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第56話 心は錦…だけじゃなくて歌で満ちている!

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 私は用意された迎賓館の一室で目を覚ます。

「ねむ……」

 ほんの少しだけ仮眠を取れたが、やはりほとんど徹夜になってしまった。

 ナターリエを除いた楽団員の人達は、今も馬車の中で楽譜を書き写しているのだろう。

「まあ、分かってたことだけどね……」

 私は目をしっかりと覚ますために、両頬をパシッと叩いて気合を入れると柔らかい寝床に別れを告げる。

 手早く身支度を整えると、勢いよく部屋を飛び出して、そのままの足でグラジオスの部屋にまで向かう。

「おはよーごじゃいまーす!」

 いわゆる徹夜テンションで扉を豪快に開けると、

「起っきろ~っ!」

 寝ているグラジオスめがけてドレスがシワになるのも気にせずフライングボディプレスを敢行した。

「ぐおっ」

 柔らかいベッドが私の衝撃大半を吸収したようだが、眠っていて脱力状態にあったグラジオスのどてっぱらには十分な威力だった様で、グラジオスはお腹を抱えて身もだえる。

「おまっ……雲母か……なに……を……」

「雲母ちゃんの目覚ましだぞっ。嬉しい?」

 明日っていうか今日の会談に合わせて一人だけ寝ちゃったのがズルいな~なんて思ってないからね?

「重い……痛い……」

「もっぱーつ」

 私はグラジオスの上に乗っかった状態からジャンプし、もう一度フライングボディプレスをお見舞いした。

 乙女に対する禁句を言ったのだから当然の報いなのだ。

 ただ、今度はグラジオスの腹筋に力が入っていたため、大したダメージは与えられなかった。残念ながら。

「グラジオス。時間見て時間」

 私はグラジオスの上に乗っかりながら、布団越しにグラジオスの肩をぺしぺしと叩く。

「お前が邪魔で見えん」

「あっそ」

 私はもそもそとベッドの上から降りると、グラジオスの視線が時計まで届く位置にまで動いてやった。

「……くそっ」

 グラジオスが毒づいてベッドを抜け出す。

 時計は七時半を回っていた。

「会談は十時からだったでしょ」

「ああ」

 勢いよく服を脱ぎ捨てて着替え始めるグラジオスに背を向け、手持ち無沙汰に私はベッドメイクをする。

 私達が恥ずかしがったりしないのは、舞台の為に手早く着替える必要があり、その時はいちいち視線を気にしていたら成り立たないので慣れてしまったからだ。

「カシミールとの打ち合わせは朝だったよね」

「ああ。朝食後だったが……迎賓館前にカシミールの馬車が止まっていたら拙いな」

 迎賓館に部屋が用意されたのは、私達四人だけだ。カシミール及びその部下の役人たちは近くの高級宿を借りて宿泊している。

 帝国にとってはあくまでもメインは私達の歌を聴く事であり、会談は二の次であった。

 だからこそ、利益をもぎ取るためには詳細な作戦が必要だろう。

「頑張ってね」

「そんな事は当たり前だ」

「違うの」

 私が心配している事は、そんな事じゃない。

 王国であの扱いだったグラジオスが、帝国では破格の扱いを受けている。

 だがカシミールは、呼ばれてもいないのに無理やり押し掛けてきた。

 それが要らない不和を呼ぶかもしれない事を恐れているのだ。

「……私、やっぱり今日はグラジオスの傍に居ようかな」

 私が何を出来るというわけでもない。

 それでも傍に居れば、グラジオスが傷ついた時に手を取ってあげられればと思っただけ。

 痛みが少しでも和らぐかなって……。

「政治の話はくだらんぞ」

「それでも」

「…………」

 私の心配を、グラジオスは多分気付いている。

 それでどう思うのかは分からない。

 子どもが着いて来ようとする母親を鬱陶しく思うように、私の事をめんどくさく思っているだろうか。

 少し、沈黙が痛かった。

「本格的な会談が始まるまでなら好きにしろ」

「……ありがと」

 なんとなくだが、私はカシミールとルドルフさまの相性はかなり悪いのではないかと予想していた。

 ルドルフさまは本当に容赦のない方だ。カシミールは相当手ひどくやられてしまうのではないだろうか。

 そうすれば、悪意は最終的にグラジオスへと襲い掛かってしまう。

 私はそれを一番危惧していた。

「終わったぞ」

 一際大きい衣擦れの音と共に振り向いていいとの了承を得た私は、グラジオスの方を向く。

 グラジオスは紺と銀でを基調に作られた正装で身を包んでいるのだが……。

 アッカマン商会から提供された衣裳の方がよほどお金がかかっているのではないかと思うほど貧相な感じに見えた。

 心臓の位置につけた王家の紋章だけは燦然と光り輝いているため、服の出来の悪さが余計感じられてしまう。

 予算は出さない。つまりはこういう事なのだ。

 恐らくカシミールはこの服の百倍くらいお金のかかった服を着て来るのではないだろうか。

 あのヴォルフラム四世王ろうがいの馬鹿さ加減には頭が痛くなって来る。

「ねえグラジオス。やっぱりアッカマンさんの申し出を受けといた方が良かったんじゃない?」

 アッカマンは会談のための正装も用意してくれると言ってくれたのだ。それをグラジオスはわざわざ断っていた。

「……いや、俺は結構これを気に入っているんだ。国民がくれた税で編まれたこの服をな。どれだけみすぼらしくても俺はこれがいい。あの国を背負っていると感じられる」

「……みすぼらしいって自分でも思ってんじゃん」

 私の突っ込みに笑うグラジオスは、ちょっとだけかっこよかった。

 ぼろを纏えど心は錦、とは少し違うかな。

「仕方ないなぁ」

 私は愛用の髪留め――ピーターがくれた、蝶の形をした物だ――を外すと、グラジオスの傍まで行き、右肩に付いている装飾に髪留めをくっつける。

「よし」

「何がよしだ」

 見た目的にはちょっと間抜けかもしれないけど、ちょっとだけ豪華になったはずだ。

「落ちるぞ、こんなもの」

「落として壊したらピーター泣くだろうなぁ」

 実際にはしっかりくっ付いているから跳んだり跳ねたりしても落ちないだろうけど。

「私がそれを付けてたってのはルドルフさまも知ってらっしゃるから、かっこ悪いとかは思われないでしょ」

 この世界では分からないけど、美しく変わって羽ばたくその姿に意味を見出している文化圏は多い。

 でもひとつだけ確かな事は、グラジオスはそれを付けている間私を感じられるってこと。

 私はいつだってグラジオスの味方だから。

 ……たまによく喧嘩するけど。

「ほら急ぐっ。朝ご飯の時間が少なくなっちゃうじゃん」

「あ、ああ。ってもうカシミールが来ている時間のはずだが」

「関係なーし。朝ご飯はちょっとでもいいからきちんと食べる」

 私はグラジオスの背中を押して厨房へと向かい、パンと肉、それから野菜(普通貴族は野菜を食べないので変な顔をされたが)を貰って手早く朝食を済ませてから打ち合わせに向かったのだった。

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