悪役令嬢は婚約破棄され嘘の恋に沈み、廃嫡された元皇太子の詐欺師は復讐を果たす

駆威命(元・駆逐ライフ)

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第32話 ベアトリーチェ

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「ベルがああまで頑なだったのは、君の秘密を知りたいというよりは、私が変な事を言わないかどうかが気になっただけだと思うから、君もあまり気にしないでいてくれ」

「そんなものでしょうか」

「そんなものだよ」

 ダンテは親がどういうものか分からなかったが、だいたいは想像もつく。

 娘のために良かれと思ってやったことが、一番バラされたくない秘密だったりしては目も当てられない、といった感じなのだろう。

 そうですか、とダンテが軽く頷くと、ジュナスは沈黙し、部屋には静寂が訪れる。

 どのように話せばいいのか、ジュナスが相当に迷っているのを察したダンテは、自ら口火を切ることにした。

「……私の、両親についてお聞きになりたいのですよね」

 ダンテがあたりをつけてそう言うと、ジェイドは目を丸くしたあと、そうだと言って頷く。

「父は分かりませんが、母はのことならば少しは分かります」

 本当はどちらのことも分かりはしない。

 両親ともに、つい最近名前だけ耳にする機会があっただけだ。

 だからダンテが話すのは、嘘の方。

 これは内緒にしてほしいのですが、と前置きしてから始める。

「私は、売春宿で娼婦たちに育てられて生きてきました」

「……それは」

 ジェイドは息をのみ、それ以降の言葉が続かない。

 同情しているのか、その瞳には自責の念にも似たものが浮かんでいた。

「どこぞの誰かの血を受け継いでいるのでしょう。それだけです」

 ここまでダンテは真実しか話していない。

 ベアトリーチェのような嘘を見破る力に、ジェイドも長けている可能性を懸念してのことだ。

 嘘を見破られたとしても嘘はつける。

 詐欺師にとっては初歩の初歩の技術であった。

「……そうか、それは申し訳ないことを思い出させてしまったね」

 もっとも、うなだれてショックを受けているジェイドの様子を見る限り、警戒のし過ぎだったようだが。

「いえ。お言葉ですが、私が不幸であると決めつけるのは早計かと」

「そうだったね、すまない」

 ジェイドは自分の年齢の半分ほどである若造にも頭を下げられる人だったらしい。

 ベアトリーチェの一家は、そろって好ましい人格の持ち主であった

 ただ、だからこそダンテにとっては少し眩しすぎる。

「以上でよろしいですか?」

 ダンテはソファに浅く座り直し、いつでも立ち上がれるような態勢を取る。

「そう、だね。……いや、もう少しだけいいだろうか」

 もう少しだけと言いつつジェイドはダンテに座りなおすよう促した。

「なぜこんなことを聞こうとしたのか、きちんと説明しなければ不公平になってしまうだろう」

「いえ、そんなことは……」

 一目見ただけで分かってしまうほど似ているのだから、ダンテとジェイドが思い描いている人物は恐らく血のつながりがあるのだろう。

 しかし、ダンテに親と呼べる者は、育ての親であるサッチだけであるとダンテは考えていた。

 今更顔も知らない相手の事など、ダンテには必要のない情報だった。

「まあ、なんだ。おじさんの昔話に付き合ってくれないかな」

 ジェイドはいささか苦しそうな様子でダンテに頼む。

 きっと彼は今まで長い間、なにかを抱えてきたのだろう。

 それが、ダンテの顔を見たことで決壊してしまった。

 だから誰かに吐き出してしまいたい気分になっているのかもしれない。

「それでしたら」

 ダンテが首肯すると、ジェイドはホッとしたように深く息を吐き出した。

「ありがとう。……私は今でこそこんな貧乏貴族だが、昔はそこそこの人に仕えていたのだよ」

 それからの話は、だいたいダンテの予想通りだった。

 ダンテの父、ガルヴァス・ジェラルド・アスターに仕えていたこと。

 しかし、病弱故に別荘で療養していたところを盗賊に襲われ殺されてしまったこと。

 ガルヴァスとその妻、双子全員が殺された上に首を切り落とされ、別荘の前に晒されていたこと。

 主を守れなかった罪を問われ、ジェイドは爵位こそはく奪されなかったものの、ほとんどの領地を召し上げられてしまったこと。

 ほぼ全て、ダンテが知っていたり予想していた通りだった。

 唯一違うところと言えば、実は殺された赤ん坊はサッチが用意してきた死体であり、わざと原型が分からなくなるほど踏みつぶしてから晒したという事実だけ。

 それは、実行犯であるサッチやモーリス、赤ん坊本人であるダンテと一部の友人しか知らないことだ。

「その、ジュナスさまと私が同一人物ではないかと、ジェイドさまは考えられたのですか?」

「まあ、なんらかの繋がりはあるのではないかと思ってしまうほど、ガルヴァス様と君は似ているんだ」

