上 下
39 / 59

第39話 引き返せない真実

しおりを挟む
「ご、ごめん、ね? 心配、させちゃった」

 カチカチと歯の根を鳴らしながらベアトリーチェが謝罪する。

 雨から逃れ、温かい室内へと移動したことで、少しだけ体力を取り戻したのだろう。

 とはいえ安心するにはまだまだ程遠い。

 ダンテは「無理をするな」とだけ告げると、ベアトリーチェを抱きしめたまま、彼女の髪を手のひらで押さえつけ、水分を絞り出しては手を振って脇に捨てる。

「ほ、ホントは、もっと早く、帰ろうと思ったんだけど、もう少しだけって、思ったら、こうなっちゃった」

 雨に濡れた屋根は滑りやすい。

 体温を失って足元がおぼつかなくなった状態で降りようとすれば、滑落して死ぬ危険もあった。

 ベアトリーチェらしいといえばらしい理由に、ダンテはため息をつく。

「お前は、馬鹿だ」

「……そだね」

 ベアトリーチェは、ダンテに罵倒されているというのにどこか嬉しそうな笑みを浮かべる。

 反応が貰えたから嬉しい、などといった悲しい理由からではない。

 言葉の裏側に、確かな想いを感じ取ったからだ。

「俺が来なかったらどうなってたと思うっ」

「ごめんね」

「まったくだ、まったくだよっ」

 ダンテは震えながらベアトリーチェを抱きしめる。

 本当は先ほど脱ぎ捨てた上着からハンカチを取り出し、それでベアトリーチェの水気を拭きとってやればもっと彼女のためになるのだろう。

 しかしダンテはそれが出来なかった。

 したくなかった。

 失われてしまったかもしれないぬくもりを、ずっと胸の中に収めて感じていなければ不安で押しつぶされてしまいそうだったからだ。

「……良かった」

 ダンテが声を震わせながら、ひときわ大きく息を吐き出す。

「無事で」

 嘘をつき続けなければならなかった詐欺師が、緊急事態を前にそのことを忘れて本音を吐露してしまっていた。

「……うん」

 おずおずと伸ばされたベアトリーチェの手が、ダンテの背中に回る。

 本当ならばダンテは今すぐにでもベアトリーチェを突き飛ばさなければならないのに、ダンテは更に強い力でベアトリーチェをいだく。

 ぬくもりがダンテからベアトリーチェへ。

 想いはベアトリーチェからダンテへと移る。

 この時この場でだけは許された抱擁。

 必要だからと言い訳をして、ダンテはベアトリーチェを抱きしめ続けた。





「あっ」

 ダンテの体温をもらって多少動けるようになったベアトリーチェが、突然悲鳴をあげる。

「どうした」

「ダンテさんの服、汚しちゃう」

「気にするな。それよりまだまだ体が冷たい。いいから黙ってくっついてろ」

 雨水で濡れるくらい問題はないと、ダンテはもがくベアトリーチェの頭を自分の胸元に押し付ける。

 しかしベアトリーチェが言いたいのはそんなことではなかった。

「違うの」

 ベアトリーチェはかぶりを振る。

「私、髪の毛を染めてて……」

「そういえばお前の……父親が言ってたな」

 ダンテは一瞬、ジェイドのことをベアトリーチェの父親と呼ぶべきかためらったのだが、結局そのまま口にする。

 ダンテが育ての親であるサッチのことを父親と思っているように、ベアトリーチェもジェイドのことを父親だと思っているはずだからだ。

「あ、う、うん」

 その読みは当たり、ベアトリーチェは素直にうなずく。

「お父さんが、アンジェリカさんに何か言われるかもしれないからって……。えっと、染料をくしに塗って髪をいてるだけだから、雨で濡れたら溶け出してうつっちゃうよ」

 先ほどまで、ダンテはベアトリーチェの髪の毛を何度も絞り、彼女の頭を胸元に押し付けるようにして抱きしめている。

 今は光が無くてダンテも自身の状態を確認できないが、きっと全身真っ茶色に染まっているだろう。

「気にするな」

 ダンテは軽く肩をすくめてからベアトリーチェとの密着を強める。

 まったく気にならないわけではなかったが、諦めが入る程度にその告白は遅すぎた。

「お前が風邪をひかないことの方が大事だ」

「……うん」

 一拍を置いてからうなずいたベアトリーチェは、ダンテの胸元に顔をうずめた。

「……あのね」

「なんだ?」

 ベアトリーチェの声が多少くぐもって聞こえるのは、きっと顔をダンテに押し付けていることだけが原因ではないだろう。

「なんで、こんなに優しくしてくれるの?」

 妹だから。

 血を分けた家族だから。

 なんて、すぐさま言えるはずもない。

 それに、それよりも大きい理由がある。

「別に。俺は、甘いってよく言われるからだろ」

 本当の理由を言えなかったダンテは、適当な理由を並べてごまかそうとする。

 しかし、それが通じる相手ではない。

「それ以上のもの、受け取ってるよ?」

