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箱庭④
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「あの花は栄養が豊富な綺麗な川であれば直ぐに育つ。そしてあの花の蜜を求めて蝶が集まるんだ。綺麗で最初は喜んでいたんだけどね……。実はあの蝶の鱗粉はとても危険なんだ。他の動物を興奮させる作用があるみたいで、大量に発生するとこの子たちが興奮して毒を放ってしまう。花を育ててフグを集めると同時に蝶が増えすぎない様に蝶を殺さないといけない」俺は火の魔法で蝶を焼き払った。
「そ、そんな……。」
それを見たイーゼルは悲しそうな顔で俺を見てきた。
「可哀そうだけど仕方がないんだよ。これだけ増えたヴェノムウルフがあの鱗粉を吸って興奮してしまうと猛毒を放つようになってしまう。そうなったら大変だからね」
「そう……よね。仕方ないのよね……」
イーゼルは大切そうに抱きかかえているヴェノムウルフの頭を撫でた。
「本番ではこの子たちの生息地から離れた風下にもっとたくさんあの花を繁殖させてフグも蝶も育てられる環境を整備しようとしているんだ」
「それがいいわ! そうしましょう。私も手伝う」
イーゼルの顔はぱっと明るくなった。
「さあ。さらに上流に行くよ」
俺は更に先へ進む。しばらく歩いていると大きな湖が現れた。
「ここは生簀になっていてね。たくさんの魚を育てているんだ。この子たちは魚も好物だし、僕も主に魚を食べてるよ。他にも水が汚れない様に色んな生物が共存している。その生き物の死骸やフンが栄養になり、栄養を含んだ水が下流に流れていく。だからさっきの花もネズミの周りの花も元気に育つんだよ」
その湖のほとりで立ち止まって振り返り、三人の顔を見た。
「これが僕が作ったファームだよ。まだまだ改良を加える必要があるけどこのファームを利用してこの子たちが決してお腹が空かない様にしようと思っているんだ」
三人は黙って俺の話を聞いていた。ずっと黙ったままのキャンバスとクリップもどうやら関心があったようで何やら気持ちの悪い笑みを浮かべながら湖を観察していた。”ドラッグ”が効きすぎたか?
「さぁこの先が目的地だよ。三人とも大きな声を出さないでね。この子たちが驚いちゃうから」
再度くぎを刺して最後の角を曲がった。そこには今まで以上の大きな空間があり、その中央付近に大きな何かが横たわっていた。それを目の当たりにした三人の顔色は再びみるみる青ざめ、恐怖に顔を歪めていった。
「あ、あ、あれ……」
そこにあったのは炎の化身であり畏怖の象徴。インフェルノドラゴンの死骸だった。その姿は死してなお、三人を震え上がらせるには十分な存在感を放っている。
「そんなに怯えないで。といっても無理か。僕も未だにコレの前に来ると少し手が震えるもの。でもご覧の通り完全に死んでいる。コイツを殺したのはね。あそこにいる三匹とこのナイフだよ」
その言葉を聞いて、三人の目線はナイフに移った。
「この子たちが無毒の状態ではほとんどの動物が警戒心を解く。いや、むしろ好んで近づいてくるんだ。この子たちの甘い匂いがそうさせるんだろう。インフェルノドランゴンも例外じゃない。毒の匂いがしなくなったこの場所に、突如コイツは舞い降りた。そして、眠った。奴がここに来た時は恐怖で気が狂いそうだったよ。奴が目を覚まして動き出せば起こるかわからない。僕自身にとってもコイツの存在はトラウマそのものだ。そこで僕はこの子達にインフェルノドラゴンに噛みついてくるように命令した」
この巨大なドラゴンに対する恐怖心で心が壊れそうだった俺にとって、今となってはかわいいだけの存在であるヴェノムウルフはその瞬間心の支えだった。
「ナイフ達は僕の命令に従い、遊び相手にじゃれにつきに行くかの様に真っ直ぐにインフェルノドラゴンに向かって走って行った。この子たちは物凄く静かに素早く走る。気配もさせずに足元にいるからよく踏みそうになる。そして、そのままドラゴンに近づき、気付かれぬままに噛んだ。犬歯の先だけは機嫌が良くても猛毒を出せる
