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26 藤華の庭で

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「蓉華妃様、皆様お揃いでございます。そろそろお出ましを。」
「わかった。ありがとう、葵。」


 皐月。瑞黄園──。
 今日はひと月振りに妃嬪のお茶会をすることになっていた。
 僕は思い出のあるお気に入りの紅藤の襦裙を纏い、気持ちのいい風が緑を揺らす庭を進んで行く。


「水蓮様も、もうお着きになっているなんて。」
「なんでも、宰相中将様の出仕のお時間が早まったそうで……。」
「彼と一緒にじゃないと、里帰りをさせないつもりかな?」


 僕の言葉に葵は困ったものだとでも言いたそうに、「そのようで」と笑っている。

 降嫁した公主が、殿上人の妻としてお茶会に招待されることは慣例と聞いて、僕も水蓮様をお呼びするようになり、これが二度目だ。


「早く行って差し上げないと、水蓮様では雪華殿様と萩華殿様には敵いませんわ。」


 先月のお茶会でも、静妃と淑妃は『氷の君』を射止めた公主に興味津々で、水蓮様は質問攻めにあっていた。


 ──二人とも水蓮様の正体には気付いてるみたいだけれど……。やっぱり妃に相応しく賢い人たちだ。



 庭園の六角の東屋に近づくと、女性二人の華やかな声が聞こえてくる。
 僕が着いたとき、史龍様は若緑色の襦裙に淡い黄色の披帛の姿で、透き通る肌は既に薔薇そうびに染まっていた。


「遅くなってしまった。長く待たせてしまったかな?」
「いいえ。そのようなことはございませんわ。ご機嫌麗しゅう、蓉華妃様。」
「本日もお美しいですわ。」


 静妃は桃色、淑妃は薄い橙の襦裙姿で、二人共、相変わらずの品の良い着こなしだ。


「水蓮様も、お変わりございませんでしたか?」
「はい、蓉華妃様。」


 僕が着席するのを待って、一度立ち上がった皆んなもまた腰を下ろす。


「随分と楽しそうな声が届いてきたけれど、何を話していたの?」


 僕がお茶を一口飲んでから尋ねると、史龍様は恥ずかしそうに団扇で顔を隠してしまわれた。


「蓉華妃様、お気づきになられませんか?」


 静妃が嬉しそうに史龍様を見ている。


「え?何かあるの?」
「んもう、蓉華妃様っ。氷の君の独占の噛み跡しるしですわ。」


 ──えっ?あっ………!


「水蓮様、氷翠殿と番になられたんですね!」
「………はい………。」


 耳まで真っ赤な史龍様を見ていれば、秀の氷翠殿が独占欲を丸出しにして溺愛しているのも大いに納得がいった。
 

 ──うわぁ、これは女性陣の勢いが暴走しそう……。


 しかしこの僕の予感は、この後予期せぬ方向で当たってしまうのだ。


「それでですね、蓉華妃様。」
「どうしたの?淑妃。」
「水蓮様が、ぜひ蓉華妃様にお聞きしたいことがあるそうですよ?」
「えっ?そうなのですか?何でしょう……私がお力になれることなら……。」


 僕はこの時の、静妃と淑妃の含みのある笑みに気づくべきだったんだ……。それなのに……!


「同じ番を持つ賤として、水蓮様のお役に立ちたいですから、遠慮なさらず何でもお聞き下さい。」
「本当ですかっ?蓉華妃様!」
「はい、もちろんです。」
「あの……実は……。」


 そして意を決した史龍様が、カッと僕を見るなり早口に話し出す。


「氷翠殿との伽の時、その……いつも最後までお相手出来ず気を失ってしまって……。満足していただけていないのではと、不安なのです。」
「………え………?」


 ──あ、あの史龍様が、一体な、なんの話を……!?


「蓉華妃様は兄上の寵愛を一身に受けていらっしゃいますし、何か、その……教えていただけたらと!」
「そ、そんな、私に教えられることなんて……!」


 ──だ、誰か助けてっ!


 我が内侍たちは優秀過ぎて、繊細な話題だと感づくや否や東屋から距離を取っていた。
 史龍様がこんなこと聞いてくるなんて夢にも思っていなかった僕は、華妃の貫禄などどこへやら……。必死に赤い顔を団扇で隠す。


「確かに、主上のお相手を誰よりされていますもの。」


 ──え、いや……淑妃?


