【完結】藤華の君 あかねの香

水樹風

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4 出会い(Side 孝龍)

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主上おかみ、聞いておられますか?主上?」


 また薄紫の季節が来た。
 私を呼ぶ宰相さいしょうの中将ちゅうじょうの声がため息に変わる頃、私は目の前の乳兄弟へと意識を戻す。


「すまない、考え事をしていた。」
「……そろそろ、藤の季節ですね……。」
「ああ……。」


 先帝の寵妃だった藤華とうか妃は、その容姿だけでなく心までも美しい方だった。
 の恩人でもあるあの方の愛した場所。
 きっとあの場所は、もうすぐ見頃を迎えるだろう……。


「それで、何だった?」
「ですから、朱雀から入宮された新しい涼華殿様。……蓉妃様は男で間違いなかったそうです。」
「そうか。……まぁ、あの一門のことだ。都合のいい捨て駒のつもりで賤を寄越したのだろうな。」


 私のその嘲りを含む言葉に、宰相中将も臣下から最も近しい友の顔に変わる。


「まぁな。随分と広がったからな、孝龍の暴君ぶりは。」
「………そうだな。」
「……狙い通りに、な。」


 ニッコリと言う氷翠ひすいは、その名に相応しく鋭い冷たさを瞳に宿していた。


「氷翠、殺気が隠せていないぞ。」
「これは、これは。」

 飄々とした切れ者の彼は、おどけた様子で私の肩に腕を乗せ顔を近づける。


「蓉妃様が『運命』だといいな。」
「お前までそんなことを……!」
「健全な男子なら、そろそろ辛いだろ?」
「遊び回っているお前と一緒にするなっ。」


 氷翠の腕を払いのけると、彼はふっと真剣な眼差しを向けてきた。


「陰陽の巫女の言葉が本当に青龍の神託なら、きちんと確かめろ。蓉妃様がお前の賤なのか。」
「………わかっている……。」



 涼華殿に蓉妃が入ってからひと月ほど。
 まだ『御簾越しの君』である蓉妃は、滅多に外へ出ることもないようだ。


 ──そろそろ、見頃だろう……。


 私はいつものように氷翠に私の衣装を着せ、しばし帝の自分から離れる。
 この時間の午睡を邪魔すれば私の機嫌が悪くなると、散々芝居を繰り返してきたから、離宮に近付く者はまずいないだろう。


 涼華殿の奥……後宮の片隅にある藤の庭。
 先帝から賜った名のその花を、あの方はとても大切にしておられた。


 あれから三年──。
 私は弔いの意味も込め、毎年この花に会いに来ていた。
 私と藤華妃、そして弟・史龍しりゅうだけが知る秘密の抜け道。
 氷翠ですら知らぬそこを抜けると、今年もまた薄紫の花房が芳しく咲き乱れている。


「……今年も、見事だ。」


 そっと呟き花房へ手を伸ばした時だった。
 少し離れた場所で驚き立ち上がる内侍の姿。
 しまった、と一瞬の焦り。このまま抜け道へと消えれば曖昧なまま、あの内侍は幻でも見たと思って終わらせるだろう。
 頭の冷静な部分ではそう判断が下せるのに、私の足は凛としながらもどこか儚げなその者へと向かってしまう。


「あ、あなたは誰ですかっ?ここは涼華殿様のお庭ですよ!」


 ──ん?愛らしい声ではあるが……男子か?


 蓉妃が賤の男子ならば、自身と同じ男子を連れてきていても許されることながら、目の前の内侍の美しさは身震いがするほどで、にわかに男子とは信じ難かった。
 艶やかな漆黒の髪は背中で緩やかに一つに結ばれ、透き通る柔肌を引き立てる。
 長いまつ毛に縁取られ戸惑い見開かれた愛らしい目。清らかな色香をたたえる血色の良い薄めの唇。

 普通、妃嬪となる者は自分より美しい者を側付きにはしない。
 私の目に留まれば自身の脅威になるからだ。


 ──これ程の美貌の者を側に置くなど、蓉妃とは一体……。


 私が跪き逃げ口上を述べると、彼は困惑した様子で黙り込んでしまった。
 戸惑う表情はその美しさに似合わぬ幼さを秘め、ちぐはぐな魅力に吸い込まれてしまう。

 ふと足元を見れば、なんとも見事な刺繍が施された披帛と針仕事の道具。忘れ去られていた藤花の下で、美しい手仕事とは……。


 私の周りは、私の寵愛を得ようと媚びを売る女達ばかりだった。
 後宮から足を遠退けようとも、世継ぎを望む重臣達は、発情した賤までもを離宮に寄越したりする。


 逃れられない奸計の渦。飲まれる前に見極めなければならない、探り合いの生き方。
 後宮の禁を犯しここにいると言う男に対し、こんなにも無防備な様子のこの者に、私は妬ましさと愛しさを同時に感じてしまった。


