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俺がポツンと一軒家に住む理由⑤
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「よう。久しぶりだな。俺を殺しに来たのか?」
目の前に立っていたのはしばらく何の連絡もよこさなかったコピックだった。
「……。突然の訪問申し訳ございません。急を要する事態だったのですが、王女殿下への”コール”が許されず、他の連絡手段がありませんでしたので恐れ多いと存じながらも直接伺った次第です」
「殊勝な態度だな。……聞こうか」
「はっ! 国王陛下からの勅命で繁殖していた犬達の総数が目標の一万匹を超えたのですが――」
「はあ? なに一万? 一万匹だと? なんの冗談だ? あれからたった二年だぞ? そんな数になるわけ……」
「私は殿下に嘘は吐けません。どれだけ殿下に逆らおうとしても、この仕事から逃げ出そうとしても死のうとしても……どれだけ殿下を殺そうと思っても身体がそれを許してくれません。ここにも来たくありませんでしたが足が勝手にこちらに向かいました。……こんなことも言いたくないのに口が勝手に――」
「ちゃんと魔法が効いているようだな。……ということは本当に一万匹を超えた? 確かに箱庭でもあっという間に繁殖したがいくらなんでも増やしすぎだ! なぜもっと早く報告しなかった! 父上からの勅命と言ったか?」
「いいえ。陛下からの命令です」
「だから! 父上から勅命だろ!?」
「……やはりまだご存じではないのですか? 現在の国王はキャンバス様です。先代陛下は崩御されました」
「ほうぎょ? 崩御って死んだってことか? は? いつだ? そんな話は聞いてないぞ?」
「崩御なされたのは、以前私がこちらに伺った数日前です。陛下は先代陛下がお亡くなりになられたことを殿下たちには伝えぬようにとのご命令でした。心を病んでいるお二人にこれ以上ご心労を掛けぬようにと。時期が来れば自ら詫びを込めて伝えるとおっしゃっておられたのですが……」
「……貴様。さっきの報告の件といい、俺に嘘をついたのか!?」
「いいえ。決して嘘は申しておりません。ただ、報告のご命令は受けておりませんでしたので敢えてこちらにご報告には伺わず、陛下のご命令に従いました」
本来やりたくない仕事を嫌々こなしているだけ。命令にない事はやる気がないというコピックの融通の利かないその態度が前世の部下の姿が重なり、苛立ちを隠せず蹴り飛ばした。とは言え、コイツの顔が見たくないという気持ちから報告の義務を与えなかったのは俺だ。
「……これからはどんな小事でも王宮の様子を報告しろ。それで死因は?」
「はっ! 死因は……殿下のお母君と同じ病気だそうです。以前から病床に臥せっておられましたが、陛下が『母親と同じ病気で父が病床に臥せっている事を知ればイレイザーの心が壊れてしまうかもしれん。しばらくこのことは二人には黙っていろ。大丈夫だ。あの時とは違い今は新たな魔法がある。必ず治してみせる』と、おっしゃられたのでご命令通り先代陛下のご容体は伏せておりました」
「ええい! ややこしい! 奴の事はキャンバスと呼べ! つまり、キャンバスが頑なに父上の病気や死を隠したってことか!」
「キャンバス様の真意は私にはわかりかねます」
なんてことだ。奴が俺たちの出国にあれだけ協力的だったのは父を殺すためだったんだ! 何のために? 決まっている。王権を得る為だ。そして、ノートを殺したのも……。それにしても早すぎないか? 王が死んでから次の王になるまで慣例に従えば国を挙げての告別式や戴冠式など、諸々の儀式があるはずだ。俺はログハウスに籠っていたといってもほぼ毎日誰かしらとすれ違い、交流している。だが、誰からもそんな様子は伺えなかった。
「告別式や戴冠式があるならこの辺りの村の住人も町に向かうはずだ。そんな様子は見受けられなかった。何故誰も参列していない?」
「それは、コングレスがあったためです。正式な代表者が参加するのが義務なので手続きだけ済ませ、式典を後回しにされました――」
コングレス。それは各国の正式な代表者が集まって行う連合主催の国際会議だ。毎年開催され主要の六カ国連合が会議を行う。この国は主要国ではないが、四年に一度出席を求められる。国の重要度に応じて一年、二年、三年、四年毎に参加を義務付けられているのだ。要するにこの国は取るに足らない小国という意味を持つ。
「ただ、先代のご遺体は既に火葬済みです」
