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夢の異世界生活④
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「この魔法は通常の治癒力を加速させる水属性の治癒魔法とは逆に、時間を逆行させて元の状態に復元するという魔法だ。傷を癒しているのではなく傷を受ける前まで時間を戻す。だから、骨が折れた瞬間や骨が皮膚を突き破った瞬間の痛みも逆再生で一気に襲い掛かってくる。想像を絶する痛み。麻酔なしで無理やり皮膚を引き裂く激痛。遠くから飛ばされて身体を何度も打ち付け擦り付ける衝撃。それが一気に襲い掛かってくる。こんな思いをするくらいならあのまま死んだほうがマシだったと本気で後悔した。何で僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだって。いったい何が悪かったんだろうって……そして僕はそのまま再び気を失った」
そう言ってもう一度三人に顔を見渡した。三人とも先ほど同様、目を伏せて僕と目を合わそうとしない。その態度に、あの時の痛みと恐怖を思い出し少しイライラした。いったい誰のせいであれほどの苦痛を味わったと思っているんだ……。
「目を覚ました僕の身体は完全に元に戻っていた。だが、もう無いはずの痛みや恐怖は消えなかった。今でも時々悪夢を見るよ。傷が治って直ぐに城に戻ろうかと思ったけど、僕は兄さんたちのせいでこんな目に遭った。帰ったってまた邪魔な僕を殺そうとするかもしれない。ドラゴンに立ち向かって一撃で吹き飛ばされた僕を皆はどんな風に見るだろう。きっと笑うだろう。勇んで前線に向かった結果、しっぽの一振りで吹っ飛ばされたんだからね」
皆が俺を見る目を想像すると、怖くてとても帰る気になれなかった。
「だから僕はこのまま死んだことにしてこの森で暮らそうと考えた。そして、もっともっとたくさんの魔法を完成させようと。兄さんたちを見返すために。元々キャンプは得意だし、ログハウスを造ったこともある。魔法の力を使えば重機を使わずに一人でログハウスを造ることもできるんじゃないかってね。思った通りあの時に比べたら遥かに簡単だったよ。見て。僕の自慢の家を」
そう言って俺が造ったログハウスを指さして見せた。
「この家で僕と一緒に暮らしてきたんだよ、兄さん。お前らが殺したナイフと一緒に……」
そう言って三人を睨みつけた。
「ふ、ふざけるな! ヴェノムウルフと一緒に暮らせるわけないだろ! 特級危険生物だぞ。唾液に触れるだけで即死するほどの毒を持っている化け物だ! 見つければ即殲滅が定められている。この森での目撃情報があったから俺たちはその規則に従って命がけで奴を探し出し戦ったんだ! 讃えられこそすれ、責められる謂れはない! おかしいのは貴様だ。イレイザー!」
キャンバスは反論した。彼の意見はもっともだ。俺だってこの子と出会って一緒の時間を過ごしていなければ同じことをしたかもしれない。だが、俺はもう出会ってしまった。そして今日まで一緒に暮らしてきたんだ。
「ヴェノムウルフの唾液には毒はないよ。逆にコイツの唾液は毒を浄化する能力があるんだ。何も知らないくせに……。コイツらはね。その猛毒のせいで常に孤独なんだ。この世界において小さな身体で大して強い能力を持たず。穏やかな気性のコイツらにとってその猛毒は自分の身を守る為の唯一の武器なんだよ。毒をもつ生物なんて珍しくもないだろ? ただ、その毒はあまりにも強力すぎた。全ての生物が畏れて近寄らない。コイツの匂いを感じれば全ての生物が一目散に逃げだすんだよ。あのインフェルノドラゴンでさえね。本来肉食のコイツらは食べるものもなく、やせ細って繁殖さえままならない絶滅寸前の可哀そうな奴らなんだよ!」
