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3 再会の影で
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「目が覚めた?」
「……母、上……? 私は一体……」
足首からジャラリと鈍い音がする。足枷は重く、思考は更に重くのしかかってエルマーを混乱させた。
「あなたは取り返しのつかないことをしてしまったの。せめて内々に済ませられる形ならよかったのに……」
今目の前にいるのは、女王ではなく母だと、そんな気がした。
エルマーは、悲しみに満ち、それでいて許しを請うような母の様子を目の当たりにして、必死に記憶を辿る。
(確か、夜会……? そうだ、大広間にいた……。彼女と一緒……いや……私は……?)
「母上……。彼女は……どう……」
「彼女? エルマー? あなたは今、誰のことを聞いている?」
「え……それは、どういう……。誰、とは……だれと……?」
まるで独り言だ。彼はぽそりと口の中で転がすような呟きを繰り返す。
(そんなの、決まっている。私の……)
「……リーゼ……」
◇◇◇
クラウスの私室へとやって来たアンネリーゼは、部屋の中で待っていてくれた大好きな人の姿を見た途端、その顔をほころばせた。
「ヴィー! 会いたかったわ!」
「おかえりなさいませ、お義姉様!」
クラウスの妻、王妃ヴィヴィアンヌ。
ヴォルバルトから少し離れた大陸の西に位置する小国、シガーレフの王女だった彼女がこの王宮にやって来たのは九歳の頃。
母国でクーデターが起き父王が暗殺され、その父の従兄弟であったヴォルバルト国王を頼って、兄二人と共にこの国へと亡命してきたのだ。
今はヴォルバルトの助力もあり、長兄オーレリアンが王座に返り咲き国をまとめている。
シガーレフの情勢が落ち着くまでと、ヴィヴィアンヌは一人ヴォルバルトに残っていたのだが、彼女が帰国しようとした三年前。クラウスが想いを告げ求婚。ずっとクラウスを慕っていた彼女はもちろんその場で承諾し、王太子妃となった。
「私、今回は本当に腹が立ちましたの!リーゼお義姉様ほどのお方を蔑ろにした挙げ句、婚約破棄だなんて!」
「私も、まさかあんな形で婚約破棄だと騒ぎ立てるとは思わなかったけど……」
そう言ってやるせなく微笑んだアンネリーゼを見て、裏で何かあったのだと察したヴィヴィアンヌは黙って義姉の手に自分の手を重ねる。
アンネリーゼより三つ年下のヴィヴィアンヌとは、本当の姉妹のように過ごしてきた。
自分を気遣ってくれる義妹にそっと肩を寄せたアンネリーゼへ兄として優しい目を向けたクラウスは、一通の書簡を彼女に手渡す。
「ツェラーの女王から一昨日届いた」
そこには、エルマーは廃太子され療養という名目で離宮に事実上幽閉されたこと。ツェラー側の不祥事による婚約解消のため、それに見合うような慰謝料を支払うとして、その金額が提示されていた。
「お兄様。オイゲン男爵令嬢がどうなったか、ご存知ですか?」
「ああ。最初は僻地の戒律の厳しい修道院へ送る予定だったらしいが、父親共々、調べを進めるほどに色々な罪状が増えたようで、父親は死罪。娘は牢に繋がれた」
「そう、ですか……」
エルマーとの婚約は女王たっての願いで結ばれた。
アンネリーゼがアハッツの王子と離縁したのを知って、彼女の才覚を見込み申し込んで来たのだ。
ツェラーでエルマーと初めて会った時は、少し不器用な印象だったけれど、誠実な彼は少しずつお互いを知ろうと優しい言葉もかけてくれた。
エルマーが変わり始めたのは、女王の出産前後に国政を担うはずだった王配のロバートが倒れたころ。
内部が混乱しているその隙を狙って、コリンナが近付いてからだった。
(あの時、私も慣れないツェラーでの政務に手一杯で……。彼の変化にもっと早く気づけていたら……)
ほんの少し期待した……。政略結婚だったとしてもエルマーとなら心を通わせられるかもと……。
