愛してしまって、ごめんなさい

oro

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8 彼 視点

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最初はどれだけ鬱陶しい存在でも、暫く経つと彼女の存在は頭の隅からも消えてしまった。
そして彼女を見なくなってしばらく経つ。
私専属の執事によると、彼女は健気にもまだ生きているらしい。
滑稽だ。
この時の私が彼女に対して抱く感情は様々だった。
自分でも一貫性がないことを可笑しく思う。
老いた執事はそんな私を見て困ったような表情をするものの、何も言わずに私の仕事を手伝ってくれる。
本来ならば妻の仕事である領地や屋敷の管理も、今は執事に任せている。
多忙で申し訳ない。悪いのは彼女なのだ。
しかし最近は領地の復興や屋敷の管理の仕事も滞りなく進んでいるのか、私の仕事を手伝う時間が増えた。
きっと軌道に乗ったのだろう。
私の仕事が一段落着くと、執事が夕食を摂るように勧めてきたので食堂へと移動した。
無駄に広い食堂の上座に座り、運ばれてくる料理を口にする。
本来ならば傍に居るはずの妻の姿はない。
いや、必要ないと言った方が良いか。
私が無言で食べていると、傍に控える執事が突然声をかけてきた。

「奥様は、旦那様が思う程酷いお方ではありません。もっと奥様を気にかけて下さいませんか。」

何を馬鹿なことを。
…嗚呼、まさか。この執事も彼女に誑かされてしまったのか。
先代から仕えてくれている執事はそんな人間では無いと、自分が一番よく分かっている。
分かっているのに、夫である私よりも彼女を知ったようなその口ぶりに苛立ちが募った。
そしてその感情のままに、私は言葉を口にする。

「あの女は書類上は私の妻なだけで、私が気にかける必要は無い。くどいぞ。」

自分でも酷い言葉だと思う。
しかしこの時の私はこれが正解だと思っていた。
執事は私の言葉に会釈をすると、謝罪をしてその場を後にする。
最近、あの執事はよく彼女を気にかけるようにと言うようになった。
何かが怪しい。
きっと誑かされたのだ。
だから私は間違っていない…筈だ。

それから暫くして、王命により彼女と夫婦揃って登城する機会があった。
馬車の前でわたしを待つ彼女の容姿は、心無しか以前よりも曇って見える。
何故だろうか。
そんな疑問を胸に彼女を見ていたが、彼女が私を見つめることは無かった。
もうあの自尊心が満たされる瞳を向けられることがない。
そう分かってしまい、彼女が私を愛していないのではないかという不安から思わず舌打ちが漏れる。
びくりと震える彼女の姿には、最早噂のような悪女の姿は微塵も残っていなかった。
自分がこうしてしまったのだと、心が少し痛む。
しかし私はその痛みに気付かぬ振りをして、俯く彼女を瞳に焼き付けるように見つめていた。
馬車の中でも、王宮に着いてさえ、彼女はマナー違反にならない程度に俯いて完璧な笑みを浮かべていた。
大国である隣国の国王が視察にやってきたというが、やはり彼女の美しさには少し劣る。
未だに内面の美しさが衰えない彼女は、国王や王妃もいるその場ですら私の視線を奪い、そして隣国の国王の好奇心をも奪った。
隣国の国王の頼みを彼女が断れるはずが無い。
そんなことは分かっているのに、私は彼女や隣国の国王に醜い嫉妬心を抱いた。

彼女にとって久しぶりの社交場は、やはり彼女のことを歓迎してはいなかった。
この数年、一切人前には出ていなかったのにも関わらず囁かれる新たな噂話。
もう私には、何が真実で何が嘘なのかが分からなくなっていた。
…もしかしたら私は、とんでもない過ちを犯してしまったのかもしれない。
目の前で私以外の男とファーストダンスを踊る彼女は、相変わらず感情の読めない完璧な笑みを浮かべている。
社交場に出ていなかったのは嘘であるかのように完璧なダンスを披露するカップルは、嫌でも周囲の目を引いた。
彼女から目をそらすことは出来ない。
本当ならその小さな手を取っているのは自分なのだと、叫び出したくなる。
私がそんな激情を抱えていることを知ってか知らずか、隣の玉座に座る国王はため息をついて私に憐れみの目を向けた。

「私は言ったはずだ。もっとリリア嬢と言葉を交わせと。」

悪いのはお前だと暗に言われているようで、私は何も言えずに俯いた。
国王の隣に座る王妃は、扇子で口元を隠して厳しい目をこちらに向ける。

「彼女が社交場に姿を現さずとも、彼女を悪とする噂は後を絶たなかった。彼女はただ政略結婚の駒となっただけ。…ねぇ、一体彼女が何をしたというのかしら。何も知らない、何もしてない彼女は酷く傷ついたでしょうね。でもきっとあの方なら、彼女をそんな噂から守ってくれるでしょう。」

国王よりも遥かに冷たいその声に、私の背筋を冷たい汗が伝った。
あの噂は、全てがデマ。
つまり今まで私が彼女にしてきたことは、全て八つ当たり。
彼女は何も悪くない。
そう。私達はただの政略結婚で、私も最初は彼女の噂を嘘だと信じていた。
彼女の内面の美しさは今だって損なわれていない。
それなのになぜ、いつから…。
無実で無抵抗の女性を傷付けてしまったという罪は、思った以上に私の心に重くのしかかった。
激しい後悔と懺悔を心の中で繰り返す。
今からでもやり直せるだろうか。
このパーティーが終わり、彼女と共に屋敷に帰ったら。
新しい生活を始めることが出来るだろうか。

愚かで夢のような淡い期待。
しかしその期待は、私のせいでまたすぐに打ち砕かれた。

突然私の視界に映り込んできた彼女は、まるで人形のようにその場に崩れ落ちた。
夫である私よりも先に彼女を抱きとめたのは、隣国の国王。
彼女の腹部に深深と突き立てられているナイフが、いやに鮮明に見える。
ナイフを刺した男が、視界の隅で何やら狼狽えている。
「こんなはずではなかった。」と。
嗚呼、私だってこんなはずでは無かった。
これから屋敷に帰って、今までの事を誠心誠意謝罪して、そして彼女と共に新しい生活を…。

あまりの出来事に動けずにいる私に、他の男に抱かれている彼女は苦しげに呟いた。
酷く小さな声だったのに。久しぶりに聞いた私へと向けられた彼女の声はいやに耳に届いた。

「最期までお目汚しして申し訳ありません。」

彼女は途切れ途切れにそう言って、そして満足気な表情で瞼を閉じた。

…は?
どうして、どうしてそんなことを言うんだ。
私達は夫婦なのに、どうしてそんな…。

一瞬何を言われたか理解できなかった。しかし私の脳裏にフラッシュバックするのは、今までぞんざいな扱いをしてきた私の言動。
そして初夜の日、私は彼女に言ったのだ。
私の前に姿を現すな、と。

全て思い出した時、私はもうこの関係をやり直すことは不可能だと嫌でも理解した。
幸せな未来を、彼女の幸せを、壊したのは紛れもない私自身だ。

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