「私も侍らせていただいた時は、なかなかに大変でしたし。主上が満足なさるなんてと、尊敬しておりましたの。」


 ──せ、静妃まで、何を言い出して……。というか、孝龍様は、一体どれだけお強くていらっしゃる……。


「……っ、ぼ、僕、なんてことを考えて……!?」


 頭の中にボッと妖艶な孝龍様の姿が浮かんでしまい、僕は慌ててかぶりを振った。


「驚きました。いつも堂々と兄上の寵愛を受けておられた蓉華妃様が、こんなに恥じらわれるなんて……。」
「水蓮様、私はいつも恥ずかしくてたまらないのですよ!……私などより、静妃や淑妃の方がお役に立てるかと……。」


 僕が狼狽えている間にも、史龍様は真剣に女性陣から閨事の教えを受けている。


 ──史龍様の方が、よっぽど凄いよ……。


 この後、話題は転がるように変わりつつ、僕がぐったりと疲れきるまでお茶会のおしゃべりは続いたのだった……。




 それから数日──。
 今年もまた、見事な薄紫の花が咲いていた。
 沢山の思い出が詰まった藤の庭に、孝龍様と二人。


「この前の茶会は随分と話をしたようだな。」
「えっ?」
「氷翠が、史龍が愛らしくて仕方なかったと惚気けてきたぞ。よりによって兄である、この私にだ。」


 孝龍様が「まったく」と言いながら、首を左右に小さく振る。
 それにしても、史龍様は素直過ぎて僕ですら心配になってきた。
 いや、その前に、口巧者な氷翠殿に無垢な史龍様が敵うわけがないのか。


「朱寧?」


 ぼーっとそんなことを考えていたら、後ろからグッと抱き締められてしまった。


「すみません、少し考え事を……。」


 ──そうだよ。今日は大切な話があるんだから。


「なぁ、朱寧?私はいつ、その話に出た可愛らしい朱寧を見られるのだ?」


 耳元で甘えるように囁かれ、きゅっと胸が締まり、溶けるほどに体が痺れる。
 僕はそんな番に自然と笑顔がこぼれ、振り向きざまに孝龍様の頭に手を伸ばし、引き寄せてそっと口づけた。


「孝龍様、申し訳ございません。当分の間、我慢していただかなくてはならなくなりました。」
「ん?それは一体……?」

 僕は腰に回っていた孝龍様の手のひらを、静かにずらして下腹にあてる。


「……っ、朱寧……。」
「お子が、おります。」
「誠かっ!?」


 孝龍様が僕を正面に向き直らせ、喜びに破顔されて僕の顔をのぞき込んだ。


「はい……。懐妊致しました、孝龍様っ!」


 過ぎゆく春の風は柔らかに花房を揺らす。
 薄紫の祝福の下、僕たちは抱きしめ合い、唇に香りを分かち合った。

 僕たちの愛しい子……。
 どうか、この幸せのまま、この手に抱けるようにと、二人で祈り、守ると誓って……。




 そして、一年後──。


「今年も見事でございますね、皇后様。」
「うん。本当に、綺麗……。」


 藤棚の下で椅子に座り、可愛らしい小さな裳に蓮の刺繍していた手を休めた僕は、雀玲と共に咲き誇る藤華を見上げた。


「そろそろかな?」
「左様でございますね。」


 そう言葉を交わしたすぐ後、愛しい泣き声がこちらへと近付いてくる。


「皇后様。皇子様がお目覚めにございます。」
「ありがとう、葵。……さあ、おいで飛龍ひりゅう……母さまですよ。」


 元気な声で泣く可愛い我が子が、僕の胸に必死にしがみついてくれた。


「いい子だね、飛龍。ほぉら、お花が綺麗だよ。」


 僕が皇子をあやしていると、藤棚の向こうから麗しい声が届く。


「おやおや、皇子はご機嫌がななめか?」
「主上。ちょうどお昼寝から起きたところで……。会議は終わったのですか?」
「ああ、今日はもう終わりだ。ずっと飛龍と遊ぶぞ。」


 孝龍様がそう言って皇子を抱き上げ、僕の肩を抱いて歩き出す。
 いつの間にか泣き止んで、風に揺れる花房へ楽しそうに小さな手を伸ばす飛龍の姿に、僕たちは微笑み合い、小さな頬に両方から口づけた。


 

 ここは、青龍の帝が治める『東の国』──。
 

 僕はこの国で、力の限りを尽くしていく。
 この国に生きる、全ての「愛し子」のために。
 この国の母として。
 愛する番、孝龍様と共に………。






              ~終~






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