からね。インフェルノドラゴンは噛まれて初めてこの子たちの存在に気が付いて吠えて威嚇した。その声に驚いたこの子たちは一瞬のうちに体内で猛毒を生み出し、ドラゴンの意識を奪った。ドラゴンはそのままあっという間に毒に侵されて死んだ。この巨大なドラゴンがこんな小さな四匹に一瞬で殺されたんだ」
ドラゴンの肉を食らっていた三匹がこっちに気付き、近づいてきてナイフと同じように俺の足元に行儀よく並んでしっぽを振っていた。この子たちがドラゴンを一瞬で殺した時、俺の中にあったこのドラゴンへの恐怖心は薄れた。心に巣食う強大な化け物は従順に命令を聞く甘えん坊で小さなこの子たちに、いともあっさり殺された。この子たちと一緒に居れば俺はもう何も怖くない。そう思った。
「この子の体液には他にも特徴があってね。この子に噛まれた者は一瞬で死ぬものの血は固まらなくなる。心臓や動脈も暫くは動き続ける。いわゆる脳死状態だ。決して生き返ることはないけど直ぐに死ぬこともない。そのおかげで死んでも長い間鮮度が保たれるんだ。出血多量で絶命するまで肉は腐らない。滅多に手に入らない肉を長く保たせるための彼らなりの進化の結果だったんだろう。食いちぎられた場所の血は直ぐに固まり、出血多量にもなりにくい。このドラゴンは死んでからもう一ヶ月以上経っているけど未だに鮮度を保っているんだ。最初に死んだ方は途中から肉が腐りだし、酷い死臭を放ち始めたから焼いたけどね」
そう言って僕が指を指す先にはもう一体、大きなインフェルノドラゴンの骨格が転がっていた。
「インフェルノドラゴンが二体……そんな――」
イーゼルは言葉も出ない様子で怯えている。当然だ。奴らはいわば存在自体が災害だ。突如として現れ、過ぎ去るのを待つしかない存在なのだ。
「僕たちが国を挙げても打倒せないインフェルノドラゴンをこの子たちはたった四匹で仕留めた。いや、その気になれば一匹でも倒せるかもしれない。これが特級危険生物たる所以だよ。そして、そんな最強の生物が僕たち人間に懐いて共存してくれる。ちゃんと教育すれば人の言葉を理解し命令を聞いてくれる。それがどれほどの事かわかるだろ?」
そんな俺の言葉に呼応するかのように近寄ってきた三匹はそれぞれ三人の足元に近づいて身体を摺り寄せた。まるで忠誠を誓う騎士の様に。
「ちなみにその三匹は全部メスで妊娠しているよ。全部ナイフの子だ。普段なかなか仲間と共に暮らせないヴェノムウルフ達は平穏に過ごせる環境であれば盛んに交尾をして繁殖する。群れで子を増やすんだ。一回の出産で生まれるのは、五から七匹くらい。何回出産できるのかはわからないけど。その足元でちょろちょろしてるのは全部この三匹が産んだ子たちだよ」
みんなそれぞれ足元にじゃれついて可愛い顔でしっぽを振って愛嬌を振りまいている。
「この子たちも大きくなったら恐らく子供同士で交配し、子供を増やすと思う。その時、正しい生育環境が整っていなければたちまち猛毒の特級危険生物がこの国を亡ぼすだろう。そうならない為の方法は二つ――」
俺は三人に向き直って真剣な顔で話しかけた。
「この場で全員を殺してしまうか。このまま国を挙げてこの子たちを育てるか。恐らくこの森にいるヴェノムウルフはこれで全部だ。良い匂いを出してる時は仲間が集まってくるからね。この子たちに安全で快適な生活を提供すれば僕たちはこれから訪れる大いなる脅威と戦う力を手に入れることができる。だから、兄さん姉さん、どうか力を貸してほしい」
俺は三人に深々と頭を下げた。
「当たり前よ! 殺すなんてダメよそんなの! この子たちは私が守るわ」
イーゼルはすっかりヴェノムウルフの虜になっていた。彼女は兄のキャンバスの言う事には基本的に逆らわないが、子供の時から直接俺に危害を加えたことはない。もちろん王位継承自体に直接かかわっていないからという理由もあるだろうが、基本的に彼女は誰かを傷つけることを嫌っている。いじめられている人間を目の前に黙っているのは同罪ではある。とはいえその状況で虐められている人間を助けるという行為は勇気が要る行為だ。出来なくても仕方がない。だから俺は彼女をそもそも恨んではいない。むしろ彼女には何度も救われている。さっき俺に向かって放った第六階位の水魔法もそうだ。昔から彼女の魔法はキャンバスとクリップの魔法の威力を軽減してくれている。キャンバスに逆らえない彼女は昔からそうやって俺に攻撃する振りをしていたが、実際は助けてくれていた。イーゼルは味方であったことはないものの敵であったことも一度もない。そんな彼女は今はっきりと俺の味方になった。
