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Jack-o'-Sun
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「こちらハロウィンスペシャルイベントにはたくさんの人が詰めかけ…」
午前十時。なんとはなしに付けていた情報番組から聞こえてくる陽気なレポーターの声に読んでいた新聞から顔を上げた。先週は新そばの特集をしてたっけか。 そうだ、大学は休もう、とまるで京都にでも行くかのようなノリで決めたのはついさっきのことだ。仕方ないさ、月曜日の朝ほど憂鬱なものはないんだから。
「今日は学校ないんですか」
「あるよ。そこに行きゃ昨日と変わらず建ってるよ」
「そういうくだらないの、いいですから」
少しふてくされたような声が背後から飛んでくる。声の主は図々しくもソファに寝転んでいるに違いない。
「なんでお休みなんですか。昨日、あぁ明日の講義だりぃ、とか言ってたじゃないですか」
器用に俺の口調を真似ながら、責めてくる。別になんだっていいだろ、居候の分際で口出すな、ってんだ。
「まさかとは思いますが、月曜」
「みなまで言うな」
これで朝起きたら大雨でした、とかっていうのならまだ休みやすかったさ。なんだよー雨かよー、もう行くのめんどくさいわー、って。なんだよ、よりによって。窓の外にチラリと目をやれば、まぁ、それはそれは見事に雲一つない青空が広がってらっしゃって。
「天候も曜日と大して変わらずクズだと思いますけど」
「うっさいわ!勝手に人の心読むな!」 「いやぁ、想像以上にクズで読み損でした」
くそ、こいつ…。もう一度言うがこいつは居候の身だ。一年生なんだから行きなさいよ、なんてどの面さげて言ってんだ。もうちょっと敬ってだな…。 くだらない俺たちの攻防の間にも、画面の中のリポーターは次々とデザートを口にしてはおいしいおいしいと面白みのないコメントを繰り返している。ハロウィンをイメージしてかコウモリやオバケをかたどったそれらは、見るからに甘そうで、見るからに女子が好きそうだった。偏見か。
「おいしそうですねぇ」
「女子か、お前は」
「このイベント、どこでやってるんですっけ」
「はぁ?…隣の市だろ。そこの、大通り一帯、通行止めだとかで」
「近いんですね!」
妙に高いテンションが気味悪い。この温度差のありすぎる会話にもそろそろ慣れてきたといえば慣れてきたが。
「しかし、今日はいい天気ですねぇ!」 「なんだ、嫌味か?」
時差のある嫌味だな、と目はセリーグの打率を追ったままに返す。俺の欠席のくだりならさっきも散々なじってくれたじゃないか、と鼻で笑う。背後に冷気を感じるのは気にしたくないところだ、が。 何だこいつ、俺に何を求めている。察しはつかないこともないが、もしそれが正解だとしたら俺はその欲求には応えたくないというのが望みだ。
「いやぁ、今日はいい天気ですね‼お出かけ日和だぁ‼」
「でけぇ声出すな!さっき聞いたわ!」 「…」
明らかにうなだれている。押し黙った雰囲気からはもちろんのこと、なにより先ほどから冷気に代わり背後から立ち上る暗い、死者同然のオーラがそれを物語っている。…ん?いや、これはもともとこいつが持つものなのかもしれないが。 「…っう、ぐすっ…」
なんだ、このわかりやすい泣きまねは。それは女子のような可愛らしいものである訳なく、はたまた野郎特有の暑苦しいものでもなく、ひたすら薄気味の悪い、背筋を這うようなお化け屋敷の音響とでも例えるのがしっくりきた。
「太陽くん…ひどいよ、あんまりだ」
あぁ、めんどくさい。
「…電車だぞ」
「え?」
奴が泣き止む気配を背に受ける。俺はしぶしぶ首を捻って後ろを振り返った。…おかしい、いない。
「電車⁉電車とはどういうことですか⁉」
首を戻すと明らかに弾んだ声と、目をキラキラさせ、満面の笑みを浮かべた奴がテーブルを挟んだ向かい側に腰かけ、身を乗り出していた。
「今日、バイク、修理」
「そっかぁ、なるほど、免許ないのに乗ってるバイクは修理かぁ」
「うっせぇ。そしてテレポートやめろ」 そんなことよりどこ行くの、と早速はしゃいでいるあたり、テレポート云々は耳に届いてなさそうだ。
「それで、どこに行きますか!?行きたいとこありますか」
これでも気を遣ってるつもりだとでもいうことか。こう見えて、それなりに常識人なわけだ。常識…人?まぁ細かいことは気にしないでおこう。じゃあ…
「墓」
「やめて。僕を返そうとするのやめて」 真顔で固まる様はだいぶおかしなものだった。両者譲らぬ沈黙に耐えかねて、俺は息を吐く。
「あれ行きたいんだろー」
俺はテレビに指を向けた。毎年ハロウィン近くの休日で開催されるイベント。みんなで仮装して道路を練り歩いている。なにが楽しいのか俺にはさっぱりだ。味わえるのは人混み、得られるのは疲労感という何ともあほらしいイベントだ。近年はイベントに出店する店が激増してきていて、比例するように客足も伸びている、とリポーターがつらつらと述べる。 「いいんですか?」
期待の滲み出た口調で俺をうかがう。 「仕方ないからな。…四十秒で支度しな」
「わかった!あれ、それなんか聞いたことあるよ。知ってるやつだ。ほら、あれ、なんだっけ。映画の」
「あ、経った。じゃ、お先な」 「ひどい!待って待って待ってってば!え、本気!?」
薄情者、と叫ぶ声を背に受けつつ、構わずドアを開けた。
時は数週間前に遡る。十月入ってすぐくらい、数少ない友達に誕生日を祝われほろ酔いで帰宅したあの日に。 家に帰ってもおめでとうのひとつの声もかからないんだもんなぁ。彼女欲しいなぁ。さっきまで友達にさんざんからかわれていたことを思い出して虚しくなる。二十歳の誕生日を野郎ばっかで祝うってどうよ。まぁ、友達の少ない俺にとっちゃ祝ってくれるだけありがたいんもんだが。 初秋とはいえ夜は寒い。家に着くと急いで鍵を取り出し、ノブを回した。
「お誕生日、おめでとうございまーす!」
陽気な声に、続くクラッカーの音。しかし、とび出たはずの紙テープなんかは俺にかかっていない。何故だ。
「あれ…大丈夫ですか?太陽くん、おめでとうございます、って」
よほど俺がフリーズしていたのか少し申し訳なさそうな顔色だ。
「…誰だお前」
目の前には上下ともゆったりとした真白な服を着、オレンジ色の髪に、大きな、しかしどことなく生気のない目をした青年がクラッカー片手に笑顔でこちらを見ていた。自分で言っといて、ちょっとドスが効きすぎたか、と思ったときには遅かったようだ。青年がガタガタと大げさに震え出し、後ずさる。
「あ、怪しいものじゃなくて。ちょ、ちょっとサプライズで誕生日を祝いたかっただけで」
十分に怪しすぎるどもりっぷりで否定する。いや、今更だろう。だって、鍵のかかったこの部屋に、お前はどうやって入った?
