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第4話 縁は紡がれる
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「ア、アンジェリカさまっ」
御者は足を下すと、慌てて己の主へと振り返る。
アンジェリカさまと呼ばれた少女は、箱馬車の窓にかけられた薄絹のカーテンを手で押さえ、ほんの少しだけ美しい顔を覗かせていた。
ダンテが助けられたのかと思ったのもつかの間。
「早くなさい。そんなモノごときで私の時間を使わないで」
流れるような金髪を振って御者を急かす。
アンジェリカのエメラルドグリーンに輝く瞳は、地面にうずくまっているダンテとテッドたちのことなど認めておらず、それどころか御者の男すらゴミかなにかを見つめている様な冷たさを持っていた。
貴族である自分たち以外の全てを、人間ではない何かとでも思っているのだろう。
「はっ! た、ただいまっ!!」
「あと少しでも私を待たせるようならあなたもクビにするわよ」
「申し訳ございませんっ」
先ほどまでの傲慢な態度が嘘の様に小さくなった御者の男は、最後の挨拶とばかりにダンテたちへ唾を吐きかけてから馬を助け起こすために走って行った。
「……ダンテ兄ちゃん」
「しっ」
ダンテの体で守られているテッドが、ダンテの身を案じて囁いたのだが、ダンテは用心深く演技を続ける。
いかにも体が痛んでいますとばかりに震えながら、しかし頭は地面スレスレになるまで下げ、申し訳なさを演出する。
結局ダンテたちは、馬車が過ぎ去っていくまでずっと平伏したままだった。
「ダンテ兄ちゃん、行ったよ」
「まだだ。ヤジ馬どもが見ているだろうが」
ダンテはよろめく様に立ち上がると、テッドに支えてもらいながらヨロヨロと路地裏へと入っていく。
家と家の陰により、人々の視線が断ち切られる。
そうなってようやくダンテは大きなため息を吐いた。
「やれやれ、終わったか」
曲がっていた腰が伸び、声に張りが戻る。
琥珀色の左目には意思の力が宿り、青い右目には自信が満ちていく。
横でその様子をずっと眺めていたテッドですら、同じ人物とは思えないほど雰囲気ががらりと変わってしまった。
「だ、ダンテ兄ちゃん、ごめんよ。オレがへましちまったってのに守ってもらって……」
テッドはストリートチルドレンたちをまとめ上げ、大人たちの懐から金をくすねながら生きており、普段は歳不相応に大人びた少年である。
だがダンテの前ではただの11歳らしい子どもに戻る時もあり、ちょうど今がその時であった。
「気にすんな。てーか、これがあったからいい標的を見つけられた」
ダンテは前回の詐欺が終わった後、冗談半分で結婚詐欺なんて言葉を口にした。
もちろん、市井の人間が貴族様にそんなことを仕掛けられるはずもなく、別の手口を考える必要がある。
しかし、今一番大事な事は、ブルームバーグを名乗る貴族は手加減する必要などない、ということだった。
「でも、あんなに蹴られてたし……それに服だって!」
「んあ?」
いつものダンテならば、いいとこのお坊ちゃんかと思われかねないほど身ぎれいにしていた。
それが今は、わざわざ汚い服とマントを身に着け、しかも顔や髪の毛を泥や生ごみで汚している。
テッドを助けるためにわざわざそんな恰好をしているのだが、テッドからしたらそんなことまでダンテにさせてしまったのだ。
申し訳なさで顔をくちゃくちゃにしても仕方のないことと言えるだろう。
「ああ、確かに臭いな。この辺りで沐浴させてくれるところはないもんかね」
「そうじゃないって!」
ダンテだってテッドの言いたいことはわかっている。
体が頑丈とはいえ木靴より硬いなんてことはない。
ボロ服の下はあざだらけだし、それらがズキズキと痛んでいるのだが、それでも平気なふりをしているのだ。
テッドを守る為に。
「ま、大したことねえんだからガキが気にすんな」
ダンテはそう言いながら笑うと、テッドの頭を乱暴に撫で繰りまわす。
「ダ、ダンテ……兄ちゃんっ。ちょっと!」
「へへへへ……」
頭を振りまわされたテッドが抗議するも、ダンテは笑って取り合わなかった。