「いけませんね、内侍殿。男が禁を犯し後宮の中にいるのですよ。もっと警戒しなくては。」


 ほんの少し困らせてみたくなった。
 戸惑いながらも純粋な瞳のまま、彼は刺繍を見せてくれと言った私へと素直に披帛を差し出してくる。
 私はそのなまめかしい白い細腕を引き寄せ包み込んだのだ。


 その刹那──。
 蕩ける果実の蜜の如き香りが痺れるように体中に染み込んできた。
 ハッとした次の瞬間、私は内侍である彼に腕を捻り上げられていた。


 ──これは、油断したな。


「私は男ですので、自分の身は守れます!」


 やはりと言うべきか。まさかと言うべきなのか。
 するりと腕をほどけば、彼はキツい視線を私に送りつけていた。


 ──なるほど。氷翠が言っていた意味が、漸くわかった……。


 女好きの氷翠はよく、惚れた女の怒った顔が愛らしくて堪らないと惚気けていたが、目の前の可愛らしく怒る彼を見れば、その意味がよくわかる。
 だが、次の彼の言葉と切なげな瞳に、私は自分の軽率な行動を恥じた。


「刺繍を褒めていただいて、一瞬でも喜んだ私がバカでした。」
「内侍殿の無防備な可憐さに惹かれたとはいえ、私の悪ふざけが過ぎた。お詫びする。」


 本当に針仕事が好きなのだろう。
 そして、私の言葉をただ純粋に喜んでくれたのだ。……なんの計算もなく。

 彼とはどんどんと離れがたくなっていた。
 いくら涼華殿の片隅の人目につかない庭園とはいえ、入宮間もない彼がこの場所にいたのだ。誰が来てもおかしくはない。
 だが、もう少し、あと少しだけ……。


 故郷の南領の話をしていると、彼が寂しげに微笑んでいた。
 私の命で、政治的な思惑の犠牲で、遠い後宮に来たのだ。
 少しでも心穏やかに暮らせればと願わずにはいられなかった。


 帝としてひと言命じれば、側に置くのは簡単なことだ。
 だがそのやり方は違う……。

 私は自身を偽り、彼の名を問う。
 その手を取れば、また芳しく香る蜜の甘さ。
 絹の如き肌ではあるが、指先には手仕事の痕が残り愛しさが募る。


「あ……し、しず……僕の名前は、しず、です……。」
「寧……。愛らしいそなたに似合いの名だな。」


 頬を火照らせ、次第に熱を孕みだす吐息。
 強くなる秀を惑わす香りに、私の理性が焼き切れそうになってきた。
 聞けばこれが初めての発情だという。
 間違いない、寧こそ、私が探していた『運命』だ。

 寧を傷付ける真似はしたくない。私は本能に飲まれる前に去ろうと立ち上がる。
 寧はそんな私に、また会いたいと縋ってくれた。


 ──なんと、いことか……!


 何ものにも代え難い愛しさ。
 多くを愛さなければならない宿命の中、それでも寧を特別にしたい!誰にも渡したりしない!


 荒々しく塞いでしまった唇。戸惑い、受け入れ、蕩けていく寧……。


 ──可愛い、寧!離したくない!


 身を委ねる彼をこのまま連れ去ってしまおうかと思ったその時、向こうから「不埒者!」と叫びが聞こえ、私は引き裂かれる思いで抜け道へと消えたのだった。




 ◇◇◇





「遅いっ!孝龍、一体今まで何をして……。」


 私は、離宮に戻るなり詰め寄ってきた氷翠の言葉を興奮が隠せないまま遮った。


「氷翠、見つけた……見つけたんだ。私の賤を……!」
「主上?それは、どういう……。」
「巫女の言葉通り、朱雀の者だった。蓉妃の内侍だ。」
「なにっ!?」


 寧……。彼を守らなければ。
 あの黒い思惑の巣窟で、彼が葬られないように……!


「氷翠、典侍ないしのすけを呼べ。」
「はっ、承知致しました。」


 唇に残る蜜の香り。もう会いたくて堪らない……。


「寧……。」









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