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結の記憶②

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「あの、そんな偉い人が、一体こっちの世界に何をしに来たの?」

 潤也が躊躇いがちにハクに問うと、ハクはふるふると首を横に振る。

「別に偉くないよ。そういう役割なだけで。実際、帝なんて言ったって肩書だけで、監視はすごいし、あれもダメこれもダメって……」

 ハクは思い出したように愚痴を言い始めた。
 相当鬱憤は溜まっているようだが、今はそんな話をしてる場合じゃない。

「それで、何をしに来たの?」

 俺がそれを遮って尋ねると、ハクはコテっと首を傾げる。

「うーん。自分探し?」
「……自分探し……?」

 皆が良く分からないという顔でハクを見つめると、ハクはニコリと笑った。

「狭い宮中を抜け出して、本当の自分を見つけに来たの。」
「……何か、アニメとか映画の話みたいだな。本当にあるんだ、そういうの。」

 潤也が感心するように言う。
 ハクはそれにニコニコしたまま応じている。

 でも、もし本当にそうだとしたら、ハクは冗談めかして言っているが、そう軽い問題じゃ無いはずだ。

「……ねえ、それ、大丈夫なの?」

 俺が尋ねると、ハクは笑みを浮かべたまま、

「だから、朝までに帰れば大丈夫だって……」

と言いかけた。
 でも、俺が言いたいのはそういうことじゃない。

「自分が誰かを知りに来たってことでしょ。……結ちゃんのことを。」

 俺がそう言うと、ハクは顔色を変える。
 先程まではニコニコしたり怒ったり、以前のようにコロコロ表情を変えていたのに、急にその表情から感情が消えた。

「ハク。」

 返答を促すよう呼びかけると、ハクは小さく息を吐き出す。

「……大丈夫かどうかなんてわかんないよ。わかんないけど、あの日からずっと胸の中にモヤモヤが居座って消えてくれないの。毎日、痛くて苦しくて気持ち悪くて仕方がないの。」
「……それ、周りの人には?」

 ハクは小さく首を横に振る。

「言ってない。でも、璃耀は私の様子がおかしいことには気づいてる。」

 ハクの後ろでずっと目を光らせていた側近は、牢から抜け出したあとのハクのちょっとした表情の変化も敏感に察知していた。
 確かにあの人なら、ハクの様子の変化にすぐに気づきそうだ。

「そうそう抜け出してくることなんて出来ない。今日しかないの。奏太に会えてラッキーだった。」

 ハクの目は真剣だ。

「連れてって。結の故郷に。」
「……でも……」

 本当は、誰か一人でもハクが信頼する妖界の者がついて行った方がいい気がする。

 危険だとか護衛が必要だとか、そういう話じゃない。今の状態だと、全部を思い出したあとの、ハクの心の拠り所が無くなってしまわないだろうかと、それが不安だ。

 本当に本人の明確な了承もないまま妖界に行かせたのだとすれば尚更……

「奏太。」

 俺が口を噤んでいると、ハクは懇願するような目をこちらに向ける。

 それに、聡がハアと息を吐いた。

「何かよくわかんないけど、連れてってやったら? 妖界の偉い人が、側近全部おいて抜け出してくるって、相当だろ。」

 見かねたようにそう言うと、潤也も頷く。

「そうだよ。二人で心配なら、俺達も一緒に行くし。」
「お願い。奏太。」
「……」

 ハクの決意は変わらなそうだ。ここで俺が拒否しても、自分一人で宛もなく動き出してしまいそうな怖さがある。実際、俺に会えなければそうするつもりだったんだろうし……

「……ハクは本当にいいの?」

 確かめるようにそう尋ねると、ハクは、ゆっくり頷いた。

「わかった。それなら、一緒に行こう。伯父さんたちなら全部知ってるはずだ。」


 着物姿ではどうしても目立つ。

 小柄なハクに少しでも合うよう、絢香に体育で使うジャージを借り、気休めにしかならないが、おろしたままより良いだろと、紗月が銀灰色の髪をまとめて団子状に結ってくれた。