「あ、えっと…。僕はジャックって言います!」
「いや、求めてねぇから自己紹介」
「南瓜太陽くんですよね」
「怖ぇよ」
なんで知ってんだよ。
「野郎一人の誕生日も虚しいかと、祝いにきました。ついでに少し長居させてくれると嬉しいです」
野郎ばっか一人でも二人でも一緒じゃ、ぼけ。つか、いきなり図々しいな。
「その申し出は却下してもいいか」
正直こんな場面には過去に何度か出くわしたことがある。面と向かって長居していいか、とまで言われたのも、ここまでフレンドリーなのも初めてだが。今回はいつになく面倒な雰囲気だ。
「却下は却下します」
…好きにしろよ、呆れ返った俺は苦い声を漏らした。
駅を一歩でると、すでに多くの人とその熱気で埋め尽くされていた。平日だとは、とても思えない。しかも人々のほとんどはゾンビだの魔女だのと仮装しているわけだから、異様なことこの上なかった。駅から左右にのびるイベントの行われている通りはテレビ見るより広く、ビルや店舗もかなりの数が立ち並んでいた。
「うっわぁ、すごいですねぇ」
横でちょこまかと忙しなく動くジャックの首根っこを捕まえようとするが、見事にかわされる。
「僕らも仮装しま「断る」
言い終わるが早いか俺は吐き捨てた。誰がこんな年になって、ましてや野郎二人-正確には一人で、コスプレなんかするものか。反論の余地はいくらでもあるが、眉を下げ口を一文字に結び、今にも泣き出しそうなこいつを前にまくし立てれるほど俺も鬼じゃない。
「一人でしてろよ」
「それならいいの?太陽くんもせめて帽「パス」
「じゃあ、ほらドラキュラっぽくマン「パス」
「あ、ならタ「タトゥーシールなんかもってのほかだからな」
眉がこれでもかとさらに下がる。ったく、どこまでガキなんだこいつは…。ため息ながらに苦笑せずにはいられない。いつの間にか、相当拗ねたのか奴の姿が消えていた。
「あぁっ、もうわぁったよ、行きゃいいんだな行きゃ」
やけくそで舌打ちすると、ありがとう!とハイテンションな声が急に耳元にしてひるむ。勝手に出たり消えたりすんなめんどくせぇ。
「てか、お前、仮装しても誰にも見られることねぇのに」
言うと、ジャックがふっと余裕の笑みを浮かべる。何の余裕だっての。
「いいんですよ、太陽くんにだけ見てもらえれば。僕はそれで…」
「おまっ、気持ち悪ぃこと言うな。俺は男には興味ねぇからな!?恋愛対象は女であり、人間だからな!?間違ってもなんか連れてくんなよ。またヘンなの来られちゃ面倒見きれん」
「また、とはなんですか!僕、いい子にしてるじゃないですか」
むすっとした顔が目の前に迫ってくる。事情は知らないが、居候をいい子とは肯定し難い。
「はいはい、すまんすまん。行くぞー」
まだ何か言いたげだったが、早く行きたいという思いとは合致したのか、こっちです、と不機嫌そうに歩き出した。俺の場合は早く行きたいじゃなくて、早く済ましたい、だけどな。仮装の件については直前でなんとか免れるように努めよう。人の波を華麗に避けつつ進むジャックの後ろ姿に決心した。
「おい、マジでこの店入るのか…」
ギラギラとしたピンクの看板。派手に胸元や太ももの開いたコスチュームを着せられたマネキン。立ちすくむ俺の脇を抜け入店していく客のほとんどは十代女子とみた。
「はい、ここが一番グッズが多いそうです!」
ほら、ここ!と、どこから取り出したのか不明の雑誌を掲げ、ページを指さすジャックを、俺は慌てて制した。ただ宙に雑誌が浮いているだけにしか見えず、目を向き後ずさる周囲に気づいた太陽が、止めろ、と口にしたのは余計に視線を集めることとなってしまった。 顔にはてなを浮かべていたジャックの顔が、なるほど、と明るくなる。反省の色は、ない。
「あぁ、そうでした。人前に外出なんて久しぶりで」
忘れてました~、って笑い事じゃねぇから。俺の立場はどうなる。ネットなんかに晒されて明日にはいじめられっ子に早変わり、なんつったらどうしてくれんだっての。あはは、じゃねぇよ、全く。世話の焼ける奴だ、と呆れている間にも、俺を急かすようにその姿を点滅させてアピールしてくる。俺はもう今日何度目かのため息を吐いて渋々店内に足を踏み入れた。 女しかいなかった。予想はしていたが、ここまでか。わずかに見られる男どもの腕にはしっかりと女が巻きついていた。
「勝手に商品触んなよ」
人目をはばかり、腹話術の要領で俺はコウモリのカチューシャをつけたジャックに話しかけた。って、
「うおぅっい!!」
「ひぇー、スミマセンスミマセン」
へらへらと言いながらそれを外す。懲りない奴め。
「じゃあ代わりに太陽くんが試着してくれませんか」
「は?」
何故そうなる?イメージがみたくて、じゃねぇよ、そんなもん適当に買っとけよ!あまりの稚拙な発案に開いた口は塞がらず悲痛な叫びも声にならない。
「自分のものじゃないものを身につけたら浮いちゃうので。それで試着なんかしたらただのホラーでしょ?」
「もっともらしく言うな」
「ほら~」
「てめぇ、次そういうくだらんこと言ったら殺…いや、墓に返「スミマセンでした」
ジャックは俺を言いくるめられたからか嬉しそうに調子に乗って色んな物を試着させようとする。周囲の目の白いこと白いこと。
「ドラキュラのマントですよ!似合いますね、太陽くん」
だから着るのは俺じゃねぇっての。 「じゃあ、こっちは」
ジャックの指の先を辿るとオレンジのカツラ。おそろいですよ、なんて笑顔を向けられたときにゃ俺のこめかみが音をたてるのがわかった。
「ほ、ほら、じゃあこのシール。ちょっとつけてみてください」
「あ?こうか…?」
俺はもう諦め、よくわからないまま指示に従う。
「いいですね、ワンポイントで」
「どこがだよ…って、おまっ、これ取れねぇぞ!」
手の甲のコウモリは擦れど擦れど取れない。俺はもう半泣きでレジにカゴを突き出した。
「いやぁ、可愛い子いっぱいでしたね」 鼻の下のばしてんなよ。そんなことより、だ。
「なんで俺まで」
自分の背でひらひらと翻るマントを少し掲げてみて、げんなりする。
「しかしお前買ったものは浮かないんだな」
横目で見ると、かなり大きめのオレンジのトレーナーにカボチャをかたどった帽子を被っているジャックと目が合った。似合ってるでしょう、と得意気に鼻を鳴らすジャックに、結局俺が試着してないものを買ったことに対する恨みの念を送る。
「その、身につけたときの浮かぶと消えるの基準がよくわからないんだが」
おもむろに口を開いた俺に、ジャックは小首を傾げる。
「俺がお前をおぶったりなんかしたら姿を消せるのか?」
些細な疑問だった。悪用は禁止ですよー、なんてふくれ顔が返ってくると思っていた俺は、訪れた沈黙に戸惑った。 「太陽くんは僕には触れませんよ」
寂しそうにジャックは微笑む。今まで試したこともなかったし、そうとは知らなかった。
「僕からなら触れますが-」
ジャックはそこで一旦言葉を切った。前を見つめたまま何かを思いめぐらしているようにも見えた。
「それはできません」
今までになく力強い物言いだった。俺は返す言葉を探した。こいつがここまで言うんだ、理由もなしに、ってことはないだろう。それというのは、やはり、あいつの過去に関係していることなのかもしれない。しかし、それは俺から尋ねていいことではないように思えた。ジャックが自分から俺に打ち明けてくれればそれでいい。
「まぁ、その、なんだ。よくわかんねぇけど…また気が向いたら教えてくれよ」
気まずい雰囲気を打開しようと、俺は頭を掻いた。お前の背負ってるもの、俺に少しでも分けてくれればいい。生きている俺がお前のために何をしてやれるかはわからないけど、一緒に悩んでやることくらいは、できる。垣根を超えた、一人の友達として。
「太陽くん」
そこでようやくジャックは振り向いた。
「ありがとうございます」
湿っぽい声に聞こえたが、何に対する感謝なのかはいまいち判然としなかった。
「そーんなことより、次、行くぞ!腹減った!」
思い切り伸びをした俺の空元気を察してか、ジャックも明るい返事をし、歩き出した俺の横に並んだ。さっきの雰囲気はどこへやら、あれ食べたいだの、これ買いたいだのとあちこち見回してはしゃいでいる。 しばらくして、あ、という声とともにジャックが立ち止まった。
「あそこで写真撮りましょうよ」
目線の先には大きなハロウィン使用のフォトパネルだった。その前では若い女の子たちがデジカメだスマホだと忙しそうにお互いを撮りあっている。 もう俺は呆れる体力も残っていないので、大人しく一枚だけだぞ、と言うだけにとどめた。 野郎一人であの前に立つなんて…なんという屈辱!俺は近くにいた高校生と思しきカップルに撮ってもらえますか、と声をかけた。
