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第一部 一章【大切な彼女と過ごす、第二の人生】
ノルンにとっての彼女の存在と保護地域工芸品
しおりを挟む*ここからさき「たまーにシリアス」箇所&一章終盤です!
ちゃんとハッピーで収まるんでご安心ください!
ベッドから起き抜けたノルンは扉を開く。
早速、朝食のいい匂いと、花のような香りが鼻を擽る。
一瞬で、胸が疼いた。
「グゥー!」
「おはよう、ゴッ君」
机の下にいた少し大きくなったゴッ君が、足に飛びついてくる。
随分慣れたもので、頭や顎を撫でても嫌な素振りをみせず、幸せそうである。
「おはようございます! もうすぐ朝ごはん出来ますから、座って待っててください!」
キッチンから忙しそうなリゼルの声が聞こえてくる。
たったそれだけで、疼きが増したノルンは、いそいそと自分の席についた。
そしてやはり視線は、キッチンからちらりと見えるリゼルの背中へ向かってしまう。
小柄ではあるが、きちんと女性的なラインがくっきりとしているリゼルの背中。
栗色の髪も相変わらず艶やかで、見ているだけで撫でた時の心地よさが蘇る。
いくら見つめ続けていても、飽きることがなく、そんな自分に戸惑いを覚える。
(なんだろうか、この感情は……この感情はもしやあの時と……)
不意に、今は亡き、師であり、姉であり、母であり、初恋の相手だった剣聖リディの姿が脳裏に浮かぶ。
リディは長身で更に女性的な部分も特徴的で、少し控えめなリゼルとは似ても似つかない。
しかし、聖剣を手にする以前に抱いたリディへの気持ちと、今、リゼルに抱いている気持ちが同じもののように感じられた。
そしてリディとたった一回だけども、紡いだ思い出が蘇り、言いようのない熱さが胸へ込み上げてくる。
同時に、凄惨なリディの最期……床の隙間から見てしまった、魔物共に散々蹂躙され、汚され、そして殺されたリディの姿を思い出してしまう。
「お待たせしまし……ノルン様?」
気づくと黒いイスルゥ塗りの盆をもったリゼルが、不安そうに覗き込んでいた。
「おはようリゼル。問題ない。実は昨晩、少しハンターマスターを飲み過ぎてしまってな」
「そうなんですか。お酒は百薬の長とはいいますけど、ほどほどならです。気をつけてくださいね?」
「そうだな。気を付ける」
「お水いります?」
「大丈夫だ。さっ、座ってくれ。食事にしよう」
リゼルはにっこり微笑んで、ノルンの前に座る。
彼の穏やかな1日が始まった。
こうしてリゼルと過ごすようになってから数ヶ月月ほど経っていた。
朝晩の冷え込みは治り、ヨーツンヘイムには陽気な夏が訪れている。
ここ最近、暖かさを常に感じるのは、気温のせいか……はたまた別の何かが原因なのか。
「? どうかしましたか?」
「あっ、いや……すまない。なんでもない……」
ノルンは慌てて、リゼルから手元のパンへ視線を移した。
彼女は目の前でただいつものように食事を摂っているだけ。
そんなありふれた行動にも関わらず、視線が彼女へ向かってしまう。
すると彼女は、優しげな笑みを浮かべるだけで、それ以上は何も言わず食事を続ける。
そんな気遣いが、とても嬉しかった。
「今日はお役所へ行かれるんですよね? 遅くなります?」
「いつもよりは遅くなると思う。しかし、なるべく早く帰れるよう努力する」
「わかりました。くれぐれも気を付けてくださいね……?」
ゾゴック村からの職人輸送の件以来、リゼルはノルンが出かけるたびに不安げな顔をするようになった。
「勿論だ。安心してくれ」
手が僅かに動き、彼女の髪を撫でようとする。
しかしただの同居人でしかない彼女においそれと夫婦のような態度を取るのは良いのかどうか……ノルンは手を制し、拳を握りしめた。
「では、行ってくる」
「いってらっしゃい! 会議頑張ってくださいねっ!」
「グゥー!」
ゴッ君とリゼル。
今の彼にとってかけがえのない存在に見送られながら、気持ちを役人のものへと切り替える。
今日はヨーツンヘイムと遠く離れたゾゴック村にとっても重要な日。
ノルンは何度も、頭の中で今日の提案をシミュレーションする。
⚫️⚫️⚫️
「保護地域工芸品ですか……なるほど」
聡明な顔立ちのマルティン州知事は、羊皮紙へ視線を落としながら、良い反応を示してくれた。
州知事の返答を、固唾を呑んで待っていたノルンを初め、村長のゲマルク、イスルゥ塗工場の工場長ギラ、販路を担うカフカス商会のグスタフもまた、第一関門は突破できたと、ホッと胸を撫で下ろす。
「我が州としてはノルン殿の提案に賛成します。そちらはどうですかな?」
マルティン州知事の隣には、遠く離れたスーイエイブ州からやってきた、恰幅の良い同州の知事がいる。
更にその隣にはゾゴック村の代表でリゼルの母親でもあるユイリィをはじめ、主要な人物が顔を揃えていた。
