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10 氷の君

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 孝龍様しか知らなかった抜け道から、また密かに後宮へと足を踏み入れる方が。
 それは皐月も終わりの頃──。


「ご拝顔の栄に浴し、恐悦に存じます。宰相中将、氷翠にございます。」
「中将殿、面をあげられよ。主上よりお話はかねがね。乳兄弟でいらっしゃるとか。」
「はい。幼少のみぎりよりお側に仕えさせて頂いております。」


 ──こ、こんな感じでいいのかな?



『朱寧。明日、そなたに会わせたい者がいるのだ。』
『会わせたい方、ですか?』
『ああ。朱寧、そなたは蓉妃だ。それを忘れてはならぬぞ。』
『承知致しました、主上。』


 昨夜そんな会話があって、妃として後宮の外の方と会うのは初めてだから、僕は内心すごく緊張していた。

 
 そして孝龍様と共に涼華殿へとやって来たのは、宵闇に溶けそうな群青の袍を纏った、孝龍様と並ぶ美丈夫だった。
 孝龍様より線の細い人ではあったけれど、恐らく彼も秀なのだろう。その瞳には覇気が溢れ、形容しがたい逞しさと妖艶さを合わせ持っている。

 雀玲から、宰相中将は名前の通り凍るような美しさで、宮仕えの女官や下女たちから『氷の君』と呼ばれてると聞いてはいたけれど……。


 ──はぁぁ、確かに。この人が通り過ぎただけで失神する女子がいると言う話も、あながち嘘じゃないのかなって思えるよ。


 孝龍様は撫菜同様、氷翠殿も心から信頼出来る者だからと、僕に会わせて下さったんだ。
 堅苦しい挨拶を済ませ、すぐに孝龍様と氷翠殿は仲睦まじい兄弟の如く気の置けない会話をし始め、僕はちょっぴり羨ましくなる。


「朱寧。氷翠はことまつりごとにおいては並外れた手腕を見せるが、かなりの遊び人だ。気をつけるのだぞ。」


 孝龍様は僕の手をとり両手で包むと、真剣な眼差しでそう言われた。


「は、はい。内侍たちには、よく言っておきます。」


 僕もその眼差しに応え、真剣にそう返したのだけれど……。
 何故だか孝龍様はピシリと固まってしまい、氷翠殿には吹き出される始末。
 

 ──あ、あれ?


「これは、主上の心配は尽きませんな。」
「はぁぁ、左様であろう?」
「主上?」
「蓉妃様、よろしいですか?貴方様が主上の寵妃つがいでなければ、私は間違いなく今この場で、蓉妃様を口説き落としておりますよ?」
「ひ、氷翠殿っ。からかわないで下さい!」
「からかってなどおりません。蓉妃様はまず、ご自身の見目の麗しさをご自覚下さい。」


 僕が困って雀玲を振り返ると、雀玲まで大きく頷いている。


「蓉妃よ。そなたが自らの美しさをひけらかさないところは好ましくもあるが、後宮では美貌は大きな武器だ。上手く使わなければ駄目だぞ。」
「はい、主上。これからはもう少し身なりにも気を使ってみます。……その、今はどこもおかしくないですか?」


 雀玲が選んでくれた襦裙だし、髪も丁寧に梳かしてもらったけれど、自分で意識したことはなかったので、なんだか不安になってしまった。


「おかしくなどない。朱寧はこの上なく美しいぞ。」
「………よかった……。」


 そうポツリと呟けば、孝龍様が僕の手を引き寄せその指先に優しく唇を寄せてきて、僕は慌てて団扇を上げて一気に熱くなった頬を隠したのだった。



 やがて、他愛もない会話をしながらお茶を楽しみ、しばらくした頃。
 氷翠殿がおもむろに僕へと向き直り口を開いた。


「時に蓉妃様。蓉妃様は、主上が何故朱雀に一族の後宮入りを命じたのか、お聞きになりましたか?」
「……え?」
「氷翠!お前、突然何を!?」


 どうやら氷翠殿は始めから、このことを僕に聞くつもりだったようだ。


「いえ、伺っておりません。」


 後宮に入りまだ二月ふたつきも経たないとはいえ、僕も言葉の裏を探る癖はついてきた。


 ──氷翠殿が、わざわざ主上の前でこんな話題を出す理由は何?