「あ、いいっすよ。彼女さん、どこっすか?」
「いや、一人なんですが…」
「ありゃ、そっすか。なんか、さーせん」
気づいたら俺の右手は拳を握っていた。苦笑いのジャックが視界の端に映る。 打ちかけた舌打ちを飲み込み、だいぶ失礼な金髪男にスマホを渡すとパネルの横に立った。それを見て待ってましたと言わんばかりに、すでに反対側でスタンバイしていたジャックがダブルピースをする。俺も渋々、嫌々でそれにならった。 はいチーズ、とかかった声に続いてシャッター音が鳴る。ありがとうございます、と言いながら俺は金髪男に駆け寄った。
「おっけーっす…え…うえぇぇぇ!?」
撮った写真をチェックした金髪男が変な叫び声をあげ、投げるように俺にスマホを返す。
「なんか…なんか、写ってる…!」
震える指で示された画面には、カボチャの帽子を被り、ダブルピースをした青年が満面の笑みで、うっすらと、しかし堂々と映りこんでいた。 俺は吹き出しかけたのを必死に堪える。いやはや、大成功だ。そしてこの写真に映りこんだ張本人も一緒に画面を覗き込んでいようとは彼は思いもしていないだろう。
「え、これ、お祓いとかしないとっすか?あ、そのまえに撮り直しますかっ?」
「いや、いいです。それで、いいんです」
俺がなお笑いを堪えながら金髪男の提案を制すと、俺の言った、それでいい、の意味が全く理解できないという風にきょとんとした表情を浮かべていた。
「ねぇ、ヘンな人だって。離れようよ」
こちらに軽蔑の眼差しを寄越しながら、後ろで一部始終を見守っていた彼女が金髪男の袖を引っ張る。そうだな、と上擦った返事をして、二人は逃げるように人混みに消えていった。
「いやぁ、驚いてましたねぇ」
ジャックが背後からひょいと笑顔を覗かす。
「まぁ、あれでこそ記念撮影、だろ」
俺たちは顔を合わせて同時に吹き出して、しばらくその場で笑い転げた。周囲の反応は特になかった、と思いたい。 日はてっぺんよりだいぶ西へ傾きつつあった。俺らはひたすら食い物片手に通りを行ったり来たりと練り歩き、可愛い子を見つけてはぎゃあぎゃあと騒いだ。 そのとき肩に何かがぶつかる感触を覚えて、俺は慌てて振り向いた。
「すんません」
謝りつつ顔を見やると、そこに立っていたのは少しやんちゃそうな顔つきの男子三人組だった。しかし、
「あれ、視えるんだ~」
こりゃ驚いた~、とわざとらしく目を見開き、馴れ馴れしい口調で語りかけてきた彼らは、生きていなかった。
「あっれ、ジャックだろお前」
その中の一人が俺の少し後ろに佇んでいたジャックを呼ぶ。いやらしい笑みだった。
「あ、うん…。久しぶりだねぇ…」
いつもハツラツとしているジャックのこんなに歯切れの悪い様子を見るのは久しぶり…いや、初めてかもしれない。
「なんだー、お友達と買い物かー?」
「うん、まぁ…」
「元気そうでなによりだわぁ。さっすが養って貰ってるだけある~」
ジャックは何も言わない。悔しそうに少し俯いているだけだ。
「なんだ、てめぇら?何が言いたい?」
何がどうなっているのか、詳しいことは俺にはさっぱりだが、こんな挑発的な態度を受けて俺は、そしてきっとジャックもいい気分でないのは確かだった。
「いやいやー、何もないですって。…良かったじゃないか、ジャック。いいお友達を持って。あの頃は…「まだ何か言いてぇのか!?」
俺はたまらず、気づいたら怒鳴ってしまっていた。周りの視線が一斉に俺を貫く。あぁ、そうだ、この感じ。この感覚に俺は耐えられないんだ。だから俺はこいつらのようなのが…。
「…おい、帰るぞ」
俺はそれらの群衆から逃れるようにして駅への道を急いだ。
「ちょっと待ってください、太陽くん!」
俺が電車に乗り込むのに続いてジャックも駆け込んできた。イベントは夜になるにつれライブが行われたりと盛り上がりを見せるせいか車内はガラガラもいいとこ、俺らしかいなかった。 心配そうに俺をうかがうジャックに気が付き、大丈夫なのか、とだけ聞いた。
「…僕は大丈夫ですよ。彼らは友達で」
「友達って、あんな関係性じゃなくねぇ?」
窓の外は暗けれど、多くの明かりにより賑わっていた。ビルの群れが目の前を流れていく。
「太陽くん、彼らとぶつかったでしょう?」
ジャックはひとつひとつ言葉を探すようにゆっくり口を切った。俺には真意が掴めずに、じっとジャックを見返した。
「僕には触れないのに、なんで彼らには触れたと思いますか」
そこまで言われて、ようやくはっとした。もしかして、ジャックの過去が関係している…? ジャックは黙ったまま頷いた。
「どうせ今晩には話すつもりでした」
平地が増え、ネオンに代わり暖かい住宅街の明かりが夜に浮かぶ。俺は情けないことに、なんと返せばいいものかわからずに、そうか、とだけ言った。その後、会話が交わされることはないまま、目的地を知らせるアナウンス聞き、ホームを踏んだ。
帰宅早々、俺は疲れた体をソファに投げた。ジャックもいつになく遠慮がちに椅子を引く。いつの間にかルームウェア姿だった。
「…ごめんなさい。僕が行きたいって言ったばっかりに」
「いいってことよ。なかなか楽しかったぞ」
決してジャックを慰めるためだけに行ったわけではなく、これは俺の本心でもあった。出会ってからほんの数週間とは思えぬほど急速に仲を深めてきた俺らだが、外へ遊びに行ったのは初めてのことだ。今までどちらとも外出を持ちかけることなんてなかった。ジャックにとっては大して用もなかったからかもしれない。俺としては、…俺としては、怖かったからだ。果たして外へ出てもジャックという存在があるのか。こいつはこの部屋だからこそ視ることのできるモノなのか、俺には見当もつかなかったから。 まだ小さかったころ、ある日を境に俺には色々なモノが視えるようになった。初めはそれが特別なことであると気づいていなかった。そんな俺に集まるのは侮蔑と非難の目、ただそれだけ。漫画やアニメじゃあるまいし、視えるからと言って壮絶なバトルが繰り広げられることもない。珍しいからと怖がられこそすれ、好かれはしない。本当に嫌だった。こんな運命を担う役にえらばれてしまったことが。…けど。 少しだけ、本当に少しだけ、今までこのせいで辛い思いをしてきたことも報われた気がした。それも全部…
「太陽くんは優しいですね」
こいつのおかげだ。 俺は自分自身がこれほど他人に心を許せるような性格だなんて知らなかった。 気まずい沈黙に耐えかねてか視線を彷徨わせるジャックを横目に、これまでの日々を振り返る。 ジャックに問いたいことは山ほどある。しかし、何から言ったらいいものか、どう言えばいいものか、と俺は口を開きかねていた。
「太陽くん」
呼びかけられた次の瞬間、ジャックはソファの前に正座していた。寂しそうな表情に見えるのは気のせいか。俺は重たい体を起こしながら
「どうした、改まって」
と笑う。いい予感は、しなかった。
「申し上げたいことがございます」
「はい、何でしょう」
「突然ですが」
「ほぅ、どうしました」
「僕は幽霊です」
「気づいてます」
神妙な面持ちのジャックに即答する。どこの誰が日常生活でテレポートなんかするものか。
「ここからは太陽くんも知らない話、しますね」
俺は黙って首を縦に振った。さて、何を話すつもりか。そのとき俺はそれをどう受け止めてやるべきだろう。
「僕は、生前、人間じゃなかった」
乾いた声にはっとさせられる。驚いたわけではない、どちらかといえば予想通りといったところだ。オレンジ色の髪、昼間の仮想…やはりアレだったか。
「その、そういうものでも‘死’というものはあるのか」
「そりゃあ、人間じゃなくとも死ぬときはきますから」
「そうか。…酷なことを聞くようで悪いんだが、やはりお前らのような仲間は一日にかなりの数が命を落としてるんじゃ…」
「まぁ、そうですね。近頃は殺処分とかも多いですし」
さ、殺処分⁉そんな言い方するのか。収穫、とかじゃなくて?
「形が悪いのは殺処分ってことなのか」
「形が悪い⁉そんな理由で命が奪われて良いわけないじゃないですか!」
ジャックがかなり怒った様子で声を荒げる。 いやいや、よく言うでしょう。『これは形が悪いから店には出せませんねぇ』とか。
「店に並ぶ子たちはそう言われるのかも知れないけど…保健所のおじさんたちはそんなひどいこと言いませんよ!」
「保健所ぉ⁉農協とでも間違えてんのか」
「農協ぉ⁉何ですか、馬鹿にしてるんですか。僕は死にたくて死んだわけじゃないですよ」
「んなことは、わかってるよ。そもそも死因ってなんだよ。鳥につつかれたとか?」
「鳥につつかれる時点で死んでるでしょう!」
そういうもんなのか⁉じゃぁ人間が食ってるのはいいのかよ。
「人間⁉人間が食べる⁉人間は猫なんか食べないでしょう!」
は、猫?
