木蓮荘

立夏 よう

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東京5

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駅につく。怯えがみえないように自然にみえるように意識しながら汽車をおり雑踏を迷いながら車の待合を探す。旅姿の行列の中、ようやく順番が来て車夫に住所の書付を見せてそこへやってくれるように頼む。三十くらいのその車夫は少しためらうような表情を見せ、その少しの間が私を不安にさせた。夕方の東京の町は、地元とは違いまだまだ人で溢れている。鎌倉に行った時の高揚感はまるでない。あの時は先生も、いともいて、楽しいばかりだったが今は、まだ、不安でいっぱいだった。しばらく走ると景色が変わる。荒んだような廃墟の町。車夫が口を開いた。
「もしかしてご存知じゃなかったんですかい。お見舞いかなんかかと思ったんですがね。ここいらはついこの前の大火で焼け野原で」
私は呆然とした。
「あの、この住所の家はどこですか」
「こうなっちゃどこかもはっきりとはわからねえですが、おそらくこの当たりかと」そう言って車夫は人力車を止めた。あちこちに仮住まいのような掘っ建て小屋が建てられているが、車夫が止めた場所には何もなかった。ただ焼け残った家の残骸があるだけの場所でしかなかった。
「このあたりの人を訪ねてこられたんでしたら、少し聞いてみるしかないでしょうな」
車夫は同情するように言ってくれた。私はそこで料金を払い降ろしてもらった。一人になりたかった。どうしたらいいのかわからなかった。


もう少し簡単に考えていた。今日中に山口先生と連絡はとれないにしても行き先の把握くらいはできると思ってたいのにまさか、頼りにしていた家の人に巡り合うことすらできないとは。でもなんとかしなくては。人影をみつけては聞いてみる限り、焼け出された人たちの多くは寺に身を寄せているという話ではあったが、何人かに聞いてわかったことはどうも私が当てにしていた家の人たちは助からなかったということだった。愕然とした。
先生が火事のことを知っているのなら、なんとか連絡をとれるように何かの手段をとってくれる可能性はある。だが、先生はそもそもわたしがいつ東京に出てくるのかを把握していない。あの時点ではまだ具体的な縁談の話ではなかったので今日明日とか今年中という話だとは思っていなかっただろうし、そこまで私のことをいつも考えてくれているとは限らない。こうなっては先生を頼る伝手はないと思うしかない。実家は高田馬場のほうだったと聞いたことがあるが、両親も亡くなり家もないと言っていたし、探す手立ては今は思いつかない。ただ、幸いお金だけはあるから、自分で宿を探し、とにかく生きていくしかない。

そう心に決め、不案内なこの町を歩く。少し歩くと焼け野原が終わり、少し町がにぎやかになってくる。車をまた拾って駅に戻ろうか、と思っていたところで、やけに明るく目立つ一軒の建物が目に入る。「宿」と書かれているので、暗くなる前にとにかく今日はここで泊まろうと心に決め、暖簾をくぐった。
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