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第19話
しおりを挟む「奥様、どうか今日はもうその辺りで。一度お休み下さい。」
「……………。」
ウィリアムの行方がわからなくなってから、七日が過ぎようとしていた。
ジュリアはその聡明さで、オルコット公爵夫人として、そして領主代理として立派に務めを果たしている。
その毅然とした態度は、むしろ痛々しい程だった。
ウィリアムは今回、軍人としてではなく、一人の目撃者の立場で軍からの要請に応じたらしい。
ただ詳細は部外者であるジュリアには伏せられ、彼女もそれは当然のことだと納得して聞こうとはしなかったのだ。
愛する夫が行方知れずとなっている今ですら、王弟であるウィリアムの立場が、妻のジュリア自らの判断で動くことを許してはくれずにいた。
ただ嫁ぐためだけに育ってきた令嬢には理解に時間がかかるであろう書類にも、あっという間に目を通し、淡々と処理していく彼女の様子は、ウィリアムの一番側で仕えてきたレジーも感嘆の息を隠せないほど。
だがそれは、主の最愛の女性が不安と悲しみに溺れぬよう、強さという薄氷の上で耐えるための行動だということも、苦しいほどに理解していた。
「奥様。」
レジーのその一言は、仕える者としての節度を保ち、それでもなお歳上の人間としてジュリアをたしなめる。
「………そうね。急ぎの案件は、もう片付いているものね……。」
諦めと共に嘆息したジュリアがやっと顔をあげた。
「お茶になさいますか?」
「いえ、いいわ。部屋に戻るから。」
「かしこまりました。」
二階に上がったジュリアは、しばらく一人で横になりたいからとマーサも下らせ、とぼとぼと夫婦の寝室を抜けウィリアムの私室へのドアを開ける。
愛しい香りだけが残る、空っぽの空間……。
「大丈夫よ……。絶対……絶対にビルは私を一人になんてしない……。ビルは生きてるわ……ビルは……絶対……。」
堪えきれず一筋だけ零れ落ちてしまった雫を指先で拭い、彼女は震えを飲み込んで部屋を後にしたのだった……。
◇◇◇
その翌日──。
状況は一気に動き出す。
オルコット公爵夫人を訪ねてきたのは王宮に仕える近衛師団のホワイトリー少佐だった。
「どうぞお座りになって。」
「はっ、失礼致します。」
ジュリアは彼と側近の一人を応接間に通すと、緊張に飲まれそうな心をゆったりとした笑みで覆い尽くし少佐と向き合った。
「それで、どういったご要件かしら?あいにく夫は留守にしておりますの。」
レジーが自らお茶をサーブしメイドを下がらせるのを待って、ジュリアは落ち着いた口調で話しかける。
軍人……しかも近衛の人間だったとしても、安易に心を許す訳にはいかない。
何故なら、ウィリアムは軍から派遣された部隊が護衛の任につくからと、屋敷からはノエルだけを連れ出発したのだ。
にもかかわらず、最愛の人は姿を消した。
ホワイトリー少佐は警戒し隙のない社交の笑みを浮かべる彼女を見て、ほんの一瞬だけ目を眇める。
──流石は閣下が選ばれた女性だ。まだ若いのに大したものだな……。
「本日は公爵夫人へこちらをお届けに上がりました。」
そう言って彼は一通の封書を取り出した。
ローテーブルに置かれた封書の封蝋を見て、ジュリアが軽くホッと息をつく。
そこに押されていたのは間違いなく王家の紋章。
──彼らは、信用しても大丈夫なのね……。
不安の一つを手放せた彼女は、レジーが手渡してくれたペーパーナイフで手紙を取り出した。
読み終わり顔を上げたジュリアに、少佐が座ったまま改めて居住まいを正す。
「どうぞお支度下さい、オルコット公爵夫人。我々が王都まで護衛致します。」
手紙の差出人は義姉である王妃ステファニー。
そこには、夏の社交シーズンの幕開けを告げる王家の夜会に隣国エローワの第二王子が出席するため、王族の一員として共に迎えるようにと書かれていた。
そして、詳細はホワイトリー少佐から聞いておくようにと……。
──王族……家族として来いと……?これって……。
ウィリアムが向かったのは、かつて彼が任務についていた隣国エローワとの国境の砦。
軍人である少佐に詳細が託されているということは、すなわち……。
「……夫は……ウィリアムは、エローワにいるのですか?」
「はい。」
「無事……なのですか?」
「……今、断言は出来ません。ですが生きておられると、私は思います。」
「…………。」
彼は不安に揺れてしまうジュリアの瞳を真っ直ぐに見つめる。
どうしてそう思えるのか?その希望に縋っていいのか?……そして、そんなことを、公爵夫人として彼にぶつけていいのだろうか?
彼女は正解を見つけられず唇を噛み締めた。
「奥様。発言をお許しいただけますか?」
そんな張り詰めた空気の中、ジュリアの後ろに控えていたレジーが静かに声を掛けてきて、彼女は戸惑いながらも振り返る。
「レジー?ええ、いいわ。」
「ありがとうございます。ホワイトリー少佐は今は近衛師団におられますが、旦那様が軍籍にあった頃、国境警備隊で右腕としてずっと支えてこられた方です。旦那様が誰より信頼されていた方。発言に責任をとれる方です。」
「……っ………。」
──レジーには全部、お見通しなのね……。ビルも頭が上がらないわけだわ……。
モノクルの奥の優しい瞳を見ながら心の中でクスリとして、ジュリアは大きく息を吐きホワイトリー少佐へと向き直った。
「少佐殿。出発はいつがよろしいですか?」
「早ければ早いほど。」
「そう。レジー?支度にかかる時間は?」
「一刻、ちょうだい出来れば。」
「少佐殿、それでよろしくて?」
「はい。十分です。」
ジュリアの横へ立ったレジーに視線で指示を出し、彼女はお茶を一口飲んで、うねるように動き出した現況に耐えようと何とか気持ちを整える。
『後を頼むね、ジュリア。』
最後に聞いたウィリアムの言葉。
自分を認め、愛してくれる、たった一人の夫のために……。
「少佐殿。お話し下さい。今わかっている全てのことを。」
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