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第一部 一章【大切な彼女と過ごす、第二の人生】

ノルンとリゼル

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(やはり寝言で口走っていたのか……)

 夢をみることも、寝言を言ってしまうのも、自分の意志ではどうにもできない。
 そういうものだとは分かってはいる。同時に漠然とした申し訳なさも感じている。
しかし、口を開いてしまった手前、ここで黙ったままでいるのはリゼルに対して失礼だと考えた。

「リディ様は俺の師匠のことだ。そしてマリーダというのは、リディ様の真名(まな)、本当のお名前になる」
「本当の名前?」
「リディというのは戦神の1人で、剣に長けた神の名だ。あの方は偉大な剣聖だったので、そう名乗っておいでだった。俺がかつて名乗っていた、“バンシィ”と同じように」
「それって……」

「俺の真名は、今、リゼルたちが呼んでいるように……ノルン。この名は、ここに来る以前はロトは愚か三姫士さえも知らない。知っていたのは俺に"バンシィ“という名を授けて下さった、リディ様だけだ」

 何度も懐かしい名前を口にし、胸が張り裂けそうに痛かった。
 リゼルも、神妙な面持ちで耳を傾け続けくれていた。

「包帯、変えます。支度してください」
「あ、ああ……頼む」

 リゼルは椅子を引き出し、腰を据えた。
 ノルンはベッドから起き上がると、上着を脱いで背中を見せる。

 彼女は僅かに指先を震わせながら、包帯を解きほぐしてゆく。
 
 いつもはリゼルと居て楽しいはずなのに、今は息苦しくて仕方がない。

「それで、えっと……リディ様? マリーダさんは……お元気なんですよね……?」

 リゼルの言葉に、背中の古傷の一つが疼く。
 修行時代に無茶をして生死の境を彷徨った古傷。
三日三晩、看病してくれたリディの姿が胸をよぎってゆく。

「……亡くなった」
「……」
「魔物に殺された」
「……ごめんなさい……私、また余計なことを……」

 背中から嗚咽が聞こえ始めた。
 ノルンは包帯の上でピタリと止まったリゼルの指先を、そっと握りしめる。

「過ぎたことだ。気にするな。それに俺は答えられることは、全て答えると約束した。ただ、それを実行しただけだ」
「だけど……ひっくっ……ごめんなさい……」
「良いんだ、もう……それに、リディ様との別れがあったから、俺は黒の勇者バンシィに……皆を守れる存在になれたのだと考えている」

 彼は凄惨なリディの最期を目の当たりにし、誓った。
 もっと強くなるということを。
 リディを殺し、彼女を慕った人々さえも、虫けら同然に蹂躙した邪悪な存在を根絶やしにすると。
 そのためにロトと共に、必死に修行を重ね、勇者と名乗っても良いほどの力を手にした。

「リディ様を失ったことで、俺は強くなれた。守りたいものを全て、守れるだけの力を手にすることができたんだ。もしまだ、リディ様が生きていらっしゃったら……俺はきっといつまでもあの方に甘えていた。甘え続けて、ここまで強くなることはできなかった。そして昨晩も君のことも救えなかったとも思う」

 リゼルが問いかけてくれたことで、改めて思い出すことができた。
 あの別れが、リディとの死別があったからこそ、今の自分があるのだと。
リディの無念を晴らすために、力をつけた自分が居たことを。

「やっぱりノルン様は、素晴らしい方です……」

 リゼルの指先が、彼の背中へ無数に浮かぶ傷の一つを優しく撫でる。
 不安と喜びがない混ぜになった、複雑な感情が沸き起こる。

「心も、身体も、こんなに傷だらけにしてまでも、世のため、人のために、戦って、戦って、戦い抜いて……貴方こそ、真の勇者です。誰が、なんと言おうとも……あなたが勇者としての資格を失っていたとしても……私は一生そう思い続けます……だからっ……」

 再び、リゼルの咽び泣く声が響き始める。
 涙の意図がわからない。しかし、彼女の鳴き声はこれ以上聞いてはいられない。

「ありがとう、リゼル。君のそういう気持ちをとても嬉しいと、いつも思っているぞ」
「私なんかには、勿体無いお言葉ですっ……」
「なんか、などと言うな。これでも……なんだ、その……リ、リゼルのことはかなり頼りにしている」
「えっ……?」

 リゼルの声が僅かに弾んだようだ気がした。

「君とここで再会し、今日までたくさん支えてもらった。君がいつも傍に居てくれたから、俺は頑張ることができた。俺はもはや多くの人々を守ることはできない。しかし、限界まで手を伸ばして、救えるものを救いたい。そう思えるようになったのも、リゼルのおかげだ。ありがとう、本当に……君さえ良ければ、これからもずっと傍にいてくれると嬉しい」

 心からの感謝と、これからの願いを述べた。
 まるで彼の前向きな言葉のように、窓からは暖かな朝日が差し込んでくる。

 すると、不意に背中が温かさに包まれた。

「リ、リゼル? 何を……?」

 リゼルに背中から抱きつかれたノルンは激しく動揺した。
 彼女の存在を知らしめる香りがいつも以上に近くにあって、胸の内が強い鼓動を発する。

「これからも、一緒にいても良いんですか……? 私、何もできませんし、ご迷惑ばかりおかけしちゃいますけど、お傍に置いてくださるんですか?」
「むしろお願いしたいのはこっちの方だ。俺は、なんだ、その……」

