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第16話.切り札の獲得
しおりを挟む急いた気持ちになりながら、私は残りの階段を降りきった。
押戸を開くと、驚くほどの光量が一気に目に飛び込んでくる。目の裏が痛くなり、ぎゅっと目をつぶってから、おずおずと開いていく。
「ここが魔道具店『ベニー』……」
きょろきょろと店内を見回す。
明かりに照らし出された店内はそれなりに広い。地下にこれだけの空間を作り出せたのは、きっと魔法によるものだろう。
いくつもの商品棚の上に、見たこともないような魔法道具が所狭しと並んでいる。
(わぁ、なにこの魔法道具。宮殿でも見たことない……)
そのとき、目移りしそうになる私の意識を叩くようにして、横合いから声がかけられた。
「――いらっしゃい」
水晶のような形をした魔法道具に伸ばしていた手が、ぎこちなく止まる。
私は硬直した身体をなんとか動かして、ぺこりと頭を下げた。
「……こ、こんにちは」
どうにか挨拶らしい返事ができた自分を褒めたい。
(こ、怖い!)
先ほどまで無人だったはずのカウンター……そこに、背の低い人物がいつの間にか座っていたのだ。
頭からフードを被っていて、顔はよく見えない。意外と声が高かったが、男性か女性かも判別できなかった。認識阻害の魔法でも使っているのかもしれない。
こほん、と咳払いをする。私自身のことにも触れられたら困るのだから、店員に対しても詮索は不要だ。
ここは、魔法道具店『ベニー』。魔法道具を取り扱う店ならいくらでもあるが、この店の大きな特徴は、顧客の素性を確かめないということと、魔法道具に所有者の名を刻まないということである。
魔法も魔法道具も、暴力や犯罪に悪用することは帝国の法律で禁じられている。そのためすべての魔法道具には、所有者の名前を刻むことが義務づけられ、これに違反した場合は販売者と所有者どちらも厳罰に処される。
ただし抜け道はあるのだ。『ベニー』はそのひとつである。
ここは表社会に顔を出せないならず者やはみだし者、あるいは私のように、魔法道具を手に入れたことを誰にも知られたくない人物が、商品を求めてくる場所だ。『ベニー』で買った野良魔法道具は、足がつかない。ただし、法外な値段を要求されることにはなるが――。
(これよ、移動用の魔法札!)
私は棚の中に、目当ての魔法道具を発見して顔を輝かせた。
大いなる古代魔法が使えるというのが、どれほど特殊で特別な能力かは身に染みて理解できている。しかしそれゆえにというべきか、私には大きな弱点があった。
――それは、現代魔法の一切が使えないということ。
子どもでも使えるような、炎を出したり、水を出したりといった簡単な魔法さえ、私には使うことができない。
使えるのはスクロールに刻む魔法、ただそれだけだ。即ち、いざというときに魔法を発動させて身を守ることもできない。なんせスクロールには、周囲一帯の地形をごっそりと変えてしまうような超極大魔法しか刻めないからである。
何かの拍子にノヴァに追い詰められた際に、以前のように大人しく捕まるわけにはいかない。非常事態のときのために、身を守る術はいくらあっても足りないのだ。
だからといって、攻撃手段がいくらかあってもノヴァに敵うはずもない。あの男は魔力がないが、魔法札を使うこともあるし、剣術の腕前はマスターランクなのだ。
そこで私は、移動用の魔法札をいくらかゲットしておくことにした。スクロールと同じく使い捨ての魔法道具だが、これがあれば、半径三キロ以内の空間に瞬時に移動ができるのだ。逃亡の際に役に立つ。魔法道具は誰にでも発動できるので、私にも使えるということだ。
「魔法札はおいくらですか?」
「移動用の魔法札は貴重だ。一枚につき金貨五枚」
ぐ、と唇を引き結ぶ。やはり、かなり値が張る。
私は金勘定をしたことがないので、事前にマヤに聞いていた。それによると金貨一枚もあれば、一般的な帝国民であれば三月は優に遊んでくらせるという。
私の金庫は皇族らしくそれなりに潤っている。だが、予算は服飾品や化粧品のために編まれているので、持ち出すことはできなかった。やったとしてもすぐにバレていただろう。
そこで私は、首や耳、腕や足など、至るところにこっそりとつけてきたアクセサリーを次々と外し、カウンターの上においていく。
帽子の中にも、実はいくつか隠してきている。なるべく金になりそうなものを厳選して選んできた。なくなっても侍女たちに悟られないだろうという程度の量だけれど。
「こちらの装身具で、いかがでしょうか。買えるだけ魔法札がほしいのです」
フードの店員が、ひとつずつアクセサリーを手に取り、鑑定を行う。
わけありの客が多いだろうから、現金以外で支払いを申し出る客には慣れているのだろう。私はしばらく棚を眺めて、ときを待つ。
「全部合わせて、魔法札三枚と交換だ」
――三枚。
心許ない枚数だ。でも、一枚もないよりはずっと良い。
「それでお願いします!」
私はアクセサリーをすべて店員に預けて、移動用の魔法札三枚を受け取った。
次の瞬間だった。
魔法札を手にしたまま、私はぽつんと廃墟の前に立っていた。
肩に風を感じる。驚いて周りを見ると、そこは崩れかけた家屋の目の前だった。
それこそ幻影の魔法でも喰らっていたかのようだ。けれど確かに、手には魔法札がある。小さな切り札だけれど、これがあるとないとでは、今後の気のもちように大きな影響がある。
「……やったわ」
達成感がじんわりと全身に広がる。
演技はあっけなくノヴァに見破られ、「大嫌い」だと本音で伝えてしまった。あの瞬間、何もかも終わったように思っていたけれど、そうじゃなかった。
私は戦える。回帰前とは違うのだ。
むずむずと喜びがわき上がってきて、口元に緩い笑みが浮かぶ。私は大事な魔法札を帽子の中に隠すと、意気揚々と歩き出した。
(用事は済んだし、早くマヤのところに戻らないと!)
るんたらるん、とスキップを踏みたいくらいの気持ちになりながら、元来た道を戻ろうとする。
その直後である。
「きゃあっ!?」
右足が何かに引っ掛かって、私はなすすべなくすっ転んでいた。
小石のちらばる地面に、勢いよく倒れる。
(……い、痛い)
痛みを覚えても、供の居ない私には、助け起こしてくれる人も居ない。
震える身体を叱咤して起き上がる。まずは怪我の具合を確認した。
なんとか顔は庇えたが、両手もすりむいてしまったし、抱えた膝にも擦り傷ができていて、みるみるうちに血がにじんでいく。
なんとか声を上げるのは堪えたけれど、私の瞳にはじわじわと涙の膜が盛り上がる。傷の痛みというよりも、上々だった気分に水を差されたようで辛かった。
「いったい誰よ! こんなところに荷物をおいたのは――」
文句を言おうと声を張り上げたところで、遅れて気がついた。
振り返った先に、人が転がっていた。
年齢は十六歳くらいだろうか。華奢な体つきだが、ラフなシャツとズボンを着ているので、格好からして男の子だと思われる。
小麦よりもふんわりとした金色の巻き毛は、羊のそれのよう。淡い緑色の瞳は、気怠そうに細められている。
日の光を知らないように白い肌は瑞々しく、傷やできもののひとつもない。
(この人、きれい……)
――そうして地面に転がる美しい少年は、息を呑む私に向かってぽつりと呟いたのだ。
「……うるさい」
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