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婚姻

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婚姻の儀が行われる当日。

参加者はフィオラの両親と内密に来た陛下とその家来のみ。陛下を呼ぶ気は微塵もなかったのだが、どうやら陛下は来る気が満々だったらしい。もしこれで陛下がフィオラに惚れてしまったらたまったものではない。まぁだからといって手放す気はないのだが。

儀式は予定通りの必要最低限のものとなった。
彼女との仲が深まってから、婚姻の儀はフィオラの希望通りにするべきではという少しばかりの良心と、一刻も早く彼女と公式の関係になりたいという身勝手さが何度も俺の中で争っていた。
しかしフィオラはそんな事気にもとめず、まるで俺の心の内を見透かしたかのように儀式はこのままでいいと言った。
大事なのはお互いを思う心なのだと。
そういう彼女の表情は、今までのなんの感情も持たない笑顔とは違い少しばかり喜びの色が見えた。
…本人がその事に気づいているかは分からないが。


真っ白な燕尾服に着て、教会の入口で彼女を待つ。
このような儀式はただのお遊戯としか見てなかったが、今はフィオラと夫婦になれる喜びで心が満たされていた。

──まさか自分が白い服を着ることになるとは。

黒い服は汚れや返り血を隠すのに都合が良いため、生まれた時から黒い服を身にまとっていた。
今までは色のこだわりや好みはなかったが、今ならば好きな色は深いエメラルドグリーンと言うだろう。
フィオラの穏やかな瞳の色。
彼女の笑顔は俺の荒んだ心を癒した。今は彼女のことしか考えられず、彼女から目が離せない。

「お待たせ致しました。」

声のした方を向いた俺は、目の前にいる女神のような美しさの彼女に思わず硬直してしまった。
真っ白なウエディングドレスに身を包んだ彼女はこの世のものとは思えないほど純美な姿になっていた。

「レイバン様?」

不思議そうな、けれど穏やかな表情で俺の顔を覗き込んでくる彼女はなんて愛らしいのだろうか。
俺は込み上げてくるものをぐっと抑え、努めて冷静に彼女と腕を組んだ。

「よく似合っている。」

「ありがとうございます。レイバン様も、とても良くお似合いですわ。」

彼女の賛辞からは他の薄汚い人間のような媚びを売る醜さも欲も感じないため、とても聞き心地がよい。

教会の中に登場すると、その数少ない参加者達が皆ため息を零す声が嫌でも耳に入ってきた。
大方フィオラに見惚れているのだろう。気に入らない。
彼女を見る者は俺だけでいい。



◇◆◇

儀式の最中、数少ない参加者達は皆レイバン様の美しさに見惚れている様だった。

必要最低限の儀式。公爵領の隅にある小さな教会で私達は晴れて夫婦となった。
他の女性の様に儀式に対する思いもなかったため、豪勢にやるよりはこのような質素な儀式の方が有難い。

儀式が終わると、私達はお忍びで参加していた国王陛下に挨拶をして公爵邸へと帰ることとなった。
両親は来ていたがアリスの姿はなかった。きっとまだあの時のことを根に持っているのだろう。
帰る前に両親に声をかけられたが、私が口を開くより先に公爵様が割って入った事で私達の間にはなんの会話もなかった。
彼らの瞳は、私に助けを乞う物乞いのようなものだった。まさかもう公爵家からの持参金を使い切ったのだろうか。それとも仕事をこなせなくなる程落ちぶれてしまったのだろうか。

「フィオラは公爵夫人だ。親であろうとも気安く話しかけるのはやめて頂こう。もし彼女や俺の気分を害することがあれば容赦なく始末する。」

レイバン様が肌がビリビリするような殺気を放ちつつ牽制したことにより、彼らの真意は分からぬまま。けれどもうどうだって良かった。
私には関係の無い話だ。

レイバン様といれば、彼らが与えてくれなかったあたたかさを享受することができる。

──きっとこれが、幸せ。

周りの人達の話を聞いて、私は自分が感じるこのあたたかさが幸せであることを理解した。
愛も似たような感情らしいが、まだいまいち区別がつかない。けれどレイバン様を特別想う心は愛なのではないかと思う。










