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第20話
しおりを挟む──……油断、したな……。
ウィリアムは冷たい石の床に座り壁にもたれかかる。彼の向かいには、取り乱すこともなく静かに佇むノエルがいた。
半地下らしい鉄格子の部屋。壁の高い場所にただそこをくり抜いただけの明かり取りの小窓がある。部屋の中はと言えば、かろうじて用が足せて、申し訳程度にくたびれた毛布があるだけだ。
温室育ちの貴族令息ならば、きっと一日も耐えられないだろう環境で、無精髭のウィリアムは軍で現役だった頃の自分を取り戻しつつあった。
丸一日かけ領地から出たところで、突然馬車が急停車し車内に煙が充満した。
かなり強い薬だったのだろう。馬車に乗っていたウィリアムとノエルは一瞬で意識を失い、おそらくは、数日間眠ったままだった。
やがて目的の場所にたどり着き、投げ出されるように荷馬車から降ろされた二人。
どれだけ移動したのかわからないせいで、自分が連れてこられた場所の見当がつかず内心焦るウィリアムに、ノエルがそっと耳打ちする。
「我々は国境を越え、エローワにいるようです。」
ノエルは馬車から降ろされこの牢がある館に入るまでの僅かな時間で、エローワのある地方にしか咲かない花の木を見つけ確信したらしい。
これまでウィリアムは軍人として馬で移動していた。王族とはいえ軍に入れば、その組織の中での立場の方が優先されていたからだ。
だが今回は公爵として護衛を受け馬車での移動となり、それが仇となってしまった。
──果たして、どこまでが仕組まれていた?……この要請自体が罠だったのか……?
彼は今更ながらに自嘲して、後悔と共に目を閉じる。
瞼の裏に最愛を描きながら、ウィリアムはキツく拳を握りしめた。
──すまない、ジュリア……。どうか……。
ウィリアムはカビ臭い毛布を手繰り寄せ、僅かな眠りへと身を委ねた……。
◇◇◇
「今夜は、満月なのね……。」
ジュリアを乗せた馬車は、馬を替えながら昼夜を分かたず走り続けていた。
王都まで七日はかかるはずの道のり。本来なら夜は宿を取り、身体を休めながら移動する。それでも馬車での移動は負担がかかるものだ。
だが今は少しでも早く王宮にたどり着く必要があった。
随分と速く流れていく窓の外の景色。
ジュリアは、唯一変わらずそこにある黄金を見上げポツリと呟いた。
「奥様、どうぞ私に身体をお預け下さい。少しでもお休みになりませんと。」
「大丈夫よ。辛いのはマーサも同じじゃない。……貴女を、こんな危険に巻き込んでしまって……。」
「奥様?私にも、侍女の矜持というものがございますよ?」
「マーサ……。」
「さぁ、お休み下さい。」
妹を見るように優しく微笑んでくれたマーサを見て、ジュリアは素直に彼女へ身体を預ける。
柔らかなブランケットで包まれ、眠れるはずもないとわかりながらもそっと瞼を閉じたジュリア。
そして彼女は頭の中、屋敷でのホワイトリー少佐との会話を思い出していた……。
「奥様は、閣下の胸の古傷について何か聞いておられますか?」
「ええ。旦那様から、二年前、盗賊団の討伐任務の際に負われた傷だとうかがっています。」
「そうですか。実は、今回閣下が砦に向かわれたのは、その盗賊団の残党が捕縛されたからなのです。」
「え?」
少佐によれば、二年前、ウィリアムは盗賊団の首領と対峙し剣を交わしていた際、背後から斬り掛かられ重傷を負った。
その時、彼が斬られたことで隙が出来、盗賊団の一部を取り逃がしていたのだ。
その後の調べで、ウィリアムに怪我を負わせたのは首領の息子であったと判明し、首領が処刑された後、跡を継いだらしいことがわかった。
「しばらくは盗賊団に動きはなく、軍としても一度残党の捜索を打ち切っていたのです。ですが半年程前、盗賊団は新たな組織となり、人身売買に手を染めているとわかりました。」
「人身売買、ですか?」
「はい。」
事態を重く見た国王は、早急に組織を壊滅するよう命を下す。
その後、討伐部隊の作戦は成功し、現在の首領を捕縛したと思われたのだが……。
「その者は影……つまり身代わりでした。今の首領は狡猾です。影を何人も作り討伐部隊を翻弄して、尻尾を掴ませません。ですがひと月前、大規模な作戦が実行され、組織のほぼ全員を確保したのです。今度こそ首領に裁きを受けさせなければなりません。二年前、閣下は一瞬だったと仰っていましたが、首領の顔を見ておられる。」
「……それで、旦那様に面通しをお願いしたと?」
「その通りです。」
「そこまでの経緯はわかりました。それで、旦那様は何故エローワに連れて行かれたのですか!?盗賊団の者の仕業ですか?彼らは捕まっているのでしょう!?」
「……それはおそらく、閣下への復讐です……。」
「っ!?」
その言葉に絶句し固まるジュリア。
そしてこの後、更に恐ろしい事実が彼女に追い打ちをかける。
「二年前の討伐の際、今の首領の妻が、混乱の中、命を落としていたことがわかりました。それに加え、盗賊団が再び動き出したのは、閣下のご結婚の時期と一致します。」
「つまり、それは……。」
「首領はおそらく、閣下に自分と同じ苦しみを味わわせるつもりでしょう。そう考えれば辻褄が合う。」
「……つまり……私が、本当の狙いだと……?」
「……はい。」
事実を知り不安に揺れるジュリアを乗せて走り続け夜を越えた馬車が、朝日に照らされた王宮の門をひっそりとくぐり抜けていく──。
──ビル、私は無事に王宮に着いたわ……。陛下が守って下さる。だからお願い……貴方も無事でいて……!
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