 どんな激しい戦いよりも、体が緊張し、胸の奥が強く高鳴る。
 しかし告げるには、良いタイミングだとも思う。



『もしいつの日か、お前が私よりも大事と想える人ができたなら、それをしっかり、気持ちを込めて伝えるんだ。女に言わせるんじゃない! 絶対に男からだ! それが男としての礼儀だ。これはしっかり守るんだぞ、ノルン!』



 かつての師からの教えが思い出された。

(抱き合った後に、そんなことを言う人なのだから、リディ様も相当な変人だったのだな……)

 ノルンは心の中で、優しげに微笑む師へ頭を下げた。
そして今度こそ、彼女へ本当の別れを告げる。
 心の中の、かつて愛した人は、そんなノルンの気持ちを理解したのか、笑顔で頷いてくれたような気がした。
 

 過去を振り返るのはここまで。今は、一歩でも前へ進む時。
 決意を胸にノルンは、リゼルの手をしっかりと強く握りしめる。

「リゼル、俺は君のことが好きだ!」

「――!!」

「1人の女性として心の底から愛している。だから、これからも俺の傍にいて、無茶をした時は叱ってほしい。仕事を頑張って帰ったら、褒めて欲しい。嬉しいことがあった時は、一緒に笑って欲しい。これからも共に道を歩んでいってほしい」

 リゼルはより身を寄せ、強く背中を抱きしめて来た。

「ありがとうございます……私も、同じ気持ちです。私も、ノルン様のことが大好きです。喜んで、ご一緒させてください……」

 心が温まり、満たされてゆく。
 これが人としての最も尊い感情。
誰かを愛し、そして繋がるという心地よい、人としてあるべき姿。

「ずっと、好きでした……でも、私みたいな何にもできない女が、ノルン様へそんな気持ちを抱くなんて、ダメなんじゃないかってずっと思っていて……だけど、そう思っていてもどんどん好きになって……」
「ダメなものか。俺はリゼルが良い。リゼルでなければダメなんだ!」
「――っ!?」

 ノルンはリゼルへ向き直ると、迷わず彼女の唇へ喰らい付く。
 熱情は止めどもなく、驚く彼女の前歯をこじ開けて、舌を差し込む。
 最初はリゼルの身体も強張っていた。しかしやがて、彼女も自分の舌を絡め始める。

 長く深いキスの果て、ノルンはリゼルの手を引き、ベッドへと誘った。

「はぁ……はぁ……はぁ……ノルン様……?」

 顔を真っ赤にし、息を荒げるリゼルは切なげな視線をノルンへ向けている。
しかし抵抗する素振りは見られず、身体を開いている。
その気持ちがとても嬉しかった。

「急にすまない……しかし、俺は、その……君と……」
「……良いんですよ……」

 リゼルはそう言って微笑み、ノルンの頬へ触れた。

「私も同じ気持ちですから……。だから、はぁ……お願いします。ノルン様と身体も一緒になりたいです」
「ありがとう、リゼル。とても嬉しい」

 2人は再度軽いキスを交わした。
 そして肝心なことを伝え忘れていたと思い出す。

「リゼル……なんだ、その……始める前に、少し話が……」
「な、なんですか?」
「俺はその……ずっと聖剣の加護の影響でそういう欲が無く……経験がゼロに近い……だから、その……君をきちんと満足させてやれるかどうか……だ、だが、精一杯頑張るつもりだ!」

 そんな言い淀むノルンへ、リゼルや優しげな笑顔を浮かべた。

「ノルン様は本当に真面目で優しい方ですね。そういうところ、大好きですよ。ありがとうございます……気にしないでください。お心のまま、私を使ってください。ご不安でしょうけど、安心してください。私に任せてください」
「任せる……? もしや君は……?」

 微妙な沈黙の後、ようやく察したリゼルは顔を真っ赤に染めた。

「あ、あ、ち、違いますっ! 私も初めてですっ! ちゃんと処女ですっ! この間のローパーからもギリギリノルン様が助けてくださいましたし! お任せくださいというのは、あの、えっと、その、言葉の文で、ああもう、私こういうときまで余計なことをぉ……!!」

 顔を見合わせ――そしてお互いの大爆笑。
ここ二週間ほど、色々なことがあり過ぎて、こうして2人で笑い合っていなかった。
だから久々にリゼルの花のような笑顔が見られて嬉しかった。

 やはり、リゼルとの関係は、どんな形になろうとも、こういう笑顔が溢れるものが良いと思うノルンだった。

「さぁ、始めようリゼル」
「はい、よろしくお願いします、ノルン様……」

 ノルンとリゼルは互いの心と身体を長く、深く重ね合う。
 飽きることなく抱き合い、互いを満たし続けてゆく。

 そのためすっかり、ゴッ君へご飯をあげるのを忘れてしまっていて、ご機嫌を取るのにかなり苦労した2人だったが――それはまた別の話である。



*明日、一章エピローグです! でもまだまだ続きますよー
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