そう言って三人に焼き殺されたナイフの身体を撫でる。 ヴェノムウルフの魔法耐性は非常に高い。そのせいで人間なら一瞬で消し炭になる第六階位の火炎魔法に長く苦しむ結果となった。長い時間炎に包まれたせいで血液が沸騰し、血管が裂け、酸素がなくなり窒息死した。強力な火炎で少しずつ焼かれていくのはどれほどの苦しみだっただろう……。
「そんなことはみんなが知っている! それほど危険だから絶滅させるべきなんだろうが! もしそいつ等が餌を求めて人里に出てきたらどうする!? たちまち俺たち人間は全滅するぞ!」
キャンバスは息を荒立てて俺の言葉に反論する。
「そんなことないよ。正しく理解して接すれば共存できる。とてもいい子たちなんだよ」
そう言って横たわるナイフの身体を抱き上げた。
「な、なんで!? お前なんでそんなもんに触れて生きてるんだよ……」
クリップが青ざめた表情で僕を見て言う。僕は三人に焼かれ、血が滴るナイフの身体を抱きながら三人に近づいた。インフェルノウルフの血は触れた瞬間死に至るほどの猛毒だ。
「う、うわぁ! 来るな、来るな! そんなもん持ってくるなよ!」
「そんなもん? 僕の友達にひどい言い方するね。クリップ兄さん。インフェルノウルフの毒はね、彼らの精神状態で大きく変化するんだ。穏やかな時、楽しい時は毒性はとても弱く鮮やかな赤い色になる。逆に緊張したり、恐怖したりすれば真っ黒な色の猛毒に変わる。そんなことも知らずにただ、インフェルノウルフであるというだけで畏れられ、嫌われて――」
俺の服は抱きかかえたナイフの血で黒く染まっていった。 ナイフを抱いた俺の身体はその血で少しずつ黒く染まっていく。
「……ヴェノムウルフの事は城の図書館で読んで知っていた。でも、その挿絵では真っ黒なドーベルマンをもっと大きく凶悪にしたような感じだった。だから初めてコイツとあった日は全く分からなかったんだ」
初めて出会った時の事を思い出し、事切れてたナイフの身体を優しくなでた。
「ある日の早朝、窓の外にグッタリと横たわっている子犬の姿が見えた。僕は慌ててドアを開けて飛び出した。その刹那に異臭を感じた。……気が付くとその場に倒れこんでいた。気を失っていたんだ。すでに太陽は真上にあった。辺りを見渡すと子犬の姿は無かった。不思議に思いながら部屋の中に戻ろうと身体を起こすと物凄い頭痛と吐き気、そして身体がしびれてうまく動けない。その時ようやく気が付いたんだ。もしかして、あれがヴェノムウルフなのかって」
その子犬の姿は挿絵とは全然違った。でも特徴が合致していた。その匂いを嗅ぐだけで気を失い、気が付いた後もしびれや頭痛、吐き気を伴う。神経毒の一種だ。
「体を引きずりながら部屋に戻り、もう一度的から外を覗いてみると離れた場所でじっと臥せながらこちらを見ているのがいる姿が確認できた。こちらが気になるものの身体を起こすのも辛いのだろう」
ヴェノムウルフの毒に怯え、俺を刺激しない様に震えながら黙っている三人には目もくれず、ナイフを抱きしめながら話を続ける。
「どれだけ待ってもその場から離れようとしないナイフに業を煮やし、ドアの隙間から魔法で焼き殺してやろうかと考えた。けど、そのやせ細って弱った姿を見て思わず僕は残してあった肉を力いっぱい投げてやった。腹を満たせば離れてくれるかもしれないって。でもナイフは肉の前に移動するだけで、すぐに飛びつかなかった。今まで誰かに肉を与えられる経験なんてなかったんだろうね。警戒しているのか困惑しているのか、それからドアの隙間から覗く僕を見返すんだ。まるで『食べていいの?』って伺うように」
ナイフとのたくさんの思い出が蘇って目が潤んでくる。
「特級危険生物とは思えないほど健気で弱々しいその姿は僕の心をギュッと掴んだ。『いいから早く食べろよ』そう言ってやると意味が分かったのかゆっくりと美味しそうに食べ始めた。当然食べ終わった後、その場を離れようとはしなかった。でも、決して小屋の方に近づくこともなかった。少し離れた場所に臥せってジッとこっちを見続けているんだ。ナイフは解っていたんだ。自分が近づけば相手を傷つけてしまうということを。だから決して自分から他人に近づこうとしなかったんだ」