くそったれが! タイミングを見計らったな。間違いなく確信犯だ。奴に教えた魔法なら冷凍保存だってできたのに! しかも、今の俺なら治せた可能性があるのに、一切俺に伝わらない様に火葬まで済ませてしまっている。俺は枢軸院の一件の際に灰になった死体は元に戻せないとキャンバスに伝えた。実際に”リバーシブル”では復元できない。だが、方法がないわけではない。俺が”タイムリープ”でその時点まで意識を戻して過去を改変すればいい。
しかし、これは試したことがない。というより試しようがなかった。”タイムリープ”という魔法そのものが俺の中でハッキリとイメージが確立されていないからだ。
俺の知っているタイムリープは作品によって効果が違う。記憶だけを維持したまま過去に戻って人生をやり直すリセットタイプや、意識だけを過去の自分に移し、都合が悪いところだけ修正して現時点に反映させるコレクションタイプ。
前者であればやり直しだから今まで苦労してやってきたことをもう一度やり直さなくてはならなくなる。やり直すとしたらどこまで戻る? もちろんノートが死ぬ前だ。そうなれば全く予想できない未来に向かう。色々ありはしたが俺は今の生活を楽しんでいる。俺は王に担ぎ上げられるし、ほぼ自由の無い人生が待っているだろう。だから理想は後者なのだが、過去の自分の意識に今の自分の意識を移すとなれば今の俺の肉体はどうなる? その時の俺は本当に今の俺なのか? 逆に今の記憶や意識の複製を過去の自分に上書きするのであれば、今いるこの時間軸と移動した時間軸は同じなのか? 過去の自分が行動を起こしたとして、今この瞬間の俺に正しく影響を及ぼせるのか? 一度使えばもう取り返しがつかなくなる可能性もある。そもそも試したことがないのに成功するのか? 不確定要素が多すぎて使えないのだ。この魔法を使うことがあるとすれば、他に打つ手がないほどに追い詰められた時にリセットしてやり直すという最終手段となるだろう。
「……わかった。俺が直接キャンバスに会いに行く」
「いいえ。キャンバス様は現在、コングレスの招集に応じる為、船で国を離れておられます。出立されてもうすぐ三十日程経つので、そろそろお戻りになるはずですが――」
「お前! よくもまぁそれだけ色々と起こっているのに何も報告しなかったな! だったら今はクリップが国を治めているのか?」
「いいえ。クリップ殿下はしばらく新しい魔法を国に広める為、精力的に活動されておりましたが、随分前から体調が優れぬようで自室に籠って静養されておられます。現在、ステープラ殿下が国を治めておられます」
「ステープラ!? クリップが病気? なんで!?」
「それが、原因不明のようです。一時期は驚くほどお優しくなられ、積極的に国民と触れ合い、魔法を教えて回られて、皆に慕われておられたのですが、いつからか急に怒りやすくなったり、ブツブツと独り言を言われたり、見えない誰かと話したりと様子がおかしくなったそうです」
恐らく”ドラッグ”の影響だ。くそ! ノータリン腰巾着のステープラに国を任せることになるなんて……。こんなことになるなら”ドラッグ”なんて教えるんじゃなかった。
「……。わかった。一度城に戻る」
「お待ちください。本題をまだお伝えしておりません」
「まだあるの!?」
「はい。犬達の件ですが、一万匹を超えたのですが、もうすぐ管理しきれなくなります。今のところは食料は足りていますが、半年以内でファームの許容量を超えてしまいます。それと――」
「もうええわ! お腹いっぱいだよ!」
「は? お腹? よくわかりませんが、新しく生まれた犬の中に強い異臭を放つ個体が生まれ、それの近くにいた村人が意識を失っております。その者はファームの建設に初期から関わっていた者ですので、犬達への免疫は十分あるはずなのですが……。原因が分からない為、その犬には誰も近づかない様に隔離しております。いかがいたしましょう?」
何からどう手を付ければいいか考えた。城にいないキャンバスや、既に火葬された父の事は現状どうすることもできない。まずはその意識を失った村人の様子を見に行くことにした。
「ああ、もう! まずはその村人の所に案内しろ! それと、これからは毎週必ず、俺に起こったこと全てを報告しろ!」
混乱する頭を抱えながら、俺は”フライ”の魔法を自分とコピックに掛けた。コピックを先導させて後を追った。
