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第一部 一章【大切な彼女と過ごす、第二の人生】

昔愛した人。今愛している人。(*前半ノルン過去回想)

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「ひぃっ!」

 頭上を鋭い何かが過った。
 どうやらただの石ころだったらしい。
しかしその石ころは、彼の背後にあった木の幹へ、鋭いナイフのように突き刺さっている。

 彼は腰を抜かせて、へなへなと芝生の上に座り込むのだった。

「ずっと視線が気になっていたが……やはりお前だったのだな?」

 師の青い瞳は非難の色を浮かべている。
 それでも彼はその瞳が大好きだった。
美しいと思った。
 月明かりを浴びて青みを際立たせている長い髪も綺麗だった。本当に師は、いつみても女性的な魅力に溢れていると感じた。

 そんな師ではあるが、彼女は歴戦の猛者なので、体中に無数の傷を帯びている。
本人は醜いといって、傷のことをとても気にしている。
しかし彼はそれさえも愛していた。

 もし師が普通の人生を歩んでいたならば、一人の女性としてとても大きな幸せを手にできただろう。

 だが、彼女は敢えて戦う道を選んだ。
 華奢な身体を必死に鍛え、戦士になることを選んだ。
彼女の居場所は豪華な屋敷でも、ダンスホールでもなく、魑魅魍魎が跋扈する戦場。

『世を、人を救える場所……そこが戦場だっただけだ。私は他の人よりも少し強く生まれた。だったらそれを最も生かせる道を選ぶのが当然だと思うが?』

 以前、彼の問いに師はそう答えた。

 だから彼女の身体に浮かぶ傷は全て勲章。
とても強い彼女が何かを、誰かを救った証。
 彼にとって師の身体に浮かぶ傷は憧れであり、尊敬の対象である。

「いつまで見ているのだ、たわけ!」

 穏やかな口調ではあるものの、彼女から強い覇気が発せられた。
視線が重ねっていないにもかかわらず、彼は息を飲み、動きを封じられた。

やはり水浴びを覗き見られて、少し怒っているらしい。
どんなに尊敬や憧れの念を視線で送っても、届くはずもない。

彼女は、背を向けながら、美しい体を泉の傍に置いてあった布切れを巻き始める。
 
 これがネルアガマ王国最強の【剣聖リディ】の覇気。
装備や衣服さえも纏っておらず、これなのだから、彼が目指す頂はまだまだ遠いのだと思い知る。

「なんだ、この程度で怯んでしまうのか。情けない……」
「す、すみません……」

 怒られる方向が想定外だった。
 とりあえずホッと胸を撫で下ろす。

「しかし、一丁前に、毎晩私の水浴びを覗き見るスケベな勇気だけはあると」
「――ッ!!」

 やっぱりそこを指摘されたか。
 しかもこの様子からするに、もうだいぶ前から気がつかれていたようだ。

「申し訳ありません、リディ様! もうしません! もう絶対に、リディ様の水浴びを盗み見たりしません! 代わりに修行も頑張りますし、家のこともきちんと行います! だから、許してください! お願いします! すみません! 申し訳ありませんっ!!」

 彼はやぶれかぶれ、芝生へおでこを擦り付け、思いつく限りの謝罪の数々を叫ぶのだった。

「……まぁ、良い。君もそろそろそういう歳だろうからな……許してやろう」
「リディ様……?」

 恐る恐る顔を上げると、彼女の青い瞳は優しさを浮かべている。
 彼女が時折こうしてみせる、優しい表情に彼の胸は高鳴る。
同時に雄の本能もムクムクと。

「なんだ、もう怒ってはいない。行っていいんだぞ?」

 そうしたいのは山々なのだが、今立ち上がると、色々と面倒である。

「どうした?」
「い、いえ、その、なんと言いますか、あはは……」
「ん……? ああ、そうか」

 大人な彼女にはやはりわかってしまったらしい。
 穴があったら入りたい。そういえば、この間、モグラ型の魔物から穴掘りスキルを獲得したはず。

「……君は、その、なんだ……こんな傷だらけの身体でも、美しいと思ってくれるのか……?」

 珍しく不安げなリディの声だった。
彼女はいつも毅然と振る舞っていて欲しいし、そんな彼女が彼は大好きだった。

「その傷はリディ様が一生懸命に戦った証! 勲章です! 俺はそれも含めて、リディ様がお綺麗だと思っています!」

 気づけば彼は思い切りそう叫んでいた。
瞬間、珍しくリディは頬を真っ赤に染めた。

「そ、そうか……ありがとう。そう言ってもらえて、とても嬉しい……」
「いえ、すみません、急に変なこと言って……っ!?」

 突然、視界が真っ黒に染まった。
 柔らかな感触が彼の頭を優しく包み込んでいる。

「リ、リディ様!? な、なにを!?」

 いきなり、しかも全裸で憧れの女性から抱きしめられたのだから、驚くのは当然である。
 しかしリディは何も答えず、更にきつく、彼を抱きすくめた。

「まさか、子のように思っていた君へこんな気持ちを抱く日が来るとはな……」

「あ、あの……?」

「実はずっと君が私の水浴びを覗き見ていたのは把握していた。だからわざとわ見せつけるようにしていた私がいた……君に見られていて、正直とても胸が高鳴った……」

「あの、えっと……それって……?」

「すまないな、ずっと不憫な思いをさせていて……」

 もはやこれからどうしたら良いのか皆目検討もつかない。
 気づくとリディから圧力がかけられ、彼は芝生の上へ転がされる。
やがてリディは彼へ覆い被さるような姿勢へ移る。

「ノルン、正直にいう。私は……き、君が欲しいっ!」

 いつもの強い師とはまるで違う、少女のような表情だった。
 とても可愛いと思った。愛らしいと感じた。
だから彼は意を決して、真っ赤に染まった師の、リディの頬をそっと撫でた。