そう言ったと同時に自然と涙がこぼれた。
「次の日もその次の日も残っている肉を与えてやった。その度に僕の合図を待ってから美味しそうに食べるんだ。でも、数日後には家にあった保存食は底を突いた。いよいよ僕自身の命に危険が迫っていた。外には特級危険生物のヴェノムウルフ。お腹を満たせば離れてくれるんじゃないかと同情で餌を与えてしまったけど決してその場を離れない。このままだとコイツを殺さないと僕が死んでしまう」
意を決してドアから外に出てみると、あの時感じた異臭はしなくなっていた。相変わらず遠くの方でこちらを見ているナイフは何がそんなに嬉しいのか、取れそうな勢いで大きくしっぽを振っていた。
「ナイフは落ち着かない様子でパンティングしながら、立ったり座ったりその場でうろうろしながらも決してこっちに近づいてはこなかった。近づけばまた気を失ってしまうだろうか? 頭とは裏腹に僕はその愛くるしい姿に吸い寄せられるように近づいて行っていた」
目の前にまで来ると腹を見せて寝そべってきた。普通、野生動物がそんな行動をするなんて絶対にない。
「その可愛さに僕は思わずその腹を撫でていた。すると抵抗することなく気持ちよさそうに腹を撫でられ続けてくれた。異臭もない。気が付くと僕はこの子をギュッと抱きしめていた。ナイフは大人しく僕に抱かれながら頬をなめてくれた。僕はいつの間にか泣いていた。ナイフはこの世界に来てから二人目の、ノートが死んでから初めて僕を心から受け入れてくれた存在になった」
僕の言葉を聞いても誰も何も言わない。 少し話題を変えてみた。
「そう言えばノート。……僕の母さんは病気で死んだ。発熱や下痢、頭痛……。風邪かと思って誰も回復を疑わなかった。でも、徐々に呼吸困難やけいれん、遂には意識障害……。徐々に症状は悪化していった。そんなある時つまずいてケガをした。でも、なぜか魔法をかけても傷を塞いでも出血が止まらない。元いた世界に同じような症状の病気がある。後天性免疫不全症候群。……エイズだ」
と言っても前世の世界では正しい治療をすれば発症を抑えられる病気になっている。でもこの世界では名前もない魔法すら効かない未知の病気だ。ノートはエイズ、もしくはそれに似た病を罹ったんだと思った。だが感染経路は? 父上か? ……だが、王の体調が悪い様子はない。そもそもエイズであるとも限らない。だったら飛沫感染や空気感染もあり得る? いや、それもない。ノート以外に同じ症状を訴える者は一人としていなかった。そんなことより治療方法は?
「王の命令で城内の人間が総出で存在する限りの回復魔法を試した。だが、一向に回復する兆しが現れなかった。いくら病気とはいえ、魔法で傷の回復すらできないほどの病気なんてあるのか? それとも……」
俺は三人に問いかけるように話した。当然返答はない。
「わからないことだらけで、何とかしたくて……。でも、当時の僕は八歳。まだようやく第五階位の魔法の勉強を始めたばかりの僕には何もできなかった。しかも、その時、母さんは二人目の子供をお腹に宿していた。何一つわからないまま、お腹の子供と共に母さんは死んでしまった。そして僕は本当に一人ぼっちになってしまった……」
やはり三人は表情を変えない。惚けているのか、本当にわからないのか。体力が限界で俺の話が聞こえていないのか? 俺は確信の話を始める。
「母さんが死んでしばらく経ったある日、第六階位の書庫の中に隠し部屋を見つけたんだよ。そこには呪いや禁呪といったものばかりが保管されていた。多くの魔導書に目を通していると、その中に母さんが死んだ時と同じ症状でゆっくりと命を削る病気が記されていた。この禁書庫にあるのは全て禁忌に当たる魔法で、余程位の高い者でなければ閲覧することは許されないはずだ。隠された魔導書庫にそれを見つけた瞬間、僕はノートが誰かに呪いを掛けられたと確信した……」
そう言って三人の顔を見回す。冷や汗をかいてぐったりしているものの焦る様子はない。やはりこの三人は違うか?