…朝。
やけに重たい瞼を開けると、視界には見慣れた白銀色の髪と、金色の瞳を妖艶に歪めるレイバン様の姿が入ってきた。

「おはようフィオラ。」

「ン…おはようございます、レイバン様。」

寝起きのぼんやりとした頭と唇の感触でキスされたことはわかった。どうやら同じベッドに横になっているらしい。しかも2人とも裸で。

私は朝が弱いわけではないのだが、どうしてこんなにもだるいのだろうか。
意識が明瞭になるにつれ、全身の筋肉という筋肉が悲鳴をあげ、下腹部に違和感を覚える。

──嗚呼、初夜か。

段々とハッキリしてきた意識によって、昨日の記憶が思い起こされた。
私は今まで婚約の予定がなかったため、夜伽に関する教育は大まかにしか受けていなかった。つまり経験どころか知識すら無いに等しいのだ。
そのことをレイバン様に伝えると、彼の表情こそ変化はないもののその瞳は喜びと安堵に満ちていた。
どうやら彼も夜伽の経験はないらしいが、私よりは知識があるため身を委ねて欲しいと言われた。
勿論私に断る理由はなく、正直新たな経験をする好奇心もあったのかもしれない。

公爵邸に来てから、私は新しいことに対する好奇心が旺盛だということを知った。確かに幼少の頃から知見を広げることは好ましいと思っていたが、この感情が好奇心なのだと知ったのは割と最近だ。

──公爵家に来てからは発見ばかりだわ。

そして初夜もレイバン様に任せたのだが…。
男性の体の構造も夜伽の教育の時に少しだけ教わっていた。男性は性的興奮を覚えると、下半身の一部分が膨張するのだと。そしてそれが女性の下半身に挿入されることで子供が授かるのだと。

なぜわざわざ膨張させたものを女性の体に入れる必要があるのか?

レイバン様のを見た時、私はその疑問を抱かずには居られなかった。
視界が潤んでいてハッキリとは視認出来なかったが、それの大きさは私を壊す凶器にしか見えなかったから。

生まれて初めて恐怖という感情を感じた。
死ぬことは惜しくないが、生憎痛みは好まない。
彼のそれは私のお腹を裂こうとしていた。
声にならない悲鳴をあげる私をよそに、レイバン様はずんずんと腹部への圧迫感を強めていく。
あの時の痛みを忘れることは出来ないだろう。私が絶望という感情を知ったのも、自分の腹部が彼のもので満たされている時、彼のそれがまだ半分近く残っていることを知ってしまったからだ。

彼のそれが全て私の中に収まってからは、苦痛と快楽にただひたすら溺れ続けた。まさに狼のように私の体を貪る彼を止める術はなく、私は自分の中に何度も吐き出される彼の熱を受け止めることしか出来なかった。



「昨日は無理をさせてすまない。」

目の前にいる彼は少しだけ眉を下げて私の髪を一房すくい上げる。他の人からしたら無表情なままに見えるかもしれないが、この短い付き合いでも大分彼の表情が見極められるようになった。レイバン様は意外と表情豊かなお方だ。きっと元々は素直で笑顔の絶えないいい子だったのだろう。もっとも、彼の身に何があったのかを聞く気はないが。

「…私はどれだけ眠っていましたか?」

下腹部や全身の不快感がないため、体は綺麗にしてくれたのだろうか。体には私のベッドとは対照的な黒いシーツがかけられていた。そして気の所為かもしれないが、体の至る所が虫に刺されて赤くなっていた。歯型がついていたりもするが、それは昨日レイバン様に付けられたものだ。まさか本当に狼かなにかなのだろうか。

