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17 三嬪
しおりを挟む重たい瞼を持ち上げる。まず目に映ったのは見覚えのない天井だった。
何が起こったのか……。それを忘れてしまえれば、どんなに楽だっただろう……。
僕はお腹に手を当てると、重い足を引き寄せてうずくまった。
「……っ、ごめんねっ、……ごめんね……守って、あげられなくて……っ、うっ、……本当に、ごめん……!」
悲しい……悔しい……。
それじゃおさまらない。
僕は孝龍様の……主上のお子を、殺してしまったんだ。
「朱寧様。」
丸めた背中に温もりが触れる。
視線を僅かに動かせば、そこには僕の知る、懐かしい雀玲の姿があった。
「っ、雀玲……雀玲っ!」
僕はその腕に縋り付く。
「朱寧様。」
「雀玲、お願い!僕を蓉妃じゃなくして!今だけでいい……ちょっとだけで……いいから……!」
「いいよ、朱寧。好きなだけ泣け。私は側を離れない。言っただろう?」
「……っ、うぅ……うっ、あぁぁぁ……!」
自分でも悲鳴みたいな泣き声だと思った。
母さまが死んだ時だって、こんな風には泣かなかった。
雀玲の腕の中。僕が逃げ込める唯一だった場所。
僕は弱くなったんだ。前は辛くても耐えられた。泣くことなんてなかったのに!
「僕が弱いから……こんなに弱くなったから!守れなかった……殺して……。」
頬を流れる涙の熱さに、おかしくなってしまいそうだった。
と、ふいに雀玲の体が離れていく。
そして入れ替わるように僕を包んでくれたのは、孝龍様だった。
「申し訳ございません……申し訳ございませんっ、主上……。」
孝龍様はただゆっくりと背中をさすって下さる。
「恐れ多くも、主上のお子を……僕は……!」
「朱寧。」
それは、今までで一番、穏やかな声。
「朱寧。私の子ではないよ。私達の子だろう?」
「主上……。」
「名前で呼んで、朱寧。私は今、ただの孝龍だ。朱寧の、番だ。」
声にならない苦しみが、孝龍様の瞳に見えた。
「私の分まで、泣いてくれるかい?」
「……っ、孝龍様っ!」
よく涙が枯れるまでなんて言うけれど、涙が枯れることなどないんだと知る。
僕は我が子を殺された。殺されたんだ……。
僕はきっと強くはなれない。
だけど、もう二度と、僕の大切なものを奪わせはしない。
やがて蜩の鳴き声が、夏の終わりを告げていく……。
僕には朱雀の後ろ盾はない。
朱雀一族そのものも、四族の中で力を失くしつつあるし、朱雀にとって僕は忌み子だ。
でも、後宮で生き抜くと決めた。大切なものを守るんだと。
僕は妃として美しさを磨き、雀玲と剣の稽古も始めた。
必要な知識を身につけ、自らの隙をなくしていく……。
以前は、自分から涼華殿の外に出ることはほとんどなかった。
懐妊の兆候がバレないようにということもあったけれど、大人しくしていれば、目立たなくしていれば守れるって、甘い考えだったんだ。
僕たちの子供を奪ったのは玄武だ。
後宮は雪華殿のものじゃない。
僕は自分の存在を示すため、涼華殿を出て後宮のあちこちを散策し、奥宮にも足を運ぶようになったのだった。
◇◇◇
奥宮──。
名前の通り、主上の居所・陽華殿、そして四殿である、皇后の居所・澄華殿、玄武・雪華殿、白虎・萩華殿、朱雀・涼華殿の奥に位置する、妃嬪や内侍達の住まいだ。
今奥宮に住まう五名は皆、位は嬪で、いわゆる下級妃になる。
主上のお渡りがあったのは、例の事件前に入宮した三名。
残りの二名は事件後に入宮して御簾越しの君のままだという。
僕は会うことが出来る桜嬪、静嬪、淑嬪の三人をお茶に招いたりして、関係を築き始めた。
桜嬪は王都の中級貴族の娘で、後宮に仕えることに誇りを持っている。
幼い頃から輿入れのための教育を受け、主上に尽くすことを第一に考えている人だった。