苛立った口調で捲し立てたジャックの一言に俺は訝し気に首を捻った。 そうですよ、僕は真っ黒な猫でした、とどことなく誇らしげな声が遠く感じる。猫…。ジャックの生前は、猫。
「えぇぇぇぇぇ!お前、猫なの!カボチャじゃねぇの!」
「かぼちゃぁぁぁぁ⁉ずっとそう思ってたんですか。道理でなんか噛み合わないな、と」
ジャックが珍しく呆れ顔で肩をすくめる。なんか納得がいかないぞ、俺は。だって頭はカボチャさながらのオレンジ色だし?今日もカボチャのコスチューム選んでたし?そこまで来て‘ジャック’っつったら、ジャック・オ・ランタンしかねぇだろうが。
「うわぁ。なんという偏見」
じっとりとした冷たい視線が罵声とともに突き刺さる。しかも黒猫って。お前いつも服は全身真白じゃねぇか、紛らわしいんだよ。
「太陽くん、知ってるでしょう。僕が死んだ時、太陽くんはあの場にいた」
その声は怖いくらい静かに響いて、ぐちゃぐちゃと回転していた俺の脳みそを止めた。次いで記憶をひっくり返し始める。俺が…ジャックの…? あぁ、そうか、あの時。俺が保育園生だったとき。
「猫さんが天国に行けますように」
保育園のお散歩の時間。列を抜け出した太陽は、道端に横たわった黒猫にそっと手を合わせた。脇には公園で摘んだ白詰草を添えて。
「太陽くーん、園に帰るわよ」
先生の呼ぶ声に太陽は立ち上がった。
「は?違いますよ。誰ですかその猫」
語りだした俺を制すジャックの眼差しは相変わらずの絶対零度だ。
ほら、あのとき…、ジャックは俺を諭すように人差し指を向けてくる。
その日は妹の誕生日でした。妹は人間のお菓子が大好きで。もともと、山の近くで野良をやってたんですが、僕はそれをプレゼントしようと町へ出たんです。信号には十分注意してたんです。だけど帰り道、気が緩んで…。 気づいたときには右折してきたトラックが目の前にありました。体が宙を舞って。誰か人間が抱きかかえながら呼びかけてけれたのが、僕の記憶の最後です。
「で、その抱きかかえてたの俺か?」 「いや、違います。太陽くんは…」
僕をはねたトラックは悪く無いんです。僕の不注意で飛び出したのに、避けようとまでしてくれました。けど、その結果、思いっきりハンドルのきられたトラックは歩道に突っ込んで…。
「あー!それで俺をはねたんだな!?」 「そ、うです。意識不明の重体で搬送、でしょう?」
申し訳なさそうに目を伏せる。
「でしょう、じゃねーよ!!あれ、すっげぇ長いこと昏睡状態だったんだぞ。ありゃあ小二くらいのときか」
「思い出してくれましたか…?」
遠慮がちに顔を覗き込んでくる。 覚えてるわけねーだろ。つか、トラックが突っ込んできた理由すら初耳だわ。お前かよ。ったく、あんな事故で頭打ったせいだ。そっから幽霊なんかが視えるようになっちまってよぉ。どれだけ苦労したことか。…ん?
「お前が、俺に視えるようにさせた、とか…?」
ジャックは答えない代わりに悲しそうに微笑んだ。
「僕のせいで巻き込んでしまったあの少年に、いつか謝罪をしたくて。死ななかったというのは聞いたんですが…心配していました、ずっと」
そういうことで。それで、俺が。そんなくだらねぇ理由のためにお前は成仏しない道を選んだのか…?ああして馬鹿にされてまで俺のもとへ来たのか?
「くだらなくないです。太陽くんに会えて、元気でいてくれて、よかったです」
「俺は、あれからずっと元気だよ…」
きっぱり言い切ったジャックの普段は表情のない目が心なしか優しい色を帯びている気がして、俺は涙を堪える。そうまでしてくれなくてよかったのに、とは言おうとしたけど声にならなかった。
「大丈夫ですか」
「…おう」
「そう言えば彼らのことなんですが」
人間の加えた力がひとつの死因で霊になったときは人間に触ると復讐のような力が働いてしまうんです、ジャックは笑った。それで、あいつらは冷やかしたのか。殺されたのに、つるむのか、と。
「気にすんなって。俺ら友達じゃん?」
口角をあげてみせた俺に、ジャックは歯を見せ何度も何度も大きく頷いた。
「…じゃあ、そろそろ寝ますか」
俺は欠伸をしながら立ち上がる。いつもみたく反射的にジャックが少し避ける。
「それじゃ…また明日。聞いてくれて、ありがとうございました。おやすみなさい」
ぺこりと頭を下げると、一瞬にして姿を消した。
「おやすみ。また明日な」
誰も居なくなったリビングで呟く。ちゃんと起こしてくれよ、と付け足し、電気を消した。
鳴り響く目覚まし時計を手探りで止める。見ると普段より少し遅い。あいつ、起こせって頼んだのに...。そこでいつもならリビングから聞こえてくるはずの朝の情報番組の声が漏れてこないのを不審に思った。幽霊に気配はんてものはないがそれでも昨日までとは何かが違うことくらい察知できた。慌ててリビングを覗くと、案の定、定位置のソファにあいつの姿はなかった。
「ジャック?…おい、ジャック!出てこい!」
辺りを見渡すが返事はない。こんな狭い部屋で隠れているなんてことはありえない。
「どこ行きやがった…」
ふと思い立ち、ケータイを取り出すと写真フォルダの文字をタップする。ここにはいてくれ、と願った。しかし、写っていたのは俺、俺だけだった。 どこかでそんな気はしていたんだ。だけど、こんなありきたりな設定で今までの生活が突然終わってしまうなんて、信じたくなかった。俺にはあそこで何か無理にでも約束を取り付けて引き止めることもできた。けど、そうはしなかった。成仏するのはいいことなのだ。俺にそれを阻む権利はない。頭では分かっていても。 気がついたら涙が頬を伝っていた。大切な友人と、もう二度と会えない…。幽霊だといえ、失くしたものが大きすぎて今すぐには受け止めれない。 こんな俺を見たら、あいつはなんて言うんだろうか。笑いとばすのかな。いつもの笑顔で、どうしましたか、とでも言うんだろう。
「どうしましたか、太陽くん」
クスクスと笑う台詞に弾かれて、俺は声の先をたどり、振り返った。
「おはよう、太陽くん」
いつもより少し遅い時間に、殴るように目覚ましを止めた太陽くんを見て、笑う。返事は、ない。
体調はどう?今日こそサボっちゃだめだよ?
