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9 喜び
しおりを挟む「急に申し訳ありません、お義姉様」
通された王妃宮のサロン──。
ヴィヴィアンヌはいつもどおりの笑顔でアンネリーゼを出迎えた。
「大丈夫よ、ヴィー。私はのんびりさせてもらっているもの」
二人が丸テーブルで向かい合い席につくと、メイドたちがお茶をサーブして下がっていく。
そして控えているべき侍女たちまで退室する様子にアンネリーゼも状況を察し、自身の侍女たちに目配せをして下がらせた。
人払いを済ませ広いサロンの片隅で二人きりになり、アンネリーゼは心配そうに義妹を見つめる。
「やっぱり少し顔色が悪いわ」
「もう、お義姉様は目敏すぎますわ」
「ヴィー?」
深刻そうでありながら、どこか恥ずかしげにティーカップへと視線を落とすヴィヴィアンヌ。
そんな様子を見ながらアンネリーゼは少しずつある可能性に気づきだし、その表情に喜びが満ちてきた。
「ヴィヴィアンヌ? もしかして……私の、勘違いじゃないわよね? あなた……」
「はい……。授かれたみたいです、私……」
「っ、ヴィー!」
アンネリーゼは珍しく音を立てて席を立つと、ヴィヴィアンヌに駆け寄り彼女の頭を優しく抱き寄せた。
「おめでとう! 嬉しいわ、本当に! あぁ、家族が増えるのね! なんて素晴らしいの!」
「か、ぞく……?」
アンネリーゼのその言葉で、ヴィヴィアンヌの目からは堰を切ったように涙が溢れ出す。
アンネリーゼにはその涙の意味が、痛いほどに理解できていた。
ヴィヴィアンヌは王女とはいえ、母国のシガーレフは小国だ。
大国ヴォルバルトが彼女を王妃として迎え入れても、さほどの利は得られない。
クラウスとの恋を実らせ結婚したヴィヴィアンヌだが、表面上は祝福されても、その実、国内の有力貴族たちからは歓迎されていなかったのだ。
そんな中、王太子妃となって日も浅いうちに先王が崩御し、若くして王妃となった彼女。
それでも元々の芯の強さと聡明さでクラウスを支え、自分の力でその地位を固めてきた。
「ヴィー。ごめんなさいね。あなたの辛い時期に側にいてあげられなくて」
「……っ、そんなこと……。お義姉様はこんなにも、私を……いつも救って……」
国王の妻として、最も求められる役割……。それは、努力だけではどうにもならないことだった。
十八歳で初夜の儀を終えてから一年と少し。その間、娘をクラウスの側妃にと狙う貴族たちに「世継ぎはまだか」と圧をかけられ続けてきた彼女。
ヴィヴィアンヌはいつの間にか、愛するクラウスとの子供を望むのではなく、『ヴォルバルト王国の世継ぎを産む』という義務に囚われていたのだ。
そんな彼女に、アンネリーゼは家族が増えると真っ直ぐに喜んでくれた。
それはヴィヴィアンヌの心へ、呪縛をとく魔法の言葉のように染み渡っていく。
「体を厭うのよ。食事は? つわりはあるの?」
「はい。ここ数日でつわりが突然ひどくなってしまって……」
「そうだったのね。私にできることはある? 何でも甘えてちょうだい、ヴィー」
「ありがとうございます、リーゼお義姉様。実は、急なんですが、お願いが……」
「うん?」
ヴィヴィアンヌから詳しく話を聞いたアンネリーゼは、義妹を落ち着かせて涙を拭ったあと、急いで自室へと戻り支度を始めた。
「明後日の夜会に代わりに出席とは……。なかなか厳しいお願いね、ヴィー」
そう苦笑しつつも、彼女は久しぶりの公務に内心ではどこかホッとしていたのだ。
アンネリーゼが頼まれたのは、亡命中にヴィヴィアンヌの後見人も務めていた、ヒューゲル前侯爵夫人カサンドラの七十歳の誕生日パーティーへの出席だった。
ヒューゲル侯爵家は数代前に王女が降嫁しており王家の血をひくこと、またカサンドラ自身も社交界の重鎮として今も存在が大きいこともあって、王族と言えど出席を見送れない大切な夜会なのだ。
「時間がないし、手持ちのドレスから選ばないといけないわね。主役はカサンドラ夫人だし、明るい色は避けましょう。サラ?何着か候補を出してきて?」
「承知致しました」
サラのセンスを信頼しているアンネリーゼは、彼女が選んだのだ候補の中からドレスを決め、次に他の侍女たちも交えながらアクセサリーを選びと髪型や化粧の相談を始める。
(それにしても、エスコートが……。ヴィーは疑いたくないけれど、お兄様がお膳立てしたんじゃないかと……そっちは疑いたくなるわよね……)
ふとそんなことを考えながら、サラが並べてくれたアクセサリーの中で、アンネリーゼが無意識ながらも引き寄せられるように手を伸ばしていたのはイエローダイヤモンドのネックレスだった。
それを見てサラがそっと口元をゆるめる。
「そちら、ネイビーのドレスによく似合うかと」
「えっ? ええ、そうね。これにしようかしら」
「承知致しました」
アンネリーゼはサラの意味深な微笑みを見ながら、その意味が思い当たらず首を傾げた。
「フォン・ケルナーも、こちらでドレスアップなさった殿下を見れば、さぞお喜びになるかと」
サラにそう言われて、やっと自分の無意識の意味を理解し顔が熱くなる彼女。
(や、やだ……この色……レオンの髪の……!)
明後日の夜会。クラウスと出席しては、ヴィヴィアンヌの欠席の理由を探られてしまう。
周りの出席者たちは王族から誰が出席するかまでは把握していないはずだ。
カサンドラ夫人には本当の理由を伝えてあるので、当日アンネリーゼが代理で出席しても上手く取りなしてくれるだろう……。
そして現状、アンネリーゼをエスコートできる存在は、レオンハルトくらいしかいなかった。
(私は王女の公務として出席するのよ……。レオンも仕事だわ。そう、仕事よ)
いくらそう言い聞かせても、また心の中、同じ場所が痛いくらいに跳ね回る。
『俺に恋しろよ』
あの日のレオンハルトの言葉と甘い香り……。
その記憶はアンネリーゼの抗う想いを僅かにかすれさせていた。
(恋なんて、本当はずっとずっと前から……。でも……)
全てを認めてしまいたいその一方、同時に蘇る心許ない声……。
『あなたは立派な王女よ。王女として、陛下やクラウスを……このヴォルバルトを支えてね……。私の、アンネリーゼ……』
アンネリーゼの手が胸元で柔く握りしめられ、また浅い呼吸になっていく……。
忙しく動き回る侍女たちに気づかれることなく、彼女はそっと寝室へ入りベッドに小さくうずくまったのだった。
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