【完結】藤華の君 あかねの香

水樹風

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12 吉報と悪夢(Side 孝龍)

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「それにしても、蓉妃様があれほどの舞手だったとは……。」


 大きく窓を開け放ち、夜風を招き入れた私の部屋で、氷翠が杯に手を伸ばす。
 夏至の宴のあと、私は居所を離宮から陽華殿へと戻していた。


「蓉妃様に焦がれる者が続出しているとか。涼華殿への贈り物が絶えないそうですよ。」


 氷翠は、わざと私を煽る言い方をしてくる。


「嫉妬に狂う私を見るのは楽しいか?氷翠。」
「ええ。まさかこんなにも主上に溺愛されるお方が現れようとは……。」


 目を細め、楽しげな笑みを浮かべる彼を見て、私は小さく嘆息し、どこまでも食えない奴だと思いながらクッと杯をあおった。


「そなたも、そろそろ本気になれる相手を探したらどうだ?」
「そうですね……。まあ、そのうちに……。」




 ◇◇◇




 文月──。

 月が変わった頃から、朱寧は体調を崩しがちになっていた。


「雀玲、蓉妃の具合いはどうなのだ?」
「はい。蓉妃様は入宮以来ずっと、後宮での生活に少しでも早く馴染もうと努めておいででしたので、疲れが出たのではないかと。」
「そうか……。」


 本当ならばすぐに会いに行きたいが、朱寧のことだ。
 私が行けば身なりを整え、もてなそうとするだろう。
 恐らく雀玲もそれを見越して、私にしばらく涼華殿に渡るなと釘を刺しに来たのだ。
 そう、表向きは……。


「蓉妃様は十日ほど前から微熱が続き、食欲もないご様子で、横になられていらっしゃいます。恐れながら、このところ涼華殿への贈り物が増え、蓉妃様のお世話もあり確認に手が回っておらず……。」
「なるほど、人手を増やしたいのだな。」
「はい。」


 雀玲の術で簡単に人手は増やせる。
 私に確認しに来たのは、警戒してか?それとも……?


「わかった。然るべき者を選ぶ。」


 雀玲はそのまま優雅に礼をして下がっていった。
 朱雀の守護者だというが、本当に不思議な存在だ。


「さて、と……。」


 雀玲の報告は撫菜にすれば済む程度のもの。なのにわざわざひっそりと私に謁見しに来た。


「穂積。」
「はい、主上。」
「撫菜に言って薬司に入れた者を連れてこさせろ。決して人目につくな。」
「承知致しました。」


 穂積が部屋を出る。
 私は高ぶる想いを表に出すまいと、必死に抑え込んでいた。


 ──吉報の方で、あればいいな……。



 その夜──。
 穂積の影たちに周りを固めさせた、陽華殿の隅にある物置小屋。


「主上。参りました。」


 撫菜の後ろに控える下女は、その立場に似つかわしくない、いかにも聡明な顔立ちだった。


「単刀直入に聞く。蓉妃の不調の原因はなんだ?」
「恐れながら、まだ可能性の域を出ず、はっきりとは。」
「それでもよい。申せ。」
「はい。……蓉妃様には、ご懐妊の兆候が出ておられます。」


 ──あぁ、良かった。病や毒ではなかった。


「いつ頃はっきりする?」
「このまま発情がなく、葉月に入ればまず間違いないかと。」
「わかった。撫菜、蓉妃への荷物の確認を怠るな。」
「御意。」


 下女と共に撫菜が闇に消える。


 撫菜の動きで、以前の薬師が複数の商人から賄賂を受け取っていた証拠を掴み、先日処分を下して後宮から追放したところだ。
 新しい薬師には、早々に尚侍の接触があったと報告を受けている。

 私は氷翠と陽華殿に戻ると、お茶を淹れる穂積へと声をかけた。


「新しい後宮薬師は蜻蛉かげろうといったか。どんな人物だ。」
「はい。彼女は先々代の宮廷医官の最後の愛弟子です。女人だったので医官にはなれませんでしたが、腕は並の医官よりも優れているとか。」


 ──才の方は心配なしか……。


「何より、宮廷内での立ち回り方をよくわかっているようで……。雪華殿の機嫌を損ねることなく、あちらに取り込まれずにおります。」
「ほう……。」


 ──こんなにも早く朱寧が子を宿すとは……。玄武に知られれば間違いなく消される。


「薬師は稀に宮廷から出ることもある。動きを見逃すな、穂積。」
「御意。」



 一通りの指示を終えフッと力を抜いた途端、それまで静かだった氷翠が表情を緩め口を開いた。


「もう我慢しなくていいぞ、孝龍。」
「なんだ、藪から棒に。」
「懐妊だぞ、懐妊。しかも、蓉妃様がだ。」


 ──くそっ、氷翠は本当に……!嬉しいに決まっているだろう!撫菜たちの前で、泣きそうになるのを必死に堪えたんだ。


「まだ可能性だ。」
「まぁな。でもあんなに励んだんだ。しかも運命の番だぞ。まず間違いないだろう?」


 杯に手酌しながらそう言う氷翠に、私は呆れた視線を投げつける。


「しかし、ハッキリしたら子が産まれるまでお預けだな。」
「なっ!?お前はそんなことしか言えないのかッ、まったく……。」


 嘆息しながら軽く首を左右に振って杯を空にし彼を見やれば、氷翠の双眸にはふいに鋭利な色が宿った。


「堂々と涼華殿に渡れ、孝龍。伽を減らせば一目瞭然だぞ。」
「……ああ。その通り……だな。」
「孝龍、蓉妃様を愛するのはいい。だが腑抜けるな。」
「ああ。」



 そうだ。私は冷酷でなくては……。非情にならなくては……。


 ──また、失う……。




 その晩──。
 私はまた、夢を見ていた。


『兄上、母上はどうされたのですか?』


 母上はもういないんだ。


水蓮すいれん。今日からは、藤華妃様が母になって下さる。』


 守れなかった、私は……。
 可愛い水蓮も、公主ひめも……!


『ごめんなさい、兄上……ごめんなさい……。』


『なんで、生まれたの?』


 ………………。

 ……………。

 …………。


「──っ!!……水蓮!」


 汗でぐっしょりと濡れた夜着。体に蘇る恐怖の震えと喉の痺れ。


「主上、大事ございませんか?」
「大、丈夫……だ……。」


 悪夢は久しく見ていなかったが……。


「穂積、冷宮に変わりはないか?」
「はい、特に報告はございません。」
「そう、か……。」


 ──何故だ。嫌な予感で、胃がむかつく。


「穂積、涼華殿に行く。支度を。」
「これからでございますか?」
「夜更けなのは承知の上だ。それから奥宮に変わりがないか確認しろ。」
「御意。」


 ──寝顔でいい。息遣いを感じられれば、それだけで……。



「朱寧……。」










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