犬舎はもっとも食料が豊富なワニ村の近くにある。その傍まで来ると村人達はかなりの距離を取ってその小屋を見守っていた。犬達ですらその匂いに近寄りたがらないようで餌も与えられず困っているそうだ。俺は先にその変異体を見てみようと、自分に思いつく限りの毒耐性の魔法を掛け、犬舎に入った。しかし、入った瞬間、鼻がもげそうな異臭と眩暈で意識が朦朧とした。初めてナイフに出会った時よりも遥かに強い刺激臭が脳の警報を鳴らした。
「! 何だこれ? いくら何でも酷すぎる!」
俺は思わず犬舎から飛び出した。建物の中だから余計に臭いが立ち込め、とてもじゃないが人が立ち入れる状態じゃない。
「”ビジブル”」
俺は建物の中を透視した。すると、そこには一匹のヴェノムウルフがいた。今まで生まれたどの犬よりも黒く禍々しい姿の毛玉が丸くなって眠っている。どうする? このまま何もしなければ餓死させてしまう。餌をしっかり与えれば異臭は止まるだろうか? まずは、倒れた村人の話を聞くことにした。
「コピック。その倒れた村人の所に案内してくれ」
「はい。しかし、宜しいんですか? 声を出されておられますが?」
「ああ。キャンバスが王になった今、声も足も演技する必要ない」
「演技? ……ああ、そういうことですか。わかりました。ではこちらです」
コピックの案内で村の中の家に入る。その中には瘴気で気を失った女性が横たわっていた。あれ? この女、この間犯した若妻だ。名前は知らないが……。
「気を失ってからどのくらい経つ?」
「昨晩に気を失ったそうですから既に半日以上は……」
「そうか……”ヒール”」
俺が放った魔法は女性を優しく包み込む。だが、本来なら直ぐに回復するはずのこの魔法ですら、効果がなかなか現れない。
「その魔法は使える者が既に試したのですが、なぜか効果が現れません」
先に言えよと口から出そうになる言葉を飲み込んで、若妻の胸元に手を置いて別の魔法に切り替えた。
「”リカバリー”」
この魔法は自然治癒力を加速させる”ヒール”とは違い、元の状態に戻す意味合いが強い。その為どちらかというと”リバーシブル”に近いが、あくまで肉体が自然と回復できる範囲内に限られる。ちぎれた四肢を元通りにするほどの回復力はない上に時間が経過しすぎると間に合わない。ちなみに手を胸元に置く必要はない。ただ触りたかっただけだ。しばらく魔法を掛け続けると意識が回復した。
「あ、あれ? 殿下?」
先ほどまで蒼白だった若妻の顔に赤みが差し、俺を虚ろに見つめる。
「大丈夫かい? 気分はどう?」
「で、殿下!? え? だ、大丈夫です。……あれ? 殿下、お声が」
「うん。僕はもうすっかり元気になったよ。それよりも何があったか聞かせてくれるかい?」
まだ、朦朧としているせいか、俺の手が気になるせいか、妙に艶っぽい姿に欲情した俺は若妻の上半身を起こし、胸に手を当てたまま後ろから抱く様な姿勢になった。そのままぴったりと身体を重ねて魔法を掛けてながらモジモジする若妻の話を聞いた。若妻はまんざらでもない様子だ。
話によると、ある雌犬が数匹の子どもを産んだ。その中の一匹が見たこともない真っ黒な姿で生まれて来たそうだ。暫くは母犬の乳を飲み元気に育っていたそうだが、母犬が与えた肉を食べる様になった頃から異臭を放つようになってきたそうだ。放っておくと他の犬や人間にも影響が出ると思い、犬舎に閉じ込めていたが、昨日、様子を見るため犬舎に入ろうとすると中からの臭いで瞬時に気を失ったそうだ。今の話が事実であれば空腹のストレスで悪臭を放っているわけではないのか? 犬達にとってこのファームの生活環境は決して悪くは無いはずだ。現に他の犬にそう言った兆候が見られない。突然変異という奴か? もしそうであればこのまま放っておくわけにはいかない。処分するか? しかし、犬とはいえ、殺せば罪になるのではないだろうか? とはいえ放っておけば確実に死人が出る。このまま犬舎ごと他の場所に移し、厳重に閉じ込めるのがいいだろう。
「……とりあえず、あの犬舎ごとこちらで引き取るよ。君たちには引き続き他の犬達の世話を頼む」
今夜の獲物は再びこの若妻にしようと心に誓い、後ろ髪を引き寄せながら、村を後にして再び犬舎の前に来た。もう魔法を使えることを隠す必要がなくなった俺は観衆の前で「”トランスファー”」と唱え、犬舎ごと箱庭の最深部に移動した。ちなみに、”トランスファ”は単純に移動する”テレポート”と違い空間を別の場所と繋げる魔法だ。これであれば箱庭ごと移動できる。そして、空中に退避し、誰もいない箱庭で犬舎を壊し、真っ黒な犬を解き放った。
目の前に立っていたのはしばらく何の連絡もよこさなかったコピックだった。