彼はそう思わせてくれる人だったのだ。
同じ王女という立場ながら、幼い頃から慕っていたクラウスと恋愛結婚をしたヴィヴィアンヌが、羨ましくないと言えば嘘になる。
アンネリーゼはクラウスとヴィヴィアンヌを見るたびに、大好きな兄と妹の幸せを喜ぶ気持ちと、二人への嫉妬がないまぜになり、自分の狭量に苦しくなった。
「……ゼ……リーゼ?」
いつの間にか自分の前でしゃがみ、心配そうにのぞき込むクラウスの声に、アンネリーゼはハッと思考を今に戻す。
「大丈夫かい? リーゼ?」
「すみません、お兄様。……疲れが、取れなくて」
「……リーゼ。ここ数年で、そなたには随分と無理をさせてしまった。せっかくヴォルバルトに戻ったんだ。ゆっくりと、自由に過ごすといい」
「……はい……。ありがとうございます、お兄様」
そして妹をそっとハグしてから政務へと戻ったクラウス。
アンネリーゼはヴィヴィアンヌと共に、他愛ない話をしながら半刻ほどお茶を楽しみ、部屋へと戻ったのだった。
◇◇◇
「それで、足取りは掴めたのか?」
クラウスは執務室に戻るなり、低い声で問いかける。
そこには彼の右腕である、宰相ゲオルク・フォン・シュナイダー侯爵と、レオンハルトの姿があった。
「離宮から出奔したエルマー殿下が、いずれかの国境を越えたという報告はありません」
「要するに、どこにいるのかわからないんだな?」
「はい、陛下」
アンネリーゼに見せた書簡が届いてから半日もしないうちに、ツェラーからの早馬が到着した。
それが、離宮に賊が侵入し、幽閉中のエルマーを連れ出して逃亡したという知らせだったのだ。
「あの男には今、有力な後ろ盾などないはずだ。だが油断はできない。……レオン、国境の警備を強化しろ」
「御意」
「ゲオルク、ツェラーに影は入れたか?」
「問題ありません」
厄介なことになった……とこめかみを押さえながら、クラウスは二人を見る。
「リーゼには知らせるな。しばらくは穏やかに過ごさせてやりたい」
同じ思いを抱いていたレオンハルトもまた、静かに拳を握りしめていた……。
「……母、上……? 私は一体……」
足首からジャラリと鈍い音がする。足枷は重く、思考は更に重くのしかかってエルマーを混乱させた。
「あなたは取り返しのつかないことをしてしまったの。せめて内々に済ませられる形ならよかったのに……」
今目の前にいるのは、女王ではなく母だと、そんな気がした。
エルマーは、悲しみに満ち、それでいて許しを請うような母の様子を目の当たりにして、必死に記憶を辿る。
(確か、夜会……? そうだ、大広間にいた……。彼女と一緒……いや……私は……?)
「母上……。彼女は……どう……」
「彼女? エルマー? あなたは今、誰のことを聞いている?」
「え……それは、どういう……。誰、とは……だれと……?」
まるで独り言だ。彼はぽそりと口の中で転がすような呟きを繰り返す。
(そんなの、決まっている。私の……)
「……リーゼ……」
◇◇◇
クラウスの私室へとやって来たアンネリーゼは、部屋の中で待っていてくれた大好きな人の姿を見た途端、その顔をほころばせた。
「ヴィー! 会いたかったわ!」
「おかえりなさいませ、お義姉様!」
クラウスの妻、王妃ヴィヴィアンヌ。
ヴォルバルトから少し離れた大陸の西に位置する小国、シガーレフの王女だった彼女がこの王宮にやって来たのは九歳の頃。
母国でクーデターが起き父王が暗殺され、その父の従兄弟であったヴォルバルト国王を頼って、兄二人と共にこの国へと亡命してきたのだ。
今はヴォルバルトの助力もあり、長兄オーレリアンが王座に返り咲き国をまとめている。
シガーレフの情勢が落ち着くまでと、ヴィヴィアンヌは一人ヴォルバルトに残っていたのだが、彼女が帰国しようとした三年前。クラウスが想いを告げ求婚。ずっとクラウスを慕っていた彼女はもちろんその場で承諾し、王太子妃となった。
「私、今回は本当に腹が立ちましたの!リーゼお義姉様ほどのお方を蔑ろにした挙げ句、婚約破棄だなんて!」
