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第二章 始動

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 皇太子妃殿下が、お目覚めになられた。

 その知らせを聞いた時、アンナは残念に思うと同時に嬉しくも思ったものだ。これでまた、彼女をとことん虐めてやることが出来る。

 伯爵令嬢という身分で、幸運にも皇太子に見初められた女。ちっぽけで、痩せっぽちの少女を目にした時、こんな女が皇太子妃になれたのならば自分だって……と思ってしまった。子爵令嬢であるアンナの方が、エカチェリーナよりも身分は下であるが、それを忘れてしまいそうなほど、彼女はオドオドと自信なさげであった。

 頼りなく眉を下げ、オロオロと瞳を彷徨わせる少女のなんと情けないことか。とても皇太子妃としての器だと思えない。

 婚約者筆頭であったエヴァの方が、自信に溢れ、堂々としている。体付きも肉付きが良く、豊満だ。エカチェリーナのような華奢な体で、皇太子は満足出来るのだろうか?思わず、そんな嘲笑が浮かんでしまう。アンナは初めて会った時から、エカチェリーナを自分よりも格下に見ていた。

 オドオドとした態度。自信なさそうに丸まった肩。下を向いてばかりの顔。覇気のない小さな声。皇妃にビクビクと怯える横顔。そのどれもが、アンナをイラつかせる。

 皇太子の背中に隠れてばかりの、何も出来ないつまらない女。何故、皇太子はあのような女を選んだのだろう。自分だって、彼に憧れていたのに。皇太子妃になるはずだったエヴァは素晴らしい女性であるし、自分は所詮子爵だからと諦めていた。それを、ぽっと出の冴えない伯爵家の女が、皇太子妃として見初められるだなんて……!

 その上、自分はエカチェリーナの専属侍女として選ばれてしまったのだ。あのような価値のない女に、頭を下げ続けなければならないだなんて、冗談じゃない。

 俯いてばかりの顔が、儚く美しく見えるのも、アンナは許せなかった。嫌味のようにスベスベな白い肌。それに比べてアンナの肌は、カサつき、そばかすが散っている。ぷるんとした蕾のような唇。アンナの唇は、薄く固い。宝石のようなアメジストの瞳。アンナの瞳は平凡な茶色だ。

 アンナにはない美しさを持っていても、自信なさげに俯くエカチェリーナが、憎たらしい。毎朝のお茶に虫を入れてやっても、その美しい顔は崩れないのだから……泣きそうな顔すら、儚く可憐だなんて、何て憎たらしいのだろう!

 本来ならば、エカチェリーナの方が身分が上のため、アンナがこのような気持ちを抱くことすら烏滸がましい。だが、エカチェリーナの弱々しい態度が、彼女を助長させた。彼女は、エカチェリーナよりも自分の方が上だと意識的に思ってしまったのだ。

 そう思うと、エカチェリーナへの嫌悪はもう止められない。

 何故、自分より劣った女が皇太子妃なのだ。何故、自分はこんな女の世話をしなければならない。何故、自分はこの女に呼び捨てられ、こき使われているのだ。何故、何故、何故。狡い……。

 次第に、嫉妬心は膨らみ、アンナはエカチェリーナに辛く当たった。たかが侍女であるアンナごときに、怯えて傷付くエカチェリーナの姿が滑稽だった。憧れの皇太子に守られるエカチェリーナが、憎たらしくて……。皇帝にまで、目をかけられているエカチェリーナを見てしまったら……思わず、階段から落ちた彼女の声を無視してしまった。

 ーーだって、狡い。美しい殿下だけでなく、雄々しい陛下まで誑かすだなんて……。

 自分の方が、胸だって出てる。肉付きも良い。いつだって、心の準備は出来ているというのに、殿下も陛下もお遊びで自分に手を出しては下さらない。

 城に上がれば、例え妃にはなれなくとも、愛人枠を狙えると少し期待していたのに。

 エカチェリーナが階段から落ちた事で、アンナに怒りを見せたイヴァンの顔が思い浮かぶ。

 氷のように冷たい新緑の瞳。あの目に睨まれて、アンナはゾッとしたと同時に、何て美しいのかと見惚れた。鋭利なナイフのように鋭い声すら、恐ろしいどころか、アンナの鼓膜を誘惑するかのように震わせる。結局のことろ、自分はとことん美しい男が好きなのだ。頭の隅で呆れるも、脳髄が溶けてしまったかのように、ぼんやりと皇太子の顔ばかり浮かぶ。

 磨いたばかりの鏡に映る自分の顔に、アンナは自嘲した。そばかすの散った白い頬が、桃色に色付き、茶色い瞳は濡れて潤んでいる。まるで恋する乙女のような……。我ながら、何て滑稽な。この想いは恋と呼ぶ程、甘いものでは無い。自分が出会った中で、最も美しい男へ向ける執着。身分が下である自分が、皇太子を手に入れられたなら、という夢見がちな妄想をして……抜け出せなくなった泥沼のような執着だ。

 アンナは薄い唇を噛み締めて、やがて歪につり上げた。


 
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