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13 花の香
しおりを挟む真夜中過ぎ。僕はやっと少し吐き気が治まり、うとうととしていた。
懐妊の兆しがあると言われ喜んだのも束の間、この後宮で子を産むことの恐ろしさが次々に襲ってくる。
食事に毒は?服は安全?外に漏れていない?
──本当に信じられるのは、誰?
この子を、孝龍様のお子を守れるのは僕だけ……。
そう思えば思うほど、食事が喉を通らなくなった。
「孝龍様……。」
もう、何日もお会いしていないな。
そう思いながら夢うつつで愛しい名を呟いた僕の頬に、ふと温もりが触れる。
「ここにいる。朱寧。」
──うそっ?
「………孝龍様?……本物?」
──幻じゃない?
「確かめて見るか?」
唇に孝龍様の甘い香りが触れて……。うっとりと力が抜けたそこに蕩ける蜜が流れ込んだ。
この口づけを、どれだけ待ち焦がれただろう?
「孝龍様……。お会いしたかった。」
「私もだよ、朱寧。さぁ、あまり寝ていないのだろう?夜明けまではまだある。眠って。」
僕の唯一のその人が、温かい胸に抱いて下さる。
僕は幸せに酔いながら眠りについた。
目が覚めると、孝龍様はもういらっしゃらなかった。
「雀玲、主上はいつお帰りに?」
朝の挨拶よりも先に発した僕の言葉に、雀玲は優しく目を細める。
「おはようございます、蓉妃様。主上は四半刻ほど前に。蓉妃様には、よく休まれ、お体を厭われますようにと。」
「そう。」
──そんなに早く……。孝龍様こそほとんど寝ていない。お体は、大丈夫かな?
「今朝のご気分はいかがですか?」
「しっかり眠れたからか、いつもよりいいよ。」
「何か召し上がれそうですか?」
「うん。果物なら、食べられるかな?」
「かしこまりました。」
雀玲がテキパキと内侍たちに指示を出す。
しばらくして、美しく盛り付けられた何種類もの果物が運ばれてきた。
「こんなに美しい飾り切りをしてあると、食べるのがもったいないね。」
「蓉妃様らしいお言葉ですね。」
ふと、お皿の上に懐かしい物を見つける。
「ねえ、これは晩白柚?」
南領にいた頃よく食べたけれど、ちょっと小さいかな?
「晩白柚ではありませんが、同じ柑橘で、橙の改良品だそうですよ。」
「こんな時期に食べられる柑橘もあるんだ。」
瑞々しいそれを口に含めば、酸味が強いけれど、さっぱりとした甘みと少しの苦味が、今の僕にはピッタリだった。
「これなら、少し食べられそう。」
久しぶりの胃に染み渡る感じ。それでも三房食べるのが精一杯で……。やっぱり吐き気が襲ってくる。
「蓉妃様。蜻蛉殿が何かお好きなことをして、気を紛らわされることも大事だと申しておりました。久しぶりに、刺繍をなさっては?」
「そうだね。このままただ吐き気を我慢しているよりいいかな……。」
雀玲が前庭にある東屋に支度をしてくれると言うので、僕は簡単に身支度を整えてもらい部屋を出た。
通りすがりに隣の部屋をのぞいてみると、内侍たちが忙しそうに沢山の荷物の仕分けをしている。
涼華殿には夏至の宴の後から、贈り物がすごいんだ。
「皆、蓉妃様の魅力に取り憑かれた者たちからですよ。」
葵が嬉しそうにそう言ってきて、僕が宴で役目を果たせた証拠なのかな?とは思うけれど……。
「こんなに受け取ってしまって、主上にお叱りを受けない?」
「大丈夫ですよ、蓉妃様。誰が何を贈ってくるかで、動きを見ることも出来ますので。」
「なるほどね。」
「しかし主上も、その実、内心は穏やかでいらっしゃらないと思いますよ。」
葵の説明に頷いていると、横から雀玲が淡々とそう言ってきて、僕はドキッとしてしまう。
「まぁ、蓉妃様は、主上がいらしたら目一杯甘えて差し上げればよろしいかと。」
「え?あ、甘えるって……。」
──そんな、恥ずかしい……。
「いつもどおりになされば、大丈夫と言うことです。」
葵の言葉に頷く雀玲。
──ん?んんっ?僕、普段からそんなに甘えているの?みんなの前で?