母親か、とツッコむ声も今日は飛んでこない。
代わりに、焦った様子で辺りを見回し、壊れんばかりの勢いでリビングへのドアを開けた太陽くんの姿があった。
「ジャック?」
何ですか、僕はここにいますよ。
「…おい、ジャック!出てこい!」
朝からうるさいですよ、と正面に回り込み、手を振り応える。
その手を、
伸ばされた太陽くんの手が、
通りすぎた。 そして、その目線は、明らかに僕の奥の風景を見透かしていた。どれだけ呼びかけても視線は合わない。 あぁ、そうか。僕はもうこちら側に戻りかけているんだ。魂こそかろうじてここにあるものの、人間には見つけてもらえない。魂が昇ってしまうのだって、時間の問題だ。元気でいてくれていることを祈り太陽くんを探し続けた。そのためにならと成仏しない、という選択をとるための覚悟はとうの昔にできていた。
それを果たした今。僕は再びこの世を離れなければ。 成仏するということは、それ即ち、この世での記憶を全て忘れることだ。こっちの覚悟は未だ煮えきらないままだ。
「どこ行きやがった…」
涙声で呟く君。あぁ、昨日のように君と笑い合うことは、もう出来ないんだね。 記憶が少しずつ、着実に薄れていく。君と話したこと、出かけたこと、上手く思い出せないでいる。そして、君、が誰なのかさえも。 ええと、この人は誰だっけ。呼ばれている名前には何だか聞き覚えがあるなぁ。そんなに泣き叫んでどうしたんだろい。まるで大切な人でも失くしたみたいだ。そこまで喚いたら、子供みたいでみっともないよ? 僕は自然と口元ほころんでいることに気づく。見ず知らずの人だけど、放っておけない雰囲気だ。大丈夫かなぁ。いつまでこうしているのかなぁ。見捨てて成仏できないじゃないか。全く、世話が焼ける。
「どうしましたか」
声をかけてみる。しかし、こちらに気づいていないようで、その人はまだうずくまったままだ。
「どうしましたか、太陽くん」
口をついた僕の言葉に、
泣き声が、
止んだ。
消えてしまいそうなその刹那-
僕が最後に見たのは-
午前十時。なんとはなしに付けていた情報番組から聞こえてくる陽気なレポーターの声に読んでいた新聞から顔を上げた。先週は新そばの特集をしてたっけか。 そうだ、大学は休もう、とまるで京都にでも行くかのようなノリで決めたのはついさっきのことだ。仕方ないさ、月曜日の朝ほど憂鬱なものはないんだから。
「今日は学校ないんですか」
「あるよ。そこに行きゃ昨日と変わらず建ってるよ」
「そういうくだらないの、いいですから」
少しふてくされたような声が背後から飛んでくる。声の主は図々しくもソファに寝転んでいるに違いない。
「なんでお休みなんですか。昨日、あぁ明日の講義だりぃ、とか言ってたじゃないですか」
器用に俺の口調を真似ながら、責めてくる。別になんだっていいだろ、居候の分際で口出すな、ってんだ。
「まさかとは思いますが、月曜」
「みなまで言うな」
これで朝起きたら大雨でした、とかっていうのならまだ休みやすかったさ。なんだよー雨かよー、もう行くのめんどくさいわー、って。なんだよ、よりによって。窓の外にチラリと目をやれば、まぁ、それはそれは見事に雲一つない青空が広がってらっしゃって。
「天候も曜日と大して変わらずクズだと思いますけど」
「うっさいわ!勝手に人の心読むな!」 「いやぁ、想像以上にクズで読み損でした」
くそ、こいつ…。もう一度言うがこいつは居候の身だ。一年生なんだから行きなさいよ、なんてどの面さげて言ってんだ。もうちょっと敬ってだな…。 くだらない俺たちの攻防の間にも、画面の中のリポーターは次々とデザートを口にしてはおいしいおいしいと面白みのないコメントを繰り返している。ハロウィンをイメージしてかコウモリやオバケをかたどったそれらは、見るからに甘そうで、見るからに女子が好きそうだった。偏見か。
「おいしそうですねぇ」
「女子か、お前は」
「このイベント、どこでやってるんですっけ」
「はぁ?…隣の市だろ。そこの、大通り一帯、通行止めだとかで」
「近いんですね!」
妙に高いテンションが気味悪い。この温度差のありすぎる会話にもそろそろ慣れてきたといえば慣れてきたが。
「しかし、今日はいい天気ですねぇ!」 「なんだ、嫌味か?」
時差のある嫌味だな、と目はセリーグの打率を追ったままに返す。俺の欠席のくだりならさっきも散々なじってくれたじゃないか、と鼻で笑う。背後に冷気を感じるのは気にしたくないところだ、が。 何だこいつ、俺に何を求めている。察しはつかないこともないが、もしそれが正解だとしたら俺はその欲求には応えたくないというのが望みだ。
「いやぁ、今日はいい天気ですね‼お出かけ日和だぁ‼」
「でけぇ声出すな!さっき聞いたわ!」 「…」
明らかにうなだれている。押し黙った雰囲気からはもちろんのこと、なにより先ほどから冷気に代わり背後から立ち上る暗い、死者同然のオーラがそれを物語っている。…ん?いや、これはもともとこいつが持つものなのかもしれないが。 「…っう、ぐすっ…」
なんだ、このわかりやすい泣きまねは。それは女子のような可愛らしいものである訳なく、はたまた野郎特有の暑苦しいものでもなく、ひたすら薄気味の悪い、背筋を這うようなお化け屋敷の音響とでも例えるのがしっくりきた。
「太陽くん…ひどいよ、あんまりだ」
あぁ、めんどくさい。
「…電車だぞ」
「え?」
奴が泣き止む気配を背に受ける。俺はしぶしぶ首を捻って後ろを振り返った。…おかしい、いない。
「電車⁉電車とはどういうことですか⁉」
首を戻すと明らかに弾んだ声と、目をキラキラさせ、満面の笑みを浮かべた奴がテーブルを挟んだ向かい側に腰かけ、身を乗り出していた。
「今日、バイク、修理」
「そっかぁ、なるほど、免許ないのに乗ってるバイクは修理かぁ」
「うっせぇ。そしてテレポートやめろ」 そんなことよりどこ行くの、と早速はしゃいでいるあたり、テレポート云々は耳に届いてなさそうだ。
「それで、どこに行きますか!?行きたいとこありますか」
これでも気を遣ってるつもりだとでもいうことか。こう見えて、それなりに常識人なわけだ。常識…人?まぁ細かいことは気にしないでおこう。じゃあ…
「墓」
「やめて。僕を返そうとするのやめて」 真顔で固まる様はだいぶおかしなものだった。両者譲らぬ沈黙に耐えかねて、俺は息を吐く。
「あれ行きたいんだろー」
俺はテレビに指を向けた。毎年ハロウィン近くの休日で開催されるイベント。みんなで仮装して道路を練り歩いている。なにが楽しいのか俺にはさっぱりだ。味わえるのは人混み、得られるのは疲労感という何ともあほらしいイベントだ。近年はイベントに出店する店が激増してきていて、比例するように客足も伸びている、とリポーターがつらつらと述べる。 「いいんですか?」
期待の滲み出た口調で俺をうかがう。 「仕方ないからな。…四十秒で支度しな」
「わかった!あれ、それなんか聞いたことあるよ。知ってるやつだ。ほら、あれ、なんだっけ。映画の」
「あ、経った。じゃ、お先な」 「ひどい!待って待って待ってってば!え、本気!?」
薄情者、と叫ぶ声を背に受けつつ、構わずドアを開けた。
時は数週間前に遡る。十月入ってすぐくらい、数少ない友達に誕生日を祝われほろ酔いで帰宅したあの日に。 家に帰ってもおめでとうのひとつの声もかからないんだもんなぁ。彼女欲しいなぁ。さっきまで友達にさんざんからかわれていたことを思い出して虚しくなる。二十歳の誕生日を野郎ばっかで祝うってどうよ。まぁ、友達の少ない俺にとっちゃ祝ってくれるだけありがたいんもんだが。 初秋とはいえ夜は寒い。家に着くと急いで鍵を取り出し、ノブを回した。
「お誕生日、おめでとうございまーす!」
陽気な声に、続くクラッカーの音。しかし、とび出たはずの紙テープなんかは俺にかかっていない。何故だ。
「あれ…大丈夫ですか?太陽くん、おめでとうございます、って」
よほど俺がフリーズしていたのか少し申し訳なさそうな顔色だ。
「…誰だお前」
目の前には上下ともゆったりとした真白な服を着、オレンジ色の髪に、大きな、しかしどことなく生気のない目をした青年がクラッカー片手に笑顔でこちらを見ていた。自分で言っといて、ちょっとドスが効きすぎたか、と思ったときには遅かったようだ。青年がガタガタと大げさに震え出し、後ずさる。
「あ、怪しいものじゃなくて。ちょ、ちょっとサプライズで誕生日を祝いたかっただけで」
十分に怪しすぎるどもりっぷりで否定する。いや、今更だろう。だって、鍵のかかったこの部屋に、お前はどうやって入った?