「ありがとうございますリディ様。俺もその……欲しいです。リディ様と同じ気持ちです」
「そうか。ありがとう……ならば……」

 リディは顔を寄せ、迷わずノルンの唇へ喰らい付いた。
 最初はどうしたら良いのか分からず、彼女と同じように舌を絡めた。
やがて、なぶる箇所によって、彼女が反応するのがわかり、そこを集中的に攻めるようになる。

 憧れだった女性との唾液の交換。
自然と身体が熱くなり始める。

「はぁ……はあぁ……ず、随分と慣れているいるな? もしかして、こういうことをしたことがあったか?」

「初めてですよ。でも、リディ様のことなら少しはわかっているつもりです。ずっと一緒に暮らしているんですからね」

「うっ……どうして君はそういうことをさらりと言ってのけてみせるんだ……」

「リディ様だからです!」

「まったく、この坊主は、大人を揶揄うのが上手い……」

 リディはそう嘲るが、満更でもない様子だった。
恥ずかしがる様子が、まるで少女のように可愛かった。
 再び彼女から軽く唇を寄せて来る。

「私でいいんだな?」
「それはこっちのセリフです。リディ様こそ、俺みたいな小僧でいいんですか……?」
「ここまでしておいて、止めたなど、生殺しだろ?」

 リディはいつも勇ましく剣を握りる細指で、ノルンの体を優しく撫でた。
 その優しく、心地よい手つきにビリリと身体が反応し、興奮が高まる。

「なら始めるぞ」
「はい。よろしくお願いします、リディ様」

 すると師は何故か少しムッとした表情を浮かべた。

「リディ様?」

「すまない。君は知らなかったよな。私の本当の名を……私は……【マリーダ】だ」

「マリーダ……」

「リディという名は師から授かった戦うものとしての名だ。私の本当の名は、マリーダ。この名を知っていて、この世に生きているのは今は君だけだ……【ノルン】」

 少女のように微笑む剣聖リディ……否、マリーダへノルンは強い熱情を覚える。

「せっかくこれから男女として愛し合うんだ。君には私の本当の名前を呼んで欲しいんだ」
「わかりました。では改めて、よろしくお願いします、マリーダ」
「ああ……全て私に任せてくれ……ノルン……」


 こうして師である彼女とノルンは深く、心も体も繋がった。
 マリーダを想って自分で慰めたのとは、何万倍も心地よさが違った。
肉体的な快感よりも、愛する人の熱が、息が、声がそばにあることが一番の理由だったと思う。

 しかしこうしてノルンとリディが愛し合えたのはこれっきり。
この後、リディは遠征先から戦災孤児となった少女を連れ帰ってきて、色々と大変なことがあったためだった。

ちなみにその孤児こそリディの二人目の弟子で、ノルンの妹弟子、今は勇者一行の【盾の戦士:ロト】である。


 お互いに余さず欲望を吐き出したノルンとマリーダは、一糸纏わぬ姿で寝そべり、抱き合っている。
まるでこの世界にはノルンとリディ……マリーダと2人きり。そう思えてならない。

「ノルン、そろそろお前にも戦う者としての名前をやろう」
「いいんですか?」
「外で名乗るのは、もう少し修行を重ねてからだがな」
「……頑張ります」
「いい子だ。なら、お前は黒き戦士……夜空のように深く、そして穏やかで、時として邪悪を闇で飲み込む強き者……バンシィ」
「バンシィ……」

 ノルンの呟きが闇夜へ溶けてゆく。

 いつの日か、もらった【バンシィ】という名に恥じない男となってみせる。
 若き日のノルンは、そう強く誓いを立てた。

 そしてこの光景を最後に、幸せな記憶はいつも途切れてしまう。

 次いで必ず浮かんでくるのは、リディの凄惨な最期の場面だった。

 誓いを立てたにも関わらず、愛する彼女を守れなかった最悪な記憶……。自分の無力さを思い知った絶望的な瞬間。

(リディ様……マリーダ……俺が弱かったばかりに、あなたを……本当にすみません……)


⚫️⚫️⚫️


 目を開けると目の前には見慣れた天井があった。
 背中はベッドに預けられていて心地よく、身体を覆う布団が暖かい。
そしてふわりと香ってきた、花のようなとても好ましい匂い。

「おはようございます、ノルン様。起こしてしまいましたか?」

 まだ薄暗いノルンの部屋の中で、リゼルはせっせと彼の衣服を畳んでいる。

 昔愛した人の夢をみていた。
そして今、愛している人が背を向けている。
 夢を見てしまうのは止めようもない。しかし、それでも彼は、気まずさを感じる。

「おはよう。すまないな、俺の洗濯物まで……」
「いえ、好きでやってますので。それにノルン様にはまだ安静にして頂きたいですし」

 ハンマ先生の診療所から、山小屋へ戻ってはや一週間。
 すっかり傷は癒えているものの、リゼルは心配性なのか、家事の一切合切を1人でこなしていた。
そのため疲れているのか、あまり笑顔を見ていないような気がする。

「もうだいぶ良くなった。そろそろ俺にもなにかさせてくれないか?」
「……」
「リゼル?」
「あの、えっと……もしノルン様さえ良ければ、お聞きしたいことが……」

 妙に硬さを感じるリゼルの雰囲気に、胸のうちがざわつく。

「良いぞ、俺が答えられることならば、なんでも」

 努めて優しく、暖かさを込めて、そう答えると、

「……ノルン様が、その……寝言でよく口にしていらっしゃる、リディ様やマリーダって……どなたですか?」



*一章はあと2話で終わりますけど、本作はまだまだ続きますよー
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