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11 襲撃
しおりを挟むヒューゲル侯爵家の夜会では、晩餐を楽しみに訪れる貴族も多い。
長年社交に重きを置いてきたカサンドラ夫人が主催なだけあり、毎回趣向を凝らした料理で招待客を唸らせてくれるのだ。
長テーブルが幾つも並ぶダイニングルーム。
上質なワインと料理を堪能しながら、和やかに時間は進む。
アンネリーゼは主賓としてホストたちと笑顔でテーブルを共にしていたが、さっき目にした光景が頭から離れずにいた。
(私が婚約したとき……レオンも、こんな気持ちだった……?)
レオンハルトが誰かのものになってしまう。
それを想像せずにいた自分の愚かさと甘えに、彼女は喉の奥が詰まって息が上手くできなかった。
(……どうしよう? ……どうしたらいい……?)
長い食事の時間。アンネリーゼは料理の味もよくわからないまま、王女としてただそこに座り、笑顔で義務を果たすのが精一杯だった。
やがて晩餐会が終わり、男性たちはシガールームへ、女性たちはサロンへと流れ始める。
アンネリーゼはその人波からそっと離れ、エントランスホールで帰り支度を始めていた。
「アン? 大丈夫か?」
「えっ?」
「晩餐会が始まる前から、少し顔色が悪い」
「そう? ……久しぶりにヴォルバルトの社交界に顔を出したから、ちょっと緊張して疲れたのかな?」
おそらく他人から見れば気づきもしない、僅かな変化だったはずだ。
それをレオンハルトに指摘され、小さく笑ってそう答えたアンネリーゼだったが、彼を誤魔化すことはできなかった。
「……何があった?」
本気で心配するグレーの双眸から視線を反らし、彼女はまたポツリと答える。
「疲れただけよ」
「アンッ」
思わずレオンハルトが彼女の手を掴んだ時、後ろから柔らかな声が届いた。
「リーゼ様。もうお帰りなんて、残念ですわ」
「おばあ様」
静かに彼の手が離れる。
アンネリーゼはホッとした様子でカサンドラ夫人へと歩み寄った。
「私は晩餐の間、ずっとお隣でおばあ様を独り占めできましたわ。皆様これからゆったりと過ごされる時間ですもの。私がいたら堅苦しくなってしまうでしょう? 社交は引き際が肝心と教えてくれたのは、おばあ様ですよ?」
「……リーゼ様」
きっとカサンドラ夫人も、アンネリーゼの様子に何か思うところがあったのだろう。
大切な孫娘を慈しむように優しく名前を呼ぶと、夫人は自分よりも背の高い彼女をそっとハグした。
「このばあやは、ずっとあなた様の味方ですからね。どうか忘れないでいてくださいませ。ね?」
「……はい。おばあ様……」
すっかり夜の帳が降り、青白い月の光だけが淡く届く中、アンネリーゼは侯爵夫妻とカサンドラ夫人に見送られ馬車に乗り込む。
「王女殿下。帰路は夜道ですので、念のため私も騎乗にて護衛致します」
「わかりました」
いつの間にか礼服ではなく、いつもの軍服の上着に着替えたレオンハルトが丁寧に馬車の扉を閉めた。
この時のアンネリーゼは、狭い車内で彼と向かい合わずに済んだことにホッとしてしまい、十分な護衛がいる中、レオンハルトが敢えて護衛にまわった違和感に気づけずにいたのだった。
郊外のヒューゲル邸から王宮までは馬車で半刻ほど。
王都とはいえ、中心地である貴族街を抜けしばらくすれば長閑な畑や果樹園の景色が広がりだし、周りに森も多い。
ヒューゲル侯爵家のような名門の貴族が、タウンハウスを郊外に構えるのはとても珍しかった。
馬車が整備された田舎道を抜け、夜の森へと入っていく。
しばらくして木々のざわめきと車輪の音に、微かな水音が混ざりだすと、窓の外からレオンハルトの声が聞こえた。
「殿下、もうすぐ橋を渡りますので少し揺れるかと」
「ありがとう。わかったわ」
アンネリーゼが窓を少しだけ開け、そう返事をした時だった──。
突然、悲鳴にも似た馬のいななきと同時に馬車が大きく揺れ止まったのだ。
(……っ、何!?)