「皇帝陛下は、戯れに市井の女性へ手をお出しになられるのだと、聞き及んでおります」

 はぁ~、っと声に出しているのではないかと思うほど、ジェイドは大きなため息をつく。

 実際、そういう庶子あがりの貴族が居るため、ダンテの言葉に真実味が湧いてしまったのだろう。

「陛下にも困った……あ、いや、今のは聞かなかったことにしてくれ」

「どうしましょうかね?」

 ダンテはそう言って意地の悪そうな笑みを浮かべたのだが、もちろん言いつける相手など居ない。

 あくまでも冗談であることはジェイドにも伝わっているのか、彼は両手をあげて降参だとおどけてみせた。

「とにかく、今言ったことが――」

 ジェイドの瞳に、真剣さが戻る。

「――表向きの真実なんだ」

 彼の意外な言葉に、ダンテは身を固くした。

「はい?」

 もしかして、ダンテすなわちジュナスが生きていることを感づかれていたのかと、ダンテはいつでも逃げ出せるよう、重心を移動させる。

 だが、そうではなかった。

「これからが本題でね。実は、その時に亡くなったのは、乳母とその娘で――」

 その一言を聞いた瞬間、稲妻がダンテの体の中を駆け巡る。

 嫌な予感だとか虫の知らせといった程度のものではなく、それを聞けばすべてが終わってしまう、という確信だ。

 だというのに、ダンテは身動き一つとれなかった。

「――ベル……いや、ミシェーリ様は、奥様とともに生き延びたんだ」

 ダンテにとって最悪の可能性が、ジェイドの口から語られていく。

「だからあの子はそうと悟られないように、名前を変え、髪を染めて眉を剃り、化粧をして顔を変え、誰にも逆らわずにただひたすら自分を抑えて隠す。そういう窮屈な人生を送らざるを得なくなってしまったんだ」

 ダンテは、ただ意味もなく喘ぐだけでもうどうすることも出来なかった。

 なにも考えられないし考えたくない。

 それだけダンテにとって衝撃だったのだ。

 ベアトリーチェが、生き別れた家族であったことは。

「母親であるエリザベート様も、その後気がふれてしまい、ブルームバーグ家が治療にあたっていたそうだが、亡くなられてしまったと聞いている。その後家は取り潰し、領地も財産も全て取り上げられて……。本当に、ねぇ……」

 ジェイドが口惜しそうに顔を歪める。

 彼はベアトリーチェを娘として愛しながら、同時に忠臣として仕え続けてきたのだろう。

 だから、ダンテをジュナスだと思ったのだ。

 例え死んだことを知っていても、それでもベアトリーチェに家族が遺っていたらと夢想したのだ。

 それが、たまたま真実だったとも知らず。

「君が愛おしそうにベルを見ていた時、もしかしてと思うと嬉しくてね。だから、君がジェイド様でなくともこのことを知っておいて欲しかったんだよ」

 ジェイドにとっては、どちらでも良かったのかもしれない。

 ダンテがジュナスであれば、家族が生きている。

 他人であれば、男として任せられる。

 ――ダンテにとっては、どちらであっても最悪でしかなかった。

 ダンテは詐欺師で、ベアトリーチェの兄で、ベアトリーチェを……。

「…………っ」

 あまりにも深い絶望によって、本心を突き付けられてしまい、ようやくダンテは自分の心を理解できたのだ。

「ダンテくん? どうかしたのかな?」

 ダンテはベアトリーチェのことが好きだった。

 心から愛していた。

 ベアトリーチェを愛してはいけないと知り、こんなにも心がかき乱されるなんて、思ってもみなかった。

 ダンテの胸が疼き、思考がグルグルと渦を巻く。

 痛かった。

 辛かった。

 苦しかった。

 そして、こんな運命を恨み、呪った。

「ダンテくん?」

 ダンテは自分の残っている力を総動員して、なんとか「いいえ」とだけ絞り出す。

 それがダンテのできる、精いっぱいの事だった。

「顔色が悪いが大丈夫かな。すまない、少し重い話だったね」

 この場にベアトリーチェとフェリシアが居なくて本当に良かったと、ダンテは感謝すら覚える。

 嘘を見抜いてしまうほど人の機微に聡い彼女たちが居れば、今のダンテから何かを察してしまっただろう。

「いえ、ベアトリーチェがそんな過去を背負っていたことは驚きましたが、それでもあんな好ましい……人物・・となったのですから、それだけでも彼女は強い」

「そうだね、ベルは強い。でも、ずっとひとりで居て寂しくないわけがないんだ」

 ダンテはそんなことは既に嫌というほど知っている。

 なにせベアトリーチェ本人から言われたのだから。

 ダンテの胸がきしむ。

 その原因を、ダンテは正しく自覚できていた。

「……そうですね」

 ダンテはなんとかそれだけを返して表情を保つ。

 悟られない様、本心を胸の奥底に押し込み、先ほどまでと変わらない自分を装い続けたのだった。
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