「大体1日くらいだな。」

そんなに眠っていたのか。ということは今は既に夜だ。彼はもしかしてずっとそばにいてくれたのだろうか。

「どんなフィオラも美しい…。」

「ふふっ。それは私のセリフですわ。」

笑うと全身に響いて痛い。一体どれくらいの間抱かれていたのだろうか。私の運動不足がたたったせいか、今日は動けそうにない。
私が動けないことを察してか、レイバン様はゆっくと私の上体を抱き起すと背中に枕を当ててくれた。
そしてベッド横に置かれたティーカップを私に差し出す。その動作はどれも優しく、彼の瞳は私が紅茶に口づけることを望んでいた。

──何か入っているのかしら。

今まで嗅いだことのない香りに違和感を覚えながら、私はティーカップの中身を何度かに分けてゆっくりと飲み干した。味は紅茶よりもだいぶ苦く、できれば飲みたくない味だった。

──子供を作るのは大変なことなのね。

温かい飲み物によってじわじわと体が温まっていくのを感じる。
レイバン様が性に関心のある方かはわからないが、この行為をする度にみっともない姿を晒すわけにはいかない。
運動をするべきだろうか。

「フィオラに今飲ませたものは避妊薬だ。俺も昨日のうちに飲んでいる。」

突然のレイバン様の言葉に、私は思わず彼の顔を凝視した。勿論笑顔のまま。
彼の瞳からは何の感情の色も見て取れない。

「…どうしてそんなことを?」

努めて穏やかな口調で聞いたが、こればかりは分からない。
やはり愛を知らない私のような女との子は嫌だったのだろうか。
今まで忘れていたはずの、どんよりとした重たい感情が腹の中に広がっていった。
しかしそれが表情に出る程私の笑顔は脆くはない。

レイバン様は私をベッドに組み敷くと、その端正な顔を文字通り目と鼻の先まで近づけてきた。
こんなにも他人の感情がわからなくて困惑するのは初めてだ。

「ん…ふぅ…。」

突然の接吻に呼吸をする間はなく苦しさから生理的な涙が零れ落ちる。
昨日の感覚が呼び覚まされ、何故か下腹部が疼いてしまう。
暫くしてレイバン様との距離が離れると、私の肺には大量の空気が流れ込んできた。
視界が潤んでいて彼の表情はよく見えないが、きっと昨日の夜と同じ表情をしているのだろう。
恍惚と愛情と切なさにまみれた甘い顔。

「フィオラが、俺以外の誰かと親密になることは許せない。」

何の話だろうか。
レイバン様は溜息をつくと、私の体を優しく、けれど絶対に離さない意思を感じさせる力強さで抱きしめた。
彼のあたたかさに包まれて私の心も満たされる。この件にはこれ以上触れないほうが良いのだろうか。

「フィオラの瞳には俺だけが映っていればいれば良い。」

彼の言わんとすることがわからない。
私が顔を上げると彼の愛おしそうな、けれど暗い色を宿した瞳と目が合った。
何故だか冷たい汗が背筋を伝う。どうして私は彼に恐怖を感じているのだろうか。

「俺とフィオラの子供であろうとも、俺達を引き裂こうとするものは始末する。」

──…嗚呼、彼は子供に嫉妬しているのか。

いつかに読んだ小説にも、嫉妬と独占欲と支配欲の強い男性が出てきた。彼はヒロインを独り占めしたいがために誘拐して自分の屋敷に監禁した。ヒロインは彼のことを自分勝手な男だと批判していたが、最終的には彼のことを‘‘愛の重い男‘‘として受け入れていた。

──レイバン様に似ている。

「私はあなただけのものですわ。」

私は彼の頬に手を添えて、にっこりと微笑んだ。
彼の表情こそ変わりはないものの、私を抱きしめる腕には更に力が込められる。
全身が痛むが、不思議と悪い気はしない。逆に幸せを感じる程だ。
愛を与えられてこなかった私にとって、私だけを愛してくれる彼の重い愛は寧ろ喜ばしがった。

「死んでも一緒にいよう。」

レイバン様なら本当に一緒にいてくれそうだ。
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