「あ、えっと…。僕はジャックって言います!」
「いや、求めてねぇから自己紹介」
「南瓜太陽くんですよね」
「怖ぇよ」
なんで知ってんだよ。
「野郎一人の誕生日も虚しいかと、祝いにきました。ついでに少し長居させてくれると嬉しいです」
野郎ばっか一人でも二人でも一緒じゃ、ぼけ。つか、いきなり図々しいな。
「その申し出は却下してもいいか」
正直こんな場面には過去に何度か出くわしたことがある。面と向かって長居していいか、とまで言われたのも、ここまでフレンドリーなのも初めてだが。今回はいつになく面倒な雰囲気だ。
「却下は却下します」
…好きにしろよ、呆れ返った俺は苦い声を漏らした。
駅を一歩でると、すでに多くの人とその熱気で埋め尽くされていた。平日だとは、とても思えない。しかも人々のほとんどはゾンビだの魔女だのと仮装しているわけだから、異様なことこの上なかった。駅から左右にのびるイベントの行われている通りはテレビ見るより広く、ビルや店舗もかなりの数が立ち並んでいた。
「うっわぁ、すごいですねぇ」
横でちょこまかと忙しなく動くジャックの首根っこを捕まえようとするが、見事にかわされる。
「僕らも仮装しま「断る」
言い終わるが早いか俺は吐き捨てた。誰がこんな年になって、ましてや野郎二人-正確には一人で、コスプレなんかするものか。反論の余地はいくらでもあるが、眉を下げ口を一文字に結び、今にも泣き出しそうなこいつを前にまくし立てれるほど俺も鬼じゃない。
「一人でしてろよ」
「それならいいの?太陽くんもせめて帽「パス」
「じゃあ、ほらドラキュラっぽくマン「パス」
「あ、ならタ「タトゥーシールなんかもってのほかだからな」
眉がこれでもかとさらに下がる。ったく、どこまでガキなんだこいつは…。ため息ながらに苦笑せずにはいられない。いつの間にか、相当拗ねたのか奴の姿が消えていた。
「あぁっ、もうわぁったよ、行きゃいいんだな行きゃ」
やけくそで舌打ちすると、ありがとう!とハイテンションな声が急に耳元にしてひるむ。勝手に出たり消えたりすんなめんどくせぇ。
「てか、お前、仮装しても誰にも見られることねぇのに」
言うと、ジャックがふっと余裕の笑みを浮かべる。何の余裕だっての。
「いいんですよ、太陽くんにだけ見てもらえれば。僕はそれで…」
「おまっ、気持ち悪ぃこと言うな。俺は男には興味ねぇからな!?恋愛対象は女であり、人間だからな!?間違ってもなんか連れてくんなよ。またヘンなの来られちゃ面倒見きれん」
「また、とはなんですか!僕、いい子にしてるじゃないですか」
むすっとした顔が目の前に迫ってくる。事情は知らないが、居候をいい子とは肯定し難い。
「はいはい、すまんすまん。行くぞー」
まだ何か言いたげだったが、早く行きたいという思いとは合致したのか、こっちです、と不機嫌そうに歩き出した。俺の場合は早く行きたいじゃなくて、早く済ましたい、だけどな。仮装の件については直前でなんとか免れるように努めよう。人の波を華麗に避けつつ進むジャックの後ろ姿に決心した。
「おい、マジでこの店入るのか…」
ギラギラとしたピンクの看板。派手に胸元や太ももの開いたコスチュームを着せられたマネキン。立ちすくむ俺の脇を抜け入店していく客のほとんどは十代女子とみた。
「はい、ここが一番グッズが多いそうです!」
ほら、ここ!と、どこから取り出したのか不明の雑誌を掲げ、ページを指さすジャックを、俺は慌てて制した。ただ宙に雑誌が浮いているだけにしか見えず、目を向き後ずさる周囲に気づいた太陽が、止めろ、と口にしたのは余計に視線を集めることとなってしまった。 顔にはてなを浮かべていたジャックの顔が、なるほど、と明るくなる。反省の色は、ない。
「あぁ、そうでした。人前に外出なんて久しぶりで」
忘れてました~、って笑い事じゃねぇから。俺の立場はどうなる。ネットなんかに晒されて明日にはいじめられっ子に早変わり、なんつったらどうしてくれんだっての。あはは、じゃねぇよ、全く。世話の焼ける奴だ、と呆れている間にも、俺を急かすようにその姿を点滅させてアピールしてくる。俺はもう今日何度目かのため息を吐いて渋々店内に足を踏み入れた。 女しかいなかった。予想はしていたが、ここまでか。わずかに見られる男どもの腕にはしっかりと女が巻きついていた。
「勝手に商品触んなよ」
人目をはばかり、腹話術の要領で俺はコウモリのカチューシャをつけたジャックに話しかけた。って、
「うおぅっい!!」
「ひぇー、スミマセンスミマセン」
へらへらと言いながらそれを外す。懲りない奴め。
「じゃあ代わりに太陽くんが試着してくれませんか」
「は?」
何故そうなる?イメージがみたくて、じゃねぇよ、そんなもん適当に買っとけよ!あまりの稚拙な発案に開いた口は塞がらず悲痛な叫びも声にならない。
「自分のものじゃないものを身につけたら浮いちゃうので。それで試着なんかしたらただのホラーでしょ?」
「もっともらしく言うな」
「ほら~」
「てめぇ、次そういうくだらんこと言ったら殺…いや、墓に返「スミマセンでした」
ジャックは俺を言いくるめられたからか嬉しそうに調子に乗って色んな物を試着させようとする。周囲の目の白いこと白いこと。
「ドラキュラのマントですよ!似合いますね、太陽くん」
だから着るのは俺じゃねぇっての。 「じゃあ、こっちは」
ジャックの指の先を辿るとオレンジのカツラ。おそろいですよ、なんて笑顔を向けられたときにゃ俺のこめかみが音をたてるのがわかった。
「ほ、ほら、じゃあこのシール。ちょっとつけてみてください」
「あ?こうか…?」
俺はもう諦め、よくわからないまま指示に従う。
「いいですね、ワンポイントで」
「どこがだよ…って、おまっ、これ取れねぇぞ!」
手の甲のコウモリは擦れど擦れど取れない。俺はもう半泣きでレジにカゴを突き出した。
「いやぁ、可愛い子いっぱいでしたね」 鼻の下のばしてんなよ。そんなことより、だ。
「なんで俺まで」
自分の背でひらひらと翻るマントを少し掲げてみて、げんなりする。
「しかしお前買ったものは浮かないんだな」
横目で見ると、かなり大きめのオレンジのトレーナーにカボチャをかたどった帽子を被っているジャックと目が合った。似合ってるでしょう、と得意気に鼻を鳴らすジャックに、結局俺が試着してないものを買ったことに対する恨みの念を送る。
「その、身につけたときの浮かぶと消えるの基準がよくわからないんだが」
おもむろに口を開いた俺に、ジャックは小首を傾げる。
「俺がお前をおぶったりなんかしたら姿を消せるのか?」
些細な疑問だった。悪用は禁止ですよー、なんてふくれ顔が返ってくると思っていた俺は、訪れた沈黙に戸惑った。 「太陽くんは僕には触れませんよ」
寂しそうにジャックは微笑む。今まで試したこともなかったし、そうとは知らなかった。
「僕からなら触れますが-」
ジャックはそこで一旦言葉を切った。前を見つめたまま何かを思いめぐらしているようにも見えた。
「それはできません」
今までになく力強い物言いだった。俺は返す言葉を探した。こいつがここまで言うんだ、理由もなしに、ってことはないだろう。それというのは、やはり、あいつの過去に関係していることなのかもしれない。しかし、それは俺から尋ねていいことではないように思えた。ジャックが自分から俺に打ち明けてくれればそれでいい。
「まぁ、その、なんだ。よくわかんねぇけど…また気が向いたら教えてくれよ」
気まずい雰囲気を打開しようと、俺は頭を掻いた。お前の背負ってるもの、俺に少しでも分けてくれればいい。生きている俺がお前のために何をしてやれるかはわからないけど、一緒に悩んでやることくらいは、できる。垣根を超えた、一人の友達として。
「太陽くん」
そこでようやくジャックは振り向いた。
「ありがとうございます」
湿っぽい声に聞こえたが、何に対する感謝なのかはいまいち判然としなかった。
「そーんなことより、次、行くぞ!腹減った!」
思い切り伸びをした俺の空元気を察してか、ジャックも明るい返事をし、歩き出した俺の横に並んだ。さっきの雰囲気はどこへやら、あれ食べたいだの、これ買いたいだのとあちこち見回してはしゃいでいる。 しばらくして、あ、という声とともにジャックが立ち止まった。
「あそこで写真撮りましょうよ」
目線の先には大きなハロウィン使用のフォトパネルだった。その前では若い女の子たちがデジカメだスマホだと忙しそうにお互いを撮りあっている。 もう俺は呆れる体力も残っていないので、大人しく一枚だけだぞ、と言うだけにとどめた。 野郎一人であの前に立つなんて…なんという屈辱!俺は近くにいた高校生と思しきカップルに撮ってもらえますか、と声をかけた。