「兄様。お願いします。どうかこの子たちと共に生きる為にイレイザーに協力してください。……兄様?」
「……ああ……。そうだな……」
そう返事したキャンバスの目は先ほどにも増して、ニヤニヤと笑みをこぼしていた。
「イレイザー。兄様たちの様子がおかしいわ」
心ここにあらずと言った感じだ。どうやらさっきから真剣に農場を見ているようで実際は惚けて何も考えられていないだけの様だ。
「思った以上に”ドラッグ”の魔法が効きすぎたみたいだね。痛みや恐怖を取り除くための多幸感が心を虚ろにしているんだ。時間が経てば落ち着いて元に戻るよ」
そう言ったもののこの魔法は効果が切れると、徐々に痛みや恐怖心が再び蘇る。痛みは日にち薬で誤魔化し続けていれば忘れてしまえることも多いが心はそうはいかない。一度植え付けられた恐怖心は簡単には癒えることはない。ふとした時や眠る時などに急に思い出し恐怖するのだ。その度にこの魔法を掛け、誤魔化し続けてしまえばもう二度と立ち直ることは出来なくなるだろう。
「そ、そう……。それで、どうするの? 兄様達の魔法が切れるまで待つ?」
「そうだね。この計画には兄さんたちの力が必要不可欠だから。姉さんは手伝ってくれるよね?」
「ええ。兄様達が反対したとしても必ず説得して見せるわ」
「ありがとう。さっきはゴメンね。痛い思いをさせて……」
「いいの。知らなかったとはいえナイフちゃんを傷つけた私たちが悪いの。こっちこそアナタの大切な友達を恐れて攻撃して本当にゴメンなさい」
俺たちは互いに抱擁を交わして和解した。イーゼルは驚くほどいい匂いがした。石鹸や香水といったものではなく、彼女自身が放つ体臭は俺の鼻腔いっぱいにひろがる。それは今まで嗅いだどの匂いよりも心地よく惹かれる匂いだった。よく考えるとこんな若い女を抱擁するのは前世を含めて初めてで色々な刺激が五感を刺激し自然と下半身は反応した。俺は慌てて身体を離す。気づかれなかっただろうか? 二人の意識が回復するまでの間イーゼルはヴェノムウルフ達とのひと時を堪能した。あんなに楽しそうなイーゼルを見るのは初めてだった。姉弟として生まれ色々複雑な関係だったからそういう目で見たことは無かったがイーゼルはとても美しい女性だ。
暫くすると、二人の意識は随分回復した。二人がどこから聞いていなかったのかわからなかったからもう一度ファームの計画の話をやり直す羽目になった。でも、今回はイーゼルが率先して二人にこのファームの事を自分事のように自慢げに話してくれた。クリップは肝が小さいので随分反対したが、最終的には俺達の意見に賛同した。恐怖心こそ拭い去れないが、やはりインフェルノドラゴンさえ殺せるペットを飼いならせる可能性は魅力的だったようだ。意外だったのはキャンバスだ。反対意見も述べずしっかりとこの計画に耳を傾け続けていた。
「それで、これからどうするつもりだ?」キャンバスは俺に尋ねた。
「まずは城に戻らないとね。そして父上や枢軸院の老人達を説得する必要がある。その為にはまずアレを持ち帰らないと――」
「アレ? アレってなんだ?」今度はクリップが尋ねてきた。
「アレだよ。インフェルノドラゴンの頭蓋骨」
「は? 何言ってんだよ!? そんなもん持って帰ってどうするんだ!」
俺はニヤっとした。
「証拠だよ。何も見ずにあの年寄りたちが僕たちの言葉を信用するわけないだろ? 僕は森に留まりずっとコイツを何とかしようと一人戦っていた。兄さんたちはそんな僕を発見し、僕一人ではどうすることもできなかったインフェルノドラゴンを負傷した僕の代わりに力を合わせて打倒した。――そういうシナリオにすれば兄さん達は英雄として胸を張って王国に帰れる」
「あー……。なるほどな。ってか負傷ってなんだよ? お前怪我なんてしてないじゃないか」
