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第一章 異界からの姫君
第十五話
しおりを挟むその日の市の予定は、ザァブリオの弟……キティーリオとの顔合わせだった。部屋に戻って、着替えさせられた市は、水色のドレス姿で、髪の毛をアップに上げていた。結った髪を飾る百合の花が、清楚感を醸し出す。控え目なメイクは彼女の可憐な顔立ちを、いっそう品良く際立たせた。
「イチ様、キティーリオ王子が参りました」
ラビアが連れて来た王子は、桃色の可愛らしい色をした少年のような男だった。ふわふわと癖のある髪に、大きな丸い瞳。薄いピンク色をした肌は、ザァブリオのものと同じだ。子羊のような、小鹿のような外見の頼りない風貌は、男色家が好みそうである。戦国の世では、ごつくて髭の生えた武将ばかり見ていた市にとって、彼のような可愛い系の男は初めてであった。
「ブロリンド王国の第二王子、キティーリオ・フォイ・ブローリーです。よろしくお願いします、姫君」
「市と申しまする。どうぞ、よしなに」
市の手を取って、彼はそっと唇を寄せる。キティーリオは軽く口付けると、害のなさそうな笑みを浮かべた。
「イチ様は、お美しいですね」
「そういう若君こそ、可愛らしくていらっしゃる」
「良く言われます」
自信満々に胸をはるキティーリオ。その様は、まるで小さな子供がやる仕草そのもので、何故かそれに違和感を感じない。彼は桃色のカールした髪の毛を揺らして、可愛らしく椅子に腰かけた。その際に、チョコンという効果音が聞こえたような気がして首を傾げる。気の所為か、キティーリオの背後に、色とりどりの花が咲いている。そして、キティーリオはハートを飛ばしながら、ぶりっ子スマイルで市を見つめた。
「今、若君から、よく分からぬモノが飛んできたような……!?」
「えー?何だろうねぇ?」
キティーリオが首を傾げれば、その愛らしさに、市の母性本能が刺激された。まるで赤子のような無垢な瞳から、キラキラ光線が発射される。
「ほんとに、若君は可愛らしいですね……」
「よく言われるぅ」
キティーリオの鼻が10センチほど高くなった。鼻高々に胸をはる彼の姿を、ラビアが後ろから冷めた目で見つめる。
「本日は、お茶菓子にクッキーを用意しています」
お皿に並べられたクッキーは、緑と桃色の一松模様だった。見た目は不気味だが、ここの料理は何でも美味しいのだ。きっとその、クッキーとやらも、美味しいに違いない。甘いもの好きな市の顔に、ワクワクとした笑みが浮かぶ。ラビアがティーカップに紅茶をそそいで、いい香りがしてきた時だった。何やらドドドド……!と、建物を揺るがすような音が近付いてくるではないか。
「な、何じゃ……っ!?」
バタン!という荒々しい音を立てて扉が開いた。そこには、暑苦しい熱気を纏った男……ザァブリオが仁王立ちで立っている。
「お、お兄様!?」
キティーリオは戸惑ったような顔をした。そんな弟を見つけて、ザァブリオは白い歯をキランと光らせる。
「やぁ、我が弟よ!今すぐオレと一緒に来い!」
「どういうことぉ!?」
困惑したキティーリオの前に、ラビアが立ちはだかる。
「いきなり現れて、無礼な!イチ様の御前であるぞ!」
ラビアにとって、敵国の王子……しかも、無礼な行動をしたのだ。この場でザァブリオを敬う必要は無いと、判断した。そんな彼女に、ザァブリオはウインクを返す。
「おっと、すまない!興奮していてね。ほら、そんな怖い顔をするんじゃない。可愛い顔が台無しだぞ?」
ラビアの背中に、ぞぞーっと悪寒が走る。ザァブリオはくるっと体を回転させると、市に笑顔を向けた。
「エッチ姫!すまないね!ちょっと弟を貰って行くよ!」
「構いませぬが……。私の名前は市です!い・ち!」
「おっと……すまないね!イッチィだね!失敬、失敬!」
まだ、発音がおかしいような気がするが。市が咎める間もなく、ザァブリオはキティーリオを担いで行ってしまった。