「……。突然の訪問申し訳ございません。急を要する事態だったのですが、王女殿下への”コール”が許されず、他の連絡手段がありませんでしたので恐れ多いと存じながらも直接伺った次第です」
「殊勝な態度だな。……聞こうか」
「はっ! 国王陛下からの勅命で繁殖していた犬達の総数が目標の一万匹を超えたのですが――」
「はあ? なに一万? 一万匹だと? なんの冗談だ? あれからたった二年だぞ? そんな数になるわけ……」
「私は殿下に嘘は吐けません。どれだけ殿下に逆らおうとしても、この仕事から逃げ出そうとしても死のうとしても……どれだけ殿下を殺そうと思っても身体がそれを許してくれません。ここにも来たくありませんでしたが足が勝手にこちらに向かいました。……こんなことも言いたくないのに口が勝手に――」
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「いいえ。陛下からの命令です」
「だから! 父上から勅命だろ!?」
「……やはりまだご存じではないのですか? 現在の国王はキャンバス様です。先代陛下は崩御されました」
「ほうぎょ? 崩御って死んだってことか? は? いつだ? そんな話は聞いてないぞ?」
「崩御なされたのは、以前私がこちらに伺った数日前です。陛下は先代陛下がお亡くなりになられたことを殿下たちには伝えぬようにとのご命令でした。心を病んでいるお二人にこれ以上ご心労を掛けぬようにと。時期が来れば自ら詫びを込めて伝えるとおっしゃっておられたのですが……」
「……貴様。さっきの報告の件といい、俺に嘘をついたのか!?」
「いいえ。決して嘘は申しておりません。ただ、報告のご命令は受けておりませんでしたので敢えてこちらにご報告には伺わず、陛下のご命令に従いました」
本来やりたくない仕事を嫌々こなしているだけ。命令にない事はやる気がないというコピックの融通の利かないその態度が前世の部下の姿が重なり、苛立ちを隠せず蹴り飛ばした。とは言え、コイツの顔が見たくないという気持ちから報告の義務を与えなかったのは俺だ。
「……これからはどんな小事でも王宮の様子を報告しろ。それで死因は?」
「はっ! 死因は……殿下のお母君と同じ病気だそうです。以前から病床に臥せっておられましたが、陛下が『母親と同じ病気で父が病床に臥せっている事を知ればイレイザーの心が壊れてしまうかもしれん。しばらくこのことは二人には黙っていろ。大丈夫だ。あの時とは違い今は新たな魔法がある。必ず治してみせる』と、おっしゃられたのでご命令通り先代陛下のご容体は伏せておりました」
「ええい! ややこしい! 奴の事はキャンバスと呼べ! つまり、キャンバスが頑なに父上の病気や死を隠したってことか!」
「キャンバス様の真意は私にはわかりかねます」
なんてことだ。奴が俺たちの出国にあれだけ協力的だったのは父を殺すためだったんだ! 何のために? 決まっている。王権を得る為だ。そして、ノートを殺したのも……。それにしても早すぎないか? 王が死んでから次の王になるまで慣例に従えば国を挙げての告別式や戴冠式など、諸々の儀式があるはずだ。俺はログハウスに籠っていたといってもほぼ毎日誰かしらとすれ違い、交流している。だが、誰からもそんな様子は伺えなかった。
「告別式や戴冠式があるならこの辺りの村の住人も町に向かうはずだ。そんな様子は見受けられなかった。何故誰も参列していない?」
「それは、コングレスがあったためです。正式な代表者が参加するのが義務なので手続きだけ済ませ、式典を後回しにされました――」
コングレス。それは各国の正式な代表者が集まって行う連合主催の国際会議だ。毎年開催され主要の六カ国連合が会議を行う。この国は主要国ではないが、四年に一度出席を求められる。国の重要度に応じて一年、二年、三年、四年毎に参加を義務付けられているのだ。要するにこの国は取るに足らない小国という意味を持つ。
「ただ、先代のご遺体は既に火葬済みです」
くそったれが! タイミングを見計らったな。間違いなく確信犯だ。奴に教えた魔法なら冷凍保存だってできたのに! しかも、今の俺なら治せた可能性があるのに、一切俺に伝わらない様に火葬まで済ませてしまっている。俺は枢軸院の一件の際に灰になった死体は元に戻せないとキャンバスに伝えた。実際に”リバーシブル”では復元できない。だが、方法がないわけではない。俺が”タイムリープ”でその時点まで意識を戻して過去を改変すればいい。