「……お前の思い違いだ」

 抱き合っているのに体を軽くのけぞらせ、ため息をついてから応えるなど、嘘をなりわいにしているものがついたにしては、あまりにも下手過ぎた。

 案の定、ベアトリーチェは顔を上げ、まっすぐに目をみつめて嘘だとダンテに告げる。

「そんなに優しかったら勘違いしちゃうよ」

 離れなければ。そうダンテが思っても、体はまったくいう事を聞かず、勝手にベアトリーチェを抱きしめ続ける。

 何故ならダンテはその言葉を何よりも望んでいたからだ。

 愛している女性から、同じように愛していると告げられる。

 それがどれだけ幸せで、どれだけ満たされることか。

 一度も、誰も愛したことのなかったダンテが、想像するだけでも胸がいっぱいになってしまうほどなのだ。

 現実に起こればきっと、それ以上の幸福感をダンテにもたらすことだろう。

「私は――」

 でもそれは受け取ってはいけない。

 決して。

「ダンテさんのこと――」

「言うなっ」

 ダンテはベアトリーチェの言葉を遮る。

「言わないでくれっ。それは俺たちの間に在っちゃいけない言葉なんだ。俺に言ってはいけない言葉なんだ!」

「なんで? なんで私はダメなの? アンジェリカさんはいいのに、私は――」

「お前がミシェーリだからだよ!」

「――え?」

 ベアトリーチェは、何故ここで自分の本名が出てくるのだろう、なんて言いたそうな、困惑した表情を浮かべている。

 そんなベアトリーチェへ、ダンテは血を吐くような告白を続ける。

 もう、止まれなかった。

「なんでお前なんだよ!」

 一度決壊してしまえばもうどうしようもない。

 せき止め続けていた想いが大きな感情の奔流となって溢れだす。

 好きだから、愛しているから、止まれなかった。

「なんでお前がミシェーリなんだよ。ベアトリーチェじゃないんだよっ」

「……なに、言ってるの?」

 ダンテはベアトリーチェの肩を掴み、顔をぐっと近づける。

 彼女の琥珀色の瞳の中に、悲痛な表情を浮かべたダンテの顔が映った。

「俺はジュナスなんだ」

 ダンテの苦悩とその理由を、ようやくベアトリーチェも理解する。

 それはふたりにとって、あまりにも辛い真実。

「お前の兄で、血を分けた家族なんだよ」

「……え、え? 嘘?」

 信じられない。

 信じたくない。

 絶対に愛し合ってはいけないなんて、辛すぎるから。

「お前なら分かるだろう。俺が嘘をついてるかなんて」

 ベアトリーチェは今まで何度もダンテの嘘を見破ってきた。

 今回もじっとダンテの瞳を見つめ、今までと同じように理解する。

 ダンテが掛け値なしに本当のことを言っているという事を。

「え――なんで?」

 教えられた真実をうまく呑み込めないのか、ベアトリーチェはいやいやと首を横に振る。

 信じたくないのはダンテも一緒だった。

 だがダンテは証拠を見てしまったのだ。

 他人と言うのには無理があるほどに、産みの父であるガルヴァスとダンテは似すぎていた。

「だから、ダメなんだよ。そんな感情を持ったらいけないんだよ」

 好きも、愛しているも、家族としての愛情を超えてはならない。

 それが決められたことだから。

 社会通念上の常識だからだ。

「…………」

 ベアトリーチェは押し黙り、呆然とダンテをのことを見つめている。

 その顔は、死んだはずの兄との再会を喜ぶ妹の顔などではない。

 絶望に染まり、失恋の悲しみに濡れた乙女の顔だった。

「私、ひどいよね」

「何がだ?」

 ダンテは、わざわざ聞かなくても分かる答えを問い返す。

「生きて会えたのに。お兄ちゃんが生きててくれて喜ばなきゃいけないのに……」

 ――悲しい。

 ベアトリーチェの瞳に、また涙の粒が浮かび上がる。

 決定的な言葉を言わなくとも全て伝わってしまう。

 視線が、表情が、仕草が。

 ベアトリーチェの全てがダンテに対する想いを発していて……。

 それはダンテも同じ。

 ただ、目の前に居るひとを愛していた。

「ベアトリーチェっ!」

 ダンテ……いや、ベアトリーチェも相手の頬に手を伸ばし、自らの下へと引き寄せる。

 額が触れ合い、頬がぶつかり合う。

 だが、唇だけは、なにか見えない壁に阻まれているかのように触れ合う寸前で止まる。

 決して触れ合ってはいけない箇所。

 家族でしてはならない行為。

 親愛を超えた男女の情を、結んではならなかった。

「なんで……」

 その疑問はどちらの口から漏れたものだろうか。

 いずれにせよこの真実は、既に心で深く繋がりあってしまった二人には――。

「今さら、だよ……」

 ――遅すぎた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