二人がそうやって仲良くじゃれ合っていると、タタタッと軽い足音が近づいて来て……。
「すみません、おじいさんと小さな男の子を見ませんでしたかっ!?」
「あ?」
声をかけてきた少女は、くりくりと大きな目をしており、ある程度整ってい入るものの、あまり特徴のない地味な顔つきをしている。
髪の色は茶色で、アップにして後頭部でまとめており、飾り気は少ない。
服は一切染められていない無地のもので、センスの悪いだぼだぼのスカートを履いている。
いかにも純朴そうな村娘といった雰囲気の、ごくごく普通の女の子だ。
ダンテが一番初めに抱いた印象は、道ですれ違っても気付かないくらい地味なやつだなという随分失礼なものだった。
「ですからー……あれ?」
少女の視線がダンテとテッドの間を交互に行き交い、最終的にダンテの胸元で止まる。
「……見てねえよ、じゃあな」
ダンテの雰囲気や立ち居振る舞いこそ変わっていたが、服はそのままであったし、テッドは何も変わっていない。
不審感を持たれないことの方が不可能だろうと判断したダンテは、一言告げただけでその場から逃げ出そうとして――。
「待ってください」
少女にマントの裾を掴まれてしまった。
「事情は分かりませんけど、貴方があのおじいさんなのですよね?」
「ちげえよ」
「ダ、ダンテ兄ちゃんはどこからどう見ても兄ちゃんだろ。関係ないねっ」
テッドからすれば、それは立派な援護射撃のつもりだったのだろうが、名前を出してしまうという愚を犯してしまっていた。
「……そういうわけだ。他を当たれ」
ダンテは表情こそ変えなかったものの、胸の内で舌打ちをする。
「……分かりました。では、傷の手当をするために、水を含ませた布や包帯を持ってきましたので、おじいさんたちをお見かけしましたら渡していただけませんか?」
分かったと言いつつも少女はダンテたちの言葉を信じてはいないのだろう。
後ろ手に持っていたバスケットをダンテの胸元へと突き出した。
「お前は馬鹿か」
少女の行いに対する素直な感想がそれだった。
世の中には他人を騙そうとする連中が多く居て、しかもダンテ自身もそのひとりである。
こんな善意で施しを行うなど、骨までしゃぶってくれと言っている様なものだった。
「お前ではありません。私にはベアトリーチェという名前があります」
「お前の名前はどうでもいい。他人に自分の物を軽々しく差し出すな。もし俺がお前を売春宿に売りつけるようなヤツだったらどうする」
財産を失うだけならまだマシな方だ。
悪党の中にはパンを奪うために相手を殺してしまうようなヤツだっている。
少女の行動は、善意どうこう言う以前に危うすぎた。
「……自分のお子さんをあれだけ一生懸命助けてらっしゃる方に、悪い人は居ないと思いました」
「自分の仲間は命を助けても、それ以外は全員ぶっ殺すって野郎も居るんだよ、覚えとけ」
ダンテが頭に思い浮かべているのは、自分の育ての親であるサッチのことだ。
ひげ面で顔面から身体まで毛むくじゃらの男だったが、頭のネジがいくつも吹き飛んでいる所があった。
スラムではそんな奴らしかまともに生きていくことができないのだ。
先ほどまで名前すら知らなかった他人にまでわざわざ警告するようなダンテの方が異質と言えた。
「とにかく、下手な同情をするな」
優しさは相手を傷つけないことと同義ではない。
時には厳しい態度で突き放した方が相手の為になるのだ。
もっとも、ダンテの態度は仲間達から『優しい』とは評されず『甘い』と言われていた。
「…………同情じゃ、ないです」
ベアトリーチェは怒りとも笑みとも取れる、不思議な表情でダンテの事をまっすぐに見つめる。
ダンテもまたベアトリーチェの琥珀色の瞳を見つめ返して――ため息をついた。
ベアトリーチェを突き動かした感情が何かは分からない。
ただ、今の彼女の瞳に浮かんでいる感情は、自虐だった。
「どっちにしろ正しい行動じゃねえんだよ」
「…………」
ベアトリーチェがバスケットを握る手に、ぐっと力が入る。
「二度と俺たちみたいな連中と関わろうと思うんじゃねえ、いいな」
ベアトリーチェから返事はなかったが、その代わりにダンテのマントから手が離れていく。