しかし、これは試したことがない。というより試しようがなかった。”タイムリープ”という魔法そのものが俺の中でハッキリとイメージが確立されていないからだ。
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「……わかった。俺が直接キャンバスに会いに行く」
「いいえ。キャンバス様は現在、コングレスの招集に応じる為、船で国を離れておられます。出立されてもうすぐ三十日程経つので、そろそろお戻りになるはずですが――」
「お前! よくもまぁそれだけ色々と起こっているのに何も報告しなかったな! だったら今はクリップが国を治めているのか?」
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「もうええわ! お腹いっぱいだよ!」
「は? お腹? よくわかりませんが、新しく生まれた犬の中に強い異臭を放つ個体が生まれ、それの近くにいた村人が意識を失っております。その者はファームの建設に初期から関わっていた者ですので、犬達への免疫は十分あるはずなのですが……。原因が分からない為、その犬には誰も近づかない様に隔離しております。いかがいたしましょう?」
何からどう手を付ければいいか考えた。城にいないキャンバスや、既に火葬された父の事は現状どうすることもできない。まずはその意識を失った村人の様子を見に行くことにした。
「ああ、もう! まずはその村人の所に案内しろ! それと、これからは毎週必ず、俺に起こったこと全てを報告しろ!」
混乱する頭を抱えながら、俺は”フライ”の魔法を自分とコピックに掛けた。コピックを先導させて後を追った。
犬舎はもっとも食料が豊富なワニ村の近くにある。その傍まで来ると村人達はかなりの距離を取ってその小屋を見守っていた。犬達ですらその匂いに近寄りたがらないようで餌も与えられず困っているそうだ。俺は先にその変異体を見てみようと、自分に思いつく限りの毒耐性の魔法を掛け、犬舎に入った。しかし、入った瞬間、鼻がもげそうな異臭と眩暈で意識が朦朧とした。初めてナイフに出会った時よりも遥かに強い刺激臭が脳の警報を鳴らした。
「! 何だこれ? いくら何でも酷すぎる!」
俺は思わず犬舎から飛び出した。建物の中だから余計に臭いが立ち込め、とてもじゃないが人が立ち入れる状態じゃない。
「”ビジブル”」
俺は建物の中を透視した。すると、そこには一匹のヴェノムウルフがいた。今まで生まれたどの犬よりも黒く禍々しい姿の毛玉が丸くなって眠っている。どうする? このまま何もしなければ餓死させてしまう。餌をしっかり与えれば異臭は止まるだろうか? まずは、倒れた村人の話を聞くことにした。
「コピック。その倒れた村人の所に案内してくれ」
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「ああ。キャンバスが王になった今、声も足も演技する必要ない」
「演技? ……ああ、そういうことですか。わかりました。ではこちらです」
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「昨晩に気を失ったそうですから既に半日以上は……」
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「……とりあえず、あの犬舎ごとこちらで引き取るよ。君たちには引き続き他の犬達の世話を頼む」
今夜の獲物は再びこの若妻にしようと心に誓い、後ろ髪を引き寄せながら、村を後にして再び犬舎の前に来た。もう魔法を使えることを隠す必要がなくなった俺は観衆の前で「”トランスファー”」と唱え、犬舎ごと箱庭の最深部に移動した。ちなみに、”トランスファ”は単純に移動する”テレポート”と違い空間を別の場所と繋げる魔法だ。これであれば箱庭ごと移動できる。そして、空中に退避し、誰もいない箱庭で犬舎を壊し、真っ黒な犬を解き放った。
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※タイトルを変更しました。(旧題:不遇職に役立たずスキルと馬鹿にされましたが、実際はそれほど悪くはありません)。書籍化に伴い、一部の話を取り下げました。また、近い内に大幅な取り下げが行われます。
※11月22日に第一巻が発売されます!!また、書籍版では主人公の名前が「レナ」→「レイト」に変更しています。
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