浮気中の婚約者が私には塩対応なので塩対応返しすることにした

今川幸乃
恋愛
スターリッジ王国の貴族学園に通うリアナにはクリフというスポーツ万能の婚約者がいた。 リアナはクリフのことが好きで彼のために料理を作ったり勉強を教えたりと様々な親切をするが、クリフは当然の顔をしているだけで、まともに感謝もしない。 しかも彼はエルマという他の女子と仲良くしている。 もやもやが募るもののリアナはその気持ちをどうしていいか分からなかった。 そんな時、クリフが放課後もエルマとこっそり二人で会っていたことが分かる。 それを知ったリアナはこれまでクリフが自分にしていたように塩対応しようと決意した。 少しの間クリフはリアナと楽しく過ごそうとするが、やがて試験や宿題など様々な問題が起こる。 そこでようやくクリフは自分がいかにリアナに助けられていたかを実感するが、その時にはすでに遅かった。 ※4/15日分の更新は抜けていた8話目「浮気」の更新にします。話の流れに差し障りが出てしまい申し訳ありません。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

私を拒絶した王太子をギャフンと言わせるために頑張って来たのですが…何やら雲行きが怪しいです

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のセイラは、子供の頃からずっと好きだった王太子、ライムの婚約者選びの為のお茶会に意気揚々と参加した。そんな中ライムが、母親でもある王妃に 「セイラだけは嫌だ。彼女以外ならどんな女性でも構わない。だから、セイラ以外の女性を選ばせてほしい」 と必死に訴えている姿を目撃し、ショックを受ける。さらに王宮使用人たちの話を聞き、自分がいかに皆から嫌われているかを思い知らされる。 確かに私は少し我が儘で気も強い。でも、だからってそこまで嫌がらなくても…悔しくて涙を流すセイラ。 でも、セイラはそこで諦める様な軟な女性ではなかった。 「そこまで私が嫌いなら、完璧な女性になってライムをギャフンと言わせていやる!」 この日から、セイラの王太子をギャフンと言わせる大作戦が始まる。 他サイトでも投稿しています。 ※少し長くなりそうなので、長編に変えました。 よろしくお願いいたしますm(__)m

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

【完結】伝説の悪役令嬢らしいので本編には出ないことにしました~執着も溺愛も婚約破棄も全部お断りします!~

イトカワジンカイ
恋愛
「目には目をおおおお!歯には歯をおおおお!」   どごおおおぉっ!! 5歳の時、イリア・トリステンは虐められていた少年をかばい、いじめっ子をぶっ飛ばした結果、少年からとある書物を渡され(以下、悪役令嬢テンプレなので略) ということで、自分は伝説の悪役令嬢であり、攻略対象の王太子と婚約すると断罪→死刑となることを知ったイリアは、「なら本編にでなやきゃいいじゃん!」的思考で、王家と関わらないことを決意する。 …だが何故か突然王家から婚約の決定通知がきてしまい、イリアは侯爵家からとんずらして辺境の魔術師ディボに押しかけて弟子になることにした。 それから12年…チートの魔力を持つイリアはその魔法と、トリステン家に伝わる気功を駆使して診療所を開き、平穏に暮らしていた。そこに王家からの使いが来て「不治の病に倒れた王太子の病気を治せ」との命令が下る。 泣く泣く王都へ戻ることになったイリアと旅に出たのは、幼馴染で兄弟子のカインと、王の使いで来たアイザック、女騎士のミレーヌ、そして以前イリアを助けてくれた騎士のリオ… 旅の途中では色々なトラブルに見舞われるがイリアはそれを拳で解決していく。一方で何故かリオから熱烈な求愛を受けて困惑するイリアだったが、果たしてリオの思惑とは? 更には何故か第一王子から執着され、なぜか溺愛され、さらには婚約破棄まで!? ジェットコースター人生のイリアは持ち前のチート魔力と前世での知識を用いてこの苦境から立ち直り、自分を断罪した人間に逆襲できるのか? 困難を力でねじ伏せるパワフル悪役令嬢の物語! ※地学の知識を織り交ぜますが若干正確ではなかったりもしますが多めに見てください… ※ゆるゆる設定ですがファンタジーということでご了承ください… ※小説家になろう様でも掲載しております ※イラストは湶リク様に描いていただきました

両親も義両親も婚約者も妹に奪われましたが、評判はわたしのものでした

朝山みどり
恋愛
婚約者のおじいさまの看病をやっている間に妹と婚約者が仲良くなった。子供ができたという妹を両親も義両親も大事にしてわたしを放り出した。 わたしはひとりで家を町を出た。すると彼らの生活は一変した。

処理中です...