「こちらもゾゴックの皆さんと協議の結果賛成しますぞ。これはお互いの州にとっても利益になりますからな。はは!」
スーイエイブ州知事は豪快な笑い声をあげる。
「ありがとうございます。ではヨーツンヘイム山林管理官ノルンの提案による、イスルゥ塗に対する“保護地域工芸品”の案を州議会へかけるものとします!」
マルティン州知事の宣言に、会議室へ拍手喝采が沸き起こった。
改めて、概要説明を依頼されたノルンは緊張の面持ちで立ち上がる。
「ありがとう。まずは厚く御礼を申し上げる。さて、再三にはなるが、この“保護地域工芸品”は、ヨーツンヘイム並びにイスルゥ塗りの始祖に当たるゾゴック村からの、同品の品質を保証し、保護するもので、最終的にはブランド化を目指すものである!」
ユニコン第二皇子の一週間でイスルゥ塗り器を10,000個生産するという無茶なオーダーは、ヨーツンヘイムとゾゴックの職人たちの努力により、見事達成していた。
しかしその影響で新たな問題が発生していた。
この一件より主にカフカス商会で育成した職人たちを中心に独立をし始め、独自にイスルゥ塗りを生産し始めたのである。
これにより、常に品不足であったイスルゥ塗りの供給は自体は安定した。
だが代わりに明らかに品質の低いイスルゥ塗りが流通しだしていた。中には魔法を用いて、半自動化された大規模生産拠点の建造を予定している者もいるらしい。
ただ“イスルゥ塗り”と呼称しただけでは、ヨーツンヘイムとゾゴックの利益を確保できなくなっていたのである。
「この制度に則って、今後ヨーツンヘイム・イスルゥとゾゴック・イスルゥという呼称を採用し、各州で登録をしていただく。これはヨーツンヘイム並びにゾゴックで産出された木材・イスルゥ樹液を100%使用し、更に産出地域内の工場で、手作業で製造された高品質なものの保証とする!」
後に分かったことなのだが、ヨーツンヘイムとゾゴックに存在するイスルゥの樹から取れる樹液には良い成分が含まれていた、独特のものと言えた。
加えて両地域の人々が持ち合わせている職人気質も、高品質なイスルゥ塗りを生産できる要因の一つである。
「これにより、恒久的に同工芸品の品位を保ち、顧客へもその品位を背景に訴求することが可能だ!」
元々、イスルゥ塗りは、その品質の高さが評価され、人気に火がついた。
故に、こうして産地を明記し保護をすることで、玉石混交となった市場でのヨーツンヘイムとゾゴックが生産するイスルゥ塗りの品位を保ち、ブランド化をすることができる。
ブランド化することで安定的な収入にも繋がり、各州としても特産工芸品として他州や諸外国へ堂々とPRができるようになることに他ならない。
全てはヨーツンヘイムとゾゴックを守るため。
しかし必死に生き残りをかけて頑張っている他の生産者のことも考えてゆきたい。
勇者ではなくなったノルンが、山林管理人としてできる、精一杯のこと。
可能な限り多くの人々を幸せにしたい……そんな彼らしいアイディアであった。
……
……
……
「いやぁー第一関門無事突破と! なぁ、ノルン、このあとみんなで、お祝いってことでパァーッと……!」
「すまない! オッゴで先に帰らせてもらうぞ! 皆はゆっくりと、ボルで戻ってきてくれっ!」
役場を出たノルンはグスタフの言葉を振り切って、駆け出す。
「全く、すっかりベタ惚れじゃないか。グジグジしてないでさっさと男らしく決めろってんだよ。元勇者が」
グスタフは走りゆくノルンの背中へ、呆れたような、しかし微笑ましそうな声を掛けた。
「来い! オッゴぉーっ!!」
街を取り囲む城壁から飛び出すなり、そう叫んで、指笛を吹き鳴らした。
「ガァーッ!!」
笛の音に応じて、すぐさま黄土色の飛龍オッゴが待ってましたと言わんばかり降下してきて、鎌首を下げる。
ノルンは迷わず首元の鞍へ飛び乗り、手綱を掴んだ。
そして西日へ向けて、素早く滑空を始める。
あの山の向こうにはヨーツンヘイムがあり、彼女が、リゼルが帰りを待ってくれている。
早く戻りたい! そしていつものように、ゴッ君を間に置いて、向かい合い、食事を取りたい。
ただ、その一心で……
いつもより早い速度でオッゴは飛び、空が暗色に変わる前に、目下へ穏やかなヨーツンヘイムの灯りを見る。
しかし、ノルンの山小屋からは、いつものような明るい輝きが漏れ出しては居なかった。
一瞬で背筋が凍りつき、胸が激しくざわめき始める。
居ても立っても居られないノルンは、急いでオッゴを、闇に沈んだ山小屋の前へ着地させる。
「リゼルっ!!」
*保護地域工芸品は架空の法です(ファンタジーですから……)
伝統工芸品と原産地呼称制度の合いの子と思っていただければ大丈夫かと思います。
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