「あ、いいっすよ。彼女さん、どこっすか?」
「いや、一人なんですが…」
「ありゃ、そっすか。なんか、さーせん」
気づいたら俺の右手は拳を握っていた。苦笑いのジャックが視界の端に映る。 打ちかけた舌打ちを飲み込み、だいぶ失礼な金髪男にスマホを渡すとパネルの横に立った。それを見て待ってましたと言わんばかりに、すでに反対側でスタンバイしていたジャックがダブルピースをする。俺も渋々、嫌々でそれにならった。 はいチーズ、とかかった声に続いてシャッター音が鳴る。ありがとうございます、と言いながら俺は金髪男に駆け寄った。
「おっけーっす…え…うえぇぇぇ!?」
撮った写真をチェックした金髪男が変な叫び声をあげ、投げるように俺にスマホを返す。
「なんか…なんか、写ってる…!」
震える指で示された画面には、カボチャの帽子を被り、ダブルピースをした青年が満面の笑みで、うっすらと、しかし堂々と映りこんでいた。 俺は吹き出しかけたのを必死に堪える。いやはや、大成功だ。そしてこの写真に映りこんだ張本人も一緒に画面を覗き込んでいようとは彼は思いもしていないだろう。
「え、これ、お祓いとかしないとっすか?あ、そのまえに撮り直しますかっ?」
「いや、いいです。それで、いいんです」
俺がなお笑いを堪えながら金髪男の提案を制すと、俺の言った、それでいい、の意味が全く理解できないという風にきょとんとした表情を浮かべていた。
「ねぇ、ヘンな人だって。離れようよ」
こちらに軽蔑の眼差しを寄越しながら、後ろで一部始終を見守っていた彼女が金髪男の袖を引っ張る。そうだな、と上擦った返事をして、二人は逃げるように人混みに消えていった。
「いやぁ、驚いてましたねぇ」
ジャックが背後からひょいと笑顔を覗かす。
「まぁ、あれでこそ記念撮影、だろ」
俺たちは顔を合わせて同時に吹き出して、しばらくその場で笑い転げた。周囲の反応は特になかった、と思いたい。 日はてっぺんよりだいぶ西へ傾きつつあった。俺らはひたすら食い物片手に通りを行ったり来たりと練り歩き、可愛い子を見つけてはぎゃあぎゃあと騒いだ。 そのとき肩に何かがぶつかる感触を覚えて、俺は慌てて振り向いた。
「すんません」
謝りつつ顔を見やると、そこに立っていたのは少しやんちゃそうな顔つきの男子三人組だった。しかし、
「あれ、視えるんだ~」
こりゃ驚いた~、とわざとらしく目を見開き、馴れ馴れしい口調で語りかけてきた彼らは、生きていなかった。
「あっれ、ジャックだろお前」
その中の一人が俺の少し後ろに佇んでいたジャックを呼ぶ。いやらしい笑みだった。
「あ、うん…。久しぶりだねぇ…」
いつもハツラツとしているジャックのこんなに歯切れの悪い様子を見るのは久しぶり…いや、初めてかもしれない。
「なんだー、お友達と買い物かー?」
「うん、まぁ…」
「元気そうでなによりだわぁ。さっすが養って貰ってるだけある~」
ジャックは何も言わない。悔しそうに少し俯いているだけだ。
「なんだ、てめぇら?何が言いたい?」
何がどうなっているのか、詳しいことは俺にはさっぱりだが、こんな挑発的な態度を受けて俺は、そしてきっとジャックもいい気分でないのは確かだった。
「いやいやー、何もないですって。…良かったじゃないか、ジャック。いいお友達を持って。あの頃は…「まだ何か言いてぇのか!?」
俺はたまらず、気づいたら怒鳴ってしまっていた。周りの視線が一斉に俺を貫く。あぁ、そうだ、この感じ。この感覚に俺は耐えられないんだ。だから俺はこいつらのようなのが…。
「…おい、帰るぞ」
俺はそれらの群衆から逃れるようにして駅への道を急いだ。
「ちょっと待ってください、太陽くん!」
俺が電車に乗り込むのに続いてジャックも駆け込んできた。イベントは夜になるにつれライブが行われたりと盛り上がりを見せるせいか車内はガラガラもいいとこ、俺らしかいなかった。 心配そうに俺をうかがうジャックに気が付き、大丈夫なのか、とだけ聞いた。
「…僕は大丈夫ですよ。彼らは友達で」
「友達って、あんな関係性じゃなくねぇ?」
窓の外は暗けれど、多くの明かりにより賑わっていた。ビルの群れが目の前を流れていく。
「太陽くん、彼らとぶつかったでしょう?」
ジャックはひとつひとつ言葉を探すようにゆっくり口を切った。俺には真意が掴めずに、じっとジャックを見返した。
「僕には触れないのに、なんで彼らには触れたと思いますか」
そこまで言われて、ようやくはっとした。もしかして、ジャックの過去が関係している…? ジャックは黙ったまま頷いた。
「どうせ今晩には話すつもりでした」
平地が増え、ネオンに代わり暖かい住宅街の明かりが夜に浮かぶ。俺は情けないことに、なんと返せばいいものかわからずに、そうか、とだけ言った。その後、会話が交わされることはないまま、目的地を知らせるアナウンス聞き、ホームを踏んだ。
帰宅早々、俺は疲れた体をソファに投げた。ジャックもいつになく遠慮がちに椅子を引く。いつの間にかルームウェア姿だった。
「…ごめんなさい。僕が行きたいって言ったばっかりに」
「いいってことよ。なかなか楽しかったぞ」
決してジャックを慰めるためだけに行ったわけではなく、これは俺の本心でもあった。出会ってからほんの数週間とは思えぬほど急速に仲を深めてきた俺らだが、外へ遊びに行ったのは初めてのことだ。今までどちらとも外出を持ちかけることなんてなかった。ジャックにとっては大して用もなかったからかもしれない。俺としては、…俺としては、怖かったからだ。果たして外へ出てもジャックという存在があるのか。こいつはこの部屋だからこそ視ることのできるモノなのか、俺には見当もつかなかったから。 まだ小さかったころ、ある日を境に俺には色々なモノが視えるようになった。初めはそれが特別なことであると気づいていなかった。そんな俺に集まるのは侮蔑と非難の目、ただそれだけ。漫画やアニメじゃあるまいし、視えるからと言って壮絶なバトルが繰り広げられることもない。珍しいからと怖がられこそすれ、好かれはしない。本当に嫌だった。こんな運命を担う役にえらばれてしまったことが。…けど。 少しだけ、本当に少しだけ、今までこのせいで辛い思いをしてきたことも報われた気がした。それも全部…
「太陽くんは優しいですね」
こいつのおかげだ。 俺は自分自身がこれほど他人に心を許せるような性格だなんて知らなかった。 気まずい沈黙に耐えかねてか視線を彷徨わせるジャックを横目に、これまでの日々を振り返る。 ジャックに問いたいことは山ほどある。しかし、何から言ったらいいものか、どう言えばいいものか、と俺は口を開きかねていた。
「太陽くん」
呼びかけられた次の瞬間、ジャックはソファの前に正座していた。寂しそうな表情に見えるのは気のせいか。俺は重たい体を起こしながら
「どうした、改まって」
と笑う。いい予感は、しなかった。
「申し上げたいことがございます」
「はい、何でしょう」
「突然ですが」
「ほぅ、どうしました」
「僕は幽霊です」
「気づいてます」
神妙な面持ちのジャックに即答する。どこの誰が日常生活でテレポートなんかするものか。
「ここからは太陽くんも知らない話、しますね」
俺は黙って首を縦に振った。さて、何を話すつもりか。そのとき俺はそれをどう受け止めてやるべきだろう。
「僕は、生前、人間じゃなかった」
乾いた声にはっとさせられる。驚いたわけではない、どちらかといえば予想通りといったところだ。オレンジ色の髪、昼間の仮想…やはりアレだったか。
「その、そういうものでも‘死’というものはあるのか」
「そりゃあ、人間じゃなくとも死ぬときはきますから」
「そうか。…酷なことを聞くようで悪いんだが、やはりお前らのような仲間は一日にかなりの数が命を落としてるんじゃ…」
「まぁ、そうですね。近頃は殺処分とかも多いですし」
さ、殺処分⁉そんな言い方するのか。収穫、とかじゃなくて?
「形が悪いのは殺処分ってことなのか」
「形が悪い⁉そんな理由で命が奪われて良いわけないじゃないですか!」
ジャックがかなり怒った様子で声を荒げる。 いやいや、よく言うでしょう。『これは形が悪いから店には出せませんねぇ』とか。
「店に並ぶ子たちはそう言われるのかも知れないけど…保健所のおじさんたちはそんなひどいこと言いませんよ!」
「保健所ぉ⁉農協とでも間違えてんのか」
「農協ぉ⁉何ですか、馬鹿にしてるんですか。僕は死にたくて死んだわけじゃないですよ」
「んなことは、わかってるよ。そもそも死因ってなんだよ。鳥につつかれたとか?」
「鳥につつかれる時点で死んでるでしょう!」
そういうもんなのか⁉じゃぁ人間が食ってるのはいいのかよ。
「人間⁉人間が食べる⁉人間は猫なんか食べないでしょう!」
は、猫?