「この国で第六階位の魔法を使える者だけが入れる書庫にある隠し部屋。つまり、ノートの病気が魔法の効果であるのなら誰かがノートにこの魔法をかけたことになる。じゃあいったい誰が? 第六階位魔法を使える城内の人間だよ。そんなの数えられる程度しかいない。君たち三人と君たちの母さん。他には? ステープラとパレットとペンシル。それから枢軸院の年寄り達。そして、国王である父上だけだ。まぁあの時点で第六階位の魔法が使えなかったパレットとペンシルには無理だから除外だね」
三人の様子を見るとイーゼルがぐったりとして今にも倒れそうだった。
「大丈夫? 姉さん。もう本当に限界だね。そろそろ決めてもらわないと。今後、僕に忠誠を誓い従うか、それとも三人の内の誰かが自分の縄を切ってこの子に詫びるか――」
俺はそう言って、また三人の真ん中に移動した。
そう言ってもう一度三人に顔を見渡した。三人とも先ほど同様、目を伏せて僕と目を合わそうとしない。その態度に、あの時の痛みと恐怖を思い出し少しイライラした。いったい誰のせいであれほどの苦痛を味わったと思っているんだ……。
「目を覚ました僕の身体は完全に元に戻っていた。だが、もう無いはずの痛みや恐怖は消えなかった。今でも時々悪夢を見るよ。傷が治って直ぐに城に戻ろうかと思ったけど、僕は兄さんたちのせいでこんな目に遭った。帰ったってまた邪魔な僕を殺そうとするかもしれない。ドラゴンに立ち向かって一撃で吹き飛ばされた僕を皆はどんな風に見るだろう。きっと笑うだろう。勇んで前線に向かった結果、しっぽの一振りで吹っ飛ばされたんだからね」
皆が俺を見る目を想像すると、怖くてとても帰る気になれなかった。
「だから僕はこのまま死んだことにしてこの森で暮らそうと考えた。そして、もっともっとたくさんの魔法を完成させようと。兄さんたちを見返すために。元々キャンプは得意だし、ログハウスを造ったこともある。魔法の力を使えば重機を使わずに一人でログハウスを造ることもできるんじゃないかってね。思った通りあの時に比べたら遥かに簡単だったよ。見て。僕の自慢の家を」
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キャンバスは反論した。彼の意見はもっともだ。俺だってこの子と出会って一緒の時間を過ごしていなければ同じことをしたかもしれない。だが、俺はもう出会ってしまった。そして今日まで一緒に暮らしてきたんだ。
「ヴェノムウルフの唾液には毒はないよ。逆にコイツの唾液は毒を浄化する能力があるんだ。何も知らないくせに……。コイツらはね。その猛毒のせいで常に孤独なんだ。この世界において小さな身体で大して強い能力を持たず。穏やかな気性のコイツらにとってその猛毒は自分の身を守る為の唯一の武器なんだよ。毒をもつ生物なんて珍しくもないだろ? ただ、その毒はあまりにも強力すぎた。全ての生物が畏れて近寄らない。コイツの匂いを感じれば全ての生物が一目散に逃げだすんだよ。あのインフェルノドラゴンでさえね。本来肉食のコイツらは食べるものもなく、やせ細って繁殖さえままならない絶滅寸前の可哀そうな奴らなんだよ!」
そう言って三人に焼き殺されたナイフの身体を撫でる。 ヴェノムウルフの魔法耐性は非常に高い。そのせいで人間なら一瞬で消し炭になる第六階位の火炎魔法に長く苦しむ結果となった。長い時間炎に包まれたせいで血液が沸騰し、血管が裂け、酸素がなくなり窒息死した。強力な火炎で少しずつ焼かれていくのはどれほどの苦しみだっただろう……。
「そんなことはみんなが知っている! それほど危険だから絶滅させるべきなんだろうが! もしそいつ等が餌を求めて人里に出てきたらどうする!? たちまち俺たち人間は全滅するぞ!」
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「そんなことないよ。正しく理解して接すれば共存できる。とてもいい子たちなんだよ」
そう言って横たわるナイフの身体を抱き上げた。
「な、なんで!? お前なんでそんなもんに触れて生きてるんだよ……」