それを確認したダンテは、テッドと共にその場を去ったのだった。
御者は足を下すと、慌てて己の主へと振り返る。
アンジェリカさまと呼ばれた少女は、箱馬車の窓にかけられた薄絹のカーテンを手で押さえ、ほんの少しだけ美しい顔を覗かせていた。
ダンテが助けられたのかと思ったのもつかの間。
「早くなさい。そんなモノごときで私の時間を使わないで」
流れるような金髪を振って御者を急かす。
アンジェリカのエメラルドグリーンに輝く瞳は、地面にうずくまっているダンテとテッドたちのことなど認めておらず、それどころか御者の男すらゴミかなにかを見つめている様な冷たさを持っていた。
貴族である自分たち以外の全てを、人間ではない何かとでも思っているのだろう。
「はっ! た、ただいまっ!!」
「あと少しでも私を待たせるようならあなたもクビにするわよ」
「申し訳ございませんっ」
先ほどまでの傲慢な態度が嘘の様に小さくなった御者の男は、最後の挨拶とばかりにダンテたちへ唾を吐きかけてから馬を助け起こすために走って行った。
「……ダンテ兄ちゃん」
「しっ」
ダンテの体で守られているテッドが、ダンテの身を案じて囁いたのだが、ダンテは用心深く演技を続ける。
いかにも体が痛んでいますとばかりに震えながら、しかし頭は地面スレスレになるまで下げ、申し訳なさを演出する。
結局ダンテたちは、馬車が過ぎ去っていくまでずっと平伏したままだった。
「ダンテ兄ちゃん、行ったよ」
「まだだ。ヤジ馬どもが見ているだろうが」
ダンテはよろめく様に立ち上がると、テッドに支えてもらいながらヨロヨロと路地裏へと入っていく。
家と家の陰により、人々の視線が断ち切られる。
そうなってようやくダンテは大きなため息を吐いた。
「やれやれ、終わったか」
曲がっていた腰が伸び、声に張りが戻る。
琥珀色の左目には意思の力が宿り、青い右目には自信が満ちていく。
横でその様子をずっと眺めていたテッドですら、同じ人物とは思えないほど雰囲気ががらりと変わってしまった。
「だ、ダンテ兄ちゃん、ごめんよ。オレがへましちまったってのに守ってもらって……」
テッドはストリートチルドレンたちをまとめ上げ、大人たちの懐から金をくすねながら生きており、普段は歳不相応に大人びた少年である。
だがダンテの前ではただの11歳らしい子どもに戻る時もあり、ちょうど今がその時であった。
「気にすんな。てーか、これがあったからいい標的を見つけられた」
ダンテは前回の詐欺が終わった後、冗談半分で結婚詐欺なんて言葉を口にした。
もちろん、市井の人間が貴族様にそんなことを仕掛けられるはずもなく、別の手口を考える必要がある。
しかし、今一番大事な事は、ブルームバーグを名乗る貴族は手加減する必要などない、ということだった。
「でも、あんなに蹴られてたし……それに服だって!」
「んあ?」
いつものダンテならば、いいとこのお坊ちゃんかと思われかねないほど身ぎれいにしていた。
それが今は、わざわざ汚い服とマントを身に着け、しかも顔や髪の毛を泥や生ごみで汚している。
テッドを助けるためにわざわざそんな恰好をしているのだが、テッドからしたらそんなことまでダンテにさせてしまったのだ。
申し訳なさで顔をくちゃくちゃにしても仕方のないことと言えるだろう。
「ああ、確かに臭いな。この辺りで沐浴させてくれるところはないもんかね」
「そうじゃないって!」
ダンテだってテッドの言いたいことはわかっている。
体が頑丈とはいえ木靴より硬いなんてことはない。
ボロ服の下はあざだらけだし、それらがズキズキと痛んでいるのだが、それでも平気なふりをしているのだ。
テッドを守る為に。
「ま、大したことねえんだからガキが気にすんな」
ダンテはそう言いながら笑うと、テッドの頭を乱暴に撫で繰りまわす。
「ダ、ダンテ……兄ちゃんっ。ちょっと!」
「へへへへ……」
頭を振りまわされたテッドが抗議するも、ダンテは笑って取り合わなかった。
二人がそうやって仲良くじゃれ合っていると、タタタッと軽い足音が近づいて来て……。
「すみません、おじいさんと小さな男の子を見ませんでしたかっ!?」
「あ?」
