、訊きたいこと聞きに来ただけで殺しを要望とは。残念だが答える気は無いよ。なぜなら、誰にも踏み入れられない地とリネス殿とは相性が良いと判断したからだ」
 思わぬ発言にリネスは困惑が表情に出る。
「はい?」
 静かだが素っ頓狂な声が漏れてしまった。
「リネス殿を殺めるのも、考え無しに向こうへ情報開示するのも私の流儀に反する。いつか、時が来たらこのことは話すとして、これからも来訪を許して頂きたい。出来る事なら、定期的に住まわせてもらうと幸いなのだが」
 次第に顔と身体が熱くなるのリネスは、恥ずかしさのあまりミゼルから離れるように歩く。
「な、何を!? 一人暮らしの女の家へ泊まると要望するは、どういう無礼ですか」
「無礼も無礼。躾などありはしない。仕方ないだろ、私はここも貴女も気に入ってしまったのだ。恋仲……というのは違う気もするが、この雰囲気や気持ちの名称は其方そなたに任せるよ」
 さらに恥ずかしさから、誰が見ても分かる程にリネスは赤面する。
「そ、其方って!? なんという強引な御方! 何より、好意の感情を相手任せというのはどういう了見ですか!」
 少し、ミゼルは寂しい表情を表わす。
「……それは残念。……難しいですな、どうもこういったことは上手くいかない」
 どこか寂しげな印象が滲む笑顔を向けられ、リネスの感情は、もう訳が分からない状態であった。
「な、何も、来るなとは言っておりません。ただ、力任せに私に迫ってきた時はただじゃおきません。それを留意してくださるのでしたらいつでもお待ちしております」
「そうか。では次は明後日にしよう。すぐに手土産を用意しなければならないのでね」
「あ、明後日ですね。分かりました。次こそはきちんとしたもてなしを出来るようにしておきますので」
 すでに主旨は忘れられているが、帰って行くミゼルを、リネスは玄関から小さくなるまで見送った。


「ねえミゼル、楽しんでなかった?」ラドーリオが訊く。
「ああ、中々に愉快な淑女であったよ。これからももっと話がしたくなる」
「向こうは完全に意識してるように見えたけど……、実はミゼルも好きなんじゃないの?」
 しばらく遠くを見て考える。
「……そうかもしれないな」
「え? 意外と素直」
「私はいつでも素直で純粋だよ」
 悩ましい表情をラドーリオは浮かべた。

 拠点へ戻った時、重要な話を聞きそびれ、ジェイクに指摘されたのは言うまでもない。
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