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「う、うわぁ! 来るな、来るな! そんなもん持ってくるなよ!」
「そんなもん? 僕の友達にひどい言い方するね。クリップ兄さん。インフェルノウルフの毒はね、彼らの精神状態で大きく変化するんだ。穏やかな時、楽しい時は毒性はとても弱く鮮やかな赤い色になる。逆に緊張したり、恐怖したりすれば真っ黒な色の猛毒に変わる。そんなことも知らずにただ、インフェルノウルフであるというだけで畏れられ、嫌われて――」
俺の服は抱きかかえたナイフの血で黒く染まっていった。 ナイフを抱いた俺の身体はその血で少しずつ黒く染まっていく。
「……ヴェノムウルフの事は城の図書館で読んで知っていた。でも、その挿絵では真っ黒なドーベルマンをもっと大きく凶悪にしたような感じだった。だから初めてコイツとあった日は全く分からなかったんだ」
初めて出会った時の事を思い出し、事切れてたナイフの身体を優しくなでた。
「ある日の早朝、窓の外にグッタリと横たわっている子犬の姿が見えた。僕は慌ててドアを開けて飛び出した。その刹那に異臭を感じた。……気が付くとその場に倒れこんでいた。気を失っていたんだ。すでに太陽は真上にあった。辺りを見渡すと子犬の姿は無かった。不思議に思いながら部屋の中に戻ろうと身体を起こすと物凄い頭痛と吐き気、そして身体がしびれてうまく動けない。その時ようやく気が付いたんだ。もしかして、あれがヴェノムウルフなのかって」
その子犬の姿は挿絵とは全然違った。でも特徴が合致していた。その匂いを嗅ぐだけで気を失い、気が付いた後もしびれや頭痛、吐き気を伴う。神経毒の一種だ。
「体を引きずりながら部屋に戻り、もう一度的から外を覗いてみると離れた場所でじっと臥せながらこちらを見ているのがいる姿が確認できた。こちらが気になるものの身体を起こすのも辛いのだろう」
ヴェノムウルフの毒に怯え、俺を刺激しない様に震えながら黙っている三人には目もくれず、ナイフを抱きしめながら話を続ける。
「どれだけ待ってもその場から離れようとしないナイフに業を煮やし、ドアの隙間から魔法で焼き殺してやろうかと考えた。けど、そのやせ細って弱った姿を見て思わず僕は残してあった肉を力いっぱい投げてやった。腹を満たせば離れてくれるかもしれないって。でもナイフは肉の前に移動するだけで、すぐに飛びつかなかった。今まで誰かに肉を与えられる経験なんてなかったんだろうね。警戒しているのか困惑しているのか、それからドアの隙間から覗く僕を見返すんだ。まるで『食べていいの?』って伺うように」
ナイフとのたくさんの思い出が蘇って目が潤んでくる。
「特級危険生物とは思えないほど健気で弱々しいその姿は僕の心をギュッと掴んだ。『いいから早く食べろよ』そう言ってやると意味が分かったのかゆっくりと美味しそうに食べ始めた。当然食べ終わった後、その場を離れようとはしなかった。でも、決して小屋の方に近づくこともなかった。少し離れた場所に臥せってジッとこっちを見続けているんだ。ナイフは解っていたんだ。自分が近づけば相手を傷つけてしまうということを。だから決して自分から他人に近づこうとしなかったんだ」
そう言ったと同時に自然と涙がこぼれた。
「次の日もその次の日も残っている肉を与えてやった。その度に僕の合図を待ってから美味しそうに食べるんだ。でも、数日後には家にあった保存食は底を突いた。いよいよ僕自身の命に危険が迫っていた。外には特級危険生物のヴェノムウルフ。お腹を満たせば離れてくれるんじゃないかと同情で餌を与えてしまったけど決してその場を離れない。このままだとコイツを殺さないと僕が死んでしまう」
意を決してドアから外に出てみると、あの時感じた異臭はしなくなっていた。相変わらず遠くの方でこちらを見ているナイフは何がそんなに嬉しいのか、取れそうな勢いで大きくしっぽを振っていた。
