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16 悲劇(Side 孝龍)
しおりを挟む「堅苦しい挨拶は抜きだ。早速聞こう。」
部屋に通された蜻蛉は、とても私と同じ歳とは思えぬ、小柄で幼顔の娘だった。
「恐れながら、最初に一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
帝である私を前に、なんとも堂々たるものだ。
「許す。なんだ?」
「私は吹けば飛ぶような身の上です。ですが医療に携わる者の端くれ。後宮の権力の外で命に向き合っております。私のこの命、本当に主上にお預けしてもよろしいでしょうか?」
「なるほど。何者かにはめられたと申すか。……余は信じて預けろなどとは申さぬ。事実を見極めるのみ。」
私のその言葉に、蜻蛉は深く息を吐き、覚悟を決めたように話しだした。
「私が後宮薬師となってすぐの頃から、雪華殿様への便宜を求められることが多々あり、それとなくやり過ごして参りました。」
そう語りだした蜻蛉の話によると、彼女がのらりくらりと躱しながら雪華殿の手駒になるのを拒んでいたところ、あの者たちは薬司付きになったまだ若い内侍に目をつけたらしい。
「私が持参した医学書は、かつて宮廷医官だった師より譲り受けたもの。中には師が自らの研究を記した貴重な物もございます。一昨日の内侍の流産は、私が処方した薬を飲んだ直後に起こりました。ですが、薬そのものは妊婦に害はないのです。」
恐らく橘華妃は、懐柔出来ない蜻蛉に責任を負わせて後宮から追放し、都合の良い者を据えようとしたのだろう。
「蜻蛉。そなたは今、薬そのものには害はないと言ったな。どういうことだ?」
「はい。一つ一つには害がなくとも合わせれば危険な物、条件が揃えば毒になるものがあるのです。」
「詳しく申せ。」
「はい。今朝、自害した内侍の検分に行き、桜嬪様のお部屋で特別な香りがあることに気付きました。それでもしやと思い、自室に戻って師の書を確認すると、その危険な合わせの記述がある頁が破り取られていたのです。」
蜻蛉が話せば話すほど、私の中で嫌な胸騒ぎがし、気持ち悪く心臓が波打ってきた。
「今回の流産を引き起こすには三つの条件が必要でした。一つ、妊婦が賤であること。一つ、私が処方した薬。そして、最後がこちらです。」
そう言って彼女が懐から取り出したものを見たとたん、私の体は痺れたように震えだす。
小さな白い手巾に包まれ入っていた物……それは……。
「これは、南領のある地域でしか作られていない『花の香』です。」
「そ…れは……!蜻蛉!その内侍に出した薬、蓉妃には!?」
「はい、お出ししております。」
「っ!?今すぐ涼華殿に!蓉妃に薬を飲ませてはならぬっ!!」
──朱寧っ、朱寧!
私は必死の形相で玉座から立ち上がる。
それとほぼ同時に、慌ただしい足音が聞こえ、扉の向こうで薬司に撫菜が入れた例の下女の声が響いた。
「薬師様は……蜻蛉様はいずれにっ!?どうか早く涼華殿へ!蓉妃様がっ!」
一体どうやって陽華殿を出たのだろうか?