「私も、まさかあんな形で婚約破棄だと騒ぎ立てるとは思わなかったけど……」
そう言ってやるせなく微笑んだアンネリーゼを見て、裏で何かあったのだと察したヴィヴィアンヌは黙って義姉の手に自分の手を重ねる。
アンネリーゼより三つ年下のヴィヴィアンヌとは、本当の姉妹のように過ごしてきた。
自分を気遣ってくれる義妹にそっと肩を寄せたアンネリーゼへ兄として優しい目を向けたクラウスは、一通の書簡を彼女に手渡す。
「ツェラーの女王から一昨日届いた」
そこには、エルマーは廃太子され療養という名目で離宮に事実上幽閉されたこと。ツェラー側の不祥事による婚約解消のため、それに見合うような慰謝料を支払うとして、その金額が提示されていた。
「お兄様。オイゲン男爵令嬢がどうなったか、ご存知ですか?」
「ああ。最初は僻地の戒律の厳しい修道院へ送る予定だったらしいが、父親共々、調べを進めるほどに色々な罪状が増えたようで、父親は死罪。娘は牢に繋がれた」
「そう、ですか……」
エルマーとの婚約は女王たっての願いで結ばれた。
アンネリーゼがアハッツの王子と離縁したのを知って、彼女の才覚を見込み申し込んで来たのだ。
ツェラーでエルマーと初めて会った時は、少し不器用な印象だったけれど、誠実な彼は少しずつお互いを知ろうと優しい言葉もかけてくれた。
エルマーが変わり始めたのは、女王の出産前後に国政を担うはずだった王配のロバートが倒れたころ。
内部が混乱しているその隙を狙って、コリンナが近付いてからだった。
(あの時、私も慣れないツェラーでの政務に手一杯で……。彼の変化にもっと早く気づけていたら……)
ほんの少し期待した……。政略結婚だったとしてもエルマーとなら心を通わせられるかもと……。
彼はそう思わせてくれる人だったのだ。
同じ王女という立場ながら、幼い頃から慕っていたクラウスと恋愛結婚をしたヴィヴィアンヌが、羨ましくないと言えば嘘になる。
アンネリーゼはクラウスとヴィヴィアンヌを見るたびに、大好きな兄と妹の幸せを喜ぶ気持ちと、二人への嫉妬がないまぜになり、自分の狭量に苦しくなった。
「……ゼ……リーゼ?」
いつの間にか自分の前でしゃがみ、心配そうにのぞき込むクラウスの声に、アンネリーゼはハッと思考を今に戻す。
「大丈夫かい? リーゼ?」
「すみません、お兄様。……疲れが、取れなくて」
「……リーゼ。ここ数年で、そなたには随分と無理をさせてしまった。せっかくヴォルバルトに戻ったんだ。ゆっくりと、自由に過ごすといい」
「……はい……。ありがとうございます、お兄様」
そして妹をそっとハグしてから政務へと戻ったクラウス。
アンネリーゼはヴィヴィアンヌと共に、他愛ない話をしながら半刻ほどお茶を楽しみ、部屋へと戻ったのだった。
◇◇◇
「それで、足取りは掴めたのか?」
クラウスは執務室に戻るなり、低い声で問いかける。
そこには彼の右腕である、宰相ゲオルク・フォン・シュナイダー侯爵と、レオンハルトの姿があった。
「離宮から出奔したエルマー殿下が、いずれかの国境を越えたという報告はありません」
「要するに、どこにいるのかわからないんだな?」
「はい、陛下」
アンネリーゼに見せた書簡が届いてから半日もしないうちに、ツェラーからの早馬が到着した。
それが、離宮に賊が侵入し、幽閉中のエルマーを連れ出して逃亡したという知らせだったのだ。
「あの男には今、有力な後ろ盾などないはずだ。だが油断はできない。……レオン、国境の警備を強化しろ」
「御意」
「ゲオルク、ツェラーに影は入れたか?」
「問題ありません」
厄介なことになった……とこめかみを押さえながら、クラウスは二人を見る。
「リーゼには知らせるな。しばらくは穏やかに過ごさせてやりたい」
同じ思いを抱いていたレオンハルトもまた、静かに拳を握りしめていた……。
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