ポッと自分でも顔が赤くなるのがわかった。
──なんで雀玲も葵も、そんなに満足そうなの!?
照れ隠しに並べられた贈り物を見ていると、小さな飾り彫りの木箱が目に留まる。
僕はそのまま部屋へと入り、その木箱を手に取った。
「雀玲、これは開けても平気?」
「はい。そちらの確認は済んでおります。」
蓋をそっと開けてみれば、ふわりと懐かしい香りがたゆたう。
中にあったのは、思った通り乾燥させた花びらで……。
色鮮やかなままのこの「花の香」は、南領でも僕がいた金糸雀の森がある地域の品だった。
「いい香り……。懐かしいな。」
「左様でございますね。こちらは気持ちを落ち着かせる効能がありますので、ゆっくりお休みになりたいときに枕元におかれては?」
「そう。それはいいかもしれないね。」
この日から、僕は東屋や、調子が悪い時は寝台の上で、休み休み刺繍をするようになった。
この吐き気が、本当につわりであることを願いながら……。
孝龍様は僕の体調を見ながらではあるけれど、以前と変わらず涼華殿へとお渡り下さる。
今夜もいらして下さったんだけれど、麗しいお顔には疲労の色が隠し切れていなかった。
「孝龍様、お顔の色が優れません。どこかお体の具合でも?」
「いや。……そうだな……このところ、ちょっと夢見が悪くてな。」
「よくお休みになれていないのですか?」
「ああ……。だが、大丈夫だ。こうして朱寧といれば癒やされる。」
そう言って抱き寄せて下さる孝龍様に、素直に寄り添ってみるけれど……。
──僕に、何か出来ないかな……?
そう考えた僕は、先日の雀玲の言葉を思い出した。
その晩、孝龍様が静かな寝息をたて始めると、僕はその横でこっそりと起き上がり、裁縫道具と飾り彫りの小箱を取り出す。
「……朱寧?何をしている?」
「あっ。申し訳ございません、主上。起こしてしまいましたか?」
ゆるりと起き上がった孝龍様に声をかけられて、僕は慌てて道具箱をしまった。
「こんな夜更けに針仕事などして。体に障りがあったらどうするのだ?」
「申し訳ございません。もう、休みます。これを孝龍様に差し上げたくて作っていたんですが……。お休みになられている貴方様の邪魔をするなどと……。僕は本当にダメですね。」
出来上がったばかりの二つの小袋を見せると、孝龍様はしっかりと体を起こし僕と向き合う。
「朱寧?これは?」
「香り袋です。」
「香り袋?」
「はい。中に南領の『花の香』を入れてあって。この香りが安眠にいいと、雀玲に教えてもらったのを思い出して作ってみたんです。」
孝龍様はちょっと呆れた様子で、でも嬉しそうにそれを手にとり香りを確かめた。
「なるほど。柔らかな良い香りだな。」
「はいっ。それに、ほら。お揃いです。」
孝龍様とのお揃いが欲しくなって、張り切って藤の花を刺繍してみたんだ。
「……っ、……朱寧は、本当に……。」
口元を手で覆って呟かれたお声とその瞳が、一瞬で僕を震わせる色香を纏う。
グッと引き寄せられたかと思うと、僕はそのまま寝台に倒されてしまった。
「そなたは、どこまで私を虜にすれば気が済む?」
「えっ?……ん、ん…ぅ…。」
その口づけは深く深く絡みつき、愛しさを混ぜ合いながら、僕はハラリと広がる番の漆黒に指を通す。
敢えて懐妊のことを口にされない孝龍様だったけれど、この時は優しくお腹を撫でて下さったんだ。
今はまだ、文月も半ば──。
僕を包み込み、再び眠りにつかれていく孝龍様の穏やかな表情にホッと安堵の息を吐き、僕も静かに目を閉じたのだった──。
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