声をかけてきた少女は、くりくりと大きな目をしており、ある程度整ってい入るものの、あまり特徴のない地味な顔つきをしている。
髪の色は茶色で、アップにして後頭部でまとめており、飾り気は少ない。
服は一切染められていない無地のもので、センスの悪いだぼだぼのスカートを履いている。
いかにも純朴そうな村娘といった雰囲気の、ごくごく普通の女の子だ。
ダンテが一番初めに抱いた印象は、道ですれ違っても気付かないくらい地味なやつだなという随分失礼なものだった。
「ですからー……あれ?」
少女の視線がダンテとテッドの間を交互に行き交い、最終的にダンテの胸元で止まる。
「……見てねえよ、じゃあな」
ダンテの雰囲気や立ち居振る舞いこそ変わっていたが、服はそのままであったし、テッドは何も変わっていない。
不審感を持たれないことの方が不可能だろうと判断したダンテは、一言告げただけでその場から逃げ出そうとして――。
「待ってください」
少女にマントの裾を掴まれてしまった。
「事情は分かりませんけど、貴方があのおじいさんなのですよね?」
「ちげえよ」
「ダ、ダンテ兄ちゃんはどこからどう見ても兄ちゃんだろ。関係ないねっ」
テッドからすれば、それは立派な援護射撃のつもりだったのだろうが、名前を出してしまうという愚を犯してしまっていた。
「……そういうわけだ。他を当たれ」
ダンテは表情こそ変えなかったものの、胸の内で舌打ちをする。
「……分かりました。では、傷の手当をするために、水を含ませた布や包帯を持ってきましたので、おじいさんたちをお見かけしましたら渡していただけませんか?」
分かったと言いつつも少女はダンテたちの言葉を信じてはいないのだろう。
後ろ手に持っていたバスケットをダンテの胸元へと突き出した。
「お前は馬鹿か」
少女の行いに対する素直な感想がそれだった。
世の中には他人を騙そうとする連中が多く居て、しかもダンテ自身もそのひとりである。
こんな善意で施しを行うなど、骨までしゃぶってくれと言っている様なものだった。
「お前ではありません。私にはベアトリーチェという名前があります」
「お前の名前はどうでもいい。他人に自分の物を軽々しく差し出すな。もし俺がお前を売春宿に売りつけるようなヤツだったらどうする」
財産を失うだけならまだマシな方だ。
悪党の中にはパンを奪うために相手を殺してしまうようなヤツだっている。
少女の行動は、善意どうこう言う以前に危うすぎた。
「……自分のお子さんをあれだけ一生懸命助けてらっしゃる方に、悪い人は居ないと思いました」
「自分の仲間は命を助けても、それ以外は全員ぶっ殺すって野郎も居るんだよ、覚えとけ」
ダンテが頭に思い浮かべているのは、自分の育ての親であるサッチのことだ。
ひげ面で顔面から身体まで毛むくじゃらの男だったが、頭のネジがいくつも吹き飛んでいる所があった。
スラムではそんな奴らしかまともに生きていくことができないのだ。
先ほどまで名前すら知らなかった他人にまでわざわざ警告するようなダンテの方が異質と言えた。
「とにかく、下手な同情をするな」
優しさは相手を傷つけないことと同義ではない。
時には厳しい態度で突き放した方が相手の為になるのだ。
もっとも、ダンテの態度は仲間達から『優しい』とは評されず『甘い』と言われていた。
「…………同情じゃ、ないです」
ベアトリーチェは怒りとも笑みとも取れる、不思議な表情でダンテの事をまっすぐに見つめる。
ダンテもまたベアトリーチェの琥珀色の瞳を見つめ返して――ため息をついた。
ベアトリーチェを突き動かした感情が何かは分からない。
ただ、今の彼女の瞳に浮かんでいる感情は、自虐だった。
「どっちにしろ正しい行動じゃねえんだよ」
「…………」
ベアトリーチェがバスケットを握る手に、ぐっと力が入る。
「二度と俺たちみたいな連中と関わろうと思うんじゃねえ、いいな」
ベアトリーチェから返事はなかったが、その代わりにダンテのマントから手が離れていく。
それを確認したダンテは、テッドと共にその場を去ったのだった。
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