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9 甘い時間

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 雪華殿──。


「蓉妃のところへ薬師が?」
「はい、橘華妃様。どうやらまた、発情を起こされたご様子。」
「ふん、なんと卑しい。」
「それと、今までの薬師に暇が出され、新しい者に。」
「何?……懐柔しろ。薬司くすりのつかさは手の内に入れておかねば。」
「はい。」
「蓉妃の輿入れといい何かある。……一体主上は何を考えている?落ち目の朱雀を味方に付けようと、無意味なはず……。涼華殿はまだ探れぬのかっ?」
「申し訳ございません。なかなか隙がなく……。」
「情けない。……まあ、よい。後宮は今や、私のもの。近いうちに、必ず望むものを!」





 ◇◇◇





 孝龍様はあの日以来、度々涼華殿へお渡り下さるようになった。
 ただ、主上として堂々のお渡りは雪華殿を刺激するからと、今はまだ、藤の庭の抜け道からいらっしゃるんだ。
 花の季節は終わってしまったけれど、僕は今日もまた、木陰で刺繍をしながら、孝龍様を待っていた。


「朱寧。追々話して行くが、私は即位以来ずっと、この座から引きずり下ろそうとする者たちに狙われている。」
「…………。」
「今、最も警戒しているのは玄武だ。」
「玄武……。」
「そうだ。だからくれぐれも、雪華殿の橘華妃には気を付けてくれ。」


 孝龍様は、典侍ないしのすけの撫菜が味方であること。
 雀玲も承知し、涼華殿の内侍が撫菜の部下と入れ替わっていることを教えてくれた。

 その中の一人。葵は随分と落ち着いた女性ひとだけれど、根はとても明るくて、雀玲とはまた違う魅力がある。
 僕のまわり、美人ばっかりなんだけど……。



 今日は昼まで祭祀があって、その後は時間が出来るからと仰っていたのに、孝龍様はなかなか藤の庭にいらっしゃらなかった。


「蓉妃様、雲行きが怪しくなってまいりました。館へ戻りましょう。」
「うん……。」


 葵が手際よく針仕事の道具をまとめてくれたけれど、僕は孝龍様がいらっしゃる前にここを離れてはダメな気がしてしまって、ふと立ち止まる。


「葵、もう少しだけ待ってみるよ。」
「しかし……。」


 空は濃灰色の雲に覆われていき、遠くで不穏な音を響かせていた。
 そんな空を見上げつつも足を動かせない僕に、葵は少し迷いながら口を開く。


「……蓉妃様。実は主上は今、雀玲と……。」
「えっ?」


 彼女の言葉を遮るように、青白く稲妻が走ったかと思えば、暗い空は大粒の雨を落とし出した。


「蓉妃様っ、こちらへ!」


 僕らは慌てて走り出す。
 しばらく待てば止みそうな雨に、葵は僕を途中の東屋へと連れて行った。


「葵、大丈夫だよ。僕は森の中で暮らしてたんだ。これくらい濡れたって平気だから。」
「蓉妃様がよろしくても、主上には大問題です!」
「ええ?」


 葵が甲斐甲斐しく髪を拭いてくれる中、僕は耐えきれず、彼女を問いただす。


「葵。主上が今どこにいらっしゃるのか、知っているんだね?」
「……はい。」
「雀玲と、一緒なの?」
「はい。」
「葵、全部話して。一体、何があった?」
「……っ、蓉妃様……。実は……。」


 葵が言葉を重ねるごとに、僕は段々と腹が立ってきてしまった。


 ──孝龍様も、雀玲まで……!なんで秘密にするの?それは、僕のことなのに!