私の足は恐怖に震え、もつれてしまいそうになりながら必死に涼華殿へと駆け込む。
内侍たちの悲鳴と叫び声。
朱寧の寝所は、真っ赤な血の海だった。
雀玲が朱寧を抱きしめて、何か必死に術をかけている。
──あぁ、これが雀玲の……、朱雀の守護者の本当の姿か……。
朱寧を胸に抱き、深紅の海の真ん中にいる朱色の髪と金色の目の雀玲に、冷たくなっていく自分の手を握りしめて、何故か私はそんなことを考えていた。
「蓉妃様!……雀玲殿、大丈夫、出血は止まっています。蓉妃様を寝台へ。」
立ち尽くす私の横を通り過ぎ、蜻蛉は冷静に指示を飛ばしていく。
「お湯を沸かして木綿布を消毒して下さい!薬司の者は薬湯の準備を!早くっ!」
鼻に突き刺さるような鉄錆の匂い。
内侍たちが慌ただしく動く中、私の耳にはやけにうるさく蝉の声ばかりが響いてくる……。
「……蜻蛉、蓉妃を助けよ。決して死なすな!」
「御意!」
今、私がするべきは、ここにいることではない。
私は踵を返し涼華殿を出た。
歩を早めながら後ろに付き従う穂積へと声を飛ばす。
「氷翠は?」
「すでに。兵部卿も参っております。」
「影は放ったか?」
「はい。」
──っ、クソっ……クソっ‼
◇◇◇
朱寧の容態が落ち着いたのは、翌日の朝になってのことだった。
別の部屋に急遽しつらえた寝台に横たわる私の番。その肌は青白く、カサついた唇から感じる息遣いは弱々しく心許ない。
「……朱寧、すまない。……すまない……。」
ひどく冷たい手を握りしめ、私はそこに己の弱さを吐き出した。
──朱寧、すまない。しばらく私の弱さを、預かってくれ……。
二日後──。
穂積の影が後宮から逃げた下女を捕らえた。
薬司の内侍と共に取り調べると、あっさりと黒幕を吐く。
黒幕は玄武の当主の息子・柊明。橘華妃の従兄にあたる者だった。
薬司の内侍から朱寧に懐妊の兆候があることを聞き出した柊明は、南領の豪商の名を使い涼華殿に「花の香」を贈る。
問題となった薬湯を朱寧は毎日飲んでいたが、蜻蛉の推測では、朱寧は子供の頃から「花の香」が身近にあり、体が慣れていたため効果が薄かったらしい。
なかなか結果が出ずに焦ったのだろう。
この薬湯は作り方が煩雑で蜻蛉がいなければ煎じられないため、わざわざ後宮で送り込んでいた下女を使い、賤を孕ませ薬の実験台にしたのだ。
下女は薬司の内侍と柊明の手引きで後宮から逃げ出し、内侍はその時に柊明から渡された薬剤をこっそりと朱寧の口にする薬湯に混ぜていた。
薬湯の効果を高めるために……。
関係者の処罰が決まり早々に執行された。だが……。
「すっきりしないな、今回も……。」
呟く氷翠と共に、一杯だけ酒をあおる。
私のその様子を見ながら、彼は言葉を続けた。
「雪華殿と全く繋がらないなんて、不自然だ。玄武一族なら、橘華妃の指示がなかったとしても後宮内で手を貸した者がいてもよさそうだが……。全て柊明の独断。しかも動いた下女も内侍も玄武じゃないとは……。」
「ああ。秀が下女となって以前から後宮入りしていた説明もつかない。どう考えても不自然だ。」
「確かにな。」
頬を撫でる夜風に混ざる蒸し暑さの名残り。
私は空になった杯を盆に置きおもむろに立ち上がった。
「蓉妃様のところか?」
「ああ。」
そうして、また杯を傾けている氷翠を見下ろす。
「見方を変えたい。玄武一族の内情をもう一度探ってくれ、氷翠。」
「ん、それじゃ、久しぶりに玄武御用達の娼館にでも、顔を出してくるか。」
「………いつも、すまない……。」
「まったくだ。だが、守りたいものがあるのは、お前だけじゃないんでね。」
氷翠は淡々とそう口にして酒を飲み干した。
その時──。
「主上。」
「穂積、どうした?」
「蓉妃様が、お目覚めになられました。」
「……っ、誠かっ?」
「はい。たった今、涼華殿から知らせが参りました。」
涼華殿へと向かう足取りが次第に速くなっていく。
朱寧に何と言えばいいのか、それは未だわからなかった。
ただ……ただ抱きしめたい。
悲しみでも怒りでも何でもいい。
早く受け止めてやりたい。
今の私には、ただ、それだけだった……。
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