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12 隠れ家

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「レオン、ここは?」

 レオンハルトがアンネリーゼを連れて入ったのは、森の中にポツンと現れた一軒家だった。
 道らしき道もない樹木の合間をぬって迷いなく進みここにたどり着いたところを見ると、彼は間違いなく、以前からこの場所を知っていたようだ。

 森番の住居にしては広く、しっかりとした造りの二階建ての家。
 レオンハルトは壁際の色褪せたソファーにアンネリーゼを下ろし、慣れた手付きで暖炉に火を入れた。

「ここは、騎士団の隠密部隊が拠点に使っている隠れ家だ」
「隠れ家?」
「ああ。彼らは今、任務に出てるが……。ここを知っているのは本当にごく一部の人間だけで、あの橋を渡れなきゃ、まず誰も近づけない。森の中で迷うのがオチだからな。周りには隠密たちが仕掛けた罠も多いから、万が一誰か来てもすぐにわかる。だから安心していい」
「……そう……」

 暖炉のオレンジに照らされ、彼女は暗闇から抜け出せたことにホッと胸をなでおろす。
 だがそれも束の間。レオンハルトの、そして自身の体に飛び散りこびり付いた赤黒いしみと鉄錆の匂いに、アンネリーゼは胸元で手を握りしめ小刻みに震えだした。

(私、……私、本当に人を斬って……? ……あの男は死んだ? ……私、人を殺したの……?)


「アン……大丈夫、大丈夫だ」

 隣に座ったレオンハルトの腕の中、直接耳に届く彼の鼓動を聞きながら、アンネリーゼは彼が生きていることに胸がいっぱいになってくる。

「すまなかった。お前にこんな思いをさせて……! ちゃんと守ってやれなくて!」

 掠れたその言葉に、アンネリーゼは彼の胸で小さく首を左右に振り、顔を上げた。

「騎士団長、あなたは私だけでなく、部下に犠牲を出すこともなく責務を果たしたわ。私は生きてる。ちゃんと、あなたの腕の中にいるでしょ?」
「………っ、アンネリーゼ……無理をしなくていい! こんな時まで……俺の前でまで王女の顔をするな!」
「レオン……」

 苦しげに顔を歪めたレオンハルトが、更に彼女を抱き寄せる。

「怖かっただろう? 無理に震えを止めようとするな。声を押し殺して泣くなよ。……泣き虫で弱虫だった子供の頃みたいに、ただのアンネリーゼに戻っていい。戻っていいんだよ……アン……」

 ゆっくりと穏やかに……。剣を握っていたはずのその武骨な手が、今は愛しさだけを込めてアンネリーゼの背中をさすってくれた。

「……っ、うっ……うぅ……」
「大丈夫。俺がいる。ちゃんといるから」
「……怖かった……怖かったの……っ、私、こわっ……!」
「ああ、そうだよな……。もう大丈夫だよ、アン?」

 こんなにも大声を出したのは、いつ以来のことだろう?
 常に王女らしく、『黒薔薇の君』の姿で……そうすることで自分自身を支えてきたアンネリーゼ。
 激しく泣きじゃくりながら、その支えであった矜持を手放したとき、彼女が本当に欲しかった温もりが寄り添い包んでくれていた。

(レオンが好き……。こんなに、好きなの……)

 どれくらい泣き続けていたのか……。
 アンネリーゼの嗚咽が小さくなり、体の力が抜けてきたのを感じて、レオンハルトはそっと体を離して立ち上がった。
 そして彼女の頬に手を添えて、親指で涙の跡を拭っていく。

「っ、レオン、離れないで……」

 真っ赤な目の彼女が口にしたそんな素直な言葉を聞くと、彼はその双眸に喜びを映し、柔らかに微笑んだ。

「心配するな。ちょっと着替えがないか見てくるよ。それにここには任務の汚れを落とせるように、小さいが浴室があるんだ。すぐに準備してくるから。なっ?」

 不安そうに彼のシャツの袖を摘んでいたアンネリーゼの鼻先に彼が淡くふわりとキスを落とすと、彼女はくすぐったそうに目をつぶって肩をすくめ、小さく頷く。

「いい子だ」

 貴族令息ではあるが、騎士団で野営も経験しているレオンハルトは、本当にあっという間にあれこれ準備を整えてくれた。
 アンネリーゼも、普段は侍女たちに全てを任せてはいるが、自分一人でもそれなりのことはこなせる。

 レオンハルトが湯を沸かしてくれた浴室で体の汚れと血の匂いを洗い流した彼女は、彼が見つけた素朴なリネンのワンピースに着替え部屋に戻った。

「レオン? あなた、どこで体を綺麗にしたの?」

 交代で浴室を使うのだと思っていた彼女の前に、既に体を清め、チュニックとズボンに着替えた彼が髪を拭きながら立っている。

「ん? ああ、井戸の水で洗ってきた」
「え?」

 アンネリーゼは慌ててレオンハルトに駆け寄り頬に触れる。

「すっかり冷え切ってるじゃない!」
「これくらい、暖炉の前にいればすぐあったまる。あっ、それとも、アンが俺を熱くしてくれるか?」
「っ、バカっ」
「ハハ、赤くなっちゃって。本当に可愛くて困るな」
「もうっ!」

 そうしてじゃれ合うようにして暖炉の前に座り込んだ二人。
 襲われたことなどまるで嘘のように、他愛もない話をして、二人で淹れた美味しいとはいえないお茶で喉を潤し時を過ごす……。

 そんな泡沫うたかたとも思える時間の中、レオンハルトには、自分を見る彼女の瞳に宿る熱が、いつの間にか自分と同じになっているように思えて仕方なかった。

(俺の自惚れか……? もう一度、愛を囁くのは卑怯だろうか……?)

 久しぶりに命のやり取りに身を晒した興奮か。それともあまりにも煽情的な、彼女の濡れた髪のせいか……。
 彼は一気に滾ってしまいそうなその熱を、必死に抑え込む。

 やがて、次第に小さく消えていく暖炉のオレンジ。最後の火をランタンに移すと、レオンハルトは平静を装ってアンネリーゼを横抱きにし抱き上げた。

「二階にベッドがあるから、アンはそこでちゃんと休め」
「レオンはどうするの?」
「俺は下のソファーでいい」
「でも……」
「なんだよ。それじゃ、一緒にベッドで寝るか?」

 ギシギシと軋む階段を上がり、唯一の寝室に入ると簡素な木製のベッドが置いてある。

 レオンハルトのその提案は、アンネリーゼからの「レオンのバカ!」という返事聞いて笑いながら部屋を出て行くため、わざとからかって言ったものだった。
 それなのに……。

 ベッドに彼女をそっとおろし、ランタンをサイドチェストの上に置いた彼の耳に届いたのは、予想外の呟きだったのだ。


「……一緒で……いいよ……」







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