「ナイフは落ち着かない様子でパンティングしながら、立ったり座ったりその場でうろうろしながらも決してこっちに近づいてはこなかった。近づけばまた気を失ってしまうだろうか? 頭とは裏腹に僕はその愛くるしい姿に吸い寄せられるように近づいて行っていた」
目の前にまで来ると腹を見せて寝そべってきた。普通、野生動物がそんな行動をするなんて絶対にない。
「その可愛さに僕は思わずその腹を撫でていた。すると抵抗することなく気持ちよさそうに腹を撫でられ続けてくれた。異臭もない。気が付くと僕はこの子をギュッと抱きしめていた。ナイフは大人しく僕に抱かれながら頬をなめてくれた。僕はいつの間にか泣いていた。ナイフはこの世界に来てから二人目の、ノートが死んでから初めて僕を心から受け入れてくれた存在になった」
僕の言葉を聞いても誰も何も言わない。 少し話題を変えてみた。
「そう言えばノート。……僕の母さんは病気で死んだ。発熱や下痢、頭痛……。風邪かと思って誰も回復を疑わなかった。でも、徐々に呼吸困難やけいれん、遂には意識障害……。徐々に症状は悪化していった。そんなある時つまずいてケガをした。でも、なぜか魔法をかけても傷を塞いでも出血が止まらない。元いた世界に同じような症状の病気がある。後天性免疫不全症候群。……エイズだ」
と言っても前世の世界では正しい治療をすれば発症を抑えられる病気になっている。でもこの世界では名前もない魔法すら効かない未知の病気だ。ノートはエイズ、もしくはそれに似た病を罹ったんだと思った。だが感染経路は? 父上か? ……だが、王の体調が悪い様子はない。そもそもエイズであるとも限らない。だったら飛沫感染や空気感染もあり得る? いや、それもない。ノート以外に同じ症状を訴える者は一人としていなかった。そんなことより治療方法は?
「王の命令で城内の人間が総出で存在する限りの回復魔法を試した。だが、一向に回復する兆しが現れなかった。いくら病気とはいえ、魔法で傷の回復すらできないほどの病気なんてあるのか? それとも……」
俺は三人に問いかけるように話した。当然返答はない。
「わからないことだらけで、何とかしたくて……。でも、当時の僕は八歳。まだようやく第五階位の魔法の勉強を始めたばかりの僕には何もできなかった。しかも、その時、母さんは二人目の子供をお腹に宿していた。何一つわからないまま、お腹の子供と共に母さんは死んでしまった。そして僕は本当に一人ぼっちになってしまった……」
やはり三人は表情を変えない。惚けているのか、本当にわからないのか。体力が限界で俺の話が聞こえていないのか? 俺は確信の話を始める。
「母さんが死んでしばらく経ったある日、第六階位の書庫の中に隠し部屋を見つけたんだよ。そこには呪いや禁呪といったものばかりが保管されていた。多くの魔導書に目を通していると、その中に母さんが死んだ時と同じ症状でゆっくりと命を削る病気が記されていた。この禁書庫にあるのは全て禁忌に当たる魔法で、余程位の高い者でなければ閲覧することは許されないはずだ。隠された魔導書庫にそれを見つけた瞬間、僕はノートが誰かに呪いを掛けられたと確信した……」
そう言って三人の顔を見回す。冷や汗をかいてぐったりしているものの焦る様子はない。やはりこの三人は違うか?
「この国で第六階位の魔法を使える者だけが入れる書庫にある隠し部屋。つまり、ノートの病気が魔法の効果であるのなら誰かがノートにこの魔法をかけたことになる。じゃあいったい誰が? 第六階位魔法を使える城内の人間だよ。そんなの数えられる程度しかいない。君たち三人と君たちの母さん。他には? ステープラとパレットとペンシル。それから枢軸院の年寄り達。そして、国王である父上だけだ。まぁあの時点で第六階位の魔法が使えなかったパレットとペンシルには無理だから除外だね」
三人の様子を見るとイーゼルがぐったりとして今にも倒れそうだった。
「大丈夫? 姉さん。もう本当に限界だね。そろそろ決めてもらわないと。今後、僕に忠誠を誓い従うか、それとも三人の内の誰かが自分の縄を切ってこの子に詫びるか――」
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