「負傷して城に帰れなかったことにするんだ。そして、僕は森にいる間にヴェノムウルフと共存し、彼らの生態の秘密を解き明かした。僕を救い、インフェルノドラゴンを倒した英雄の言葉なら頭の固い年寄り達も聞かざるを得ないだろう。そのために兄さん達には英雄になってもらうよ」
「そ、それは寧ろありがたいが、やったのは全てお前だ。お前の功績として帰れば英雄の王の誕生じゃないか」
キャンバスはふてくされた様な複雑な表情を浮かべながら俺に言った。
「そ、そんな……。」
それを見たイーゼルは悲しそうな顔で俺を見てきた。
「可哀そうだけど仕方がないんだよ。これだけ増えたヴェノムウルフがあの鱗粉を吸って興奮してしまうと猛毒を放つようになってしまう。そうなったら大変だからね」
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イーゼルは大切そうに抱きかかえているヴェノムウルフの頭を撫でた。
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「それがいいわ! そうしましょう。私も手伝う」
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「さあ。さらに上流に行くよ」
俺は更に先へ進む。しばらく歩いていると大きな湖が現れた。
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その湖のほとりで立ち止まって振り返り、三人の顔を見た。
「これが僕が作ったファームだよ。まだまだ改良を加える必要があるけどこのファームを利用してこの子たちが決してお腹が空かない様にしようと思っているんだ」
三人は黙って俺の話を聞いていた。ずっと黙ったままのキャンバスとクリップもどうやら関心があったようで何やら気持ちの悪い笑みを浮かべながら湖を観察していた。”ドラッグ”が効きすぎたか?
「さぁこの先が目的地だよ。三人とも大きな声を出さないでね。この子たちが驚いちゃうから」
再度くぎを刺して最後の角を曲がった。そこには今まで以上の大きな空間があり、その中央付近に大きな何かが横たわっていた。それを目の当たりにした三人の顔色は再びみるみる青ざめ、恐怖に顔を歪めていった。
「あ、あ、あれ……」
そこにあったのは炎の化身であり畏怖の象徴。インフェルノドラゴンの死骸だった。その姿は死してなお、三人を震え上がらせるには十分な存在感を放っている。
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その言葉を聞いて、三人の目線はナイフに移った。
「この子たちが無毒の状態ではほとんどの動物が警戒心を解く。いや、むしろ好んで近づいてくるんだ。この子たちの甘い匂いがそうさせるんだろう。インフェルノドランゴンも例外じゃない。毒の匂いがしなくなったこの場所に、突如コイツは舞い降りた。そして、眠った。奴がここに来た時は恐怖で気が狂いそうだったよ。奴が目を覚まして動き出せば起こるかわからない。僕自身にとってもコイツの存在はトラウマそのものだ。そこで僕はこの子達にインフェルノドラゴンに噛みついてくるように命令した」
この巨大なドラゴンに対する恐怖心で心が壊れそうだった俺にとって、今となってはかわいいだけの存在であるヴェノムウルフはその瞬間心の支えだった。
「ナイフ達は僕の命令に従い、遊び相手にじゃれにつきに行くかの様に真っ直ぐにインフェルノドラゴンに向かって走って行った。この子たちは物凄く静かに素早く走る。気配もさせずに足元にいるからよく踏みそうになる。そして、そのままドラゴンに近づき、気付かれぬままに噛んだ。犬歯の先だけは機嫌が良くても猛毒を出せる
からね。インフェルノドラゴンは噛まれて初めてこの子たちの存在に気が付いて吠えて威嚇した。その声に驚いたこの子たちは一瞬のうちに体内で猛毒を生み出し、ドラゴンの意識を奪った。ドラゴンはそのままあっという間に毒に侵されて死んだ。この巨大なドラゴンがこんな小さな四匹に一瞬で殺されたんだ」