「ちょっと、お兄様!僕はまだイチ様といたいのー!」
「ハッハッハ!クーミンに、お前のことを紹介したいのだ!許せ!」
「お兄様のばかぁあ!」
ドドドドという音が遠ざかり、暑苦しい気配はなくなった。嵐が過ぎ去り、部屋の中に埃が舞う。ザァブリオの言っていたクーミンとは、もしかして、久実のことだろうか。ラビアはーーご愁傷さまです、と久実のことを気の毒に思った。
さて、顔合わせがなくなったのなら、ヒマになる。市は、思いがけず訪れた自由な時間に、のびーっと両手を上げた。正直な話、顔合わせなどどうでもいい。毎日違う男と顔を合わせなければならないなんて、息が詰まるというものだ。これからどうしようかと、何気なく窓の方を見る。すると、銀色のツンツン頭が、窓の外にちらりと見えた。思わず、反応しそうになったのを堪えて、市はラビアに声を掛ける。
「らび、暫く一人でのんびりとしていたい」
「かしこまりました。何かあれば、お呼び下さいませ」
素直に下がったラビア。扉の閉まる音を確認して、市はそっと窓を開けた。やはり、気の所為ではなかったらしい。そこには、晧月が忍者のように、壁に張り付いていた。
「やぁ」
水色のチャイナ服には、珍しく花柄が刺繍されている。彼は堂々と部屋に侵入すると、大きな瞳に市の姿を映した。彼と目が合う前に、ぱっと視線を逸らした市の瞳は、右へ左へと泳ぎ出す。
「……今日は、どうされたのです?」
「君に会いたかったから来たんだ」
晧月は、あくまでいつも通りに笑みを浮かべた。エイサフにキスをされたのかと、市本人に聞くつもりは無い。無理に思い出させて、傷付けてしまうのは嫌だった。彼にしては珍しく、相手を思いやる気持ちが芽生えていた。
市は晧月の顔を見れなかった。何故だか、目を合わせられない。どうしてか、エイサフに唇を奪われてしまったことで、彼にふしだらと思われたらどうしようと考えてしまう。許嫁でも何でもない人に唇を、犯されてしまったのだ。市は、晧月に知られてしまうのが怖かった。
「俺の天使、こっちを見て」
晧月は壊れ物を扱うかのように、優しく市の両頬を包んだ。市の揺らめく瞳に、晧月の眩い銀色が映り込む。すだれのような睫毛が縁取った、月光のような色彩は、市のことを見守るかのような慈愛に満ち溢れていた。
「大切な、俺の翼。そんなに不安そうな顔をしないでよ」
サラリとした銀髪が肌に触れたかと思えば、市の額にこつんと彼の額が当てられた。暖かい温度は、市の冷えた肌をじんわりと暖める。
「大丈夫。もし、この先……君に害を成す者が現れたとしても、俺が守る。何も不安に思わなくていい。俺が、君の傍に居る」
薄い桜色の唇に笑みをのせて、彼は目を閉じた。まるで扇のように生えた睫毛が、白い頬に影を落とす。市は、胸の奥が切なく締め付けられた。何とも言えない想いが、まるで蓋が壊れてしまったかのように、溢れ出す。
「もし……もしですよ?もし、とある姫が……許嫁でもなんでもない男と口付けたら。若君は、その姫のことを、どう思いまするか?」
「それは、姫が望んでしたこと?」
「いいえ!そのようなことは、ありませぬ!」
「なら、俺は気にしない。だって、上書きすればいいじゃん。もし俺が、その姫を好きな一人の男だとしたら……そのクソッタレの口付けを忘れてしまうほど、俺のキスで満たしてやるけど」
白い歯を見せて笑う晧月に、市の頬が赤く染まった。
「そ、そうでございまするか……」
消え入るような彼女の声音に、晧月は「うん」と頷く。先程よりも晴れた彼女の顔を見て、彼はその体を軽々と抱き上げた。
「な、何を……!」
驚く市を姫抱きにして、晧月はいつかのように窓枠に手をかける。そして、銀色の髪をふわりと靡かせて、言った。
「デートしよう」
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