【完結】藤華の君 あかねの香

水樹風

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3 初恋

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 ゆっくりとこちらへ歩いてくる美丈夫の姿に、驚き動けなくなってしまった僕だけれど、頭上で聞こえた鳥の羽音にハッと我に返った。


「あ、あなたは誰ですかっ?ここは涼華殿様のお庭ですよ!」


 そう声をあげると、彼が僕の目の前で片膝をついて見上げてくる。


「つい藤花に見惚れ、後宮の境を越えておりました。禁を犯したことは事実ながら、どうかお見逃しいただきたく……。」


 あまりにも優雅な仕草と、深みのある穏やかな声に、僕は二の句が継げなくなってしまった。


「内侍殿は、こちらで針仕事ですか?」
「えっ?あ、はい……。」


 ──なんでこの人普通に話して……。見逃せなんて言うなら、早く立ち去ればいいのに……。


 僕が怪訝な視線を投げても、彼はどこ吹く風だ。


「見事な腕前だ。……この模様は蒼の都では見ない柄ですね。」
「え?そう、なのですか?南領ではよく使われる模様で……朱雀の羽を表します。」
「おお、なるほど……。よく見せていただいても?」
「は、はい……どうぞ……。」


 立ち上がり柔和に笑みをこぼす彼に、僕はおずおずとさっきまで刺繍を施していた披帛を差し出す。
 すると、自分から見せてくれと言ったくせに、彼は驚いた表情かおを見せた後、今度は妖艶に笑って僕の手首を掴みグッと体を抱き寄せたんだ。


「な、何をっ!?」
「いけませんね、内侍殿。男が禁を犯し後宮の中にいるのですよ。もっと警戒しなくては。」
「──ッ!」


 僕は軟派なその言葉にカッとして、彼の腕を掴み後ろ手に捻り上げてやった。
 僕の背は彼の肩辺りまでしかなくて、逞しいこの人との体格差は大きかったけど、僕だって一応男だ。


「私は男ですので、自分の身は守れます!」
「これは参った。そういえば、蓉妃様も殿方でしたね。内侍にも男子をお連れでしたか。」


 彼はそう言った直後、容易く僕の手を振り解いてしまう。
 あまりに呆気なくて悔しかったけれど、僕はそれでも彼を睨みつけた。


「刺繍を褒めていただいて、一瞬でも喜んだ私がバカでした。」


 僕の言葉のその刹那、彼がハッと息を呑む。


「内侍殿の無防備な可憐さに惹かれたとはいえ、私の悪ふざけが過ぎた。お詫びする。」
「えっ?あ、あのっ……!」


 素直に頭を垂れるその人は、真面目なのか不真面目なのか。
 ただ一つ言えるのは、僕はもう、彼から目が離せなくなっていたんだ。


 ──不思議な、魅力だな……。


「わ、私もまだ後宮に上がったばかりで……不用意だったのはおっしゃる通りです。ですがそもそも、貴方様が……。」
「ああ、その通りだな。こんな場所にいる私がいけないな。」


 それは何だか彼が素を見せてくれたような気がする、本当に爽やかな笑顔だった。
 そんな眩しさに当てられたのか、僕の胸はトクリ、トクリと不自然に波打って、初めての音にどうしていいのかわからず、僕はすとんとまたそこに座り込み黙って針を刺し始める。

 彼は僕のそんな態度にも立ち去る素振りを見せず、挙げ句、僕と並んで草の上に腰を下ろしてきた。


「……っ、………。」
「実に優美な手先だ。その見事な腕前なら、縫司ぬいのつかさでも十分にやっていけるだろうに。」
「そんな……ありがとう、ございます……。」


 その後も、彼は刺繍や南領に興味を持って色々話を聞いてくれたんだ。
 僕はここが涼華殿で、僕自身がそこの主であることを忘れ、故郷を離れ入宮した僕を気遣い優しい言葉をかけてくれる彼との時間に安らぎを感じ始める……。


「私は左近衛府中将だ。そなたの名を尋ねても良いだろうか?」


 そう甘く乞いながら大きな手が僕の手をすっぽりと包んだ、その瞬間──。
 僕は藤の香よりずっと濃い、蜜のようなとろける香りを全身に感じ、胸の早鐘に苦しくなった。


「あ、あの……、僕、は……。」


 ──どうしよう、僕は主上のものなのに……。こんなにも胸が高鳴って……。


「あ……し、しず……僕の名前は、しず、です……。」
「寧……。愛らしいそなたに似合いの名だな。」


 ──な、なに!?何でこんなに体が熱いの?知らない、こんなの……知らない……。


「左中将……さま……。左中将様は、秀……?」


 何故だろう?左中将様の香りに本当に溶かされているみたいで、僕は体も心も熱を帯びて止まらなかった。


「寧?どうした?……寧、そなたまさか、賤であろうに薬を飲んでいないのか!?」
「薬?薬って……?」


 次第に意識が朦朧として、彼に吸い寄せられていく。


「僕、今まで発情を起こしたことが……なくて……。」
「なっ!?……あぁ、まずい……これ以上は、私も……。」


 苦しげに立ち上がる左中将様の足元へ、僕は堪えられずに縋り付いた。


「また……また、お会い出来ますか?」


 ──ダメだとわかっているのに……。これは主上への裏切りなのに……。この方の笑顔が、また見たい……!


「……っ、しずっ!」


 次の瞬間、僕の唇は大きく塞がれ、強引に割り入れられた彼の舌に口の中までも支配されて、その熱さと甘さに苦しくてたまらなくなる。
 それはまるで必死に自分の存在を刻み込むかのような、荒々しい口づけで……。


 ──僕を、求めてくれるの?存在すら認めてもらえたことのない、卑しい僕を……。


「あっ、ん、んぅ……。」


 ──どうしよう、初めての口づけなのに……。僕、なんて不敬を……。


「寧……そなたなのか?余の運命は……。」


 なに?って聞きたかったのに、今度は優しく舌を絡め取られ、蜜を求め合うように深い口づけに溺れていった。
 僕の全てが左中将様になっていく……。もう、彼以外欲しくない……。



「不埒者!そこで一体何をっ!?」


 遠くで、雀玲の声がする……。
 ああ、僕の、僕だけの温もりが離れてしまう……。


「……いか、ない……で……。」




 いつの間にか僕を包む温もりは、雀玲の腕の温かさに変わっていた。


「朱寧様っ!朱寧様、お気を確かに!あの者に、一体何をされたのですかっ……!?」
「……雀、玲……?熱い……体が熱いよ……。助けて……。」
「すぐに寝所へお連れします。大丈夫ですよ。」


 そこから僕の記憶は曖昧だった。
 雀玲が何か苦い薬湯を飲ませてくれたけれど、確か効果が出るまでは精を出すしかないって言われて……。
 僕は自分で精を出したことも殆どなくて……。雀玲は嫌な一つ顔することなく、僕にやり方を教えてくれたんだ。


 ──あぁぁ、助けて……。助けて、左中将様……!


 初めての発情。辛い時間は三日ほどで。
 それでも僕を絶望させるのに、それは十分過ぎる時間だった。


 初めて知った、自分の賤としての性。
 あんなにも乱れてはしたなく精を出し続けなければならないなんて……。


 そして、やっと思い知る。
 僕は主上の妃。その重さと不自由さ。
 初めての発情で主上以外の殿方、主上以外の秀を求めていた不敬。



 僕の初めての恋心は、許されないものだった……。











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