苛立った口調で捲し立てたジャックの一言に俺は訝し気に首を捻った。 そうですよ、僕は真っ黒な猫でした、とどことなく誇らしげな声が遠く感じる。猫…。ジャックの生前は、猫。
「えぇぇぇぇぇ!お前、猫なの!カボチャじゃねぇの!」
「かぼちゃぁぁぁぁ⁉ずっとそう思ってたんですか。道理でなんか噛み合わないな、と」
ジャックが珍しく呆れ顔で肩をすくめる。なんか納得がいかないぞ、俺は。だって頭はカボチャさながらのオレンジ色だし?今日もカボチャのコスチューム選んでたし?そこまで来て‘ジャック’っつったら、ジャック・オ・ランタンしかねぇだろうが。
「うわぁ。なんという偏見」
じっとりとした冷たい視線が罵声とともに突き刺さる。しかも黒猫って。お前いつも服は全身真白じゃねぇか、紛らわしいんだよ。
「太陽くん、知ってるでしょう。僕が死んだ時、太陽くんはあの場にいた」
その声は怖いくらい静かに響いて、ぐちゃぐちゃと回転していた俺の脳みそを止めた。次いで記憶をひっくり返し始める。俺が…ジャックの…? あぁ、そうか、あの時。俺が保育園生だったとき。
「猫さんが天国に行けますように」
保育園のお散歩の時間。列を抜け出した太陽は、道端に横たわった黒猫にそっと手を合わせた。脇には公園で摘んだ白詰草を添えて。
「太陽くーん、園に帰るわよ」
先生の呼ぶ声に太陽は立ち上がった。
「は?違いますよ。誰ですかその猫」
語りだした俺を制すジャックの眼差しは相変わらずの絶対零度だ。
ほら、あのとき…、ジャックは俺を諭すように人差し指を向けてくる。
その日は妹の誕生日でした。妹は人間のお菓子が大好きで。もともと、山の近くで野良をやってたんですが、僕はそれをプレゼントしようと町へ出たんです。信号には十分注意してたんです。だけど帰り道、気が緩んで…。 気づいたときには右折してきたトラックが目の前にありました。体が宙を舞って。誰か人間が抱きかかえながら呼びかけてけれたのが、僕の記憶の最後です。
「で、その抱きかかえてたの俺か?」 「いや、違います。太陽くんは…」
僕をはねたトラックは悪く無いんです。僕の不注意で飛び出したのに、避けようとまでしてくれました。けど、その結果、思いっきりハンドルのきられたトラックは歩道に突っ込んで…。
「あー!それで俺をはねたんだな!?」 「そ、うです。意識不明の重体で搬送、でしょう?」
申し訳なさそうに目を伏せる。
「でしょう、じゃねーよ!!あれ、すっげぇ長いこと昏睡状態だったんだぞ。ありゃあ小二くらいのときか」
「思い出してくれましたか…?」
遠慮がちに顔を覗き込んでくる。 覚えてるわけねーだろ。つか、トラックが突っ込んできた理由すら初耳だわ。お前かよ。ったく、あんな事故で頭打ったせいだ。そっから幽霊なんかが視えるようになっちまってよぉ。どれだけ苦労したことか。…ん?
「お前が、俺に視えるようにさせた、とか…?」
ジャックは答えない代わりに悲しそうに微笑んだ。
「僕のせいで巻き込んでしまったあの少年に、いつか謝罪をしたくて。死ななかったというのは聞いたんですが…心配していました、ずっと」
そういうことで。それで、俺が。そんなくだらねぇ理由のためにお前は成仏しない道を選んだのか…?ああして馬鹿にされてまで俺のもとへ来たのか?
「くだらなくないです。太陽くんに会えて、元気でいてくれて、よかったです」
「俺は、あれからずっと元気だよ…」
きっぱり言い切ったジャックの普段は表情のない目が心なしか優しい色を帯びている気がして、俺は涙を堪える。そうまでしてくれなくてよかったのに、とは言おうとしたけど声にならなかった。
「大丈夫ですか」
「…おう」
「そう言えば彼らのことなんですが」
人間の加えた力がひとつの死因で霊になったときは人間に触ると復讐のような力が働いてしまうんです、ジャックは笑った。それで、あいつらは冷やかしたのか。殺されたのに、つるむのか、と。
「気にすんなって。俺ら友達じゃん?」
口角をあげてみせた俺に、ジャックは歯を見せ何度も何度も大きく頷いた。
「…じゃあ、そろそろ寝ますか」
俺は欠伸をしながら立ち上がる。いつもみたく反射的にジャックが少し避ける。
「それじゃ…また明日。聞いてくれて、ありがとうございました。おやすみなさい」
ぺこりと頭を下げると、一瞬にして姿を消した。
「おやすみ。また明日な」
誰も居なくなったリビングで呟く。ちゃんと起こしてくれよ、と付け足し、電気を消した。
鳴り響く目覚まし時計を手探りで止める。見ると普段より少し遅い。あいつ、起こせって頼んだのに...。そこでいつもならリビングから聞こえてくるはずの朝の情報番組の声が漏れてこないのを不審に思った。幽霊に気配はんてものはないがそれでも昨日までとは何かが違うことくらい察知できた。慌ててリビングを覗くと、案の定、定位置のソファにあいつの姿はなかった。
「ジャック?…おい、ジャック!出てこい!」
辺りを見渡すが返事はない。こんな狭い部屋で隠れているなんてことはありえない。
「どこ行きやがった…」
ふと思い立ち、ケータイを取り出すと写真フォルダの文字をタップする。ここにはいてくれ、と願った。しかし、写っていたのは俺、俺だけだった。 どこかでそんな気はしていたんだ。だけど、こんなありきたりな設定で今までの生活が突然終わってしまうなんて、信じたくなかった。俺にはあそこで何か無理にでも約束を取り付けて引き止めることもできた。けど、そうはしなかった。成仏するのはいいことなのだ。俺にそれを阻む権利はない。頭では分かっていても。 気がついたら涙が頬を伝っていた。大切な友人と、もう二度と会えない…。幽霊だといえ、失くしたものが大きすぎて今すぐには受け止めれない。 こんな俺を見たら、あいつはなんて言うんだろうか。笑いとばすのかな。いつもの笑顔で、どうしましたか、とでも言うんだろう。
「どうしましたか、太陽くん」
クスクスと笑う台詞に弾かれて、俺は声の先をたどり、振り返った。
「おはよう、太陽くん」
いつもより少し遅い時間に、殴るように目覚ましを止めた太陽くんを見て、笑う。返事は、ない。
体調はどう?今日こそサボっちゃだめだよ?
母親か、とツッコむ声も今日は飛んでこない。
代わりに、焦った様子で辺りを見回し、壊れんばかりの勢いでリビングへのドアを開けた太陽くんの姿があった。
「ジャック?」
何ですか、僕はここにいますよ。
「…おい、ジャック!出てこい!」
朝からうるさいですよ、と正面に回り込み、手を振り応える。
その手を、
伸ばされた太陽くんの手が、
通りすぎた。 そして、その目線は、明らかに僕の奥の風景を見透かしていた。どれだけ呼びかけても視線は合わない。 あぁ、そうか。僕はもうこちら側に戻りかけているんだ。魂こそかろうじてここにあるものの、人間には見つけてもらえない。魂が昇ってしまうのだって、時間の問題だ。元気でいてくれていることを祈り太陽くんを探し続けた。そのためにならと成仏しない、という選択をとるための覚悟はとうの昔にできていた。
それを果たした今。僕は再びこの世を離れなければ。 成仏するということは、それ即ち、この世での記憶を全て忘れることだ。こっちの覚悟は未だ煮えきらないままだ。
「どこ行きやがった…」
涙声で呟く君。あぁ、昨日のように君と笑い合うことは、もう出来ないんだね。 記憶が少しずつ、着実に薄れていく。君と話したこと、出かけたこと、上手く思い出せないでいる。そして、君、が誰なのかさえも。 ええと、この人は誰だっけ。呼ばれている名前には何だか聞き覚えがあるなぁ。そんなに泣き叫んでどうしたんだろい。まるで大切な人でも失くしたみたいだ。そこまで喚いたら、子供みたいでみっともないよ? 僕は自然と口元ほころんでいることに気づく。見ず知らずの人だけど、放っておけない雰囲気だ。大丈夫かなぁ。いつまでこうしているのかなぁ。見捨てて成仏できないじゃないか。全く、世話が焼ける。
「どうしましたか」
声をかけてみる。しかし、こちらに気づいていないようで、その人はまだうずくまったままだ。
「どうしましたか、太陽くん」
口をついた僕の言葉に、
泣き声が、
止んだ。
消えてしまいそうなその刹那-
僕が最後に見たのは-
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