「氷翠、止めぬか。」
「いえ、主上。蓉妃様はもう知っておかれるべきです。どちらにしても、いずれは全てお話するおつもりなのでしょう?」
「…………。」


 氷翠殿の言葉に二の句が継げなくなってしまった孝龍様を見て、僕はそっと彼の膝に手を置いた。


「孝龍様、教えて下さい。ずっと気になっていたのです。今上帝は冷血な暴君で、私はそのために人質として、忠誠の証として輿入れするのだと教えられ妃になりました。でも、孝龍様は……。」
「ええ。主上は暴君の振りをなさっているだけです。周りを油断させ、敵をあぶり出すために。」


 ──あぁ、やっぱり。


「もうよい、氷翠。……雀玲、今は安全か?」
「はい。特別な気配はございません。」
「そうか。」


 孝龍様はゆっくりと瞼を閉じると、静かに一つ嘆息して目を開ける。


「……朱寧は、三年前に後宮で起きた事件を知っているか?」
「三年前の事件でございますか?」
「ああ。」


 ──それって、確か……。





 三年前──。
 当時白虎の萩華殿に入られていた梨華りか妃様が起こした、主上に毒を盛ろうとした事件。
 その計画は事前に主上の知るところとなり、梨華妃様は自害したとされている。
 だけど……。


「三年前、私は後宮で動きがあるとは掴んだのだが、詳しい計画まではわかっていなかったのだ。」
「え?それでは……。」
「私は毒を口にしてしまった。そして一緒にいた梨華妃も同様に……。」


 孝龍様が辛そうにお顔を歪める。
 僕が隣に座る彼の手を握ると、孝龍様はその表情のまま僕を見つめた。


「私はな、朱寧。その毒のせいで子が作れぬ体になったと言われたのだ。恐らく、敵の目的は私を殺すことではなく、世継ぎを作れなくすることだったのだろう。」
「………そ、んな……。」
「だが、しばらくして、青龍一族に古くから仕える陰陽の巫女が、青龍の神託を受けたと言ってきた。」
「神託、ですか?」
「そうだ。」
 

 巫女が告げた神託。それは……。


『運命の番を見つけよ。今上帝の子を宿せるのは運命の番のみ。南を探すのだ。南の地に、捨て置かれた運命がいる。』



 今、主上の力を確固たるものにするため、最も必要なのはお世継ぎだ。
 当時、極秘にされていたけれど、梨華妃様は懐妊されていた。
 二人が口にした毒は妊婦が飲むと命に関わるもので……。
 そう、梨華妃様は自死ではなく、殺されてしまったのだ。
 だが、白虎一族の犯行を示す証拠が、次々と見つかってしまう。
 孝龍様は血を吐く思いの中、彼らを断罪せざるを得なくなってしまわれたのだ。
 そして誓われた。必ず真の黒幕を見つけ、その者に鉄槌を下すと……。


 運命の番は秀にとって、魂から焦がれ求める特別な賤のこと。
 暴君の振りをしながら臣下の動きを見極めておられた孝龍様は、今の朱雀一族に妃を差し出せと命じれば、蔑み捨て置いた賤を送り込んで来るだろうと考えられたのだ。
 そして、そのお考えの通り、朱雀の忌み子である僕が入宮した。


「僕が孝龍様に惹かれたのは、運命のせい?」
「朱寧、それはっ。」
「僕は、孝龍様の運命だった……。だから、世継ぎを産ませるため、番にしたと……?」
「っ、朱寧、聞いてくれ……。」


 僕は苦しげに言葉を絞り出そうとする番の唇にそっと指先を当てて微笑みかけると、真っ直ぐに氷翠殿を見据えた。


「氷翠殿?私は、その神託に感謝しなければなりませんね。」
「……蓉妃様……。」
「私がこうして主上の妃になれたこと、番にしていただけたことは、この上ない喜びです。私は、心から主上をお慕いしています。それは私自身の想い。……私が選んだのです。」
「朱寧、そなた……。」


 確かに僕は孝龍様と出会って間もないけれど、この想いだけは誰にも負けないと、胸を張って言える。


「中将殿。そなたの主上への忠義はよく分かった。だが、私は主上の妃。その私を試すような真似は、今後決して許さぬ。肝に銘じられよ。」
「っ!はっ、しかと。」


 そして、頭を垂れる氷翠殿と満足げな孝龍様を見て、僕がに合格出来たのはわかったけれど……。


「主上。このように私を試されたのは何のためですか?」


 そう問えば、僅かに驚き視線を交わす二人。


「やはり……。何か動かれるおつもりなのですね?」
「私の妃は、美しい上に聡いな。」


 孝龍様が満足げに僕の肩を抱き寄せる。


「水無月の夏至の宴。私はそこで、蓉妃の披露目をしようと思う。」
「夏至の宴で?」
「今のところ、涼華殿に主上のお渡りがあったことは知られていません。唐突に主上が番を持たれたと知った時の、周囲の動きを見たいのです。」
「私を使って、揺さぶりをかけたいと?」
「ああ、そうだ。今のそなたを見て、動こうと決めた。」



 夏至の宴──。
 僕もとうとう、後宮の渦の中へと自ら入っていくことになる……。











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