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11 夏至の宴
しおりを挟む宮中で帝が開かれる宴は年に四回。
春分・夏至・秋分・冬至。
元々は五穀豊穣と無病息災を祈る祭祀だったものが時代と共に形を変え、今は園遊会の趣きが強くなっている。
特に、夏至と冬至の宴では妃嬪が舞や楽筝などを披露し、主上の御前で華を競い合うんだ。
位が高くても、いわゆる『御簾越しの君』は披露を許されない。
宴は、後宮の勢力図を殿上人に知らしめる場にもなっていた。
主上の居所である陽華殿は、後宮のある内廷と政が行なわる外廷にまたがって建てられている。
宴はこの陽華殿の中庭で行なわれ、殿上人と皇后を筆頭に夫人の位を賜った妃嬪までの出席が義務となっていた。
そのため今の後宮では、橘華妃様と僕が宴に出ることになっている。
水無月。夏至の日──。
「雪華殿様は、お得意の箏を演奏されるようですよ。」
僕の支度を整える雀玲を手伝いながら、葵がそう教えてくれた。
「よかった……。橘華妃様も舞だったら、どうしようかと思っていたから。」
今日の僕の役割は大きい。
失敗しないようにと、沢山稽古はしてきたけれど……。
「大丈夫ですよ、蓉妃様。舞は元々お上手ではありませんか。」
「うん……そう……かな?……うん。主上のお役に立てるように、頑張らなきゃね。」
緊張している場合じゃない。
僕はスーッと幾度か深呼吸をして涼華殿を出た。
宴の会場に用意された三つの御帳台には、まだしっかりと御簾が下ろされている。
朱雀の朱に塗られた台に上がり椅子に腰掛けると、僕は静かに主上の到着を待った。
中庭の中央に作られた舞台の両脇に居並ぶ殿上人の中に、氷翠殿を見つけて僅かに気持ちが楽になる。
ここにいる誰もが、僕の御帳台の御簾は上がらないと思っているのだ。
判断は孝龍様と氷翠殿がされるはず。僕はただ……。
『朱寧は、ただ美しく周りを魅了してくれればいい。項を見せるのを忘れずにな。』
──大丈夫。自信を持つんだ。僕はもう、金糸雀の森に捨てられていた忌み子じゃない……!
僕は御簾の中で一人、キツく手を握りしめていた。
やがて、主上のお出ましを告げる太鼓の音が響き渡る。
中央の御帳台で、御簾を上げている気配がして、「始めよ」という主上の低く通るお声が、夏至の宴の幕開けを告げた。
女官たちによって次々と、貴人達の元へ料理や酒が運ばれてくる。
舞台の上では宮廷楽士の演奏と舞が、彼らの目を楽しませていた。
そうして半刻も過ぎただろうか。
楽士たちが下がり舞台に誰もいなくなると、示し合わせたように場が静まり返る。
そして、橘華妃様の御帳台で御簾が上がり、感嘆の声が漏れ聞こえて来た。
御帳台を降り舞台へと向かう橘華妃様は、流石の美貌と貫禄だ。
濃紺と黒の斉胸襦裙には金銀の糸で施した刺繍。薄絹の披帛のなびかせ方、裳のさばき方に至るまで隙のない美しさで、僕の口からも思わずため息がもれてしまう。
四人の内侍を従えての箏の音は素晴らしく、この宴は橘華妃様のためのものと思わせる程。
「橘華妃よ、見事であった。」
帝の言葉に余裕のある微笑みを残し、席へと戻られる橘華妃様。
そして……。
──いよいよだ。
楽士が再び上がるのだと、誰もが思っていた舞台の上に、するすると琵琶を持った雀玲が控える。
「何事だ?」
「あの者は何なのだ?」
聞こえてくる囁きを、主上の咳払いがサッと消した。
ゆっくりと御簾が上げられていく朱雀の御帳台に、広がるどよめき。
僕は葵の手を取って台を下りると、凛と背筋を伸ばし舞台へと歩き出した。
この日のためにとっておきの糸で刺繍をした紅藤の襦裙は、一歩踏み出す度、様々に色を見せる。
柔らかな桃色の透き通る披帛が緩やかな夜風を纏い、たっぷりとなびいていた。
「なんと!あれが新しい涼華殿様かっ!」
「いつの間に主上のお渡りが!?」
「見ろ!あの項は!」
狙い通りの反応の声を聞きながら、僕は目一杯の微笑みを彼らに流してゆったりと歩いていたけれど、心臓は破裂しそうなほどに早鐘を打っていく。
やがて舞台にたどり着き、やっと会えた愛しい方の姿が、僕を落ち着かせてくれたんだ。
──孝龍様に、喜んでいただきたい……。
森にいた頃から、雀玲は僕に様々なことを教えてくれた。
生活に必要な知恵はもちろん、読み書きや礼儀作法、そして舞も……。
聞き慣れた雀玲の琵琶の音が響き出す。
僕が鈴のついた簪を抜き取ると、緩く結い上げた黒髪がはらりと広がり落ちた。
僕はその鈴の音を手に、心のままに舞い、舞台を僕で染めていく。
羽衣を纏ったように軽やかに、披帛と僕の長い髪が揺れてたなびいていた。
「おお……。とても男子とは思えん。」
「天女の舞だ……。」
「まさに、かつての傾国の君。」
そして琵琶の音が鳴り止んだ刹那、庭園は痛いほどの静寂に包まれる。
僕はゆっくりと乱れる息を整え、上座を向きお辞儀をした。
「流石は我が番。見事。」
見上げた孝龍様の満足げな瞳の色に、ホッと胸を撫で下ろす。
──良かった。役目は、果たせたみたいだ……。
それから御帳台に戻った僕は、団扇で顔を隠しながらも、気を抜かずに「美しい妃」でい続けた。
宴が終わったのは、それから一刻後──。
涼華殿に戻り湯浴みを済ませると、心身共に疲れ切っていた僕は、そのまま泥のように眠ってしまったのだった。
◇◇◇
その夜、雪華殿──。
「どういうことだ!いつ涼華殿にお渡りがあったのだ!?」
「橘華妃様、お声が……!外に漏れては……。」
「うるさいっ!!」
橘華妃……白雪は怒りに震えながら親指の爪をギリギリと噛んだ。
「番だと?これが目的だったのか!?」
白雪は目の前の尚侍ではなく、柱の裏に潜む影へと言葉を飛ばす。
「あの男は子種がないはず。だが万が一ということもある。蓉妃に子を産ませてはならぬ。」
闇に隠れ頷く者に、白雪は冷たく言い放った。
「蓉妃が身籠ったら、何としても流させろ。必要なら、蓉妃もろとも……。」
──殺せ。
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