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第42話 ダンテは詐欺師である

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 ――やはり、気づかれていた。

 はったりなのか、父親の顔を覚えていただけなのか、証拠があるのかは分からない。

 少なくともアンジェリカが読み上げた調査報告書の中に、ダンテがジュナスだという確定的な証拠は存在していなかった。

「死人? いったいなんのことでしょう。私は死んでおりませんし。ブラウン家はまだ取り潰されてはおりませんが」

 もしかしてを考え、身構えていたおかげか、ダンテは不自然なくとぼけてみせる。

 だがフェリドはそれを鼻で嗤いとばすと、不敵な笑みを浮かべた。

「さすが母親は違うな。何年経とうと一目で息子を見抜いたぞ」

「……私の血縁上の母は既に亡くなっております。ブラウン家における母上は、あいにく出ていかれてしまった様ですのでお会いしたことはございませんが」

 母親。

 ダンテを産んだ女性。

 エリザベート・フランソワ・アスター。

 顔もなにも覚えてはいないが、その名前はダンテも知っていた。

 そして、気が触れてしまい死んでしまった単語ということも。

 これがハッタリなのか、それとも本当にエリザベートがまだ生きているのかはまだ分からない。

 いずれにせよ、目の前にいる男がダンテの家族を骨の髄ずいまで利用しつくしていることは確かだった。

「まだあがくのか? 往生際の悪い」

「そう言われましても、見覚えのないことを受け入れることはできませんよ」

 今この時この場所でダンテがジュナスであると知られてしまうことに、なんの利も存在しない。

 ダンテは極力自分を偽った。

 そのおかげか、未だフェリドもダンテが本気でそう言っているのか計りかねているようだった。

「……母親がダメなら、ミシェーリを使うか」

「――っ」

 ミシェーリ。

 それはベアトリーチェの本名だ。

 今や、ダンテにとってなによりも大切な存在となってしまったベアトリーチェを出されては、さしものダンテも一瞬隙を見せてしまう。

 そして、フェリドにとってはその一瞬だけで十分だった。

「どうした、目つきが変わったぞ?」

 慌ててなんでもない振りをしても、もう遅かった。

 フェリドはニヤニヤと気色の悪いサディスティックな目線でダンテを舐めまわす。

「ずいぶんと仲が良かったそうだな」

 ダンテはベアトリーチェと接触する際、細心の注意を払っていた。

 基本的にはほとんどどこからも見ることのできない屋根の上の高台で会っていたし、そうでなくともアルがそれとなく見張ってくれていた。

 とはいえ完全ではなかったために、アンジェリカの乱入を許してしまったのだが。

「ミシェーリとは? あいにく私の知人にはおりませんね」

「ほう、ならばそ奴がどうなってもよいな」

 フェリドは人差し指でをスッと伸ばし、ダンテ――の背後に立つ衛兵たちを差す。

「お前たち、今日は娘をひとりくれてやる」

 兵たちが下卑た歓声をあげる。

 彼らがベアトリーチェをどのように扱うかは、想像するに難くない。

 自由も権利も、何もかもを奪われ、物以下の扱いを受ける。

 もしかしたら命すら奪われるかもしれない。

 褒美として下賜するとはそういう意味を持つのだ。

「好きに扱え。何をしてもかまわん。死んでもその男には関係ないそうだからな」

 これは挑発だ。

 絶対に反応してはならない。

 仮にも貴族の娘をそんな扱いできるはずがない。

 ダンテは必死に自分を説得し、鉄面皮を保つ。

 しかし――。

「ついでに母親もくれてやる。少しばかり古いが使え――」

「口が臭い。しゃべるな」

 もう我慢できなかった。

 家族揃って何もかもを踏みにじられ、利用され、無かったことにされてしまったというのに、更にこうして辱めようとするのだ。

 そんな奴に対して、ダンテは迎合するつもりも容赦するつもりも無かった。

 ダンテはゆらりと立ち上がると、フェリドへと視線を向ける。

「ははっ、やはりか。正体を現しおって」

「黙れ」

 ダンテは睨みつけたりはしない。

 凍り付くような目で、無感情な瞳でフェリドを見据えるだけだ。

 今、ダンテは決めた。

 目の前の男を必ず破滅させると。

 何よりも大切な存在のために、必ず。