だから僕にも初対面から敬意を払ってくれた。主上の番への無礼は主上への無礼だと思っているから。
静嬪は南方の地方豪族の末娘。
古い伝統を重んじる一族は純潔を失った娘を受け入れず、帰る場所がなかったのだという。
始めはいくら僕が朱雀の出とはいえ、新参で寵愛を受けていることでよそよそしかったけれど、出身が近いこともあり共通の話題が多く、少しずつ打ち解け始めていた。
淑嬪は実にあっけらかんとした人でビックリした。
後宮に残ったのは給金のため。一度でも主上のお渡りがあった妃嬪へ渡されるお金はそれなりのものになる。
淑嬪の実家は形ばかりの貴族で貧しく、弟妹たちのために仕送りをしているみたいだ。
宮廷は腹の探り合い。全部を信じているわけじゃない。
だけどそれぞれの人となりを知っていれば、何かあったときに対処しやすいから。
それに、母さまがいなくなって雀玲と二人だけで生きてきた僕には、こんな賑やかな時間は初めてで、楽しさを感じてしまうのも事実だった。
いくら同じ妃嬪とはいえ僕は男だから、時々女性たちの会話についていけなくなることもあるけれど……。
あの時のお腹の痛みと血の色は忘れられない。
でも孝龍様の番として、立ち止まってばかりはいられないんだ。
四殿は広い庭園、瑞黄園を囲むように東西南北に建てられている。
今日も僕は三人を招いて、瑞黄園の東屋でお茶会を開いていた。
「こんなことを申し上げては不敬かもしれませんが、最近は主上が落ち着かれたご様子で安心しております。」
柔らかな香りのお茶を一口飲み、桜嬪が優雅に微笑む。
「一時はあのお優しい主上が暴君などと呼ばれ、心を痛めておりましたが、蓉妃様を迎えられてから穏やかになられたと聞きました。」
「本当ですね。もしかすると、冷宮の君へのお怒りも、じきに解けるかもしれません。」
「まあ、静嬪様。そのお話は……。」
慌てて声をひそめる桜嬪。静嬪はハッとした様子を見せたものの、それほど気にしてもいないみたいだ。
僕はそんな彼女にゆるりと問いかける。
「静嬪、冷宮の君とは?」
──それは、初めて聞く名だ。
「蓉妃様はご存知ありませんでしたか……。冷宮の君は主上のお許しが出ないまま、父親が無理やり入宮させたようで、主上のご不興を買ったのです。主上はお怒りのまま冷宮に閉じ込めてしまわれて……。ご実家も既に没落されたと聞きます。」
「確か、西の一族でしたね。」
「ええ。」
そう普通に会話をしている静嬪と淑嬪を見て、桜嬪は呆れ気味だ。
「お二人とも、蓉妃様の御前でその話題は失礼ですわ。」
「これは、ご無礼を致しました。あら、そう言えば、先日のことなんですけれど……。」
雰囲気を作るのが上手い淑嬪が明るくコロコロと話題を変えていく。
流石は一番の年長者だ。
僕は三人のやり取りに優美な笑みを浮かべて相槌をうちながらも、頭の中では先程の話に思考を持っていかれていた。
孝龍様は暴君の振りをしていただけ。お怒りになって冷宮に幽閉するなどなさるはずがない。
とすれば、恐らく冷宮の君は、水蓮様だろう。
奥宮に移られたとは聞いていたから、僕も足を運ぶたび気にはかけていたのだけれど、それらしい気配が全くなくて、疑問に思っていたんだ。
でも冷宮なんて、あり得るだろうか。
冷宮とは後宮の地下牢のことだ。
主上のお許しがなければ、何人たりとも立ち入ることを許されない場所。
そして、冷宮の存在は口にするのも禁忌だという暗黙の了解が、後宮には浸透していた。
同じ賤で、存在を隠されて育ち、母も我が子も失った方……。
──水蓮様……。いつか、お話してみたい。今、お一人なのかな?孝龍様は会っているんだろうか?守るためとはいえ、ずっと隠されているなんて……。
そんなことを思っていた矢先のことだった。
僕に、水蓮様とお会いする機会が訪れたんだ。
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