ドラゴンの肉を食らっていた三匹がこっちに気付き、近づいてきてナイフと同じように俺の足元に行儀よく並んでしっぽを振っていた。この子たちがドラゴンを一瞬で殺した時、俺の中にあったこのドラゴンへの恐怖心は薄れた。心に巣食う強大な化け物は従順に命令を聞く甘えん坊で小さなこの子たちに、いともあっさり殺された。この子たちと一緒に居れば俺はもう何も怖くない。そう思った。
「この子の体液には他にも特徴があってね。この子に噛まれた者は一瞬で死ぬものの血は固まらなくなる。心臓や動脈も暫くは動き続ける。いわゆる脳死状態だ。決して生き返ることはないけど直ぐに死ぬこともない。そのおかげで死んでも長い間鮮度が保たれるんだ。出血多量で絶命するまで肉は腐らない。滅多に手に入らない肉を長く保たせるための彼らなりの進化の結果だったんだろう。食いちぎられた場所の血は直ぐに固まり、出血多量にもなりにくい。このドラゴンは死んでからもう一ヶ月以上経っているけど未だに鮮度を保っているんだ。最初に死んだ方は途中から肉が腐りだし、酷い死臭を放ち始めたから焼いたけどね」
そう言って僕が指を指す先にはもう一体、大きなインフェルノドラゴンの骨格が転がっていた。
「インフェルノドラゴンが二体……そんな――」
イーゼルは言葉も出ない様子で怯えている。当然だ。奴らはいわば存在自体が災害だ。突如として現れ、過ぎ去るのを待つしかない存在なのだ。
「僕たちが国を挙げても打倒せないインフェルノドラゴンをこの子たちはたった四匹で仕留めた。いや、その気になれば一匹でも倒せるかもしれない。これが特級危険生物たる所以だよ。そして、そんな最強の生物が僕たち人間に懐いて共存してくれる。ちゃんと教育すれば人の言葉を理解し命令を聞いてくれる。それがどれほどの事かわかるだろ?」
そんな俺の言葉に呼応するかのように近寄ってきた三匹はそれぞれ三人の足元に近づいて身体を摺り寄せた。まるで忠誠を誓う騎士の様に。
「ちなみにその三匹は全部メスで妊娠しているよ。全部ナイフの子だ。普段なかなか仲間と共に暮らせないヴェノムウルフ達は平穏に過ごせる環境であれば盛んに交尾をして繁殖する。群れで子を増やすんだ。一回の出産で生まれるのは、五から七匹くらい。何回出産できるのかはわからないけど。その足元でちょろちょろしてるのは全部この三匹が産んだ子たちだよ」
みんなそれぞれ足元にじゃれついて可愛い顔でしっぽを振って愛嬌を振りまいている。
「この子たちも大きくなったら恐らく子供同士で交配し、子供を増やすと思う。その時、正しい生育環境が整っていなければたちまち猛毒の特級危険生物がこの国を亡ぼすだろう。そうならない為の方法は二つ――」
俺は三人に向き直って真剣な顔で話しかけた。
「この場で全員を殺してしまうか。このまま国を挙げてこの子たちを育てるか。恐らくこの森にいるヴェノムウルフはこれで全部だ。良い匂いを出してる時は仲間が集まってくるからね。この子たちに安全で快適な生活を提供すれば僕たちはこれから訪れる大いなる脅威と戦う力を手に入れることができる。だから、兄さん姉さん、どうか力を貸してほしい」
俺は三人に深々と頭を下げた。
「当たり前よ! 殺すなんてダメよそんなの! この子たちは私が守るわ」
イーゼルはすっかりヴェノムウルフの虜になっていた。彼女は兄のキャンバスの言う事には基本的に逆らわないが、子供の時から直接俺に危害を加えたことはない。もちろん王位継承自体に直接かかわっていないからという理由もあるだろうが、基本的に彼女は誰かを傷つけることを嫌っている。いじめられている人間を目の前に黙っているのは同罪ではある。とはいえその状況で虐められている人間を助けるという行為は勇気が要る行為だ。出来なくても仕方がない。だから俺は彼女をそもそも恨んではいない。むしろ彼女には何度も救われている。さっき俺に向かって放った第六階位の水魔法もそうだ。昔から彼女の魔法はキャンバスとクリップの魔法の威力を軽減してくれている。キャンバスに逆らえない彼女は昔からそうやって俺に攻撃する振りをしていたが、実際は助けてくれていた。イーゼルは味方であったことはないものの敵であったことも一度もない。そんな彼女は今はっきりと俺の味方になった。
「兄様。お願いします。どうかこの子たちと共に生きる為にイレイザーに協力してください。……兄様?」
「……ああ……。そうだな……」