 だいぶ弱くなったとはいえ、まだ雨が降りしきる中、僕はその苛立ちのまま東屋を出て館へと歩きだす。


「蓉妃様!まだ雨がっ!」


 葵も濡れてしまって悪いなとは思うけれど、どうにも我慢出来なかった。
 孝龍様のことになると、僕は気持ちが波打ってばかりだ……。



「蓉妃!何故濡れて戻ってきたのだ!?」


 葵の言葉通り、孝龍様は涼華殿で待っていらした。


「雀玲、葵を着替えさせてあげて。」


 僕は主上に形ばかりの礼をして、部屋へと歩きだす。


「蓉妃?どうしたのだ?」
「…………。」
「朱寧?」


 僕の前へと回り込む孝龍様は、いつもと変わらず優しく問いかけて下さった。
 それが尚更に悔しくて、辛くなる。


「……どうして、もう涼華殿にいらっしゃるのですか?僕、ずっといつもの場所で待って……。」


 ──孝龍様は僕を案じて下さった。だからこうして動いている。わかってる、わかってるけど……!


「私の薬がすり替えられていたこと、何故教えて下さらなかったのですか?」
「朱寧、そなた……。」
「主上が仰ったのではありませんか?私は、か弱いだけの妃ではないと……!」


 自分は何故こんなにも怒りを覚えてしまうのか。
 怒ってるのに悲しくて。
 孝龍様のお心遣いを無下にするような自分の言動にすら腹が立って、僕は自分が何を求めているのか分からなくなっていた。


「皆、下がれ。」
「っ、主上……。」


 すっと人がいなくなり、孝龍様と二人。


「朱寧、何をそんなに怒る?」


 孝龍様は落ち着いて、余裕があって、僕だけ駄々っ子みたいだ。


「朱寧、おいで。」
「主上、いけません。濡れてしまいます。」


 僕を包んだ腕から出ようとすれば、更にキツくいだかれて……。


「構わぬ。」
「孝龍様……。お願いです、孝龍様。どうかお一人で、嫌なことばかり見ないで下さい。僕は……僕だって、孝龍様をお守りしたい!何も知らずに守られてばかりは嫌です!」


 ──ああ、そうか……。僕は、また孝龍様がお一人で苦しまれるのが嫌なんだ……。


「そうか。……すまなかった、朱寧。逆に、そなたを不安にさせてしまったな。」
「いえ、そのような……。私も、恐れ多くも主上を前にこのようなご無礼を……。申し訳ございませんでした。」
「よい、許す。むしろ、怒った朱寧を見れて嬉しかったぞ。」


 孝龍様はそう言うと僕の鼻先に淡く口づけ、悠然と微笑まれる。


 ──あ、これは……もしかして……まずいかもっ!?


「私の最愛は、怒っていても愛らしいな。」
「お、主上っ?」


 軽々と彼に横抱きにされ、僕は為す術なく廊下に連れ出された。
 そこには当然の如く、雀玲が控えている。


「雀玲、支度は?」
「滞りなく。」
「お、主上っ?この先は湯殿です!」
「ん?ああ、そうだな。蓉妃を冷えた体のままでいさせるわけにはいかぬ。それに、私も濡れてしまった。」

 
 いたずらな少年のように無邪気な表情かおの孝龍様。
 でもその双眸の奥には艶めく光が潜んでいて、僕の中で賤のさがを疼かせた。
 

「孝龍様っ、こんな明るい時間から、いけませんっ。」
「ん?いけないとは?私の番は、一体何を考えたのだ?」
「──ッ!?」


 ──うわぁぁ、僕のバカっ!


「可愛い番の望みは叶えてやらねばな。」
「あ、待って!孝龍様っ。」


 恥ずかしさに震える僕にとどめを刺すように、耳に直接囁かれる甘美な声。


「朱寧の淫らな姿を見られるのは、番の特権であろう?」
「っ、孝龍様っ!!」



 雨音が響く湯殿。
 僕の秀の香りに、僕は羞恥心などあっという間に全て剥がされてしまった。
 すっかりとろけてのぼせるまで愛されてしまった僕を、孝龍様は満足そうに寝台へと連れて行く。


「続きは、また夜にな。」


 恥ずかしくてたまらないけれど、孝龍様にまたすぐ会えるのが幸せで、嬉しくて。
 僕は番の首に腕を絡め、ただ愛しさを唇に伝えたのだった。


 僕たちの幸せな時間が紡がれていく……。
 それでも、ここは後宮。
 甘いだけの時間が、そう長く許されるわけがなかったんだ……。









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