「……ッ!? 殿下をお護りしろ!」
レオンハルトの叫びと共に、金属がぶつかり合う音がいくつも響き渡る。
「アン! 賊だ! 中で伏せろ!」
「っ!」
剣をおさめてきたアンネリーゼは、狙いである自分が戦いの隙になることを瞬時に理解し、急いで窓を閉めて身を隠した。
一体何人に襲われているのか?護衛騎士はレオンハルトを含めて五人。
混ざり合う男たちの怒声とうめき声の中から、彼女は懸命に聞き慣れた護衛たちの声を探し無事を祈り続けた。
だが事態は更に悪化する。
戦いのさなか、落ちたランタンの火が馬車に燃え移ったのだ。
「殿下っ、お逃げください!」
「カイ!」
アンネリーゼの専属騎士として常に側にいるカイが、扉を開け車体が火に飲まれる寸前に彼女を引きずり出す。
彼がそうして背を見せた一瞬の隙を、賊が見逃すはずがなかった。
「カイっ、後ろ!」
彼女の声も虚しく、カイの肩を剣が貫く。
「カイ!」
「カイ!? クソッ、どけぇぇーー!」
レオンハルトが異変に気づき助けに行こうとしたものの、今剣を合わせている男はなかなかの手練れで、身動きが取れない。
「おい、この女は黒髪だぞ! 馬車に乗ってるのは王妃じゃなかったのか!?」
そんな中、カイを刺した男が発した言葉に空気が変わった。
(この男達、狙いはヴィーだったのね!?)
アンネリーゼは流れが変わったその刹那、迷うことなくカイが落とした剣を手に取る。
そしてドレスの裾を切り裂き、ヒールを脱ぎ捨てた。
「おいおい、姫さん。マジかよ? そんな格好ただのご褒美だぜ?」
そう下品に笑った男は、次の瞬間、ドサリと地面に倒れ込む。
「…っ、クッ……」
「戦いのさなか、慢心は命取りよ」
「なっ!? ふざけるなよ、このアマーー!」
実際、アンネリーゼが戦いの場で剣を握るのは初めてのことだった。
剣術の腕がどれほどあろうと、彼女は常に護られるべき王女。
それでもアンネリーゼは、今この瞬間に自分で剣を取ったことを微塵も後悔していなかった。
命をさらす金属音が耳を掠める。襲撃者たちの荒々しい剣を相手に、彼女は一歩も引けを取らず前に出る。
「アン!」
「レオンっ!」
男たちが残り数人となり、アンネリーゼの元へと駆け寄ったレオンハルトは彼女の手を引き迷わず走りだした。
「レオン! カイは!?」
「大丈夫だ、急所は外れてる」
「これからどうするの?」
「馬が全部やられた。とにかく今は、お前の身を隠す!」
「うん!」
レオンハルトは川沿いを進み、人が一人通るのが精一杯の狭い吊り橋を渡る。
そして渡り終わった橋のロープを切り川へ落とすと、追手のないことを確認して剣をしまい、アンネリーゼの膝下をすくい上げて横抱きにしまた歩きだした。
「レオン、皆んなは? 皆んなはどうするの?」
「あいつらなら大丈夫だ。アンは心配しなくていい」
「でもっ」
「殿下!」
その呼び方と彼の声の大きさに、彼女はハッと我に返る。
「……ごめんなさい……」
「アンが謝る必要はない。……怒鳴って、悪かった……」
レオンハルトの腕に力がこもる……。
アンネリーゼはそっと彼の首に腕をまわし、遅れてやってきた恐怖で溢れ出した涙を隠すよう、その首元に顔をうずめて小さく震えていたのだった。
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