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第10話
しおりを挟む「本当に貴方という人はっ。あれだけ私が、程々にと注意したでしょう!」
「…………すまん。」
ウィリアムの執務室。
彼は、デスクの前に立ちモノクルの向こうから厳しい視線を投げつけてくるレジーに、背中を丸めている。
結局あの後、動転するウィリアムをよそに、メアリは終始落ち着いた様子でジュリアを彼女のベッドに運ばせ、テキパキとマーサに指示を出した。
「メアリ、医者を……。」
「落ち着いて下さいませ、旦那様。お医者様は明日の朝一番で呼びに行かせます。……オルコット家に来られてひと月半。奥様はずっと気を張っていらっしゃいましたから、疲れが出たのでしょう。」
「しかし……。」
「大丈夫です。このメアリを信じて下さい。それよりも、奥様はまだ寝顔を見られることに抵抗があるのでは?」
「っ……ああ。」
「何より旦那様に見られることを恥じらわれるはず……。今は不可抗力としても、後は奥様が目覚められてから会われたほうがいいですわ。」
メアリの言うことは一々尤もだった。
しかし、苦しそうな妻を目の前に、このまま側を離れることに抵抗したいウィリアム。
「旦那様。ただお側にいるだけが愛情ではないのですよ。今すぐお部屋にお戻り下さい。」
彼女の冷静ながら少しも譲らぬ声色に、彼は天を仰いで嘆息すると、ひどく熱いジュリアの額に口づけて踵を返す。
「逐一報告を。」
「もちろんでございます。必ず。」
そして翌朝──。
診察に訪れた医師の診察でも、ジュリアの高熱と頭痛は心身の疲れと睡眠不足によるものだと診断されたのだった。
「まったく。いくら初恋の想い人を妻に迎えられたからと、発情した獣のように……。」
「なっ!?」
「いいですか?軍人だった旦那様と奥様では、体格も体力も違いすぎるのですよ!奥様のお身体が悲鳴をあげるのは当たり前でしょう!」
段々と興奮し、デスクをダンッと手のひらで叩きつけたレジーは、口をはくはくさせ何も言えない主人に更に追い打ちをかける。
「貴方が色ボケになっている間に、仕事はどんどんと溜まっていくんですよ。それにこちらも……いつまで逃げて誤魔化すおつもりですかっ?」
レジーがスッとウィリアムの前に差し出したのは、王族だけに許された紋章の封蝋印が押された何通かの手紙。
「仕方ないだろう!あの王太后と王妃だぞっ。ジュリアがどうなるか、火を見るより明らかじゃないか!」
「……まぁ、そこは、否定いたしませんが……。ですが、どうなさるのです?このまま避け続けるわけにもいきませんよ?」
「わかっている……。はぁぁ、夏のシーズンには王都へ行くと返事をする。……そうしないと、あの人たちは、本気でこちらに乗り込んで来そうだからな……。」
「左様ですね。それが賢明かと。」
レジーはそう返事をしながら、手早く便箋を用意した。
「……レジー、メアリは何も言ってこないか?」
「はい。まだ、眠っていらっしゃるようです。」
「そうか……。」
──まだ、たった一日……。それでも彼女を抱きしめたくて堪らない……。
ウィリアムはペンを動かしながらも、思考は別の場所へと引っ張られる。
──今回は大事にならなかったが、次は?……これからずっと、ジュリーが辛い時に私はこんなもどかしい想いをしていくのか……?
結婚して半月……慌てることなどないと口にしたのは、彼自身……。
だがこんなにも焦燥感に追い立てられ、迫りくる不安にめまいがした。
「ジュリーは、こんな気持ちをずっと抱えていたのか……。」
「………旦那様?」
「いや、何でもない。」
溶かした蝋をたらしスタンプを押した封筒をレジーに渡すと、ウィリアムは黙々とデスクに溜まった書類を処理し始める。
執務室に聞こえるのが、時計の秒針とペンが紙の上を滑る音だけになってしばらくした頃、彼はある推薦状が目に留まりレジーを呼んだ。
「このタイタス商会は、たしかコーリング伯爵領に本店を構えていたな?」
「はい。先々代から一気に業績を上げ、今や国内有数の大商会ですね。」
「……何か含みがあって、これを残したのか?」
この地の領主となって移り住むとき、最低限の使用人しか連れてこなかったウィリアム。
ここで暮らし一年以上経って領地経営も流れを掴み、そろそろ人手を増やしても問題ないだろうと、まずは下働きの募集をかけたのだ。
下働きは平民がほとんどだが、公爵家で雇うとなればそれなりの素養は求められる。
「タイタス商会は従業員の教育が厳しいことで有名です。身分は問わず実力主義で、タイタス商会で推薦された人間は他の貴族家でも評判がいいんですよ。」
「そういえば、そんな話も聞いたな……。孤児院出身でもスラムの出でも、上流貴族の対応が出来るまでに育て上げるんだとか。」
「ええ。私も始めはその話が頭にあって残したんですが、よくよく調べれば彼は奥様が管理を任されていた孤児院の出身でして。」
「隣国からの移民孤児か。」
「はい。」
「………なるほどな……。」
ウィリアムは改めてその推薦状にじっくりと目を通した。
──故郷の顔見知りが近くにいたほうが、ジュリーも気持ちが和らぐかな……?
ジュリアは輿入れの時、実家から誰も連れてきていない。
ずっと側に置いていた侍女が、長年の恋人と結婚出来るようにとわざと伯爵家に残し、オルコット家で侍女を選んでもらえるよう申し入れてきたのだ。
彼女が寂しがらないよう努力してきたつもりではいたが、やはり一人は心細かっただろうと、ウィリアムは今更ながら後悔が募った。
「会長夫人が自ら書いたものか……随分ベタ褒めだな。」
「左様ですね。」
「………お前の判断に任せる、レジー。書類審査を通した者たちの面接をして、問題なければ予定通りの人数を採用してくれ。」
「かしこまりました。」
レジーがそう返事をしながら、彼の前にカモミールティーのカップを置く。
ふわりと香りを楽しみ、ウィリアムはひと口だけ味わって緩やかに嘆息した。
そんな時──。
聞こえたノックの音に胸が跳ねる。
レジーが扉を開けると、そこにはマーサが立っていた。
「失礼致します、旦那様。先程、奥様がお目覚めになりました。」
「っ、本当かっ?」
「はい。旦那様をお待ちです。」
ウィリアムは勢いよく立ち上がると同時に大股で歩き出す。
レジーとマーサは小さく口元を緩め、頭を下げてそんな主人を見送ったのだった。
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