「ど、どういうことですの、ダンテさま」

 具体的なことを何ひとつ口にしていないのだから、アンジェリカが事態についていけないのも仕方のないことだろう。

 突然雰囲気が変わったダンテに戸惑い、恐怖すら覚えている様だった。

「アンジェリカ、お前はその男に利用されていたのだ」

「黙れと言ったはずだ、伯爵」

「ハッ、爵位すら持たぬ死人ごときが命令か? 図に乗るな」

 現実は薄情である。

 いくら正義は我にありと叫んだところでなにも変わらない。

 フェリドは国を動かす大貴族のひとりで、ダンテはただの詐欺師なのだ。

 正面から行ったところで返り討ちにされるだろう。

 だから――。

「アンジェ、これを見てくれないか?」

 フェリドに向けていたものとは明らかに違う、柔らかい声でダンテはそう言うと、服の下に着こんだ革製の胴着から、小さく折りたたんだ紙を取り出してアンジェリカに手渡した。

「……これ、は?」

「早く」

 ダンテに促されたアンジェリカが、紙を広げて――。

「――え?」

 息を呑む。

 彼女の手の中にある紙には、ダンテとほとんど違わない男の顔が描かれていた。

「ガルヴァス・ジェラルド・アスター。現皇帝の弟にして私の父で……」

 ダンテの手が、アンジェリカの肩に置かれる。

「君の父上に殺された男だ」

「そん……な……」

 アンジェリカは絵を取り落とし、口元を両手で覆う。

 そんな娘に、父親であるフェリドは否定も肯定もしない。

 ただ、どうでもいいとでも言うかのように、フンッと鼻を鳴らしただけだった。

「ああ、貴様の言う通りだ、伯爵。私は貴様を殺すためにアンジェに近づいた」

「やはりか」

 得意そうにフェリドがうなずく。

 しかし、それは嘘だ。

 ダンテがブルームバーグ伯爵家に狙いを定めたのは偶然であり、ダンテがジュナスであったことも偶然だった。

 なにせダンテはその事実をごく最近知ったのだから。

「だが……アンジェ」

 ダンテは詐欺師である。

 どれだけ激昂しようと、息をするかのように嘘をつける。

 いや、ダンテにとって嘘こそ最大の武器なのだから、フェリドを破滅させると決めた以上、本気で嘘をふるうのだ。

 今回の目的は、相手が望んでいる答えを言って、その中にダンテの意思を紛れ込ませること。

「君に会って、私は迷ってしてしまった。だから、一番の好機を逃してしまったんだ」

「好機……?」

 フェリドの呟きに応え、ダンテはどこからかナイフを取り出して目の前のテーブルに突き立てる。

「……貴様の首元に、これを突き立てられなかった」

「貴様……!」

 以前に一度、フェリドとダンテは馬車の中で顔を合わせたことがある。

 その時ダンテはナイフなど持っておらず、ブラウン家に出資することをほのめかす機会だとしか考えていなかった。

 しかし、ダンテがナイフを持っていなかったとフェリドは認識していない。

 それを利用したブラフだ。

「娘に感謝するんだな、伯爵」

 今のダンテがこう言えば、それが真実になる。

 フェリドとアンジェリカの中で、ダンテの殺意が揺らいでしまったことが決定事項になるのだ。

「と、取り上げろっ」

 フェリドに言われるまでもなく、衛兵たちがソファを越えてダンテに組み付き、テーブルに突き立ったナイフを回収する。

「過剰に反応するなよ、臆病者」

「貴様は自分の立場を分かっていないのか!?」

 自分が実は殺される寸前であったとの思い込みは、フェリドの感情を予想以上に揺さぶっていた。

 先ほどまでの冷徹な態度は消え、怒りとも焦りとも見える感情が顔を覗かせていた。

 これで冷静な判断は下せないだろうと、ダンテは更に畳みかける。

「それはこっちのセリフだよ。お前は自分が書いた指示書のことも忘れたのか?」

「指示……サッチか!」

 今、フェリドの中で全てが繋がったに違いない。

 その半分は真実で、もう半分はダンテが誘導して作り上げた虚構でしかないが、それを判別する材料を、フェリドは持ち合わせていなかった。

「俺が無事この屋敷を出なければ、ルドルフのところに持っていく手はずになっている。この意味、分かるよな?」

「くっ」

 始めてフェリドの顔に焦りが浮かぶ。

 今の立場はダンテが捕らえられ、フェリドが優位なはずだ。

 しかし両者の顔は、どうみてもそれとは真逆だった。

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