そう返事したキャンバスの目は先ほどにも増して、ニヤニヤと笑みをこぼしていた。
「イレイザー。兄様たちの様子がおかしいわ」
心ここにあらずと言った感じだ。どうやらさっきから真剣に農場を見ているようで実際は惚けて何も考えられていないだけの様だ。
「思った以上に”ドラッグ”の魔法が効きすぎたみたいだね。痛みや恐怖を取り除くための多幸感が心を虚ろにしているんだ。時間が経てば落ち着いて元に戻るよ」
そう言ったもののこの魔法は効果が切れると、徐々に痛みや恐怖心が再び蘇る。痛みは日にち薬で誤魔化し続けていれば忘れてしまえることも多いが心はそうはいかない。一度植え付けられた恐怖心は簡単には癒えることはない。ふとした時や眠る時などに急に思い出し恐怖するのだ。その度にこの魔法を掛け、誤魔化し続けてしまえばもう二度と立ち直ることは出来なくなるだろう。
「そ、そう……。それで、どうするの? 兄様達の魔法が切れるまで待つ?」
「そうだね。この計画には兄さんたちの力が必要不可欠だから。姉さんは手伝ってくれるよね?」
「ええ。兄様達が反対したとしても必ず説得して見せるわ」
「ありがとう。さっきはゴメンね。痛い思いをさせて……」
「いいの。知らなかったとはいえナイフちゃんを傷つけた私たちが悪いの。こっちこそアナタの大切な友達を恐れて攻撃して本当にゴメンなさい」
俺たちは互いに抱擁を交わして和解した。イーゼルは驚くほどいい匂いがした。石鹸や香水といったものではなく、彼女自身が放つ体臭は俺の鼻腔いっぱいにひろがる。それは今まで嗅いだどの匂いよりも心地よく惹かれる匂いだった。よく考えるとこんな若い女を抱擁するのは前世を含めて初めてで色々な刺激が五感を刺激し自然と下半身は反応した。俺は慌てて身体を離す。気づかれなかっただろうか? 二人の意識が回復するまでの間イーゼルはヴェノムウルフ達とのひと時を堪能した。あんなに楽しそうなイーゼルを見るのは初めてだった。姉弟として生まれ色々複雑な関係だったからそういう目で見たことは無かったがイーゼルはとても美しい女性だ。
暫くすると、二人の意識は随分回復した。二人がどこから聞いていなかったのかわからなかったからもう一度ファームの計画の話をやり直す羽目になった。でも、今回はイーゼルが率先して二人にこのファームの事を自分事のように自慢げに話してくれた。クリップは肝が小さいので随分反対したが、最終的には俺達の意見に賛同した。恐怖心こそ拭い去れないが、やはりインフェルノドラゴンさえ殺せるペットを飼いならせる可能性は魅力的だったようだ。意外だったのはキャンバスだ。反対意見も述べずしっかりとこの計画に耳を傾け続けていた。
「それで、これからどうするつもりだ?」キャンバスは俺に尋ねた。
「まずは城に戻らないとね。そして父上や枢軸院の老人達を説得する必要がある。その為にはまずアレを持ち帰らないと――」
「アレ? アレってなんだ?」今度はクリップが尋ねてきた。
「アレだよ。インフェルノドラゴンの頭蓋骨」
「は? 何言ってんだよ!? そんなもん持って帰ってどうするんだ!」
俺はニヤっとした。
「証拠だよ。何も見ずにあの年寄りたちが僕たちの言葉を信用するわけないだろ? 僕は森に留まりずっとコイツを何とかしようと一人戦っていた。兄さんたちはそんな僕を発見し、僕一人ではどうすることもできなかったインフェルノドラゴンを負傷した僕の代わりに力を合わせて打倒した。――そういうシナリオにすれば兄さん達は英雄として胸を張って王国に帰れる」
「あー……。なるほどな。ってか負傷ってなんだよ? お前怪我なんてしてないじゃないか」
「負傷して城に帰れなかったことにするんだ。そして、僕は森にいる間にヴェノムウルフと共存し、彼らの生態の秘密を解き明かした。僕を救い、インフェルノドラゴンを倒した英雄の言葉なら頭の固い年寄り達も聞かざるを得ないだろう。そのために兄さん達には英雄になってもらうよ」
「そ、それは寧ろありがたいが、やったのは全てお前だ。お前の功績として帰れば英雄の王の誕生じゃないか」
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