「器用だね、紗月ちゃん。すごくカワイイ。」

 ハクが借りた鏡を見ながら感心したように言うと、紗月は嬉しそうに笑う。

「妹によくやってあげるの。ハクちゃんは髪がきれいだしさらさらだから羨ましい。」
「あぁ、でもこれ、まやかしだから。」
「まやかし?」

 ハクは苦笑を浮かべながらコクリとうなずく。
 そして、

「見てて。」

と言うやいなや、その場からハクの姿がふっと消えた。

 皆が目を瞬いて、ハクがいたはずの場所をじっと見つめる。

 一体どこに……と思っていると、抜け殻のようになった服の下から、小さな銀灰色の兎がぴょこんと出てきた。

「これがホントの姿なの。」

 皆、唖然としてその小さな喋る兎を見る。

 以前、伯父さんが、結は妖界に行く為に妖になったのだと言っていた。
 でもまさか、兎になっていたとは……

「京だと、人の姿でいることが普通で、この姿でいると、はしたないって言われるんだよね。だから、兎の姿になるの、すごく久々なの。」

 そう言いながら、今度は再び人の形に変わる。

「っていうか、ハク、服!」

 兎に変わった時に、まるまる脱げてしまったからだろう。そこに姿を現したのは、完全に裸の状態になったハクだった。

 驚きと同時に男三人が慌てて背を向けると、背後から、

「あぁ、ごめんごめん。」

と全く悪く思って無さそうな声が聞こえてくる。

「イメージの問題なんだけど、皆、人の姿になるときには薄手の服を一枚着た姿で人になれるのに、私は元が人だからか、獣から人の姿になる時に全部脱げちゃうんだよね。」

 そう言い訳しながらゴソゴソ服を着る音がする。

 自分もたぶんそうなのだろうが、潤也も聡も耳まで真っ赤だ。

「もう大丈夫だよ。」

と言われて恐る恐る振り返ると、そこには先程と同じように、絢香のジャージを来たハクがいた。

 ハアと息を吐いていると、ハクは自分の髪に触れて眉尻を下げる。

「……ごめん、紗月ちゃん……髪まで解けちゃうのは盲点だった。もう一回おねがいします……」

 ハクは本当に申し訳なさそうにそう言った。


 だいぶ時間が遅くなり、俺達はようやく学校を後にした。

 電車に揺られ、本家を目指す。

 ハクは髪のせいもあるのだろうが、その容姿も相まって、すごく人目を引く。

 チラチラと振り返られることが多いし、妙な輩がこちらを見てニヤニヤ笑いながら、何やら話したりしているのが目に入った。

 皆、心配して送って行こうかと声をかけてくれたので、お言葉に甘えて潤也と聡には一緒に来てもらうことにした。

 何かあったときに、一人でこの妖界の貴人を守りきれる気がしない。

 帰りは亘に学校まで送ってもらおうと固く決意した。

 最寄駅につき、駅のロータリーを抜けてすぐ、懸念していた通り、四人の若者に囲まれた。
 電車に乗る前に見かけた連中だと思う。

 こんなところまでついてきたのだろうか。

「なあ、今から一緒に遊びに行かない?」

 一人がニヤニヤ笑いながら言う。
 こういう場合は、真っ向から相手をしないほうがいい。

「行こう。」

 別の道から行こうとハクの腕をつかんで踵を返す。しかし、別の男にぐいっと俺の腕が掴まれた。

「無視すんなよ。」

 気づくと、俺達四人は男たちに囲まれ、しかも、人気のない方にグイグイ追いやられて行く。

 ……どうすれば良いのだろう。

 そう思っていると、後ろで聡がスマホを取り出しタップを始めた。助けを呼ぶつもりなのだろう。
 しかし、それもすぐに、別の男に取り上げられた。

「余計なことすんな。」

 不意に、直ぐ後ろでハクのハアという溜息が聞こえてきた。

「騒ぎは起こすなっていつも言われてるのに……」

 そう言うと、街路樹に手を伸ばし、低い位置にあった枝をバキっと思い切り手折る。

 一体何事かと思っていると、徐ろにそれを刀のように構えた。

 男達はバカにするようにこちらを見ているし、こちらもこちらで動揺を隠せない。

「は……ハク?」

 しかし、相手もこちらも油断しているうちに、ハクは驚くほど素早い動きで枝を振り回し始めた。

 的確に鼻頭を叩き、向こうが怯んだ隙にスネを狙って打ち付け、下から鳩尾に持ち手にしている方の枝の端をめり込ませる。

 更に向かって来ようとする三人に枝を突き立て、腕をひねり上げ、足をかけて転ばせ肘打ちを食らわせる。小さな体で攻撃を避けながら伸していく様に、俺達は唖然とするしかない。

「何なんだよ、クソが!」

と、まるでアニメのように男たちが悪態をつきながら逃げていくのを見送りながら、

「……ハクって強いんだ……」

と潤也がぼそっと呟くように言った。

 ハクは汗を拭いながらニコリと笑う。

「あまりにも私がトラブルに巻き込まれるから、陽の気がなくても自分の身を守れるようにって、護身術と小太刀の使い方を稽古させられたの。元々鍛えてる者が多い妖界じゃあんまり役に立たないけど、戦いなれてない人界の輩くらいなら何とかなるかなって。」
「……そ……そうなんだ……」

 十分すぎる実力だと思う……
 ハクを守らなきゃと気負っていたのに、逆に俺達が守られた気分だ。

 俺達は三人で視線を交わし合う。
 何だか、乾いた笑いしか出てこなかった。
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