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第二章 始動
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しおりを挟む私は、誰?
エカチェリーナは、まろい線を描く手の平をぼうっと眺めた。遠い記憶にある象牙色をした手よりも、ずっと白くて小さな手。
幼い頃に火傷をして残っていた傷跡が、綺麗さっぱりと消えている。……いや、まさか。火傷なんてするわけない。だって、伯爵令嬢は部屋でのんびりと編み物や刺繍をするのが趣味だもの。怪我をするにしても、せいぜい針で指を刺してしまうことくらい。
髪の毛の色が、眩しいくらいの金色だ。……どうして?生まれつきこうだったじゃない。それなのに、黒い髪がぼんやりと頭に浮かぶ。
瞳の色は?確かにアメジストの瞳だった?どうして、黒くないの。どうして?私は、こんなに華奢じゃなかった。手も足も、頼りないほど細くて小さい。私は……!
「いや……!」
エカチェリーナは、ギュッと目を閉じた。頭の中で、自分では無い何者かが喚いている。やめて。自分は確かに、生まれた時から金髪で、瞳の色は紫だった。手に残った火傷跡なんて知らない。誰のこと?わたくしじゃない。知らない。
ゴウっと、まるで濁流のように、黒髪の少女の映像が流れて来る。エカチェリーナの意志とは関係なく、全てを覆い尽くしてしまうかのように、それは波となって彼女を襲った。
荒波のような映像の中で、薄い黒髪の赤ん坊が女に抱かれている。
これは、記憶だ。日本という国で生まれた、黒髪の少女の記憶ーー。
黒い髪に黒い瞳、象牙色の肌を持ち、スラリとした背が自慢だった少女。平凡な家庭で育った彼女は、エカチェリーナと真反対の性格で、気が強く、学校という施設でカースト上位に君臨する狡猾さを持っていた。
リーダーシップがあった彼女は、いつも女友達を両脇に従えて、真ん中を堂々と歩いていた。胸を張って歩く姿は、エカチェリーナと違って自信に溢れている。
やがて芸能界に入り、女優としての道を歩み始めた彼女は、挫折すること無く、大女優として名を馳せ始めた。凛とした彼女は、大河ドラマの姫君役に抜擢されることが多く、姫君を演じる少女の様子は、エカチェリーナよりもよっぽど威厳があり、高貴な皇太子妃に相応しいように見えた。
いつの間にか、両手で頭を抱え込むように蹲っていたエカチェリーナは、そっと顔を上げた。
黒髪の少女は、車という乗り物に轢かれて、その生涯を終えたらしい。エカチェリーナを呑み込まんとばかりに襲った莫大な記憶は、みるみるうちに萎んで消えていってしまった。頭の中で喚いていた少女の声も、もう聞こえない。それなのに、少女の烈火のような性分とその記憶が、まるで、エカチェリーナの中に溶け込んでしまったかのように、同化したのを確かに感じた。
ーーあれはきっと、わたくしだわ。
不思議と、エカチェリーナは真反対の性格の彼女が、自分なのだと確信した。あの記憶は、きっと……そう、前世の記憶なのだ。漠然とそう思った。
まるで夢物語のような話だというのに、馬鹿馬鹿しいとは思わない。だって、こんなにもハッキリと、黒髪の少女として生きた記憶が刻みついているんだもの!
フラリと立ち上がって、エカチェリーナは鏡を覗き込んだ。そこに映る自分の顔は、今までと違って見える。
勝ち気そうにつり上がった眉。おっとり垂れ目だけれど、意志の強さを感じさせる瞳。キュッと上がった口角に、唇も生意気そうにツンと上を向いている。青白かった頬は、血色が良く、薔薇色に染まっていた。
「まぁ……」
思わず口元に手を当てて驚く。
鏡の中の自分は、しゃんと背筋が伸びて、肩も開き、胸を張って立っていた。いつものような自信のなさなど、微塵も感じさせない。
その様は、まるで黒髪の少女とエカチェリーナが、同化して馴染んだかのよう。自我は完全にエカチェリーナだが、彼女は胸の奥から湧き上がる自信と高揚感に気付いていた。
前世の自分と、今世の自分が同化して一つになったのだと……そう思った。
すると途端に、嘆いてばかりだった過去の自分に、呆れと情けなさが込み上げてくる。ハッキリと意見も言えずに、侍女にまで舐められてしまうなんて。ありえない。アンナなど、元は伯爵令嬢であるエカチェリーナよりも身分が下なのだ。たかが子爵家の三女が、よくもまぁ調子に乗ってくれたものだ。
皇妃お気に入りの侍女であるアイーダこそ、エカチェリーナと同じ伯爵家出身であるが、今でこそ身分はエカチェリーナの方が上だ。何を遠慮する必要があった?
天然を装いながら、笑顔で毒を吐くエヴァにだって、もっと上手く立ち回ることが出来たのではないか?
苛烈なヴァルヴァラに、震えては心を傷付けていた日々。彼女は、子離れ出来ない毒親だ。あんな女に怖がって、目すら合わせられないだなんて、なんて意気地無しなエカチェリーナ!
いやらしいセルゲイのことだって、むしろその好意を利用してやるだけの狡猾さを持って、対応すればよかった!イヴァンに対しても、夫婦なのだからもっと自分の気持ちをぶつけるべきだった!そうよ!……と拳を握って、彼女は力なくベッドに腰を下ろした。
「……どうして、今になって思い出すの」
こんなに強い気持ちを持てるなら。こんな強さが、自分の中にあったのだと気付けたのなら。
「守れたかも……しれないのに」
ぺたりとした平らな腹を撫でて、息を漏らす。温かいとばかり感じていた腹は、ひどく冷たい。もう、いないのだと嫌でも思い知らされる。
彼女の頬を、涙がポタリと滑り落ちた。
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